第一章18 『闇夜の終着点』
「ぜぇ……ぜぇ……っ! くっ……!」
──静寂が支配する夜闇の中、荒い呼吸を繰り返しながら村を歩くのは、額に脂汗を浮かべ、腹部に重傷を負ったフェリアであった。
ククリナイフを手放した両手はもはや自由の身。彼女は左手で腹部の出血を抑えながら、足を引き摺るようにして暗闇を進む。
もっとも、その程度の止血では気休めにもならず、むしろ左手を自身の鮮血で汚しているだけのように見えた。
「はぁ……はぁ……! こん、なはず……じゃ……!」
こんなはずではなかった。
よもやこの自分が、騎士達を相手に遅れを取るだなんて。このような事態になるなど想定外だった。
それもそのはず。今まで素性を知られることなく少女達を殺めることができたのは、すべてすべて『暗闇の式術』があったからだ。
この力を頼りに、これだけを道標に生きてきた。その絶対的な力が、あろうことか騎士風情に打ち破られるとは──。
否、違う。
騎士の連中だけならどうにかなった。相対したのが彼らだけなら、自分一人で十分皆殺しにできたはずだ。
それが叶わなかったのは、その紛れもない元凶は──
「マシロ・ルカぁぁあ……! あいつさえ、いなければ……っ」
憎々しい。すべてが恨めしい。
そうだ。あのガキさえいなければ、こんなことにはならなかったのだ。あいつさえいなければ、自分の正体が明るみに出ることもなかったし、ここまで追い詰められることもなかった。
許せない。あのガキだけは、絶対にこの手で殺す。
それを強く胸の内に決意した途端、フェリアは自分が醜く嗤っていたことに気付く。
壊れた玩具のように繰り返し繰り返し、狂った歓喜の声を口元から零して。
「ぁ、はは、ははは……殺す……殺す……殺す……ふふ、ふふふ、ふふふふ……っ」
殺意と高揚の入り交じった、相反する感情が全身を焼く。
そうだ。こんなところで終われるものか。終わりたくなんてない。私はもっと、もっと、もっと──この手で少女達の命を奪わなければならない。
あの日、私に愛を教えてくれた存在を、私からすべてを奪った存在を、私を今の私へと変えた存在を──殺さなければならない。
殺したい、殺したい、殺したい。殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい。
「──フェリア」
と、そのとき。
形容し難い歪んだ喜びに満ち足りていたフェリアの耳朶に、聞き覚えのある青年の声が届いた。
見れば彼女の正面には、村人の一人であるレベリオが立ち尽くしている。
周囲が暗闇に満ちていて、痛手を負っていたとはいえ、こんな至近距離まで気付けなかったとは──フェリアはその場に足を止め、全身を焼く痛苦を抑えながら顔を上げる。
「……あら、レベリオさんではありませんか。ふふっ、ごきげんよう。今夜も夜空が綺麗ですね」
「──。まさか、あんたが暗がり魔の正体だったとはな」
フェリアの戯言には付き合わず、レベリオは淡々とそう呟く。
彼女自身、もはや自分の素性を隠す気はない。中枢騎士団に見破られた以上、もうこの村に自分は存在できないのだから。
「丁度よかったです。私、今とっても困っていまして。この傷を負ったまま、中枢騎士団を振り切って村から離脱できる自信がなかったんです。……でも、あなたさえいればどうにでもなる気がしてきました」
「……なに?」
「レベリオさん。ぜひ、私の人質になって頂けませんか? なにも抵抗しなければ危害は加えません。村の外れまで移動したら、そこであなたを解放することをお約束します」
「──」
そのフェリアからの提案にレベリオは沈黙する。
彼女の言う通り、それほどの負傷を抱えたままでは、いくら『暗闇の式術』があったとしても逃げ切るのは難しいだろう。
すでに村の出入口は、すべて中枢騎士団の監視下に置かれているに違いない。
そこを突破するにはやはり、人質という名の交渉材料が必要になってくるのだ。
「……その前に一つ教えてくれよ。あんたはなんで、この村で殺しなんてやってたんだ。その理由を聞かねぇ限りは、こっちも納得できねぇな」
「──」
「気味が悪いんだよ。俺の目には、あんたは村の中で誰よりも慕われてたように見えた。そんなあんたがなんで、あいつらを殺すような真似ができた? あんたは一体、何を考えてたんだよ」
「……それを、今あなたに教える必要がありますか? あなたが納得しようがしまいが関係ありません。私がその気になれば、あなたを無理やり連れ去ることさえ可能なんです。少しくらいは、自分の置かれている立場を弁えてみては?」
若干の余裕を顔に出しながら、フェリアはそう口にする。
彼女からすればレベリオなんて、足元に転がる石ころのようなものだ。気分一つで蹴飛ばすことも、奪い去ることもできる。
そんな彼女の態度に、レベリオは「……そうかよ」と短く吐き捨てる。
「随分と長い夜だったな。だがそれももう終いだ。どんなに暗い夜にも、いつか必ず夜明けがくる。──フェリア。それをあんたに教えてやるよ」
「……?」
そのレベリオの言葉に、フェリアは小さく首を傾げる。
彼が何を口にしているのかわからない。夜明けまではまだ時間がある。それによって『暗闇の式術』の効果を無力化しようと考えているなら、見当違いの希望だと言わざるを得ない。
そんな戯言に付き合ってやる義理はない。
フェリアは構わず、レベリオの身柄を抑えようと、その脚を動かそうとした。
──その刹那。
「……!」
