第3話 ささやかな輝き
「血相変えて来たと思ったら、そういうわけか」
若草に似た匂いに満ちた部屋。レシオの前で、灰色の癖毛を帽子で押さえる同年代の少年が机に頬杖をつく。
次の日の夕方、レシオはこの町の薬屋にいた。
「頼むよクレイ。薬を売ってくれ。ここの薬、よく効くんだろ」
両手を合わせて頭を下げる。本当はもっと早く来たかったが、メリエルの抜けた穴を埋めるために働いていたら、この時間になってしまった。
「って言われてもなぁ……」
机に置かれた数枚の銅貨とレシオの間で、クレイは困り顔の視線を往復させる。
「これじゃどう頑張っても足りないぜ。薬は銀貨三枚だ。もしくは銅貨三〇枚」
「そこをなんとか! ツケでもなんでも!」
「俺たちの仲だ。力にはなってやりたいさ。でも……」
振り返ったクレイの視線を追う。店の奥に真剣な顔で薬の調合をする老爺がいた。
この店の店主だ。酒場にもたまに来るのでレシオも覚えている。
「あのジジイにバレたらやばい。勝手に薬を売ったら俺の首が飛ぶかも。物理的に」
「確かにちょっと……いや、かなり怖いよな。いつもムスッとしてるし。けど――」
「命も仕事を無くすわけにはいかないんだ。だから、悪いなレシオ」
クレイは自分よりもこの町で過ごした時間が長く、この町で生きるために重要なことを理解している。レシオは心が冷えていくのを感じながら首を縦に振った。
「いや、こっちこそごめん。邪魔した……」
全財産を財布代わりの小さな袋に戻し、店の出入り口へ重たい足を運ぶ。
「ところで」
ふいに飛んだクレイの声が、レシオの足を止めた。
「メリエルの包帯、そろそろ替えが無くなるんじゃないか?」
「あと二、三回分だけど……それが?」
「せっかく来たんだ。どうせ必要になるし、買ってけよ。そっちは今の持ち合わせで足りるぜ」
クレイが手招きをしてくる。無理なことを頼んだ手前、何も買わずに帰るのも気が引けた。
「じゃあ……」
とぼとぼと机に近づき袋を置いたレシオへ、棚を漁ったクレイはそれを差し出す。
「ほら、飛びきり上等のやつだ」
レシオの表情が驚きに染まる。
明らかに包帯ではない。この小さな紙包みは、まさしく――
「こ、これ……!」
「静かに!」
言いかけたレシオの首にクレイが腕を伸ばし、互いの顔を近づける。
「俺は包帯を売った。で、お前は買った。この話はこれで終わりだ。いいな?」
「クレイ……!」
「一応商売だ。こいつはいただくぜ」
クレイは銅貨の入った袋を摘まみ上げる。
「足りない分は俺が出しとく。ジジイも勘定が合えば文句は言わねぇさ」
「ほ、本当に、いいんだな?」
「もたもたしてたら気づかれる。さっさと行っちまえ」
手に包みを押し込まれ、レシオは解放された。
「クレイ、ありがとう! 本当にありがとう!」
後ろ歩きで出口に向かいながら、感謝の言葉を重ねる。
「次に会うときは、メリエルも一緒だからな」
「ああ! 必ず!」
レシオは薬屋を飛び出した。その手に、解熱薬の包みを持って。
薬屋と酒場は、直線距離ではそれほど離れていない。
しかし、この二か所の間には建物が密集しており、狭く入り組んだ道を進む必要がある。
幾重にも重なる稲妻のような道を、レシオは早足で駆け抜けていく。
「やった、やったぞメリエル……!」
持つべきものは友。その言葉を噛みしめ、足を動かす。
メリエルが快復したら、ちゃんとクレイにお礼をしよう。
そんなことを考えながら、曲がり角を抜け――何かにぶつかった。
走ることに全力だった足では耐えきれず、尻もちをついてしまう。
「ってて……」
「おいおい、大丈夫か?」
降ってきた声は男のような話し方だが、女のものだった。
「ご、ごめんなさい、急いでて――」
思わず、息を飲んだ。
炎のような長く紅い髪。身に纏う紅いロングコート。
『紅』という概念が人間の姿になった。そんな言葉が似合う若い女がそこにいた。
コートの下は丈の短い動きやすそうな服装で、無骨なブーツが少し荒々しい印象を持たせる。
「え……」
何より目を惹いたのは、引き締まった肢体に走る無数の傷痕だった。
右側の首筋から頬にかけてはひと際大きなものが三本走っている。
何があればこれだけの傷を負うことになるのか、レシオには想像もつかなかった。
「どうした? ぼんやりして。やっぱりどこか痛むのか?」
女が膝を折り、目線を合わせてきた。紅い瞳と視線が重なる。
――綺麗だ。
レシオの頭に思考の泡が昇った瞬間、手の感触の変化が意識を引き戻した。
「な、ない!? 薬が……!」
視線を左右に振るが、クレイから受け取った包みを見つけられない。
「もしかして、これのことか?」
女が右手を差し出してくる。間違いなく薬の入った包みだ。
「大事そうに持ってたもんだから、拾っといた。ほら」
促されると同時に、両手で受け取る。
「ありがとうございます! 妹が熱を出して……」
「そいつぁ大変だ。でも気をつけな。世の中、私みたいなやつばっかじゃないぜ」
「は、はい! すみませんでした! それじゃっ!」
立ち上がったレシオは手短に謝り、その場を離れた。
「だから気ぃつけろって……行っちまった」
女は立ちあがり、建物の向こうへ消えたレシオに嘆息する。
「よっぽど急いでたんだな……お?」
足元に、何か光るものが見えた。
「こいつは……」
拾い上げたのは、金色の指輪。
「よく物を落とすやつだなぁ」
苦笑してから、小さな違和感を覚える。
「……ガキが持つにしちゃ、やけに上等だ」
重さや光り方からして、安物ではない。
「盗んだ……いや、ンなことができそうな感じじゃなかった」
つぶやきながら、指輪を観察する。
指輪の裏側に、何か文字が刻まれていた。
「『愛しい子、レシオへ』……」
沈黙した女は、指輪を右手で包みこんだ。
「まいったな、こりゃ」
次回は明日7時頃に更新です!
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