第26話 取り戻した記憶⑥
宝明山とは、ましろたちの住む町から10キロほど離れた場所にある、地元の人にはなじみ深い山だ。頂上は二峰性であり、高い方が女体山、低い方が男体山と呼ばれている。古くから信仰の対象ともなり、ふもとの神社には夫婦神が祀られていた。
「わしはその夫神じゃ。当然妻もいるが、嫉妬深くてうるさいので、いつもは別々に暮らしている。こんな侘しい場所にいてもつまらんから、お千代さんの店にぷらぷら遊びに行ってるとまあ、こういうわけよ」
「影郎って神様だったの? ただの酒飲みだと思ってた……」
「おい、ましろ! 本当におぬしは恐れをしらんのう! わしが本気を出せばえらいことになるぞとしょっちゅう警告してたではないか!」
「だからそれも酒飲みの戯言かと……」
「ええい! もういい! とにかく、事が事だけに誰にも見られないこの場所にお前たちを連れて来たんじゃ」
「ねえ、おばあちゃんもここのこと知ってるの?」
「知らん。この姿も見たことない。つまり、今の事態はかなりおおごとということじゃ。そっちのあやかし、おぬしは分かっておろうな?」
急に話を振られた蘇芳は、びくっと体を震わせた。
「悪いことをしたとは思っている。でも、魂の波長がこんなに合う人間に会ったことがなかった。今まで何百年もあの場所に閉じ込められてたのに、それがいきなり自由になれると知ったら、誘惑に勝てなかった……」
「それでも許されないことじゃ! 第一、なぜお主はそこまで力が弱い? 元からそうだったわけじゃなかろう?」
「最初は違った。俺のことが見えた佐吉という男のために力を使ったんだ。佐吉は、俺のせいで放火の疑いをかけられてしまった。それで長い間みんなから差別され苦労する羽目になった。だから、人間に化けて佐吉の名誉を回復するために奔走した。その時に力を使いすぎたんだ。元々人間に化けるのは得意じゃないから……気づいたら、誰からも存在を忘れられ、神社の敷地から離れられなくなってしまった」
拓海が言っていたことを思い出す。佐吉の名誉は最終的には回復され、あの神社が建てられたが、蘇芳はそのきっかけを作った一方で、高い代償を払うことになってしまったのだ。
「そんな……佐吉さんがひどい目に遭ったのはあなたのせいじゃないよ」
がっくりと首を垂れる蘇芳に、ましろは声をかけてやった。蘇芳はこんなに優しいあやかしなのだから、影郎も怒りを鎮めて欲しい。そう願ったが、影郎の剣幕は治まらなかった。
「おぬし、体を乗っ取ったあと元の持ち主に返しても、完全に元に戻るとは限らないことは知っておろう?」
「え? それどういう意味?」
びっくりして声を上げるましろに、影郎は淡々と説明した。
「一度波長の合った二つの魂は、元に戻る時、一部がちぎれて元の体に残ることがあるんじゃ。つまり、こやつの魂の一部が、この少年の体の中に残って、少年の魂と一体化するということじゃ。具体的には、何らかの特徴を受け継ぐ場合がある」
つまり、蘇芳と拓海が完全に分離できないってこと……? 事の重大さに気付いたましろは青ざめた。
「そんなことがあるの……? ねえ、影郎、あなた神様なんでしょう? 神様なら何とかできない?」
「わしは万能じゃないぞ! 便利屋扱いするな!」
「だって、このままじゃ蘇芳も拓海くんもかわいそうじゃない! 影郎は本当はすごい奴なんだってバクさんや狐さんも言ってたよ? 今こそすごいところを見せてよ!」
「そんなんでおだてられると思うかー!」
「何よ! 偉そうに! みす〇学苑みたいな格好してるくせに!」
「ましろ! いくら何でも言いすぎだよ!」
さすがに蘇芳が間に割って入ってましろを諫める事態になった。
「分かった。俺はどうなってもいいから拓海ってやつを元に戻して欲しい。コロッケもアイスクリームも食べられて、ましろと一緒に歩けて楽しい思い出ができた。もう満足だ、悔いはない」
「蘇芳!」
ましろは悲痛な叫び声を上げて蘇芳を見たが、蘇芳は何もかも吹っ切れた様子でさっぱりした顔をしている。影郎は二人を交互に見て、やがてため息をついた。
「やれやれ。人使いの荒い人間じゃ。おい、そこのおぬし。神からのご利益を授かるには対価が必要じゃ。それは分かっておろう? お前は何を差し出せる?」
「何でも。どうなってもいいと言っただろう?」
「それじゃ元も子もないのじゃ! お前を元に戻すためなのだから。そうだ、佐吉が与えてくれたものを貰おう。蘇芳というお前の名前を奪う代わりに、失った力を元に戻してやる。それでいいか?」
「ってことは、俺は紅蓮に戻るのか?」
「まあそうなるな。名前を戻すということは、佐吉との縁も切れることになる。だが、佐吉は既にこの世にいない。佐吉に義理立てする必要は今更ないのだから、そんなに悪い条件ではないと思うが」
蘇芳はしばらく考えていたが「分かった。そうしてくれ」と答えた。
「よろしい。じゃあ、魂を分かつ術をかけるとするか。余りに久しぶりなんでうまくいくか自信がない。すっかりきれいにはならんかもしれんがの。でも自分で引きちぎるよりはうまくいくじゃろ」
影郎は、いつもの飄々とした口調でそう言うと、コホンと一回咳払いしてから、何やら呪文めいたものを唱え出した。ましろには全く訳が分からない呪文である。しかし、雰囲気はがらっと変わり、ついさっきまでの気の抜けたような彼からは想像できない、地の底から出るような声を発した。やっと彼が神様であるという実感がわく。
影郎が呪文を唱え終わるとまぶしい光が辺りを包み、再び目を開けると拓海と紅蓮が並んで立っていた。
「やった、よかった! 二人とも元に戻れた! 影郎、ありがとう!」
ましろは大喜びした。しかし、彼女の冒険はここで急に終わることになる。正確に言うと、寿寿亭に戻った後、ましろの記憶は完全に失われた。このひと夏の経験だけではない。影郎も狐もバクさんも、寿寿亭で過ごしたあやかしたちとの日々がまるごと失われたのだった。
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