第一章13 『暗がり魔の正体』
──逃亡した暗がり魔の捜索を開始してから小一時間ほどが経過。
ルカ達は西側に移動した六番隊の騎士達と合流し、その行方を捜し続けていた。
だが、どれほど捜索を続けても一向にその姿は見つからない。村の出入口は完全に封鎖していたため、外部に逃走した可能性は潰えているのだが、暗がり魔は内側からも消失していたのだ。
「……隊長。このままでは直に夜が明けます。どうされますか?」
「──」
部下からの問いにアルトは黙り込み、感情のない眼差しを夜闇の奥へと向けていた。
このまま捜索を続けても、おそらく埒が明かないだろう。なんとなくその予感はあった。
あの痛手を負ったまま、この人数の騎士の追跡から完璧に逃げ切ってみせるとは──敵ながら末恐ろしい人物だ。
暗がり魔の正体が村人の誰かなのは確かである。もしもすでにあの黒装束を脱ぎ捨て、村人として元の生活に戻っているのだとしたら──そんなことを考え、アルトは小さく歯噛みする。
「闇の中に飄々と消えるのは、暗がり魔の専売特許ってことか。……なんとも度し難いな」
その呟きは、生温い夜風に乗って掻き消えるのだった。
◇
──翌朝。
夜通しで捜索を続けた面々は、朝陽が昇ると同時に一旦打ち切りにし、各自で休息に入っていた。
村の中央に仮設された個別のテントが寝床となり、ルカ達にもそれは割り当てられたが、ルカはどうにも眠れなかった。
別に睡眠は強制ではない。夜が明けるまで捜索を続けたせいで、全身は鉛を仕込まれたかのように重く疲労が溜まっているが、倒れるほどではない。
ルカはテントを抜け出し、朝方の村を徘徊するのだった。
「──」
こうして動き続けていなければ、落ち着かない。
暗がり魔は今も尚この村の中に存在し、村人としてのうのうと過ごしているというのか。
その揺るぎない最悪の事実に歯噛みし、どうしようもないやるせなさに押し潰されそうになる。
「私がもっと……ちゃんとしていれば……」
低い呟きが喉から零れたかと思えば、ルカはその拳を固く握りしめていた。
暗がり魔を取り逃したのは、完全に自分の落ち度だ。あの場でもっと上手く立ち回れていれば、敵を拘束することだってできたはず。
メイナを危険に晒しておきながらこの失態だ。とてもではないが、歯痒い感情に苛まれてしまう。
「……ルカ?」
「えっ? ……あぁ、アルト」
突然背後から話しかけられ振り返ると、そこにはアルトの姿があった。
てっきり自分以外の面々はテントで休息を取っているとばかり思い込んでいたが、彼もまたこんな朝方から活動を再開していたとは。
その様子だと、自分よりも疲労が溜まっているようには見えなかった。
「驚かせてしまってすまない。まさか休んでいなかったとはね。僕の部下達は休息を取っているというのに、君の方が無理をしているなんて……不甲斐ないよ」
「ううん。私が好きでやってることだから……こうでもしてないと、落ち着かなくて」
「そうか。奇遇だね、僕も同じような理由だよ。昨夜暗がり魔を拘束できなかったのは、完全に僕の不手際だ。……隊長として、本当に面目ないと思っている」
ルカと同じように、彼もまた昨夜の失態を悔やんでいる様子だった。
その自責の程度は計り知れない。リビアス邸、そして中枢騎士団六番隊の面々──誰もが昨夜で、暗がり魔との決着をつけるつもりで作戦に臨んでいたのだ。
それが失敗に終わった事実は、全員の両肩に重く伸し掛っていた。
「……これからどうしたものか。少女を使った囮作戦は、二度と暗がり魔には通用しないだろう。敵は昨夜の時点で、完全にこちらの手の内を理解したはずだ。同じ手はもう使えない──」
「……うん。何か別の方法を考えるしかない、よね。それも、一刻も早く……」
何も手を打たなければ、また次の夜が来る。
