ドクトルさんの敵
『ドクトルさんの決意』よりも後の話。
ちょっと真面目な話。
街へ買い出しに行く際は、病院を借りて診療するのが習慣となっていた。
その日もドクトルは入院していた患者をすべて完治させ、病院を訪れた人々の治療に専念する。その間、医者の青年は宣伝のため街を奔走し、健人は一人で食糧などの買い出しを行っていた。
そして暗くなる前に森へ帰るというのが、定例化した行動パターンだったのだが……その日はちょっとしたアクシデントがあった。
ドクトルが病室で診察していると、外で待機している患者の列が騒ぎ始めたのだ。戸惑いの声は患者たちの間を伝染するようにして、徐々に大きくなっていく。
「なんだ?」
病室の端でくつろいでいた健人と医者の青年が顔を見合わせた。
患者の治療はそのままドクトルに任せ、二人は騒ぎの原因を確かめようと立ち上がる。だがしかし、彼らが病室を出ることはなかった。
患者たちの列を押し退けて、鎧を身に纏った三人の騎士が無理やり病室へと乗り込んできたのだ。
「な、なんなんですか! あなたたちは!」
狼狽した医者の青年が騎士の前に立ちはだかった。
とても戦えるような体格ではないが、自分の領域を踏み荒らされて頭に来ているのだろう。青年は怯むこともなく騎士と対峙する。
ただ騎士にとっては、青年の存在は障害にすらならなかったようだ。無感情な瞳で青年を一瞥すると、お前には用はないと言いたげに騎士は病室内を大きく見回した。
「どんな怪我や病気をも治す白魔導士がいると耳にしたが、ここがそうか?」
問うてはいるが、騎士の声音はすでに確信しているようだった。
視線を向けられているドクトルは、仕方なさそうに応える。
「私がその白魔導士ですが。どのようなご用件ですか?」
「我らが王がお呼びだ。一緒に城まで来てもらう」
「それは王様が怪我か病気をなされたということなのでしょうか?」
「…………」
騎士は答えなかった。
まあ、それも当然だろう。民衆が聞き耳を立てているこんな場所で、王の容体を暴露するわけがない。
騎士が黙り込みながら睨みを利かせていると、ドクトルは呆れたため息を吐いた。
「診察ならいつでも承ります。王様をこの病院までお連れしてください」
「ならぬ。王をこのような前線までお連れできるわけがなかろう」
「では、街の人たちの治療が終わるまでお待ちください」
「それもできぬ。今すぐ来い」
「…………」
騎士の高圧的な態度に、ドクトルは表情を険しくする。嫌悪感を露わにしているその顔は、健人も今まで見たことがなかった。
「ドクトルさん。ここは素直に従おう」
お互い譲らない話し合いに見かねた医者の青年が、ドクトルへと助言した。
味方であるはずの青年に諭され、ドクトルは眉の根を下げる。
「でも……」
「並んでる人たちには、僕から説明しておくから」
「……分かりました」
諦めたドクトルは、まずは病室内にいる人々に頭を下げた。
ただ困惑する人たちに比べ、健人もドクトルもそれほど取り乱してはいなかった。医者の青年が騎士の要求を呑んだのも、ある意味打ち合わせ通りだったからである。
この病院で治療を行うようになってからすぐ、医者の青年に言われたのだ。ドクトルさんの評判はいずれ権力者の耳にも入り、そのうち招致されるだろうと。もしそうなった場合、事をあまり荒立たせるようなことはせず、なおかつ嫌々な態度で従おうということは前々から話し合っていた。
「では行きましょうか、ケントさん」
「ああ」
健人に声を掛け、ドクトルは病院の外へ向けて歩を進める。
しかしその背中を騎士が呼び止めた。
「待て。その男は?」
「弟子です。彼も同行させなければ、あなたたちには従いませんよ?」
三人の騎士が目配せする。
答えはすぐに出たようだ。
「まあ、いいだろう。外に馬車を待機させてある。それに乗れ」
騎士に案内されるがまま、二人は同じ馬車へと乗り込んだ。
肩を並べてシートに座ると、ドクトルが物珍しそうに馬車の内部を見回した。
「ずいぶんと内装の凝った馬車ですね」
「賓客用なんだろ」
健人も二度ほどこの世界の馬車に乗ったことがある。
一度目は異世界人兵士として城から砦へと向かった時。そして二度目はドクトルとの取引材料として城へ移送された時。どちらも座席はなく、とても人を運ぶような造りはしていなかった。おそらく完全に荷物を運ぶための荷馬車だったのだろう。
騎士の乗った馬に挟まれるようにして、ドクトルたちの馬車も出発した。
しばらく進んだところで、ドクトルが健人の肩へと頭を寄せてきた。
「すみません。ケントさんまで巻き込んでしまって……」
「謝らないでくれよ。俺は何があってもドクトルさんについて行くって決めたんだから」
「……はい」
短い返事ではあったが、どことなく嬉しそうな感情が含まれているのが分かった。
「それに俺はドクトルさんを信頼しているし、もう覚悟もできている。ドクトルさんはドクトルさんで、自分が思ったように行動すればいいさ。俺のことなんか気にすんな」
「ありがとう……ございます」
本心から感謝を口にしたドクトルが、さらに健人へと密着する。
健人も彼女の身体を支えられるよう、優しく腕で包み込んだのだが……それでも彼女の身体は少し震えているようだった。
数時間ほど馬車に揺られ、ようやく城に到着した。
案内されたのは謁見の間だ。広々とした空間に、赤や金を基調とした調度品の数々。豪華絢爛な内装は厳かな雰囲気を醸し出し、それだけで来訪者を委縮させてしまう。が、健人は別の意味で舌を巻いていた。
この世界に来てから一ヶ月ほど城の内部で訓練していた健人だが、こんな煌びやかな部屋を見たのは初めてだ。彼が普段から寝床にしていたのは鉄格子が無いだけの牢屋のような部屋であり、食堂もまた色気も何もあったもんじゃない石造りの空間だった。
同じ城の中でも、ここまで格差があったとは……と、今さらながら驚いてしまう。
多くの騎士に見守られながら、ドクトルと健人はレッドカーペットの上を進む。その先にある玉座には、おそらく王であろう老人が無表情のまま二人を見下ろしていた。
ただ老人の姿を見て、健人は少し違和感を覚える。
老いてはいるが、怪我をしているようには見えない。それとも、見た目では判断できない大病を患っているのだろうか?