暗闇が支配する周囲に、一つの変化が生じる。
視界を焼くほどの強い光にすべてが照らされ、夜闇の一切が断ち切られていた。
その光を前にフェリアは眩暈と吐き気を覚え、立っていられずその場に崩れ落ちる。
白濁する意識の中、何事かと目を丸くし、青ざめた顔を徐に上げるのだった。
そこで見た光景は──
「……これ、は」
地面に膝を突くフェリアと、それを見下ろすレベリオ。
その二人を囲うようにして、コルトン村の人々が総出でその姿を見せていた。
彼らは一人一人が松明を手にしており、それらが放つ橙色の輝きが、フェリアの『暗闇の式術』の効果を無効化させている。
月光程度の明かりならば負担にならなかったが、これほどの松明を向けられるのは致命的だ。
先の戦いで受けた重傷もある。こうなってしまうと、もはや立つことすらできない──。
「ぁ、ぐ……っ!」
呼吸が上手くできない。頭痛が酷い。
その痛苦が沸いた途端、嫌な汗が全身から吹き出るのを感じた。これはまずい──もはや逃げようにも、体がまともに動かない。
式術の代償による体調の悪化。脚は言うことを聞かず、平衡感覚は急激に失われつつある。
「一体……どう、して……」
どうして、村の人間がこの一箇所に集まっているのか。
その理由がわからず、フェリアは荒い呼吸を繰り返しながら脂汗を零す。
そんな彼女に、レベリオは懐からある物を取り出し見せつけるのだった。
「これ、なんだかわかるか?」
「……! 対話鏡……!?」
彼が手にしているのは、霊具の一種である対話鏡だった。
汎用性の高いそれは、主に中枢騎士団の連絡手段として用いられる。だが、一体何故それを彼が所持しているのか。
「俺は村の中で唯一の、暗がり魔の目撃者だったからな。予め六番隊からこいつを渡されてたんだよ。で、ついさっき隊長さんから連絡を受けて、俺が村の連中をこの一箇所に集めておいたってわけだ。──この場であんたを、確実に拘束するためにな」
「……っ」
「まあもっとも、この咄嗟の機転を思いついたのは、隊長さんじゃねぇらしいがな」
「……それなら、一体誰が……」
震えの混じった声でフェリアがそう尋ねると、村人の囲いの中から一人の少女が前に歩み寄ってくるのが見えた。
その人物の顔を視認し、フェリアの表情が昏い憎悪の色に変わっていく。
「マシロ・ルカ……っ!」
まただ。また、このガキの仕打ち。
それを認識した途端、フェリアの全身が憎しみという熱に焦がれる。今すぐにでも殺してやりたいが、やはり体は言うことを聞かなかった。
「……フェリアさん、もう終わりにしよう。最後の瞬間くらい、潔く諦めて」
「……! おわ、り……? 私が、この私が……っ、こんな、ところで……!? ぁは、あはは、あはははははははっ! 違う! 私は、まだ負けてなんかない!」
ルカの言葉に盾突き、フェリアは吠える。
その狂気の色を帯びた叫びに、村人達の何人かが恐怖に顔を歪めていた。
その様子から察するに、暗がり魔の正体がフェリアだったとは信じ切れていなかったのだろう。
しかしフェリアはもう、隠す気なんてさらさらない。思う存分に狂気の声をぶち撒けながら、どうにか立ち上がろうとする。
「──いや、あなたの負けだ。フェリア・イーブル。中枢騎士団の名の下に、あなたを拘束させてもらう」
ルカの隣にやってきたのは、六番隊の隊長であるアルトであった。
その彼の背後からは複数人の騎士が歩み寄り、フェリアに近づいて容赦なく拘束具を取り付けるのだった。
「ぐっ……ぅう! くそ、が……ぁ! マシロ・ルカぁぁぁぁあああああああっ!」
喉を焼いて絞り出すように、フェリアは怨嗟の声を轟かせる。
全部全部お前が悪いのだと、お前さえいなければと、憎しみの限りを尽くして叫ぶ。
その哀れな女の最後に、ルカは目を逸らすことなく直視していた。
「……ねえ、フェリアさん。最後に一つだけ聞かせて。あなたは一体、なんのために村の子達の命を奪っていたの? あなたは、なんのために暗がり魔なんてやっていたの?」
「──」
それは、先程レベリオにも聞かれたことだ。
だからフェリアは同じように口を閉ざし、沈黙する。そんな彼女の姿に、ルカは続ける。
「こんな終わり方じゃ、納得なんてできないよ! 一体、殺された子達が何をしたの? 何が憎くて命を奪ったの? ──ちゃんと教えてよ!」
「……憎い?」
ルカの零したその言葉に、フェリアは反応を示す。それからふっと鼻で笑い、見下すようにルカを見据えるのだった。
「何もわかっていない……私は別に、憎しみという感情だけに駆られて命を奪っていたわけではありません」
「え……?」
目を丸くするルカに、フェリアは慈しみを込めた笑みを浮かべて、言う。
「──私はあの子達を、愛していました」
零れる吐息と共に、彼女はそう語る。
その一言に、騎士も、村人も、誰もが呆然とした。何を言っているのかわからない。その言葉の真意が汲み取れない。
ただ、形容し難い拒絶反応だけが表に出ていた。ルカは無意識の内に首を横に振る。
「意味がわからない……じゃあ、尚更……なんで……」
「──。あなたにはわからないでしょうね。あなたのような、生涯癒えない地獄を這ったことのない人間には、絶対に。理解なんてできるわけもありません」
それが、彼女が最後に残した言葉となった。
暗がり魔の心に潜む闇を、その奥底を理解できることもないまま、ルカ達の戦いは幕を閉じることとなる。
──長く続いた闇夜の果てに、コルトン村はようやく夜明けを迎えようとしていた。




