嵐は突然か…!
「姉さん怪我は?」
弟の心配そうな声で瞳を開ければ、ミルトンに抱きしめられていた。
鼻先まで迫った炎の渦を巻いた石の塊は水で作られたシールドで抑え込まれていた。
どうやら、ミルトンに助けられたらしい。
「キャアッ!」
しかし、ホッとする事も出来ない。
そこら中で生徒の悲鳴が上がっているからだ。
安全な魔法を扱うための装置である結界発生装置の一つが空中をランダムに動き回っていた。
かなり高濃度の魔力量を感じる。
もしかして、殿下とハーランの魔法に耐えられず、暴走してしまったのかしら?
確かにあの装置を使っているのをほとんど見た事がない。倉庫で長い間、眠っていたと考えれば老朽化していたのかもしれない。
何事もメンテナンスって大切だものね…。
なんて、余裕ぶっこいてる場合じゃないわよね。
この間にも赤く膨れ上がった球体はあちらこちらに飛び回っている。
誰かに当たりでもすれば大変な事になる。
早く破壊しなくちゃ…。
それが無理でもせめて、軌道を安定させる努力はしなくては…。
それでも私に何ができるの?
聖女のブレスレットでは純粋な魔法への対応能力は低い。
なら、小銃は?
ラ・ル・チェ・ガンを球体に合わせようとするが、動きが早すぎて焦点を合わせられない。
もう!どうして肝心な時に何もできないのよ!
自分の不甲斐なさと無力感に再びさいなまれていく。
そんなソフィアの横をものすごいスピードで走り抜ける人影があった。
ナサリエル!
いつも優雅にピアノを弾いている彼とほどんど変わらない優しい表情で、飛び回る球体を見据えていた。
「風籠!」
旋律を奏でるようにナサリエルが放った魔法は球体を疾風の中に閉じ込めた。
しばらく、暴れまわる球体は徐々に落ち着きを取り戻し、地面へとゆっくりと降りていく。
ナサリエルが得意とする風の魔法を久しぶりに見た。彼の実家であるベンストック家は風の祝福者と呼ばれるほど風を得意とする者が多い。それが一族の誇りであるかのように風の魔法を自在に操る者が次期当主となるという慣例があるらしい。
幼いころ、ナサリエル本人から聞いたのだから事実なのだろう。
そして、記憶の中の彼はそのルールに震えあがっていた。なぜなら、当時のナサリエルは風を上手く扱う事が出来なかったから。家族からのプレッシャーに怯えていたのだ。
そんな彼だったからこそ、かつての私達は友人になれたのに…。
「やっぱり、ソフィアとは違うのね…」
目の前の凛々しい青年はプレッシャーに打ち勝ち、魔法を自分の物にしたのだ。さすがは主要キャラ。この事実を以前のソフィアが目のあたりにしたら、きっと正気ではいられなかっただろう。
だから、体を乗っ取ったに等しい私は彼女に同情してしまうのだ。
例え、一番がマニエル…いえ、ゆいながその心を占めていたとしても、十代の多感な少女に誰も手を差し伸べなかった事にいたたまれなさを感じる。
「ソフィア嬢!申し訳ない。危険な目に合わせてしまった」
駆け寄ってきたパトリック王子は見知った仲であるような心配そうな眼差しを向けてきた。
こんな優しげな表情を本来のソフィアに向けられていたら、彼女は嬉しさのあまり、卒倒していただろう。
「ええ~。私は…。弟がいなければ火傷どころではすみませんでしたけれど…」
笑顔で頷けば、パトリックは安心したように息をついた。
「皆、怪我はないか!」
慌ててやってきたカールは状況把握に詰めていた。
パニックになっている生徒達をなだめる彼は常識のある教師だと思った。彼の声にはリラックスさせる効果があるらしい。弟のカールに向ける険しい視線は相変わらずであるが…。
「パトリック王子!ご無事で!」
