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ドクトルさんの最強白魔法  作者: 秋山 楓
ドクトルさんの日常集

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41/42

ドクトルさんと交換日記

「うわっ、今日はまた一段と冷えるな」


 朝。日課の素振りを終えた健人は、肌を撫でる冷たい風に身を震わせていた。


 最初の頃よりもだいぶ汗の出が少なくなってきているし、息も白い。さらには滲んだ汗が体感温度をぐっと下げていることもあり、寒さに耐えられなくなった健人は早々にログハウスへと撤退した。


 暖炉の炎で暖かく保たれている室内へと戻り、いつものようにドクトルと顔を合わせて朝食を取る。その際ずいぶんと寒くなってきたことを報告したのだが、彼女はあまり良い表情をしなかった。


「運動も大事だとは思いますが、風邪を引かないように気をつけてくださいね」

「でも、風邪くらいだったらドクトルさんに治してもらえばいいし……」

「甘いですよ、ケントさん。確かに私は風邪を治すこともできますが、人間に備わっている本来の免疫力まで高めることはできません。魔法に頼ることをせず、自然に治していった方が良いこともあるんですよ」

「そっか」


 あんまりドクトルの世話になるのも悪いので、本当に気をつけなければ。

 とはいえ、彼女に甲斐甲斐しく看病されたいという願望がないといえば嘘になる。


「どうかしましたか?」

「いいや? ……俺、どうかしてた?」

「変な所を見ながらニヤニヤしていましたので」

「……気にしないでくれ」


 良からぬ願望を抱いていたことを悟られないように、健人は顔を背けた。

 ボロが出る前に話題を変える。


「気温が下がってきているってことは、冬に向かってるってことでいいんだよな? 今って何月くらいなんだ?」

「時期的にもうすぐ七の月辺りだとは思うのですが……すみません、私も正確な日付を知らないのです。知るためには街で聞かないと」

「七月っていうと、俺の世界じゃ真夏なんだけどな。……いや、南半球だと真冬なのか。そもそも一年の日数が同じとも限らないし」

「この世界の一年は360日ですよ。それを十二で割って、ひと月が三十日になります」

「え、そうなんだ? 俺の世界も一年が365日だから、偶然ってあるもんなんだな……」

「いえ、おそらく一年の日数が近かったからこそ、ケントさんがこの世界に召喚されたのかもしれません」

「……どういうこと?」

「異世界から兵を召喚するための大前提として、この世界で普通に生存してもらわなければいけません。故に城の魔導士たちは、重力や大気の条件など、この世界と環境が近いケントさんの世界を選んだのだと思います。魔法で補うことも可能ですが、そんなところに手間をかけるよりは、すでに適応できる人間を呼んだ方が早いですから」

「だから魔法も使えない俺たちが召喚されたのか……」


 戦えることは二の次。何より最優先されるのは、この世界で普通に活動できるかどうかというわけだ。


 だったら同じ世界の人間でも軍隊か何かを選べばよかったじゃないかと思わなくもないが、城の魔導士もそこまで気が回らなかったのかもしれない。ま、今となってはどうでもいい話だが。


 健人が一人で納得していると、いつの間にかドクトルが暗い表情をしていた。


「どうかした?」

「いえ。ケントさんが巻き込まれてしまった理由をお伝えしても良かったのか、今になって迷ってしまって……」


 環境が似ていたから。健人がこの世界に来るに至った理由が、これだけ。


 こんなもの、不慮の事故に遭ったようなものだ。あまりにも理不尽である。だからこそドクトルは健人の気持ちに配慮するべきだったと後悔したのだろう。


 本当に優しい娘だな。と、健人は心の底からそう思った。


「いいよ。そのおかげでドクトルさんと出会えたんだし」

「そ、そう言ってくれると嬉しいですが……」


 頬を染めたドクトルが、照れ隠しにミルクを口にした。

 相変わらず可愛いなぁと思いつつ、健人もまた顔を隠すようにミルクを呷った。


 と、その時……彼は気づいた。気づいてしまった。今までの何気ない日常がすべてひっくり返りそうな新事実が頭を過り、健人は戦慄する。


 この世界の一年は360日。健人の世界の一年は365日。閏年を抜いたとしても、健人の世界の方が五日ほど長い。


 そしてドクトルは十八歳で、健人は十七歳。


 この前提を踏まえて計算すると、十七歳の時点で健人はドクトルよりも八十五日ほど長く生きているということになる。


 それはつまり……誕生日によっては同い年の可能性も出てくるのではないか?

