泣いたあと
眠って起きたら、大層目が重かった。
リリアンに
「鏡は、見ない方がいいです。お嬢様」
と言われた。きっとものすごい顔をしているのだろう。瞼の重さでなんとなくの想像はつく。
私の中にあった音楽は、全く思い出せなくなった。
『何故こんな事になったのだろう?』
繰り返す疑問に誰も答えてくれない。泣きはらした目に濡れた布をあて、子供のように
「リ、リ、アン、お願、い、何、か歌っ、て」
とわがままなお願いをリリアンは聞いてくれた。
子守唄のような流れていく旋律に目を閉じ聴き入る。
「すて、き、ね、おぼ、え、たい」
と言うとにっこり笑い、リリアンは、一節一節私に確認するように歌ってくれる。
星が夜に輝いて子供は早く寝なさいと言う歌なのだが、幸せな気持ちになる。音が残るのだ。何度繰り返しても消えない。
その日の夜は、幸せな気持ちで寝ることができた。
「旦那様、ご報告があります。イリーサ様に歌を懇願されました。記憶をなくされて、アリーナ医師の言っていた幼児に戻ってたのかもしれません」
「そうか、マリーが生きていた頃は、謝ることもお礼も言える子だった。その頃に戻ったのか。リリアンあの子にマリーがよく歌った歌を教えてあげてくれ」
「もちろんです。旦那様」
また次の日リリアンにお願いをして新しい歌を教わり、次第にリリアンも知ってる歌を教え終わり、庭師の人が教えてくれたり、料理人が教えてくれたりした。
歌を口づさむまで安らかに気持ちも落ち着いた。
そんな時間を過ごしながら1ヶ月が立ち、一人で立ち上がることが出来るまで回復した。残念ながら、片足は、まだ木の棒で固定されている。
こっちの世界では、まだまだ不便なんだと思う。前の世界の名前は出てこないが、イメージするものがあり、歌を教えてもらった縁で、庭師のアレクに踏み台のとても細いタイプの物を私の背にあわせて作ってもらう事に成功した。決めては、私の絵だそう。周りのみんなにこんなの何に使うと言われたが、私が脇に挟んで使った姿をを見て、移動する為のものだとたいそう驚かれた上に、ダニエル父には驚きだけではなく、
「これは」
と何か思いついたらしく、もう一対アレクに作ってくれと指示していた。
私は、ダニエル父に
「何でこんな物を思いついた?」
と聞かれ
「移動するために便利かなと思いました」
と答えた。
踏み台棒と私は、呼んでいたがダニエル父は、難しい顔をしていた。
しかし
「こういうのが子供の自由な発想力か?」
と呟いていた。
踏み台棒のおかげで移動範囲が広がった。嬉しい事があった。
ピアノがあった。
私は、あまり弾けなかった。でも今の私は、音に音楽に飢えていた。この場所を知ってから、一日中ここにいる。リリアンも
「お嬢様、お部屋でお休み下さい」
と何度言われても、リリアンが歌ってくれた曲を音にしてちゃんと聞きたい。リリアンが教えてくれた歌やアレク達が教えてくれた歌は、民謡や酒場歌と言われるもので、一回覚えると簡単に弾けるようになる。それが楽しくてたまらなかった。
人の目も気にしないほど集中していて、またイリーサ別人問題が浮上していた。
それを言い出したのは、執事のルイッセンだ。
「お嬢様は、ピアノに興味を持たれた事はなかった」
と言われたが
「そうですか」
と返しただけで今は、教えてもらった歌を曲に起こす事以外考えたくなかった。
そんなピアノの部屋と呼んでいたが、実際は、サロンを開く部屋だとダニエル父から聞いた。
「イリーサ、君は気に入ったおもちゃを片時も離さなかったからね。やっぱり戻ったんだね」
と呟いた。
この部屋から薔薇を見るのが、マリー母の楽しみだったそうで、まさか私には兄がいて、マリー母は、兄の演奏を聴きながらお茶をしていたと教えてもらった。
「イリーサ、その時君は4、5歳だったからそれを思い出して懐かしい歌を弾いているのかい?よくマリーが君に歌っていたね」
とダニエル父は遠い目で窓の向こうの薔薇を見ていた。
言葉はかけられなかった。肯定してあげるのが優しさだったかもしれない。かける言葉が見つからなかった私は、一体幾つだったんだろう?もっと大人だったら気の利いた言葉があったのかなとぼんやり考えてると、
「イリーサ、領地に行く件だけど調子も良くなっているみたいだし、来月あたりどうかな?」
「はい、承知しました」
せっかく見つけたピアノだったが、この世界にピアノがあった事に喜びを覚えた。
働いて自分のピアノを買おうと決めた。
こんなによくしてくれるダニエル父を困らしたくはないので誰に言われても、その件は、素直に聞く覚悟は出来てた。その前に執事がどれだけイリーサがダニエル父に迷惑をかけたかを説明されたせいもある。
「星の歌を弾いてくれるかい?」
とリクエストをもらった。
この曲は、一番最初にリリアンが歌ってくれた、私に再び音楽を与えてくれた曲だ。
心を込めて弾いた。
ダニエル父が泣いていたというのを後からリリアンに教えられ、心に届いたことを嬉しく思った。