第一章14 『二つの盤面』
──信じたくなかった。
否、今でも信じられない。あの優しくて温厚なフェリアが、犠牲者の少女達のことを強く想っていたフェリアが、コルトン村を悪夢に陥れた張本人、暗がり魔の正体だったなんて。
こうして目の前の現実を直視しても尚、その気持ちは揺るがない。しかしそんなルカの心情など知ったことではないと言わんばかりに、フェリアは不敵な笑みを浮かべたまま凶器を手にし、その場に立ち尽くしている。
「……不思議ですね。私の正体と式術の代償まで突き止めていたなら、何故夜が訪れる前に行動しなかったんですか? お察しの通り、私は暗闇の中で力に目覚めます。──夜闇に生きる者は、私にとって等しく獲物でしかないというのに」
フェリアは不思議そうに疑問を零し、後退し距離を取ったルカを見据える。
無論、ルカもそれはわかっている。わかった上で、夜に行動を取ることを選んだのだ。
「……体格、利き手の一致。体調不良と右腕の負傷。あなたが暗がり魔であることの判断材料はあっても、これらはいくらでも言い逃れのできることです。仮に右腕に負傷があったとしても、適当な理由をつけてしまえば嘘は作れる」
「そうですね。あなたの提示した証拠は、あくまでも状況証拠。どれも決定打には欠けるものばかりです」
「だからこそ、あなたを夜に問い詰めることにしたんです。そうすれば追い詰められたあなたは、その式術を使うだろうと見越して。結果は正解でした。──あなたは自ら、自分が暗がり魔であることの決定的証拠を見せてくれた」
「……なるほど。これはやられましたね」
肩を竦めながらフェリアは笑う。
代償が発生する昼間であれば、さしもの暗がり魔であれど容易く拘束することができるだろう。
しかしそれはできない。何故ならどれほどフェリアが疑わしくても、彼女を暗がり魔だとする決定的証拠がなかったからだ。
中枢騎士団がその法の下に悪を裁くためには、『疑わしきは白』の原則を絶対遵守する必要がある。
だからこそ、彼女を黒だとする証拠の決め手に欠ける以上、こうした博打に出るしかなかったのだ。
「まあ私としては、別に今更正体がバレたところで困りません。そろそろ潮時だとも思っていましたし、近い内に村から蒸発する予定でしたから。──私はただ、目の前の障壁を打ち破るのみです」
そう口にしてから、フェリアは左手に握ったククリナイフを構え直す。
彼女を取り囲むのは数人の騎士に加え、アルト、ロディア、グリード、メイナ、そしてルカだ。
メイナに関しては事前に現場に出ることを禁止したが、彼女はどうしてもルカの傍に居たいと言って聞かなかった。
暗がり魔を相手にする以上、真っ先に狙われるのはルカだ。それを阻止するため、自身もこの戦場に立つことを選んだのだ。
「あら? 今回は人数が少ないですね。四大霊座のヤクモさんも不在ですし、配下の騎士も手薄──昨夜の失態を踏まえて、人員配置でも変えましたか?」
──図星だ。
フェリアの推測通り、こちらは昨夜とは異なった役割分担を行っている。
捕獲作戦を担当していたヤクモと、他数人の騎士達。彼らは村の出入口近辺に配置し、その防御をより強固なものにしている。
四大霊座であるヤクモがつけば、フェリアを村の外に逃がすことはまずありえない。
仮にこの夜闇の中、式術を発動したフェリアを外部に取り逃せば、その捜索は困難を極めるだろう。
それを見越しての予防線だが、当然デメリットもある。それは、ヤクモという最高戦力をこの場に出せないこと。
「夜闇の中、それも四大霊座抜きで、この私を止められると本気でお思いですか? 寄せ集めのリビアス陣営に数人の騎士程度──私の敵ではありません」
「随分と安く見られたものだね。仮にここを離脱できたとしても、あなたの退路は完全に塞がれている。さしものあなたでも、四大霊座と六番隊が固める包囲網から逃げられるとでも?」
フェリアの驕りに、アルトはそう問いをぶつける。しかし、彼女に一切の焦りは見られなかった。