 その可能性に至ってしまい、健人は驚きの眼でドクトルを凝視した。


「ケントさん、どうかしましたか?」

「……俺、どうなってた?」

「なんだか今にも笑い出しそうなくらい表情が緩んでいましたよ?」

「……だろうね」


 さっきと同じやり取りを訝しんだのか、ドクトルが首を傾げた。


 ただ健人としては、嬉しさのあまり内心穏やかでなくなってたりする。今まで年上だと思っていた女性が、場合によっては数日だけ年下の可能性も出てきたのだ。どうしても見る目は変わってしまう。


 しかしもちろんのこと、接する態度を変えたりドクトルに指摘したりはしない。これは健人だけの秘密として、心の中に留めておいた。


「そういえば今さらなんだけど、なんで最初、俺を年下だと思ったんだ?」


 実際に年下だとしても、わずか一個違いである。見た目で判断できるわけがない。特に異世界人である健人の年齢を顔つきで見分けるのは、かなり難易度が高いだろう。


 するとドクトルが照れたように顔を背けた。


「それは、えっと……なんとなく弟と似ているなぁと思いましたから……」

「なるほどなぁ」


 似ているというよりは、見も知らぬ男に対して弟のように接した方が精神的に楽だと、彼女が無意識に判断したのだろう。やっぱり、お互いの年齢については話さない方がいいみたいだ。


 とりあえず歳の話は置いといて、健人は天井を仰いでぼやいた。


「でも日付が分からないと不便だよなぁ」

「不便ですか? 私は特に不便だと感じたことはありませんでしたが」

「それは今までドクトルさん一人で生活してたからだろ? 日付が分かればさ、ほら、その時々の記念日とかも祝えるし」

「記念日?」

「誕生日とか。あっ、ドクトルさんの誕生日っていつ?」

「四の月の四の日です」

「ってことは、もう過ぎてるじゃん!」

「みたいですね」


 今が七の月辺りだというのなら、四の月は三ヶ月前。出会ってから三ヶ月など余裕で経過しているため、知らず知らずのうちにドクトルの誕生日を過ごしていたわけだ。


「もしかして誕生日を祝う文化が無いとか?」

「いえいえ、ちゃんとありますよ。ただ最後に祝ってもらったのが修道院にいた頃で、野戦病院時代やこの家に移り住んでからはまったく日付も気にしていなかったので、ついつい忘れてしまっていただけです」

「もう少し早く気づいてりゃよかったなぁ」


 祝いたかったと肩を落とす健人。

 そんな彼の内心とは対照的に、ドクトルはクスクスと笑い始めた。


「では来年祝ってください」

「来年も当たり前のように一緒だって思ってくれることは嬉しいよ」

「おや? ずっと一緒にいてくれるのではなかったのですか?」


 思い出した。前に一度、ずっと俺の側にいてくれとか言ったような気がする。

 まるでプロポーズのような自分の言葉に、今度は健人の方が照れてしまった。


「他に記念日といえば、そうですね……」


 そう呟いたドクトルの頭の上に、豆電球が灯った。


「私たちが出会った記念日というのはどうでしょう?」

「でも、日付が分かんないんだろ?」

「あの日は満月の前日でしたので、そこから割り出せば分かるかと。それと二日後には街に行ってますし、関所で許可証を発行した際に記録が残っているかもしれません」

「そういえばそうだったな」


 出会った記念日か。と、呟いた健人の頬がさらに緩んだ。先ほどのプロポーズという単語も合わさり、まるで新婚みたいだ。


「じゃあ今が何月何日なのかは今度街に行った時に聞くとして、忘れないように記録していかなきゃならないな。街へ行くたびに聞くわけにもいかないし」


 とはいえ、ただ一日ごとに数えるだけでは、無人島で過ごしてるみたいでどこか味気ない。何かカレンダーのような物がないかと訊ねようとしたところ、ドクトルが提案してきた。


「それなら、日記とかつけてみますか」

「日記か。いいね。何か書くものとかあるの?」

「はい。以前のお礼の品の中に、何も書かれていないノートのようなものがあったはずですので……」


 と言って、ドクトルが引き出しを開けた。

 羊皮紙を束にして綴じてあるだけの、あまり綺麗に装丁されていない冊子。中を開いてみれば、確かに何も書かれていない。元々メモ帳として作られた物のようだ。


「これ一冊?」

「ええ。なので、私とケントさんのどちらかしか書けませんが……」

「いや、普通に書くのもなんだし、なんなら交換日記でもしてみない?」

「交換日記?」

「一日ごとに交代で日記をつけていくんだよ。相手の日記を読むことで、お互いのことをもっとよく知ることができるんだ」

「相手の日記を読む、ですか……」


 低い声で呟いたドクトルが、ごくりと生唾を飲み込んだ。


 まあ、気持ちは分らんでもない。日記なんて自分が抱いた気持ちや秘め事を記すためのもの。基本的には誰にも読まれないことを前提としているのだ。交換日記という文化がないのなら、戸惑ってしまうのも理解できる。


 ドクトルの反応を見て、イヤならやめようか? と提案しようとした健人だったが、その前に彼女は何か思いついたように顔を上げた。


「せっかくですから、今日からやってみましょうか。私からでいいですか?」

「それは構わないけど……別に無理にとは言わないよ?」

「無理なんてしてませんよ。何事も挑戦ですから」


 そう言って、彼女は空のノートを嬉しそうに抱きしめたのだった。






 夕食後に日記を書き、寝る前に相手へと渡すことに決めた。


 なのでおやすみのあいさつの際に顔を合わせたのだが、ドクトルの頬がどことなく火照っているような気がした。たぶん日記を読まれるという行為が恥ずかしかったのだろう。特に気にするまでもない。


