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ドクトルさんの最強白魔法  作者: 秋山 楓
ドクトルさんの日常集

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42/42

ドクトルさんと雪化粧

『ドクトルさんと喧嘩』よりも、だいぶ後の話。

「どうりで寒いわけだ」


 玄関の扉を開けると、そこは一面の銀世界だった。


 空と面している場所は膝の辺りまで積もっており、いつも目にしている森の枝葉は真っ白な雪化粧が施されている。分厚い雲の間には晴れ間が覗いているものの、枝の上からはらはらと舞う雪の結晶が健人の体温を奪っていった。


「うわぁ、ずいぶんと積もりましたね」


 朝日を反射する雪景色から眩しそうに目を背けていると、たった今起きてきたドクトルが背後で驚きの声を上げた。


「毎年こんな感じ?」

「降る時は降りますからね。年に三回か四回くらいはこれくらい積もります」


 日本でももっと積もる地域はあるが、健人が住んでいた場所は豪雪地帯ではなかった。膝の辺りまで積雪した光景などスキー場以外では生で見たことがなく、感動から言葉を失ってしまう。


「今日の日課は無理そうですね。朝ごはんの支度をしますので、ケントさんは暖炉に火を点けて待っててください」

「ああ、お願い」


 雪をさらった風に身震いしながら、健人は扉を閉めた。

 ドクトルに言われた通り暖炉に火を点け、用意してもらった朝食を食べ始める。


「外があんな状態だけど、今日はどうする?」

「仕事はまた明日にして、今日はゆっくり休みましょうか。明日になればだいぶ解けると思いますので」

「雪下ろしとかしないでも大丈夫?」

「この家が倒壊することはありませんので、ほっといても問題ありませんよ」

「そういえばそうだったな」


 このログハウスは悪魔からもらったもの。契約したドクトルが死ぬまで不変であり、火事になってもまったく燃え尽きないことは実際にこの目で見ている。雪の重みで潰れることもないのだろう。


 ドクトルも言った通り、本日の仕事はお休みだ。雨の日と同じく、家の中でゆっくり過ごそう。

 などと考えながらパンを頬張っていると、彼女は目を輝かせて提案してきた。


「ケントさん。せっかくこれだけ積もったのですから、今日は雪で遊びましょうよ」

「この歳で雪遊びか……」

「イヤですか?」

「まさか! むしろワクワクしてきた」


 もちろん、ドクトルに気を遣ったわけではない。たとえいくつになっても、雪を見て心を躍らせない男子などいないのだ。事実健人も、一面の銀世界を見た瞬間に童心へと還っていた。


「ちなみにケントさんの世界ではどんな雪遊びがあったんですか?」

「例えば、そうだな……雪だるまを作ったり」

「雪だるま?」

「丸めた雪を重ねて人形を作るんだよ」

「じゃあ雪人形のことですね」

「他には雪合戦とか。雪玉を投げ合って相手にぶつける遊び」

「雪戦争のことですね」

「後はかまくらとか。大量の雪を集めて、その中に穴を掘って家を作るんだよ」

「雪の家ですね」

「けっこう同じなんだな」

「みたいですね」


 そう言って、二人は笑い合った。

 まあスキーやソリなど道具がなければ、雪だけで遊べることなどそう多くはない。


「ケントさんは雪化粧という遊びを知っていますか?」

「雪化粧? ……って言葉はあったけど、遊びとしては知らないな」


 辺り一面が積雪している様子のことである。今の屋外がまさにそれだろう。

 雪化粧という単語から遊び方を結び付けられず、健人は首を傾げた。


「ふふふ。もしかしたらそれに該当する遊びはないみたいですね」

「たぶんな。どういう遊びなんだ?」

「後でやってみましょうか」


 得意げに微笑むドクトルを見て、健人は先ほどの結論を訂正した。どうやら雪を前にしてワクワクしてしまうのは女の子も同じようだった。


 朝食を終えてから、二人はすぐに屋外へ。早朝よりは暖かくなってはいるものの、まだまだ肌寒い。今日中に雪が解ける様子はなさそうだ。


「いいですか? 見ててくださいよ?」


 膝まである積雪を押し退けて軒先に出たドクトルが、健人に向けて宣言した。どうやら雪化粧を実践して見せてくれるらしい。


 後ろで待っていると、突然ドクトルが電池の切れた人形のように倒れてしまった。ボフッと音を立てながら、うつ伏せのまま新雪の中に沈んでいく。


 ギョッとして駆け寄ろうとした健人だったが、ふと思い立つ。

 まさか倒れ込むのも雪化粧の一連の動作なのか?