「それについてなんですが、あなた方には一つ残念なお知らせがあります。実は私、直前に同業の方に連絡を取っていまして。そろそろこの村に来ているはずですよ。彼女には、私の退路の用意を要求しているんです」
「……なに?」
フェリアの口にしたその発言に、アルトは眉を顰める。
それは聞き捨てならない類のものだった。一同は困惑に顔を歪め、そんな彼らの表情一つ一つを、フェリアは愉悦の笑みを浮かべながら眺めていた。
「同業者ってことは……君と同じ、殺し屋か何かの人種なのかな?」
ロディアがそう疑問を零すと、フェリアは「そんなところです」と頷く。
「あの子は自分が殺し屋と呼ばれることを嫌がりますが……その認識で大体合っていますよ。仕事のやり方は野蛮で荒々しいですが、腕は確かなんです。中枢騎士団とリビアス陣営の方々を全員相手にするのは、流石に少し面倒だったので……一応の保険のため、依頼しておきました」
「殺し屋が殺し屋に仕事の依頼とは……世も末ですね」
溜め息混じりに、辟易した様子でグリードはそう零す。
しかし、そうなると話は厄介になってくる。ただでさえフェリア一人を拘束できるかどうかも博打に近いのに、それに加えてもう一人敵側の戦力が増えるとは──。
「まあ、向こうのことなんて気にしても仕方ないですよね。あなた方が目を向けるべきは私。そして私にとって、あなた方は捕食に値する極上の獲物です。さあ、始めましょう? ──血に塗れた、闇夜の舞踏会を」
美しく醜悪な捕食者の笑みを浮かべた次の瞬間、フェリアは先手を打って動き出していた。
◇
「あらら、これはちょっと予想外でしたねー。初手の不意打ちで一番強そーな奴の命を殺ろうとしたんですけど……さっすが四大霊座様ってとこですか。まんまと避けられちゃいましたねー」
──同時刻。
コルトン村の入口付近にて、ヤクモを筆頭とした中枢騎士団の面々は、突如として出現した謎の刺客を前に剣呑な空気を生み出していた。
本性を表したフェリアを村の外に出さないため、一同はいずれ来るかもしれないそのときに備え、念入りに監視の目を光らせていた。
しかしその最中、あまりに唐突にその人物は姿を見せたのだ。
深緑色のショートヘアは、その前髪が右から左に斜めに切り落とされており、そこから覗くことのできる黄金色の双眸は、子どもじみた無邪気さと冷酷さを兼ね揃えた歪んだ輝きを放っていた。
体格は小柄で華奢。見たところ十代前半のように見えるほど幼く、それ故に彼女から放たれる溢れんばかりの殺意と悪意が、より歪で醜悪なものに感じられる。
その少女の正面からの奇襲を受けたヤクモだったが、その手前で気配を察知した彼は咄嗟に回避の姿勢を取り、後退していた。
矢先、ヤクモが見た光景はあまりにも現実離れしたものとなる。
少女が振り下ろしたのは、彼女の両手の指先に装着されたその凶器であった。
それは付け爪と表現するのが適切なのだろうか。長く鋭利な十本の漆黒の爪は、もはや爪というよりは刃のようにさえ見える。
その凶器が抉った地面は大きくひび割れ、甚大な破壊の痕跡をその場に刻んでいた。
もしも今の一撃が人体に命中すれば、間違いなく即死は免れないだろう。
「よっと」
地面深くに突き刺さった両手の爪を、少女は平然とした様子で抜いてみせる。
そうして月光を浴びた爪は黒光りし、その漆黒の輝きを一同に向けていた。
「……ほう、随分と奇怪な武装をしているんじゃな? そなたのような小童には驚くほど似合っておらん。なんとも趣味が悪いのう」
「んー? あー、これですかぁ? あたしは結構気に入ってるんですけどねー。──刃爪って言うんですけど、あたしらの界隈では割と人気なんですよ?」
「我は『風』の四大霊座、『疾風の子』──ヤクモ・トウゲン。どういった界隈なのかは知らぬが、まずはそなたの名前から聞くとしようかの」
ヤクモがそう自己紹介を促すと、少女は気怠そうに刃爪で髪を掻き毟りながら、「まあ別にいいですけど」と零すのだった。