 自室に戻った健人は、ベッドの上に寝ころびながら早速ドクトルの日記に目を通した。


『×の月、×の日、晴れ

 本日は冬に備えて薪の備蓄を増やしました。ケントさんには薪割りをお願いし、私は森の中へ木の枝を集めに行きました。本格的に寒くなってくると沢が凍ってしまうかもしれませんので、なるべく貯水を減らさないよう明日から毎日少しずつ水汲みを行うことにします。よろしくお願いします』

「沢が凍るほど寒くなるのか……」


 このログハウスに移り住んでから少なくとも二回は冬を越しているドクトルの報告に、健人は戦慄した。寒さを凌ぐために準備をするなど、まるで冬眠でもするみたいだ。当たり前に暖房器具があった元の世界とは異なり、冬を越すだけでも命がけなのだろう。


 報告書のような味気ない日記はこれで終わりだった。


 まあ普段と特に代わり映えのしない一日だったし、他人に見せる日記を書くのはドクトルも初めてのようだったため、文章が素っ気なくなってしまうのも仕方がない。


 これから徐々に慣れていけばいいさと思い、日記帳を閉じようとする。とその時、同じページの一番下に矢印があることに気づいた。


「なんだ?」


 まるで早く次のページを捲れとでも催促するような矢印。まだ少しスペースが残っているはずなのに、わざわざ次のページに何か書いたのか?


 疑問に思いながら羊皮紙を捲ると、衝撃的な一文が視界に飛び込んできた。


『ケントさん、愛しています』

「ブハッ!」


 予想だにしない不意打ちに、健人は吹き出してしまった。

 口元を押さえながら、繰り返し繰り返しその一文を読み返す。


 間違いなく前のページと同じドクトルの字だし、他には何も書かれていない。そして読み間違いでもないだろう。


「えっと……」


 この気持ちをどう処理するべきか。

 悩みに悩んだ結果、ドクトルの真意を聞くため健人は立ち上がった。

 向かうはドクトルの部屋。高鳴る鼓動を押さえながら、扉をノックする。


「ド、ドクトルさ~ん」


 ずいぶんと情けない声で呼びかけると、中から眠たそうな声が返ってきた。


「なんですか?」

「ちょっと開けてもいい?」

「いいですよ」


 ゆっくりと遠慮がちに扉を開ける。

 パジャマに着替えたドクトルは、ベッドの上で不機嫌そうに身を起こしていた。


「どうかしましたか?」

「えっと……日記の次のページに書いてあったことなんだけど……」

「何か問題でも?」

「問題というか、どういう意図があるのかと思って……」


 しどろもどろになる健人とは対照的に、目を細めたドクトルは冷ややかな視線を寄こしてくる。そんなことで起こすなと、眼で訴えかけてくるようだった。


「どういう意図もなにも、私は自分の素直な気持ちを記しただけですよ。日記とはそういうものですからね」

「素直な気持ち……」

「そうです。それはそうとケントさん、私はもう眠いので文句があるなら明日にしていただけませんか?」

「え? あ、ああ、そうだな。ごめん……」


 突き放すような態度に気圧された健人は、そそくさと扉を閉めた。


 そのまま自分の部屋に戻ろうとするのだが、ふと気づく。ただ単に自分の気持ちを伝えたいだけなら、わざわざ次のページに書かなくてもいいはずだ。最初のページには、一文くらい追加できるスペースはあったわけだし。


 つまりはおちょくられたということなのだろう。ドクトルは健人の反応を見て楽しんでいたに違いない。


「くっそー」


 悪態を付いた健人は、次にどう復讐してやろうか画策しながら自分の部屋へと戻っていくのであった。






 健人が扉を閉めて出て行った瞬間、ドクトルの表情が氷解した。


 細めていた目尻は垂れ下がり、口元は今にも笑い出してしまいそうなほど震えている。心なしか頬が紅潮しているようでもあった。


 部屋の外の足音が遠ざかっていくのを確認した後、彼女は胸を押さえてホッと安堵の吐息を吐き出した。


「カーシャさんの言った通りですね。とても……ドキドキしています」


 ドクトルは今まで恋なんてしたことがないし、また語り合える友達もいなかった。故に健人と一緒にいる時に心拍数が上がる原因をカーシャに相談したのだが、もらったアドバイスを実行した結果がこれ。しかも……、


「文字で伝えただけで、ここまでドキドキしてしまうのです。もしこの気持ちを言葉にしたら……どうなってしまうのでしょうか」


 心臓の鼓動を確かめるように、彼女はギュッと枕を抱きしめる。


 そして健人に気持ちを伝えた時のことを想像してしまったのか、ベッドに顔を埋めたドクトルは足をバタバタさせながら悶え始めたのだった。

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