漆黒が満ちる闇夜は、暗がり魔の支配する悪夢の時間だ。そしてまた、新たな犠牲者が生まれることになる。
だからこそ、もう一秒も無駄にはできない。すぐに次の捕獲作戦を考え、各々の配置と役割分担も決め直し、実行を──
「アルトさん、ルカさん……! よかった……!」
と、そのときだった。向こうから一人の女性が駆け寄ってくるのが見え、二人はそちらに向き合う。
早足で近づいてくるのはフェリアだった。昨日と同じくその顔色は少しだけ悪く、微かに汗も浮かんでいる。
「フェリアさん。そんなに急いで、どうかされましたか?」
「いえ、その……先ほど騎士の方に聞いたんです。昨夜、あなた達が暗がり魔と交戦したって。それで私、心配になってしまって……お二人の無事を、この目で確認したかったんです」
アルトからの問いにそう答え、フェリアは心の底から安堵したような表情を浮かべる。
「お二人共、お怪我はありませんか……? 他の騎士の方々も無事でしょうか……」
「お気遣い、ありがとうございます。僕達の中に負傷者はいません。それよりも……申し訳ありません。我々中枢騎士団の失態によって、昨夜の作戦時に暗がり魔を捕らえることは叶いませんでした。そのことを、お詫び申し上げます」
「謝らないでください。あなた達が無事でよかった……この村のために命を賭して戦ってくださったこと、心の底から感謝します。暗がり魔のことなら、次はぜひ、私にも協力させてください。私にできることがあるなら──なんでもさせて頂きます」
柔らかな笑みを浮かべてそう口にするフェリア。
だが騎士であるアルトは、これ以上民間人を危険に晒すわけにはいかない。
メイナを囮に利用したことも、本来であれば騎士として有るまじき行為の範疇なのだ。
だからこそ彼は何も返す言葉を口にできず、フェリアに向かって一礼するのだった。
「……あ、そうでした。アルトさん、昨日はどうもありがとうございました。頂いた薬草の小瓶をお返ししますね。余計なお世話だったかもしれませんが、小瓶は洗っておきました」
そう言ってフェリアは左手を懐に伸ばし、空になった薬草の小瓶を取り出す。
それは確かに、昨日アルトが彼女に渡した物だった。小瓶は綺麗に磨かれており、フェリアの手入れの痕跡が垣間見える。
「お気遣いありがとうございます。お役に立てたのなら光栄です」
アルトはフェリアの左手から小瓶を受け取ると、自身の懐の中に仕舞うのだった。
それを見届けてからフェリアは一礼し、「それでは、失礼しますね」と踵を返す。
彼女の背が小さくなっていくのを眺めながら、アルトは一息ついていた。
「……さて。僕は一度拠点に戻るよ。今後の方針を固めなければならないからね」
「──」
「……ルカ?」
黙り込むルカの様子に違和感を覚え、アルトは首を傾げる。
その声にはっとし、ルカは咄嗟に「ううん、なんでもない」と取り繕う。
「私も一度、考えをまとめてみようと思う。また後でね」
「ああ。日中でも、一人で出歩くときは気をつけてくれ」
アルトからの忠告に頷き、ルカは彼に背を向けるのだった。
◇
──夜。
村の外れにある通りを歩いていたのは、ルカとフェリアの二人であった。
緩やかな夜風が、並ぶ二人の髪を撫でて通り過ぎていく。宝石を敷き詰めたかのような輝かしい星空の下、フェリアはくすりと微笑んでいた。
「……なんだか嬉しいです。ルカさんの方から、夜のお散歩に誘って頂けるだなんて」
「無理を言ってすみません。どうしても、フェリアさんと話がしたくて……フェリアさんは歳が近いし、安心して話せそうだったから」
「私でよければ、ぜひお聞きします。なんでも話してくださいね」
聖母のように柔らかな笑みを浮かべて、フェリアはそう返す。そんな彼女に頷き、ルカは早速その話を切り出すのだった。
