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04.健人の一ヶ月

 それから沢と家を十往復くらいして、浴槽が一杯になる程度の水を確保することができた。ただ水と反比例して、健人の体力は底を突く。身体能力三倍の効果や城での訓練のおかげで力仕事にはだいぶ慣れてきているものの、疲労の感じ方は元の世界とまったく同じだった。


 近日中に雨が降ることを願うのと同時に、やはり早いとこ魔法を覚えようとも思う。ほとんど同じ距離、同じ量の水を運んでいたドクトルが、まったく疲労を感じていないような涼しい顔をしていたからだ。


 しまいには「ケントさんは少し休憩していてください。夕食は私が用意しますので」と、ため息混じりに呆れられてしまった。ちょっと情けない。


 そして茜色の夕陽が森の木々に遮られる頃、夕食の準備ができたとドクトルからお呼びがあり、健人はリビングへと向かう。テーブルやチェストの上のランタンが灯っているので、リビングは思いのほか明るかった。


「そういえば、このランタンはどういう原理で光ってるんだ?」

「中に『太陽石(サンストーン)』という太陽の『宝氣』を吸収できる鉱石が入ってて、周りが一定の暗さになると自然と光を放つのです。晴れた日に日中ずっと外に出していれば、三晩くらい保てるほどの『宝氣』が貯蓄できますよ」


 ソーラーパネルみたいなものか? と、健人は思った。


「じゃあ雨の日は充電できなくて、夜は真っ暗ってことか」

「ジュウデン? ……よく分かりませんが、曇りの日が続けば真っ暗になりますね」


 そう話している間にも、健人はドクトルの対面に腰を下ろした。

 テーブルの上には、パン、干し肉、洗って切っただけの生野菜、ミルクといった、栄養を摂るのが目的だけの質素な料理が並んでいた。


 とはいえ健人が文句を言える立場でもないので、黙々と料理を口に運ぶ。

 途中、料理に視線を落としたまま、ドクトルが訊ねてきた。


「ケントさん。水汲みでの疲れは取れましたか?」

「それなりには。まあ、城での訓練よりかはだいぶマシだから、そこまで疲れてるわけじゃないけどな」

「城ではどのような訓練をしていたのですか? 差し支えなければ教えていただきたいのですが」


 ふと、ドクトルが顔を上げた。翡翠のような瞳が、健人をじっと見据えてくる。


 その無機質な視線を正面から受けることに耐えられなかったのか、健人は思わず目を逸らしてしまった。気まずさか、気恥ずかしさかは分からない。ただ彼女には多大な恩があるため、完全に口を噤むことはしなかった。


「……とにかく、敵を殺すことだけを教え込まれたよ」


 あまり思い出したくない。という意思を暗に込めながら、健人は渋々語り出した。


 朝は太陽が昇るのとともに起床。朝食のあとは昼まで鍛錬。昼は昼で模擬戦や魔王軍についての知識を学び、陽が落ちてからは城の清掃など雑務をこなしていた。


 そんな奴隷のような生活が、一ヶ月も続いていたのだ。

 やはり彼女が言うように、何かしらの方法で洗脳されていたのだろう。奴隷生活を一切疑問に思わなかった自分に恐怖し、健人は背筋を震わせた。


 ただ城を離れたことによって、その洗脳もほとんど解けたのではないかと思う。もう戦いたくない。あの地獄に戻りたくない。人類軍などどうでもいいと、今は心の底から言うことができるのだから。


「ま、こんなところだな。一ヶ月、本当に単調な日々だったから、話すことなんてそう多くはないよ」

「それでつい先日、戦場に駆り出されたというわけですね?」

「そう……だな」


 昨日の朝の出来事なのに、その時の記憶は非常に曖昧だった。


 起床していつものように朝食を摂っていると、兵士長が食堂に来て「今日は実戦だ」と宣言したのだ。そして訳も分からず馬車の荷台に乗せられ、戦地へと赴いたのである。


 そこから先は、ほとんど何も覚えていなかった。

 辺りに充満する血の匂い。鼓膜が破けるほどの爆発音。地に伏せる人間や魔物たちの死骸。視て聴いて嗅いで体験したことが、健人の中ではすでに遠い過去のものとして切り離されていた。


 だがしかし、記憶のサルベージは嫌な思い出も一緒に引き上げてしまう。

 槍を手にし、呆然と佇む健人。その隣で突撃するクラスメイトの身体が爆散し――、


「うっ……」


 死への恐怖が洗脳に打ち勝たなければ、自分もああなっていただろう。


 吐き気を催すも、胃の中の物を出すまでには至らない。荒くなった呼吸を整えるように、健人は不味いミルクを一気に飲み干した。


 その様子を冷静に見ていたドクトルが、小さく謝罪する。


「すみません。嫌なことを思い出させてしまって」

「いや……」


 あれからまだ一日しか経っていないのだ。忘れられるはずなどない。

 ただ、いずれは現実を受け止めなければいけないのも事実。ドクトルはそれを教えてくれただけ。健人が感謝することはあれど、彼女が謝る必要などはまったくなかった。


「走って逃げてきたということは、この森のすぐ外が戦場になっているんですか?」

「今回のは局地的な戦闘だったらしい。人類軍が守る砦に魔王軍が攻めてきたから、その助っ人だと聞いたよ」


 おそらくは小規模の戦闘と判断したから、新人に経験を積ませるために健人たちを投入したのだろう。だが結果は御覧の有様。一ヶ月訓練したからといって、今まで平穏に暮らしていた健人たちがまともに戦えるわけがなかったのだ。


 ふと健人は、ここまで戦火が届いていないことに疑問を抱いた。


「この森はなんで戦闘に巻き込まれてないんだ?」

「ケントさんの言う砦から相当の距離があるから、というのもありますが、一番の理由はメリットが無いからでしょうね。先ほどの沢もそうですが、上流の方は傾斜の緩やかな山になってて、鬱蒼とした森がずっと続きます。中には人間の手には負えない魔獣や悪魔なども棲んでいますので、危険を冒してまで入る意味は無いのだと思います」


 そんな森の中に住んでいるドクトルさんは何者なんだよ。とでも言いたげに、健人は苦々しい表情を露わにした。


 彼の内心を読み取ったのか、ドクトルは口の端を釣り上げる程度の謙遜した笑みをこぼす。


「ここは比較的安全ですので、心配せずとも大丈夫ですよ。丸腰でさえなければ、ある程度は自由に出歩けます。もちろん、常に危険と隣り合わせなのは変わりありませんが」


 昨晩のことを揶揄しているのだと気づき、健人はちょっとだけ胸が痛くなった。


 ただ、一つだけ分かったことがある。おそらく城の奴らは、脱走兵である健人を追ってきたりはしない。仮に捜していたとしても、森の中まで入って来たりはしないだろう。脱走兵ただ一人に労力を割く余裕があるとは思えない。


 この森にいる限り安全だという事実が、少なからず健人の心を軽くした。

 軽くなった心は食欲を促し、出されたパンや生野菜をすべて平らげる。

 夕食が終わり椅子に座ったまま一服していると、ドクトルが皿を片付け始めた。


「それくらいは俺がやるよ」

「いえ。ケントさんはお疲れでしょうし、私がやります。今日は十分にお休みください。……また後日、お願いしてもいいですか?」

「……ああ、分かった。ありがとう」


 ドクトルの厚意に素直に甘えることにした健人は、今日一日の感謝も込め、礼儀正しく頭を下げたのだった。

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