第2話 行き詰まりの町
ロックベル。
土地の約七割が悪魔の手に落ちたルファイド大陸。その西部に広がるラティ平原。さらにその外れに位置する寂れた町だ。
人口はおよそ五〇〇人。この世界の『町』という社会構造では、一般的な規模と言える。
森や川は近いが、その資源を外に出す余裕はなく、経済循環は町の中でほぼ完結している。
加えて住民の大半が悪魔から逃げてきた移民であり、まともな戦力のないこの町は、悪魔の襲撃に遭えば一晩と持たない。
そんな町にいる子どもは、多くが孤児だ。
病、災害、襲撃……孤児となった理由はそれぞれだが、生きていくためには働く必要があり、力も立場も弱く、大人たちに都合のいい労働力として扱われている点は変わらない。
レシオもその一人であり、双子の妹のメリエルとともに、過酷な日々を送っていた。
部屋の中央に置かれた数台の木製テーブルを挟み、五脚の椅子が並ぶ。ブラウ、オルバド、ゼズの向かいには、黒スーツの若い男と、ひげ面の中年男が隣り合って座っていた。
「ふむ、なかなかいい店になったじゃないか、バンゾ」
白いスーツの男――キグナスが空になったグラスを傾ける。
「ありがとうございます、キグナス様!」
そこへ酒を注ぐひげ面の男――バンゾ。風体に合わず媚びる姿は、そうなるだけの上下関係が二人の間にはあることを物語っている。
「はっはっは! 面白れぇなぁ! 店長がヘコヘコしてやがんぜ!」
上機嫌な声を張り上げるオルバドの周囲には、無数の酒瓶が転がっている。
「まったくだ。普段はあんな偉そうなくせによ」
「ヒヒ……店長、小物」
自分の前に並んだ料理を口に運びながら、ブラウとゼズが続く。
「お前らな……!」
「そう言ってやるな。バンゾはよくやっている。町でたった一つの酒場を切り盛りし、住民に楽しみを与え……。立派なことだ。私も町の長として鼻が高い」
「はっはっはっは! おいおいキグナスの旦那! 今は俺たちで貸し切りだぜ!? 町のやつらにゃ、これっぽっちも楽しみなんざ与えられてねぇ!」
「うん? おや、言われてみればそうだな。ところでバンゾ、テーブルの上がそろそろ空になるが?」
「おい! 料理と酒! 大至急追加だ! さっさと持ってこい!」
椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がったバンゾが、厨房に向かって吼える。
バンゾの声が届いた厨房で、着古しの服の袖を捲ったレシオは、皿を洗いながら歯噛みした。
「あいつら、ろくに仕事もしないで……!」
怒鳴り返してやりたいが、そんなことをすれば、昨日以上の暴力が待っているのは明白だ。
昨日。僅かに思い出しただけでも、足元から恐怖が這い上がって来る。
怯えてばかりな自分に、怒りが募っていく。
もっと、力があれば。叶わない願いとやり場のない感情が、レシオの身体を動かした。
「くそ……っ!」
乱暴に流し場に置いた食器が音を鳴らす。
その直後にバンゾが厨房へ怒鳴りこんできた。
「おい! いつまで待たせんだ! キグナス様の機嫌を損ねるな!」
「今やってます! というか、そう思うなら店長も手伝ってください!」
レシオの懇願は、青筋を浮かべるバンゾに一蹴された。
「知るか! 行くあてのねぇお前らを誰が食わせてやってる! つべこべ言わずに働きやがれ!」
「ブラウさんたちがいるじゃないですか! 少しの間だけでも手伝わせ――」
言い終えることも叶わず、蹴られたレシオは棚に背中をぶつける。
「ブラウたちはキグナス様のお気に入りだ。今日はあいつらも客扱いするようキグナス様に言われてる。客に働かせるつもりか!」
なら、あんたはどうなんだ。
心の中で言い返したレシオを、バンゾが腕を掴んで強引に立たせる。
「それとも、奥で寝てるお前の妹を引っ張り出すか?」
その言葉にレシオは目を見開いた。
「熱でぶっ倒れたから特別に休ませてやってるが、そのザマじゃ――」
バンゾが言い終えるより先に、レシオは片方の腕でバンゾの腕を握り返した。
「てめぇ……!」
「俺が、全部やります……。だから、あいつは休ませてください……!」
熱い光を宿す眼差しが、バンゾを貫く。
「……チッ、放せ! うっとうしい!」
レシオを払いのけ、バンゾは踵を返すと奥の棚から酒瓶を手に取った。
「出来合いのもんでいい! さっさと持ってこい!」
大股で厨房を去っていくバンゾを一瞥して作業に戻る。
すぐに聞こえた笑い声が、いつも以上にひどく耳障りだった。
そうして、キグナスやブラウたちが帰り、バンゾも自室に戻るまで、レシオは息つく暇もなく働いた。
椅子とテーブルの配置を元に戻す最後の仕事を完遂し、レシオは額の汗を拭う。
「やっと終わった……」
だが、まだやることは残っていた。
「落ち着いたかな……」
水を入れた桶と濡らした布を持ち、元は物置だった部屋へ向かう。
「メリエル、入るぞ」
中に入ると、部屋の端に置かれたボロボロのベッドの上で、横たわった自身と瓜二つの少女――メリエルが苦しそうな呼吸を繰り返していた。
彼女の右目を覆う包帯を避けて額に手をやると、過労で倒れた二日前と変わらない熱を感じた。
「ごめん……。こんなことしかしてやれなくて……」
謝りながら、汗ばんだ顔や首元を拭いていく。
「にい、さん……」
「メリエル? どうした?」
ふらふらと持ち上がった右手が、虚空をまさぐる。
「兄さん……どこに……」
「ここにいる! 俺はここにいるよ、メリエル……!」
手を握ると、わずかだが表情が和らいだ。夢の中でも自分と会えたのだろうか。
それとも、そんな夢も見れないほど、意識が深く沈んでいったのか。
「……なんで、なんでメリエルが、こんな……!」
自分だけなら、どんなに辛くても我慢できる。
だが、たったひとりの妹が目の前で苦しむ姿にレシオの心は張り裂けそうだった。
「こんなこと、いつまで……」
レシオが問いかけたのはメリエルではなく、窓から差す月明りを浴びて小さく光る、枕元に置かれた二つの金色の指輪。
「答えてよ、母さん……」
指輪から返答があるはずもなく、メリエルの呼吸だけが耳朶をうつ。
「……いや、違うよな」
だが、その静寂の中でレシオの決意は強くなっていった。
「今は俺だけなんだ。俺が守らなきゃ……」
指輪とともに母に託された、大切な役目を果たす。それが今の自分にできることだから。
「きっと、助けるからな」
レシオの目は、確かな意志を宿していた。
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