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第6話 紅い風

「あのときのお姉さん……?」


 レシオがつぶやくと女は一瞬だけ小さく笑い、身をかがめる。

 そして両ひざをバネに、レシオ目がけて一直線に跳んできた。


「ちょっ⁉」


 ぶつかる。直感と同時に、レシオは衝撃に備える。

 しかし、剣呑な音がしたのはレシオの頭上から。

 髪を躍らせて女が振るった右脚が、オルバドの顔面を捉えていた。


「が……っ!」


 呻き声をあげ、白目を剥いたオルバドがレシオを手離した。解放されたレシオはその場に座り込む。

 よろめきながらもオルバドは意識を保っており、すぐに女を睨みつけた。


「て、てめぇ……! 夕べ店に来た……!」


 厨房に押し込まれていたレシオは、そこで初めて女が店に来ていたことを知った。


「何言ってんだお前。確かにあちこち回ったけど、悪魔と会った覚えはねぇよ」

「シャアアアッ!」


 背後からゼズが突き出した爪を、女は振り返らずに(かわ)し、そのまま腕を掴んでゼズを投げた。


「にしても悪魔、悪魔かぁ……。勘弁してくれよ、ったく」

「たかが人間の女ひとり!」


 飛翔したブラウが掴みかかるが、女はひらりと避け、がら空きの胴体に拳を連続で叩きこんだ。


「なんだ、この女……っ!」


 地面を転がったブラウは起き上がりながら、青い液体が混じった(つば)を吐いた。

 悪魔特有の青い血。レシオはそれと三体の悪魔のあと、再び女を見る。


「三対一か。……仕方ねぇ、レシオ」

「は、はいっ?」


 不意の呼びかけに、声がうわずる。


「私が『いい』って言うまで、目、閉じててくれるか?」


 理由はわからない。だが、従うべきだと心で理解した。

 ぎゅっと、目をつぶる。


「へへっ、ありがとな」


 女の声に覆い被さる、三重の雄叫び。

 視覚はなくとも、悪魔たちが殺到する光景が簡単に想像できる。


 澄んだ音が、三度響いた。


「……チッ、一匹逃がした。もういいぞ」


 恐る恐る、目を開ける。


「え、あっ、あれ……?」


 そこにはもう、悪魔の姿はなかった。

 傷痕だらけの顔に穏やかな表情を浮かべる紅い女と、自分しかいない。


「怪我はないか?」

「はい……。あの、なんで、俺の名前……?」

「ん? あー……そうだな。一応確認しとくか」


 路地でぶつかったときのように、女は膝を折り、視線を合わせてきた。


「お前、姓はバーネットか? レシオ・バーネット?」


 こくんと、半ば無意識に頷く。


「ああ、そっか。いや、やっぱ覚えてねぇよな。ざっと八年ぶりだもんな。うん」


 ひとりで話を進める女は、「んじゃ、改めて自己紹介だ」と右手の親指を自身の胸元にあてた。


アタシはアシュリィ・レッドフィールド。お前の母ちゃんの……まあ、昔なじみ、ってとこかな」

「母さんの、知り合い?」

「ああ。クローディアには世話になった」


 紅い女――アシュリィが口にしたのは、確かに母の名前。

 だが、レシオにはアシュリィと会った記憶などなかった。

 人間に化けていた悪魔。悪魔に喰われそうになった自分。そして助けてくれたアシュリィ。

 ただでさえ処理が追いつかないところに情報が付け足され、考えがまとまらない。


「あの、えっと……助けてくれて、ありがとう、ございます……?」


 そう言うのが精いっぱいなレシオに、アシュリィは朗らかに笑う。


「わかんなくてもしょうがねぇよ。お前も今よりも小さかったし。あ、そうだ。忘れないうちに……」


 アシュリィがコートの内側を漁りだした。紅い髪が月光を浴びながら揺れ、幻想的にきらめく。


「なんでお前のことがわかったかっていうとだな……。ほらっ」


 傷痕だらけの指が、金色の指輪を摘まんでいた。


「あ……!」

「大事なもんだろ? 急いでたのはわかってるけど、しっかり持っとかなきゃな」


 指輪がレシオの手のひらに置かれる。直後に安堵の感情が涙となり、レシオの視界を覆った。


「これ、探してたんです……! よかった……本当に、よかった……!」

「な、泣くなよ。でも、探し回った甲斐はあったみたいだな」

「ぶつかったあのときから、ずっと持っていてくれたんですね」

「まあな。クローディアは元気か?」


 レシオは涙を拭いながら、小さく首を振った。


「母さんは遠出をしていて、しばらく帰ってないんです」

「そうか……。なら妹、メリエルだっけ? そっちはどうだ? 元気になったか?」


 アシュリィの言葉に他意はない。

 わかっていても暗い気持ちがレシオを満たし、表情にも出てしまう。


「そのこと、なんですけど……」

「何かあったのか?」

「あの薬、捨てられちゃいました。ここで」

「捨てっ……⁉ 誰がそんなことを!」

「あの蝙蝠みたいな悪魔が、化けてた人間に……」

「化けてただと?」

「俺を襲った悪魔たち、人間に化けてたんです。ずっと、ここで働いてたやつらに……」


 アシュリィは何かを言おうとしたが、「あーくそ!」と悪態で上書きして頭を掻いた。


「ともかく、蝙蝠っつーと逃げたやつだな。次は確実に仕留める。難しいことは、考えたくねぇ」