血相を変えてやってきた年配の男。学院長のジェイス・ユリウスは不自然なほどパトリックの顔色をうかがっていた。
「ああ、平気だ」
「よかった。貴方様に何かあれば、国王陛下に顔向けできませんからな」
パトリックの無事を確認した学院長はハーランへと視線を移す。その瞳は軽蔑に満ちている。
「お前のような卑しい男が魔法決闘で王子と勝負できるだけでも名誉なことなのにまさかこのような騒ぎを起こすとはな」
「ハーランを責めるな。私にだって…」
「なんと心優しい方なのでしょう。ですが、殿下。いずれ、国王となられるのならそばに置く者は選びませんと…」
絵にかいたような上級市民思考。吐き気がするわ。
「お言葉ですが、学院長。球体の暴走は学院側が整備を怠ったからではないのかしら?」
ソフィアは扇で一見すると無傷の球体を指し示す。それらには小さな亀裂が入っていた。
「そんな物が何の証拠になる!一生徒の分際でこの私に指図するのか!」
確かに状況証拠でしかない。けれど、埃まみれのそれらはすべてを物語っている。
全く、仮にも聖女を受け入れるという名目の学院がこの体たらくだなんて、頭を抱えたくなるわ。
「学院長。誰に物を言っているかお分かりですの?私はクラヴェウス家のソフィアですわよ」
「たとえ、貴方が公爵家のご令嬢といえど、この学院にいる間は私の生徒です。権限などないのだよ!」
そう来るわけね。
「まあ、国王から学院を託された長の言葉とは思えませんわ。大事な孫たちが怪我をする危険があったなどと知ったらおばあ様が何をなさるか…。そこにどんな要因があろうと関係ありませんの。国王のご学友というだけでその座に収まった下級貴族の学院長などすぐに追い出されますわよ。現クラヴェウスの当主は国王とは親類も同然なのですから…」
学院長の表情がみるみる青白くなっていく。小心者ならそれらしくしていればいいのに。
「もっ申し訳ない。私にどうしろとおっしゃるんです?令嬢…」
まあ、おばあ様が国王に口出しする事はないけれどね。絶対に…。
「すぐにあれらを破棄して新しい物に…。後、他の備品もきちんと点検するとお約束ください」
「分かりました。では、私は用が…」
「お待ちになって…」
「まだ何か?」
「ジェフリー卿に謝罪を…」
自身の名が出てきてハーランは驚いていた。他の者達も同じだ。
「さあ、学院長!」
明らかに嫌そうにする学院長に畳みかける。
「学院長。私からも頼む」
パトリックに言われてしまえば、学院長も従わざる追えない。
「君に謝罪しよう。申し訳ない」
いかにも苦々し気な様子に全く謝罪しているとは思えない。だが、これがこの男の限界だろう。
学院長は撤去作業を他の教師たちに促して、足早に去っていく。
嵐はすぐに去っていくわね。
「さあ、魔法決闘は終わりよ。皆、立ち去りなさい!」
ソフィアの宣言に生徒達はまばらになっていく。
「では私も失礼しますわ。殿下。そして、皆さまも…」
会釈をして、木陰に立っているシエラの元に歩き出そうとした。
正直、疲れたわ。なれない事をするものではない。
「ソフィア嬢!」
名を呼ばれ、振り返れば、頭を下げるパトリックがいた。
「殿下!」
「本来は私がやるべきたったのに…」
パトリック王子にとってハーランは大切な友人なのだ。
次期国王が偏見のない人で良かったと素直に思った。
マニエルのヒーロー達はやはり立ち振る舞いから常人らしからぬオーラを放っている。
彼らの表情を見ればすべてを物語っていた。
あんなにソフィアを嫌っていた彼らから敵意すら感じない。
それでも疑念は晴れない。
誰よりも神々しいマニエルを殺しえる人物もまた平凡ではないはずだから…。