「あたしはミラコ・サレイトス。聡明なる中枢騎士団の皆様の前でこんなこと申し上げるのもアレなんですけど、仕事は一応、暗殺者っぽいことやらせてもらってまーす。どーぞよろしくねぇ」
少女──ミラコの名乗ったその肩書きに、騎士達は同時に顔を歪める。
──暗殺者。それは悪を裁く中枢騎士団にとって、わかりやすいくらいの悪であった。
そして何より歪なのは、その肩書きを口にしているのが、まだ幼さの残る少女だということ。
暗がり魔の素性を隠しながら、善人のように振る舞っていたフェリアとはまた別の、底の見えない不気味さが彼女からは垣間見える。
「殺し屋の類か……ということは、暗がり魔のお仲間といったところかの?」
「あー、ごめんなさいですけど、殺し屋って言い方はやめてくれます? あたしはあたしなりの芯と美学を持ってこの仕事をやってんです。それなのにそんな風に言われるのは、なんだかその名誉に泥を塗られてる気がするんで」
ヤクモの口にした殺し屋という単語に敏感に反応し、ミラコは溜め息混じりにそう反論する。
人の命を奪うことを生業とするような人間が、一体どの口で芯だの美学だのと言っているのか。
そう内心で吐き捨てながら、ヤクモは呆れて肩を竦める。
「そなたの下らん拘りなんぞに興味はない。我らにとって重要なのは、そなたがこの村に来た目的だけじゃ。──返答次第では、一切の容赦はせぬぞ」
「あらら、怖いですねー。目的は何かって聞かれたら、フェリアさんをこの村から離脱させること、ですかね? あたしは別にフェリアさんの仲間ってわけじゃねーですけど、あの人には以前にちょっと借りを作っちまいまして……それを返しにきたって感じです」
「……借り?」
「そうなんですよー。こう見えてもあたし、貸し借りはきっちりとしたい人間なんですよねー。受けた恩はちゃんと返す──これがあたしの、暗殺者としての絶対的信条。仁義に厚くてかっこよくて可愛くて天才のミラコちゃんなのでしたー!」
そう言葉を並べて決めポーズを取るミラコに、ヤクモは忌々しげに顔を歪める。それは、周囲の騎士達も同じであった。
「はっ。殺し屋風情が何を馬鹿なことを……」
「あー! また殺し屋って言いやがりましたね? ひっどいなぁ、もう。ミラコちゃんの繊細な乙女心を、これ以上傷つけないでもらえます? しくしく……」
わざとらしく泣きの演技を披露するミラコに、とうとうヤクモは痺れを切らす。
彼女に向けて手を翳したかと思えば──
「イルディア・フィード」
先手を打っていた。
精霊術の最高峰、イルディア。ヤクモを中心に霊力が勢いよく渦巻き、その圧迫感に大気が大きく揺らぐ。
四大霊座の名に相応しい、災害の如く威力が発揮される。ミラコを飲み込もうとするその旋風は、さながら龍の顎を連想してしまうほどだ。
「──」
地表を抉りながら進行する暴風の猛威を前に、ミラコは棒立ちのまま何もしない。
避けることも、何かしらの手段で対抗することも、一切の行動を取らなかった。
その不自然な在り方に、ヤクモは違和感を覚え眉を顰める。だが次の瞬間には、ミラコの姿は暴風の中に見えなくなった。
凄まじい土煙と轟音が発生し、周囲は混乱状態に陥る。
騎士達は誰もが、その圧倒的な精霊術の破壊力を前に目を奪われていた。
騎士の誰かが「やったぞ……!」と声を零す。だが、ヤクモはまだ自身に油断を許さなかった。
──おかしい。
ヤクモの見立て通りなら、あのミラコは相当の手練に違いない。そんな相手がイルディア級の精霊術を前に、何もせず無防備の状態で立ち尽くすのみなど──得体の知れない気持ち悪さが残るのだ。
「きゃはは! 今のは痛かったですねー」
そんなヤクモの推測は、土煙が晴れると同時に正しかったことが証明される。
確立した視界に映るのは、目を疑う光景であった。そこに立っていたのは、全身のあらゆる箇所を負傷し、血を流しているミラコの姿。
当然だ。無理もない。
