第1話「記憶」
「宇佐美、起きなさい」
その年老いたしゃがれ声で、僕の前の席で突っ伏していた少女が跳ね起きる。
クラスメイトの笑い声と蝉の鳴く声が辺りをつんざく。
宇佐美と呼ばれた少女がこちらを振り返る。年老いたしゃがれ声の主が怒鳴っているが、宇佐美は気にもとめていない様子だ。青々と茂った桜の葉から零れた陽が彼女を照らしている。
「おはよう、和樹くん」
そう言って、彼女は微笑む。それは八月の太陽よりもずっと眩しく、僕の記憶に焼き付いた――。
***
「ああ、またこの夢か」
真っ暗な部屋の中で、時計の秒針の音だけが独り静かに木霊する。
深夜二時二十五分。この夢を見ると、決まってこの時間に目が覚める。もう一度寝ようとするが、頭の中で彼女の声が反響して眠れない。
「おはよう、和樹くん」
何が「おはよう」だ。僕は眠いんだ、頼むから寝かせてくれ。明日は一限から英語のババアの小言を聞かなくちゃいけないんだ。ここで寝ておかないと身が持たない。時計の音、彼女の声、僕の呼吸音、全てが歪に混ざり合ってゲロが出そうになる。僕は枕元に置いてあるウイスキーの瓶を手に取り、一口飲む。喉が焼け付くのを感じながら、彼女の声が遠のくのを待つ。が、一向に消える気配がない。一口、もう一口と飲み、少し気分が悪くなってきたところで、ようやく彼女の声が夜の闇に消えた。
「おやすみ、宇佐美」
そう呟いて、僕はそっと目を閉じた。