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リオンの詩

リオンか。

その名を口にしたのは久しぶりだ。

良い名だと言われて、不覚にも喜ぶ自分がいる。

とうに捨てた名で誰に付けられたかも覚えていない。

そもそも、どこで生まれ、どうやって過ごしてきたのかも曖昧だ。

だが、貧民街で体を寄せ合っている女性達に面倒を見てもらっていた記憶はある。


優しい人達だ。


しかし、次に覚えているのは微笑みを浮かべ、本性を隠した悪魔に手を引かれている感触。

だが、顔が分からない。靄はかかったように胸の奥底に消えていく。

それでも、身なりがよく、上品で話の分かる大人の男だ。

それが奴の最初の印象だった。


「どこへ行くの?」

「良いところだよ」

「すぐに帰れる?」

「あそこに帰りたいのかい?」


ある意味、保護者だった女性達に何も言わずについていくのは心が咎めた。


「心配しなくていい。彼女達は何も言わないさ」

「そうなの?」

「君の名前は?」

「リオン」

「良い響きだ。いいかい。今日から私が君の家族だ」


家族?

そんな言葉がこの世界にある事すら知らなかった。

本来は優しい意味なのだろう。

だが、俺にとっては恐怖でしかない。

今もそうだ。

それでもあの時はウキウキしていた。


なぜなら、俺のいた場所は寒かったし、話し相手だった女性達もずっとどこかに出かけているようだった。少なくともそう思っていた。二日前から誰一人姿を見なくなったからだ。

だから、この男についていけば、お腹が満たせられるかもしれないと期待したのだ。

出会う大人達はみんな良い人たちだった。この男も善良だと信じていた。

しかし、それは間違いだった。


あんな場所で何年も過ごす羽目になったのは全部、あの男のせいだ。

すべては悪夢。その舞台となったのはどこかの屋敷。

場所は分からない。とにかく、とても広くて立派な内装だった。

高級そうな服も美味しいごはんも沢山味わった。

まるで、金持ちになった気分だ。

そして、そこには同じ年ごろの少年たちもいた。目の色も髪も肌もバラバラな彼ら。


誰もが色を失った表情をしていた。虚ろですべてを捨て去ったような瞳だ。


その意味に屋敷に来たばかりの頃は気づかなかったが…。


少年の他に沢山の大人達もいた。

彼らはお前達が独り立ちできる日まで面倒を見ているのだと語った。

だから、それを真に受けていた。


一か月ほどは…。


そういえば、アイツに出会ったのもその頃だった。

人生で出会った最初で最後の親友。

テアト…けして忘れない名前だ。

同じ年齢のテアトはミステリアスで何を考えているか分からなかった。

だが、俺を気にかけてくれた。

そして、あの男の一番のお気に入りでもある。

月が昇る頃にテアトはどこかへ消えていく。

決まって朝が来る度に部屋に戻ってきた。


「君もいつか分かるよ」


テアトは意味深な言葉を何度も投げかけてきた。

その発言通り、俺の出番がやってきた。

始めての日はまるで特別は事でも始まるように入念に体中を検査された。

さらに、晩餐会にでも出るように、身だしなみを整わされたのだ。

通されたのは屋敷の地下。

歳を召した男や女が何人も集まっていた。薄暗い部屋はいかがわしい催しでもするようにどこか儀式めいた雰囲気があった。それだけで、よからぬ事が起こるのだと直感した。


だが、悲劇はすでに起きていた。

なぜなら、テアトが裸であの男、悪魔に抱えられていたから。


「さあ、新しい宝物のお披露目だよ。リオン。こちらへ」


不敵な笑みを称えたあの男は屋敷の主とばかりに皆を従え、俺を取り囲んだ。

誰も彼もが不気味な言葉を唱えていた。

その音を聞いていると腕…指の先までしびれと不快な感覚が通り抜けていく。

気づけば、手の甲にあの忌々しい紋章が刻まれていた。


「これでお前も我々の仲間だ。皆、祝福の時を…」


それを合図に男達が小さな体に覆いかぶさってきた。

何が起きているのか理解は追いつかない。

それでも、自分は穢されていくのだけは心にざわめいていた。

ただ、テアトの静かな瞳だけを焼き付けていた。


そしてすべてが終わったその日はとても気分が悪かった。ずっと泣いて過ごしていた。

そんな俺の体を温めてくれたのはテアトだった。

皮肉な事に悪夢を経験して親友との距離はさらに近づいたのだ。


俺達は肌を寄せ合って、自分を温めた。

女性達がそうしていたように…。


その後も屋敷での生活は続いた。

昼間は何事もなかったかのように普通の少年として過ごし、テアトとも兄弟のように接していた。

そして、夜は屋敷を訪ねてくる男達の相手をした。

それが日常で、この先も続くと思っていた。


「ねえ、リオン。君はここを出たいと思わない?」

「急にどうしたんだ?」


屋敷から出られるわけないと諦めていたから、そう答えた。

テアトだって知っているはずだ。

どこもかしこも監視の目があるのだから。


だが、運命の日は突然やってきた。

屋敷中に火の手があがったからだ。俺は寝ていた。騒ぎを聞きつけて、起き上がれば、テアトの姿がなかった。逃げる少年達をかき分けて、必死に探した。


「もしかしたら地下にいるかも…」


また、愛されているのかもしれない。その光景を見るのは怖かったが、テアトのために足を踏み入れた。そして、予想通り彼はいた。だが、立っていたのはテアト一人だ。

その体は血で塗れ、男が倒れていた。


あの悪魔が…。


妙に高揚していた。それなのに友人の姿はその悪魔と出会った時を彷彿ともさせている。


なぜ、ダブるんだ?


女性達を見下ろしていたその悪魔と重ねるなんて、どうかしている。

しかし、この時に感づいた事もある。女性達は消えたのではない。


この動かなくなった悪魔に殺されたのだと…。


なぜ、今になって思い出すんだ?

眠るように運ばれていく女性達の姿なんて…。

こんな残酷な真実など知らずにいられたらよかったのに。

だが、無理だ。なぜなら、俺は幾分か大人になったから。

あの光景の意味に思い当たったのもそれが原因。

だから、どうしようもない。

この先も気づきたくなかった現実を突きつけられるのだろう。


けれど、目の前に映るのは女性達を傷つけた悪魔がテアトによって同じことを返されている姿だ。


なぜ?


この時の俺はすべてが疑問で喉がつっかえていた。

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