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第一章15 『式術攻略戦』

「──ルカさん! いよいよ明日から、待ちに待った夏休みですよ! お祭りに花火に海にプール! 楽しみですねー!」


 ──校内に下校のチャイムが鳴り響いた矢先、リアは飛びつくようにルカの席まで寄ってきた。

 半袖のワイシャツを靡かせながら満面の笑みを浮かべる彼女の姿は、まさに夏の訪れを象徴しているようで。思わずルカの表情は緩んでいた。


「……相変わらず、元気すぎるくらいに元気だね」


「もちろんです! だってだって、夏休みに入ったらルカさんとたくさん遊べるじゃないですか!」


「普段から一緒に遊んでるでしょ? それに、宿題だって山のように出てるんだし……」


「なら、宿題も一緒にやりましょうよ! ルカさんの家、また行ってもいいですか!? 数学と物理、ぜひぜひ教えてくださーい!」


 わかりやすいくらいのハイテンションで、リアは両手を合わせてそうおねだりしてくる。

 散らかっている自分の部屋に、あまり来客を入れたくはないのだが……無下に断るのもなんだか申し訳ない。

 そんなこんなで、結局はいつもリアを招いてしまっているのが現状だ。


「いいけど、その代わり私にも古典教えてよ? この前の中間テスト、赤点ギリギリだったんだから」


「いいですよっ! 取引成立ですね!」


 ウインクしながら親指を立てるリア。

 ──思えばリアとは、物心がついた頃からずっと一緒にいたような気がする。

 幼稚園で出会い、そこから小、中、高と同じ学校に通っていたのだ。これほどまでに長く続いている友人は、リア以外にはいなかった。


「リアって、なにか悩みとかないの?」


「ふえっ? 悩みですか?」


 唐突なルカからの質問に、リアは意表を突かれて首を傾げる。

 なんとなく聞いてみたかった。いつも青天井を貫くほどに明るく、負の感情の一切を見せない彼女にも、何かしらの悩みがあるのかどうか。


「うーん、これといった悩みはないですね。ルカさんもご存知の通り、私、()()以外の感情をよく知らないので! 不安も恐怖も、今までに感じたことがないんです!」


「まあ……リアはそうだよね」


 本人の言うように、リアは小さい頃からずっと変わらない。

 喜怒哀楽の『怒』と『哀』が欠落しているかのような、そんな性格だった。

 対するルカは『喜』と『楽』の感情に疎い部分があり、そういう意味で言うなら、二人は真逆の性分と言える。

 お互いに、相手に欠けているものを持っているような──そんな関係。


「じゃあ……たとえば、死ぬのも怖くないの?」


「多分、そうだと思いますね。そのときになってみないとわかりませんけど……最期の瞬間まで、私は私のままだと思います!」


「そっか……凄いね」


「ルカさんは、人は死んだらどうなると思いますか?」


「えっ?」


 今度は逆にリアから質問され、ルカは思わず目を見開く。

 ──死んだ後に起きること。忙しなく続く日常の中で忘れがちだが、それについて考えることは、たまにある。


「どうだろうね……天国や地獄があるのか、輪廻転生して生まれ変わるのか、それとも無になるのか……どれだけ考えても、生きている限りはわかんないな」


「そうですよねー。でも私はこう思うんです。もしも生まれ変わったとしても、また何度でもルカさんに会いたいって。──そして何度でも、一番の友達になりたいって!」


 太陽のように眩しい笑顔を向けられ、ルカは「いきなり何……」とそっぽを向いてしまう。

 自分の頬が微かに熱くなるのを感じ、それをリアに見られたくなかったのだ。

 リアは本当に昔から変わらない。いつだって真っ直ぐで、前向きで。そんな彼女から与えられる確かな友情の繋がりが、ルカは好きだった。


「……私も、何度でもリアと友達になりたい」


「本当ですか!? 嬉しい!」


 ルカの零したその言葉に、リアは飛び跳ねるようにはしゃぐ。そんな彼女を見てると、ルカも自然と頬が緩むのだった。




 ◇

 ──どうして、今になってこんなことを思い出すのか。

 ルカの脳裏を過ぎるのは、かつての世界に置いてきた一番の友達との記憶であった。

 リアは死ぬことに恐怖はないと言った。だが、ルカは違う。彼女とは違って、まだその境地へは至れない。


「──っ」


 手足が震える。呼吸が乱れる。心臓の鼓動が──うるさい。

 夜闇に満ちた視界の中を蠢くのは、左手にククリナイフを握る暗殺者の姿に他ならない。

 騎士達の繰り出す精霊術の遠距離攻撃を掻い潜り、弾き返し、月を背にして跳躍するフェリア。