四大霊座の繰り出した精霊術を真正面から受けて、無事でいられる道理などあるわけがない。
しかし不気味なのは、これほどの致命傷を負っても尚、ミラコが先ほどと何ら変わらない様子で平然としていることだ。
それはさながら痛覚を知らないよう。だから騎士達は揃って唖然とし、眼前の暗殺者の異質さに言葉を失っていた。
「額、脇腹、左脚──ってとこですか。血が止まりませんねー! きゃはははは!」
「……そなた、どうして今の攻撃を受けて立っていられるんじゃ?」
「んー? まあ確かに死ぬほど痛いですけど、別に死にはしませんからねー。死なないんなら、平気ですけど?」
「──」
きょとんとしながら首を傾げる少女を前に、ヤクモは形容し難い気色悪さを覚える。
どれほど死ななかったとしても致命傷を負ったのなら、普通の人間はその痛苦に何かしらの反応を示すはずだ。
絶叫、落涙、失神──そういったものが、彼女からは一切見られない。否、それどころか、先ほどよりも活気に満ちているまであるのだ。
「痛みを覚えるってことは、生きてるってことです。傷を負う度に、血を流す度に、あたしは自分が生きてるってことを心の底から実感できる。これを超える喜びが、嬉しさが、快楽が、他にありますかぁ?」
「……気が狂っておるな。やはり殺し屋のような連中に、まともな者などおらんというのか」
「だーかーらー、暗殺者ですってばぁ!」
心外だとでも言わんばかりに、ミラコは怒りを示す。それはまるで駄々をこねる子どものよう。
しかし彼女の全身から流れる夥しい血液が、その印象から遠ざけていく。
「そなた、さては式術の使い手じゃな? あらゆる痛みを苦と感じない能力でも持ち合わせておるのか?」
ヤクモのその推測に、ミラコは「んー」と人差し指を口元に当てる。
「式術ってところまでは正解ですけど、効果は不正解ですねー。そんなしょぼい能力じゃありませんよ? 苦痛に感じないのは、単にあたしの性分ってだけです。あたしの式術は──」
そこで言葉を区切ると、ミラコの姿は一瞬にしてその場から掻き消えていた。
そして、
「これです」
視界から消失したミラコが、ヤクモの眼前に迫る。
間合いを無視した、出鱈目な移動速度。それはまさに風を置き去りにするほどのスピードで、物理法則の制限を超越していた。
「──ッ」
さしものヤクモであっても、対応できない。
回避にしても反撃にしても、いずれの選択肢も間に合わなかった。ミラコの右手に装着された五本の刃爪。その鋭利な爪先が、ヤクモの下腹部を横に一閃する。
「がっ」
目を見開き、その痛苦を感じるよりも先に、ヤクモの体躯は軽々と吹き飛ばされていた。
そうして背後の小屋の壁に背中から衝突し、鈍い音を立ててその場に倒れ込んでしまう。
背骨の強打と下腹部を抉られた激痛が同時に押し寄せ、ヤクモは顔を歪めて吐き気を催した。
それは久しく感じていなかった、忌々しいほどの苦の感情。
シルフィア最強の四大霊座として君臨してから、彼の周囲には自身に匹敵するほどの敵など存在しなかったのだ。
その常識がものの数秒で根底から覆り、追い詰められた獲物としての焦燥感が、ヤクモの全身を焼くように襲う──。
抉られた下腹部から流れる自身の血を見下ろしながら、彼はのろのろとその場から立ち上がるのだった。
そんな彼の姿を、誰もが呆然としながら眺めている。ただ一人を除いて──。
「あらら、痛そうですねー。大丈夫ですかー? きゃはははは!」
一撃でヤクモを追い詰めた張本人であるミラコは、品のない笑い声を周囲に響かせていた。
そんな彼女を、額に脂汗を浮かべたヤクモは睨む。
「……なるほど。そなたのそれは、自身の身体能力を上げる式術、といったところかの」
その二度目の推測に、ミラコは満面の笑みを浮かべて開口するのだった。
「はいせいかーい! そしてその条件は、なんとなんと流血でーす! つまりあたしは、血を流せば流すほど強くなる、『諸刃の式術』の使い手だったのでしたー!」