「暗がり魔の正体について……少しだけ気になることがあるんです」
「気になること……ですか?」
「はい。そもそもの話、この村で連続殺人を繰り返している人物が暗がり魔と呼ばれているのは、その犯行が決まって深夜に行われているからです。……初めてその情報を聞いたとき、私は深く考えることをしませんでした。でも、そこで思考を止めてはいけなかったんです。──犯人は何故、これまで深夜にしか犯行をしなかったんでしょうか?」
「……深夜にしか犯行をしなかった理由、ですか」
ルカからの問いにフェリアは小さく項垂れ、考え込む。そして彼女の回答は、それからすぐに生まれた。
「やはりその時間帯の方が、犯行がしやすかったからではないでしょうか。深夜なら人目にも付きにくいでしょうし、もし見つかったとしても黒装束で素性を隠しやすいはずです。白昼堂々と犯行に及ぶよりも、そちらの方が都合が良かったのではないでしょうか」
「……そうですね。私もそう思います。でも私は、それに加えてもう一つ理由があると思っています。暗がり魔は深夜にしか犯行をしなかったんじゃない。──深夜にしか、できなかったんです」
「……できなかった?」
「はい。昨夜、私はロディア達と一緒に暗がり魔と交戦しました。そこで感じたのは、敵の見せた圧倒的な身体能力です。いくら手練の暗殺者とは言え、あそこまでの芸当ができるのには少し違和感を覚えました。これについては、深夜に暗がり魔を目撃したレベリオもそう感じています。そして考えたんです。──あれは、人間の持つ特別な力。式術の効果によるものなんじゃないかって」
式術。
精霊術とは別に、人間が行使することのできる特殊能力。精霊術の違いは大きく二つ。
霊力を必要とせず、人間自身が吸収することのできる式素という物質を介して使用すること。
そしてもう一つは、精霊術にはできない芸当を可能とすることだ。
「私の推測に過ぎない話ですけど、たとえば暗がり魔の所有する式術の内容は、『暗闇の中で自身の身体能力を飛躍的に向上させる』ものなのかもしれません。だからこそ、式術の発動しない昼間には犯行を一切行わない。連続殺人鬼として動きたいなら、その正体だけは絶対に隠し通す必要があります。だから暗がり魔は犯行の成功率を上げるために、夜間だけを狙って動いているんだと思います」
「……なるほど。確かに、それなら辻褄は合いますね」
ルカの口にした推測に、フェリアはそう相槌を打つ。
圧倒的な戦闘能力、そして逃げ足の速さ──これらを可能としているのは、おそらく暗がり魔の所有する式術によるものだ。
ただしその条件は、周囲に闇が満ちていること。したがって暗がり魔は、陽の光が出ている昼間の犯行を避けているのかもしれない。
「私はこの村に来る前、ロディアの護衛を務めるヤクモから精霊術を教わっていました。そこで彼から聞いたのは、式術を所有する人間には代償を持つ者がいるということです。その内容、程度は人それぞれ違うとも聞きました。そうであるなら、暗がり魔にもあったのではないでしょうか。──その式術を持つが故の、代償が」
「……代償、ですか」
「はい。これも私の推測ですけど、たとえば暗がり魔は夜間に恩恵を受けるその代償に、昼間は著しく体調を悪くしているのかもしれません。そう考えれば、暗がり魔が昼間の犯行を避けているのにも、より納得できます」
「──」
ルカがそこまでを言い終えた途端、フェリアは足を止めて押し黙る。そんな彼女に、ルカはその先を続けるのだった。
「そう言えばフェリアさん。先ほどから感じていましたけど、なんだか今は顔色も悪くないし、咳もしていませんよね? 昼間に見るあなたの様子とは、大きく違うように見えます。──今は昼間と違って、体調が良いんですか?」
「……ルカさん。もしかして、私のことを疑っているんですか?」