 目で追うことさえ困難を極めるその異様な速度は、式術による恩恵だ。暗闇が支配するこの場は、まさに彼女の世界。


「うふふふ……!」


 無邪気な笑い声を零しながら、フェリアが舞う。

 その乱舞に巻き込まれる形で、彼女を襲った精霊術による攻撃は、次々に霧散していく。

 圧倒的技量。熟達した身体能力。元々手練の暗殺者ではあるのだろうが、それに加えて彼女をここまでのものにしているのは、式術の効果による影響に違いない。


「──オリシア・ブランド!」


 ロディアの口にした詠唱が響く。

 渦巻く霊力はやがて、虚空に複数の岩石の槍を形成。二十を超える槍の雨が、真下のフェリア目掛けて降り注いだ。


「あら、これは凄いですね……! 流石は四大大公とでも言うべきでしょうか?」


 槍が地面を穿つ衝突音が連続する。

 その度に土煙が巻き起こり、夜風に乗って周囲を泳いだ。破壊の連鎖はフェリアを追尾するように攻めるが、彼女は俊敏な動作にて、後方へ倒立回転飛びしながら回避していく。


「ですがその程度では、私の『暗闇の式術』は突破できません。そして土属性なら、私もある程度は使えますよ? ──オリシア・ブランド」


 回避を終えたフェリアの呟きに、周囲の霊力が寄せ集められた。

 それは今しがたロディアが口にしたものと同じ、土属性の中級精霊術の詠唱。

 大気をうねる霊力の波が、フェリアを中心に拡散。足場を蠢く衝撃波が、彼女の対角線上へと放たれる。

 そこに立ち尽くしていたのは、メイナだった。


「……ぁうっ!」


 盛り上がる足場の瓦解と同時、メイナの華奢な体躯は、風に舞う木の葉のように吹き飛ばされる。

 地面に倒れ込む彼女の姿に、真っ先にルカが駆け寄っていた。


「──メイナッ!」


「う、うぅ……」


 膝を擦りむいて血を流すメイナを支える。

 どうやら軽傷で済んでいたらしい。だが、今の衝撃で全身を強く打ったはずだ。

 しばらくはまともに動けないだろう。一刻も早く、彼女を連れてこの戦場から離脱しなければ──。


「これは麗しい友情ですね。そんなものを見せつけられたら──壊したくなってしまいます」


 矢先、ルカとメイナに目を向けたフェリアが、一呼吸を置いて疾駆。

 風を切る鈍い音を立てながら迫り来る暗殺者の軌跡が、少女達の眼に焼き付けられる。

 その左手に握られたククリナイフの刃先は、月光を反射して黒の輝きを放っていた。


 やはり間違いない。

 フェリアが真っ先に狙うのは、少女の命に他ならない。これほどの敵数に囲まれた状況下においても、彼女は暗がり魔としての性を忘れないのだ。

 その異常なまでの執着を、狂気と呼ばずしてなんと呼ぶのか。ルカは為す術なく、せめてもの抵抗として、メイナを庇うように守ろうとした。


 その刹那、


「あら?」


 フェリアとルカ達の間に、一人の人影が滑り込む。

 その人物の右手に握られていたのは、黒を基調とした短剣であった。彼はその刃にてフェリアの振るったククリナイフの斬撃を受け止め、勢いを殺さない軌道を描き、フェリアの全身を真っ向へと弾き返す。


 その速度は、『暗闇の式術』を発動したフェリアに匹敵するほど。

 突如としてフェリアを撃退する力を示した彼の登場に、誰もが目を見開き注目していた。


 彼は空いた左手で眼鏡を抑えながら、その黒髪を夜風に散らす。


「──当家の使用人に手を出すということは、ロディア様の名誉に傷をつけることと同義。専属秘書の役割を預かる身として、到底見過ごすことはできませんね」


「グリード……!」


 ルカとメイナ、二人の命を魔の手から救ったグリードに対し、ロディアが声を上げる。

 騎士達が揃って精霊術による攻撃を仕掛ける中、彼だけは一貫して特筆すべき動きを見せてこなかった。

 フェリアからしても、ノーマークだった相手に違いない。そんな彼の繰り出した常人離れの反撃に、フェリアは不敵な笑みを浮かべる。


「これは驚きました。私の式術を真正面から弾いてしまうなんて。精霊術も式術も使えない、戦力外かとばかり思い込んでいましたが」


「言ってくれますね。ですが、その推測は概ね正しいと言わざるを得ません。私はこれといった精霊術は使えませんし、戦いは専門ではありませんから。私に許されている力は──」


 そこで言葉を区切ると、グリードはその短剣の刃先をフェリアに向けて構える。

 そして、言った。



「──『模倣の式術』。ただ、それだけです」



「……それは?」


 小首を傾げるフェリアに、グリードは続ける。


「他者の所有する精霊術、式術、身体能力、状態──あらゆるものを一時的に模倣し、再現する能力。その効果は短時間で、一度切れてしまえばしばらくは模倣できませんが……その前に決着をつけてしまえばいい話です」