 徐々に語気を弱めていったアシュリィに、レシオは浮き上がった疑問をそのまま口にした。


「アシュリィさんって、聖女なんですか?」

「な、なんだよいきなり」

「だって母さんと知り合いで、悪魔も追い払って、それって――」

「ただの便利屋さ」

「便利屋?」

「報酬次第で大抵のことをやる。クローディアと一緒にしていい女じゃねぇよ、アタシは」


 少しだけ寂しそうな、それでいて、はっきりとした声色。

 だが、クローディアから目の前の彼女の話は聞いたことがない。レシオの戸惑いはさらに強まった。


「にしても、そっか。じゃあメリエルの容態はまだ悪いんだな?」

「はい……。熱も、全然下がらなくて……」

「となると、こうしちゃいらんねぇな」


 立ち上がったアシュリィは、レシオに手を差し伸べた。


「連れてってくれ、メリエルのところに」



◆◆◆



 部屋に戻ったレシオは、落ち着かない様子で扉とアシュリィの間で視線を往復させた。


「どうする気です? 入れてから言うのもなんだけど、バンゾ、ここの店長に気づかれたら……」

「心配すんな。この建物にはアタシら以外に誰もいねぇよ」

「誰もいない?」

「入った瞬間わかった。あの悪魔どもから逃げたのか、もっと前に店を出てたのかは知らねぇけどな」


 言いながらベッドに歩き、アシュリィは苦しそうな表情で眠るメリエルの頬に手を添えた。


「うん、確かに熱っぽい。つーか、右目塞いでるのも、あの頃のままか」

「もしかして、治せるんですか?」

「さすがに医者の真似事はできねぇよ。でも、この手の依頼もそれなりにあってな」


 アシュリィが腰につけていた小さな鞄から、白色の小さな粒が詰まった瓶を取り出す。


「中央の都市で出回ってる薬だ。風邪とか熱程度なら、こいつを飲めば治る」


 摘まんだ瓶を揺らして笑うアシュリィは、すぐに真剣な顔になった。


「でも、こいつはアタシのおせっかいだ。お前にとっちゃ、得体の知れない女が持ってる得体の知れない薬を妹に飲ませることになるが……どうする?」


 不安はあるが、レシオは自分を助けてくれたアシュリィを信じることにした。


「お願いします。メリエルを、助けてください」


 無言で頷き、アシュリィがメリエルの身体を揺する。


「うぅん……」


 眠りから覚めたメリエルが、まどろむ隻眼でアシュリィの姿を捉えた。


「だれ……?」

アタシは……まあ、今は通りすがりの便利屋でいいか。お前に薬を届けにきた」

「おくすり……」

「ああ。ゆっくりでいいから、起きてくれるか?」

「手伝うよ、メリエル」

「あ、兄さん……」


 レシオに支えられながら起きたメリエルの口元に、三粒の丸薬を乗せたアシュリィの手が近づく。


「噛まずにそのまま飲んでくれ」


 丸薬がメリエルの口に入り、そして飲み下された。


「よし、いい子だ」


 再びレシオの介助を受け、メリエルが身体を横たえる。アシュリィは優しくメリエルの額を撫でた。


「目を閉じて、深く息をして、また眠るんだ」


 メリエルが再び意識を手放すまで、そう時間はかからなかった。


「これで朝には元気になってるはずさ」


 アシュリィの言葉とメリエルの安らかな寝息に、レシオの張り詰めていた緊張の糸が解れる。同時に、意識の外にあったこれまでの出来事への感情が溢れ出た。


「あ、あれ……なんだ、これ……。足が、急に、震えて……」

「無理もねぇよ。普通はそうなるもんさ」


 言葉を返す前に脚から力が抜けて、レシオはその場に膝をつきそうになる。


「っと」


 そこにアシュリィの腕が伸び、レシオを抱きかかえた。


「かなり気を張ってたみたいだな。まあ、それくらいの方が可愛げがあるぜ」

「あ、ありがとうございます。あのっ、お礼をさせてください! 報酬……少ないけど、お金もありますから!」

「いいって。懐かしい気分に浸れただけで充分さ。そんなことより……」


 レシオは、アシュリィの視線に首をかしげる。


「強いな、お前」

「え? つ、強くなんてないですよ。今だって、こうして――」

「そうじゃない。悪魔に喰われかけたってのに、泣きも喚きもせず、メリエルのことをずっと想ってさ。すげぇやつだなって」

「当然ですよ、そんなの!」


 断言とともに、レシオはもう一度、自分の力で立った。


「メリエルは俺の妹なんだから! どんなことがあっても、絶対に守ります!」

「……当然、か」

「はい! 一緒に生きていこうって、約束したんです!」

「いい育て方をしたみたいだな。クローディアは」


 アシュリィはレシオに微笑んで、迷いのない足取りで部屋を出た。


アタシにできるのはここまでだ。邪魔したな」

「もう行っちゃうんですか⁉ せめて、夜明けまでここにいた方が……」

「平気平気。それにこの町に長居する気もないんだ。クローディアが帰ったら、よろしく伝えといてくれ」


 手を振るアシュリィを、閉じる扉が隠していく。


「待って! アシュリィさん!」


 すぐに追いかけ、扉を開けた。はずだった。


「アシュリィさん……」


 しかし、扉の向こうに紅い姿はなく、薄暗い静寂が横たわっていた。

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