ルカからの質問に、フェリアは同じく質問で返す。
気づけば場の空気は様変わりしており、妙な緊張が二人の間に生まれていた。
その沈黙は痛く耳朶を突き刺し、ルカは少しだけ息を呑む。
「あなたを疑う理由はもう一つあります。暗がり魔を目撃したレベリオは、その体格をすらりとした長身だと表現していました。実際、昨夜暗がり魔と交戦した私もそう感じました。それは、あなたの体型とも一致しています」
「そんな……誤解です! 暗がり魔の体格と似た村人なんて、私の他にもいるでしょうし、何より証拠がありません! ルカさんの推測は、あくまでも推測です!」
少しだけ声を荒らげて、フェリアはそう反論する。
──わかっている。これまで話したことは、すべてが憶測の域から出ない。
しかしそれならば、フェリアの言う証拠を示せばいいだけのこと。当然、ルカにはその用意があった。
「一つだけ証拠があります。フェリアさん。あなたは昨日の昼間、アルトから薬草の入った小瓶を受け取りましたよね? そのときのあなたは、小瓶を右手で受け取っていました。そのことから、あなたが右利きなのは明らかです。にも関わらず、今朝アルトに小瓶を返したときには、あなたは左手を使っていました」
「……それがなにか?」
「いえ。別にこれだけのことなら、私も特におかしいとは思いませんでした。……でもそれこそが、あなたが暗がり魔であることの何よりの証拠なんです」
「どうして……! 一体、何を根拠にそんな……!」
「昨夜、私はククリナイフを手にしていた暗がり魔の右腕に氷の槍を突き刺し、負傷させたんです。つまりそれ以降、暗がり魔は利き腕である右腕を使うことができなくなった。……もうわかりますよね? フェリアさん」
「──」
「昨日の昼間は右手を使っていたフェリアさんが、今朝は左手を使っていた理由──それは、私達と別れてから再会するまでの間、つまり夜間に怪我を負っていたからです。だからあなたは使い慣れていない左手を使う必要があった。違いますか?」
「──」
ルカの提示した推理を前に、フェリアは押し黙ることしかできなかった。
そんな彼女に、追い打ちをかけるようにルカは続ける。
「実を言えば、私は最初からあなたのことを疑っていました。あなたと暗がり魔の体格と利き腕の一致、そして式術の代償と体調不良の関係──だからこそ、私は狙って暗がり魔の右腕を負傷させたんです。上手くいけば、その負傷が犯人を突き止めるための証拠になると信じて」
「──」
「フェリアさん。今ここで、私にその右腕を見せてください。もしそこに負傷の痕跡があれば──あなたこそが、暗がり魔の正体です」
ルカがそこまでを言い終えると、二人の間に再び沈黙が訪れる。
重く、痛いくらいの静寂が場を満たす。フェリアの表情は夜闇の中に俯いていて見えない。
しかしその矢先、フェリアはその顔を上げ──そして小さく、笑った。
「わかっていますよ? 物陰の死角に、騎士の皆さんが潜伏しているのは」
「「──レニア・シャルドッ!」」
フェリアがそれを呟いた瞬間、周囲に潜んでいた騎士達が精霊術の詠唱を叫んでいた。
途端、四方八方から霊力の渦が旋回し、詠唱によって具現化。何本もの氷の槍が形成され、一斉にフェリア目掛けて射出される。
虚空を射抜いて自身に飛んでくるそれらを眺めながら、フェリアは笑みを殺さぬまま懐からククリナイフを取り出し、それから舞った。
「うふふふ──っ」
夜闇を切り裂くような鮮やかな舞いは、精霊術による攻撃をすべて弾いてしまう。
彼女の前に砕かれ霧散する氷の破片は、さながら彼女を彩る雪化粧のようにさえ見えた。
「いけませんね……騎士ならば精霊術に頼らず、その剣を持って戦うべきでは?」
不敵な笑みを浮かべてそう口にする暗がり魔を前に、一同は歯噛みし戦慄を覚えていた。