「……なるほど。そんな式術もあるんですね。つまり今のあなたは一時的とはいえ、その身には私と同じ、『暗闇の式術』を宿している、と」


 そのフェリアの言葉に、グリードは頷く。

 彼もまた、式術の使い手だったとは──ルカはその事実に少しばかり驚くが、彼の主であるロディアにその様子はない。

 長い付き合い故に、グリードの所有する式術のことは把握していたのだろう。

 だが、ロディアの見せた表情は何故か──複雑な色を示していた。


「……グリード。また、その力を……」


 ぽつりと零した呟きを、ルカは確かに耳にする。

 グリードにも聞こえていたのだろうか。しかし彼はいつもの無感情の表情のまま、軽く膝を曲げ、それから一呼吸を置いて疾駆する。

 風を置き去りにする速度にて闇夜を駆け抜け、そうして瞬きの間にフェリアの元へ。

 そして間髪入れずに短剣による軌跡を叩き込んでいた。


 ──刹那、火花が散って甲高い打音が鳴り響く。


 グリードの刃がフェリアを一閃する手前、フェリアは反射的にククリナイフを構えて応酬していた。

 だが、『暗闇の式術』を模倣したグリードの斬撃は、常人の威力の比ではない。


 軽々と上空に吹き飛ばされるフェリアは月を背にして、嗤う。


「ふふふ……! 面白いですね……!」


 捕食者に相応しい妖艶な眼差しを向けながら、彼女は眼下の獲物達を見据えるのだった。




 ◇

「きゃははははははッ! 鈍い鈍い鈍い鈍いですねーッ! 退屈! 失望! 期待外れの的外れ! これじゃあ欠伸が出ちまうってもんです!」


 ──左右から迫り来る旋風の渦。

 龍の双頭を連想させるような破壊の指し手が、容赦なく地面を抉りながらミラコを飲み込もうとする。

 だが、『諸刃の式術』を発動したミラコの移動速度は、常人のそれとは比にならない。

 脅威の度合いで言えば、夜闇の中で式術を発動したフェリアと同じ。特定の条件下において、自身の身体能力を向上させる系統の式術が持つ厄介さを、ヤクモはよく知っている。


「ちょこまかと面倒じゃな……!」


 最上級の風属性精霊術による攻撃。

 広範囲に及ぶ破壊の嵐を、ミラコは軽やかな所作にて回避し、夜空を舞うように暗闇を這い回る。


 当然、彼女は先ほどのヤクモの攻撃によって、決して軽くない負傷を負っている。

 その衣服は所々が破れ、流血を露わにしていた。本来であれば失神するほどの痛苦に違いない。

 だがミラコは痛覚に疎く、それを苦としない。そして流血は、彼女の所有する『諸刃の式術』の発動に直結するのだ。


 周囲の騎士達もまたヤクモの支援に徹し、先ほどから何度も精霊術による攻撃をミラコ目掛けて浴びせている。

 だがそれらは悉く命中には至らず、虚空を撃ち抜くのみだった。


 そして瞬きの隙に、ミラコの体躯はもうヤクモの眼前へ──。


「──っ」


 目を見開き、ヤクモは目を見開く。

 土煙を裂きながら迫り来る暗殺者の軌跡が、黒光りする刃爪の先端が、少女の殺意を帯びた双眸が、一瞬の内に視界を埋め尽くしていた。


 その刹那だった。

 鋼と鋼が衝突する甲高い打音が、全員の耳朶を等しく打ちつける。見れば、一人の青年がヤクモとミラコ、両者の間に割って入っていた。

 その人物が両手にしているのは、中枢騎士団の紋様があしらわれた二本のレイピア。

 刃先と刃先を交差させて盾代わりにし、迫るミラコの刃爪をヤクモから守り抜いていた。


「あれ、れぇ?」


 素っ頓狂な声を上げて小首を傾げるミラコ。青年は眼前の暗殺者目掛けて、ただ一言──


「──オリシア・イレイド」


 炎属性の中級精霊術を意味する詠唱を展開。

 瞬間、青年が握る二本のレイピアの刀身は灼熱の炎を纏い、衝撃に微かな震えが生じる。

 橙色の閃光が夜闇を払うように放出。その鮮明な煌めきに、ミラコは眼を細めて油断を晒していた。


 そして、青年は二本のレイピアを一気に振り払う。

 橙色の軌跡が夜闇をなぞり、それに合わせてミラコの華奢な体躯は軽々と後方に吹き飛ばされていた。


「がっ……は!」


 背後の小屋の壁に衝突し、背を強打したミラコはその衝撃に目を見開く。

 その構図はさながら、先ほどのヤクモが受けた仕打ちへの返礼のようにも見えた。

 ただ、今のはヤクモによる反撃ではない。その目の前に突如として現れた青年の手によって、だ。


「……たった一人の小娘に遅れを取るとは……天下の四大霊座とやらも……ずいぶんと落ちたものだな……」


「そなたは……」


 ヤクモはその人物に見覚えがあった。青年は背を向けたまま、自身の名を口にする。



「アレイド・グライン……今はただの……しがない村人に過ぎない男だ……」



 ──元中枢騎士団、六番隊隊長候補。


 かつて栄光を背負いし騎士の登場に、戦場は新たな盤面を迎えていた。

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