 そう思い、健人はじっと見守っていたのだが……その長さが明らかに異常だった。


 おそらく十数秒は経っただろう。素手で雪を持てば、手の感覚が無くなってしまうほどの時間。だというのに、ドクトルは素顔で雪に埋もれたまま、起き上がろうとするどころか微動だにしないのだ。


 さすがに心配になった健人は、恐る恐る声を掛けた。


「ド、ドクトルさん。大丈夫?」


 その瞬間、ドクトルが勢いよく顔を上げた。全身に纏わりついた雪の粒をまき散らしながら、ぴょんっと跳ね起きる。


「あっ、まさか雪化粧ってそういう……」


 ドクトルの顔を見て合点がいった。


 新雪の中から帰還したドクトルの顔には、柔らかい雪がたくさん付いているのだ。雪で顔を彩るから雪化粧。なるほどなと思うのと同時に、健人は雪のへばり付いたドクトルの間抜けな顔を見て吹き出しそうになる。


 ただドクトル自身は、そんな健人を見て不思議そうにしているだけだった。


「たぶん勘違いしているのだと思いますが、私の顔を見ても上手くいってるかどうかは分かりませんよ? 雪化粧はあっちです」

「あっち?」


 ドクトルが指を差したのは、今まで自分が倒れていた場所だった。


 それを発見した瞬間、健人は驚きのあまり目を見開いた。まるで石膏で型を取ったかのように、ドクトルの顔の形に雪が陥没しているのだ。さらにその出来栄えは、表情までもがはっきりと認識できるほど。


「おおおお! す、すげー!」


 素晴らしい芸術(アート)に、思わず感嘆の雄叫びを上げてしまった。

 褒められて気を良くしたのか、ドクトルが腰に手を当てて解説し始める。


「これが雪化粧です。複数人いる時は、誰が一番はっきりと自分の顔を写せるか競ったりもしましたね」

「な、なんでこんな綺麗に型が取れるんだ……」


 驚きの次は唖然としたまま言葉を失うばかりだ。

 周りは柔らかい新雪。少し動いただけでも簡単に崩れてしまうだろうし、逆に踏み均した場所ならば顔の形なんて残ったりはしない。かなり繊細な調整が必要のはずだ。


 ドクトルの型をじっくり観察していると、不意に背中を押された。


「ささ、ケントさんもやってみてくださいよ」

「お、おう」


 ともあれ、何事も挑戦だ。

 促された健人もまた、見よう見真似で新雪の中へと倒れ込む。

 だがしかし、やって来たのは当然の結果だった。

 思ったより……冷たい。


 遠慮なく体温を奪っていく雪の冷たさに耐えられず、健人はほんの数秒で跳び起きてしまった。


「待った、待った! 冷たいって!」

「あーあ。ケントさんの顔、ぼろぼろじゃないですか」

「ドクトルさんはよくもまあこんな冷たい中でじっとしてられたよな……」


 我慢するしかないのか? 何かコツは無いのか?

 そう問おうとする前に、ドクトルが不思議そうに首を傾げた。


「私は特に耐えられないほど冷たいとは思わないですけどね」

「マジで?」

「もちろん多少は冷たさを感じますが、体内の発熱の方が勝りますので」

「発熱?」


 そこで健人は思い出した。


 健人とドクトルの身体の構造は、わずかに違うらしい。というのも、この世界の人間は体内に『宝氣(マナ)』を蓄積できる機構があるというのだ。つまりドクトルは、無意識のうちに『宝氣』を熱に変えて雪の冷たさを相殺させているのかもしれない。


 そして雪化粧が上手くいくかどうかも、『宝氣』の有無が関係しているのだろう。

 それを伝えると、彼女も今気づいたように両手を合わせた。


「たぶん、それで正解だと思います」

「ってことは俺に雪化粧は無理ってことか……」

「えー、諦めちゃうんですか?」


 頬を膨らませたドクトルが、露骨に残念そうに肩を落とした。


「男女が同じ場所で雪化粧をすると、二人の間に生まれてくる子供の顔が分かると言われているのですが……」

「……やる」


 そんなことを言われてしまったら、やらない選択肢はない。

 場所を変え、健人は精神と統一させる。


「ケントさん、頑張ってください!」

「うおおおおおおお!!!」


 ドクトルの声援に後押しされ、健人は新雪の中へバフッと身を投げた。

 そのまま我慢。顔の感覚を失いながらも、心の中でたっぷり二十秒数える。

 しかし出来上がった顔の型は、あまりにも悲惨なものだった。


「やっぱり『宝氣』がないと無理なんじゃないか?」

「新雪の場所はまだまだたくさんありますし、諦めるには早いですよ! 練習あるのみです!」

「お、おう」


 何が彼女を奮い立たせているのだろう。そんなに子供の顔が見たいのだろうか?

 拳を作って後ろで応援するドクトルとは対照的に、健人のやる気は体温と比例して徐々に削がれていった。


 そして何回か練習したところで、さすがに根を上げる。


「ちょ、ちょっとタンマ。一回休憩しよう。寒い」

「え、ええ」


 血の気を失うほど震え上がっている健人の顔を見て、ドクトルもまた申し訳なさそうな表情を浮かべながらドン引きしていた。きっと『もう少し早く言ってくれればよかったのに』とでも思っているに違いない。


 ドクトルに支えられながら、暖炉の前のソファへと移動する。持ってきてもらった毛布で全身を包んでから、隣に腰を下ろすドクトルへと訊ねた。


「ドクトルさんは寒くないの?」

「寒いと言えば寒いですが、ケントさんみたいにカタカタ震えるほどではないですね」

「やっぱり身体の構造が違うんだろうなぁ」


 諦めムードでため息を吐く。この世界の人間だからこそ、あれだけ綺麗な雪化粧ができるのだろう。


「ケントさん、ケントさん」

「?」


 とその時、ドクトルがちょいちょいと手招きしていることに気づいた。


 肩が触れ合ってるほど近くにいるのに、これ以上どうしろと? と疑問を抱いたが、すぐにそれが手招きではないことに気づく。どうやら彼女は『こっちに来い』ではなく、『沈め』と言っているようだった。


 訳が分からずも、健人はドクトルの指示通り身体を沈めた。


 尻の位置をソファの前に出し、だらしない体勢で座る。すると彼女は待っていましたと言わんばかりに肩をくっつけ、自分の頬を健人の頬へと密着させてきた。


「こうすれば、もっと暖かくなりますよ」

「……そうだな」


 肌が触れ合うことで、心拍数が格段に上昇したのが分かった。


 少しだけ恥じらい緊張しているためか、二人の間に会話が無くなる。パチパチと薪木が弾ける暖炉をただ見つめるのみ。


 ただドクトルにとってはまだまだ不満だったようだ。


「ケントさん。私は寒くなってきました」

「さっきと言ってることが真逆だな。俺の方は暖かくなってきたけど」

「もう! これ以上、私に言わせるつもりですか?」

「ん」


 ドクトルの腰に腕を回した健人は、ゆっくりと顔を回転させた。


 暖炉から視線を切り、頬を触れ合わせたままドクトルの方へ。ただ唇の端と端が触れ始めたところで、ちょっとした悪戯心が芽生える。このままじらしてやろうと動きを止めたのだが、すぐに太ももを抓まれてしまった。どうやら早くしろと言ってるらしい。


 せっかちだなぁと鼻から軽く息を吐き出した健人は、再び動き出した。

 唇の触れる面積が徐々に増え、最終的に真正面から口づけを交わす。


 重ね合わされた唇からお互いの体温が伝わっていき、全身が火を吹いているんじゃないかと錯覚するほど熱くなる。壊れるほど高鳴っていく心臓は、先ほどまで雪に埋もれていたことを忘れさせてしまうほど仕事をしていた。


 やがて唇を弾く音と共に顔を離す。

 正面から見たドクトルの頬は、雪の上に桜の花びらを散りばめたような色をしていた。


「ずいぶんと暖かくなりましたね」


 破顔するドクトル。

 その笑顔に打ちのめされた健人は、誤魔化すように咳払いをした。


「さて。では……このまま子作りでもしましょうか」

「――ッ!?」


 しかもそんなことを宣うため、唾が変な所に入って本当にむせてしまう。


 慌てて息を整えた健人だったが、こんな可愛らしい宣言に、彼の若々しい欲求が抑えられるはずはなかった。


「ドクトルさん!」


 最愛の女性の名を叫んだ健人は、両手を大きく広げて飛びかかった。


 だがしかし、夢は叶わなかった。ドクトルは健人の腕を事もなげにすり抜けると、すっと立ち上がる。そのため後先考えずに飛びついた健人は、たった今までドクトルが座っていた場所へと顔を埋めてしまった。まあ、これはこれで悪い気はしないのだが。


「でもその前に、まずはひたすら練習ですね。ケントさんが自分の雪化粧を完成させることができてから、私のものと重ね合わせましょう」

「あ、そっちね」


 ソファに身を預けたまま、健人はがっくりと項垂れたのだった。


「ささ、あんまり休んでいる暇はありませんよ。太陽が昇れば解けてしまいます」

「分かった分かった。すぐ行くから急かさないでくれよ」


 一人やる気を見せるドクトルが屋外へと向かおうとする。

 健人もまた追いかけようと渋々立ち上がったのだが、外に出ず玄関の前で佇んでいるドクトルが肩越しにこちらを見ていることに気づいた。


「えっと、その……たぶん今夜も冷え込むと思いますので、本当の子作りの方は……またその時にでも……」

「へ?」


 呆気に取られて聞き返したその瞬間には、ドクトルはすでに駆け出していた。危なっかしい足取りで、慌てて雪景色の中へと消えていく。


 ソファの前でフリーズした健人の脳内に、彼女の残した単語がこだまする。

 今夜、子作り、その時に。

 何度も何度も言葉を咀嚼することで、ようやく意味が理解できた。


「……可愛すぎんだろ」


 赤面した健人はソファの背もたれに身体を預けて前屈みになる。

 どうやらもう少しだけ休憩しなければならなくなったようだ。

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