疑問に思っていると、前を歩いていた騎士が振り返った。
指示されるがまま、二人はその場で膝をつく。
「我らが王よ。どんな怪我や病気をも治せる万能の白魔導士をお連れ致しました」
騎士が報告しても、王はただ軽く顎を引くだけだった。無感情な視線はドクトルに釘付けである。
するとローブを纏った側近が二人の元へと歩み寄ってきた。
「さあ、王の前へ」
騎士よりかは幾分か丁寧にドクトルをエスコートしていく。
促されるまま立ち上がるドクトル。その背中について行こうとした健人だったが、やんわりと拒否されてしまった。
「貴方はそこで待っていてください」
「くっ……」
そう言うやいなや、側近は健人の側に立つよう二名の騎士に指示を出した。
別に拘束されているわけでもなければ、武器を見せられたわけでもない。だが向けられる威圧感は半端なものではなかった。一歩でも動けばすぐにでも首を刎ねられると感じさせられるほどだ。
その間にも、ドクトルは王の前で頭を垂れる。
と、側近が彼女へ訊ねた。
「治療をしていただけるとのことですが、診察はどのような方法でなされるのですか?」
「私は相手の手に触れるだけで、大まかな病状を診断することができます」
「ほお、手に触れるだけで……」
半信半疑といった感じで、側近が嘆息した。
すると王は催促されるまでもなく、自らの手をドクトルの前へと差し出す。ドクトルは恭しくその手を取ると、早速診察を開始した。
「……王様。腰を痛めていらっしゃるのと、少し肝臓が弱っておいでですね。お酒を控えられてはどうでしょうか?」
「本当に手を触れただけで分かるのだな」
「はい」
ドクトルが嘘偽りなく頷くと、王と側近が驚きの声を上げた。
「では、治療してみせよ」
「……はい」
高圧的な王の命令に、ドクトルは素直に従った。
ドクトルが治療魔法を施すと、ぼんやりとした光が王の全身を包んだ。その光に身を預けることにより、王は身体の節々から発していた痛みが消えていくのを実感する。
「おお……」
その瞬間、王は確信した。この白魔導士は本物だ、と。
そして一分もしないうちに、ドクトルは顔を上げた。
「完治しました。このまま他に悪い所がないか探し、あれば治療したいと思うのですが」
「うむ」
一番問題だった腰と肝臓が本当に治ったことで、王は気を許したようだ。再び診察を始めるドクトルの頭に向けて、少し弾んだ声で問いかける。
「娘よ。一つ訊ねたいことがある」
「はい、何でしょう?」
「お主は……人間を不老不死にすることは可能か?」
「…………」
希望すらも含んだ王の口調に、ドクトルは目を伏せた。
考え込むようにしばらく黙り込んだ後、彼女は正直に答えた。
「不死、というのは半分は可能です。私はどんな怪我や病気も治せますし、死んだ人間を蘇らせることもできます。しかし人間の寿命は生まれた瞬間から決まっています。寿命を迎えるまで健康な肉体を維持させることはできますが、定められた寿命を越えて延命することまでは私にもできません」
「そ、そうか」
王の表情からは、喜びと落胆の感情が半々に読み取れた。
無理もない。いくら万能な白魔導士といえど、いつか訪れる死の運命からは逃れられないのだと知ってしまったのだから。
「ただ……」
と、ドクトルは続けた。
「不老は可能です。怪我を治す際は『宝氣』で新たな細胞を作ります。つまり毎日魔法を施していれば、寿命を迎えるその日まで若々しい肉体を維持することはできるでしょう」
「な、ならば……」
「ですが」
王の言葉を遮るように、ドクトルは強い口調で言う。
「王様。申し訳ありません。若返りというのは人の倫理に反しております。故に私は治療目的以外で新たな細胞を作ることはありませんし、人を若返らせるような魔法は行いません」
「…………」
そう宣言するやいなや、王の顔が険しくなった。今にも罵声を浴びせるような勢いで、鬼の形相へと変化する。
だがしかし、喉まで出かかった言葉は何とか引っ込められたようだ。
代わりに大きく息を吐き出しながら、王はドクトルへと命令を下した。
「……まあよい。ならば娘よ、貴様はこの城に住まえ。我が寿命が尽きるその日まで、我のためにその白魔法を行使せよ」
「それは出来かねます、王様。私は城に住むことはできません」
「何故だ?」
「帰るべき家があるからです」
怯むこともせず、ドクトルは王の瞳をじっと見つめ返した。
王もまた、ドクトルの真意を見定めるように目を細める。
「後ろの男も一緒だぞ? それなりの待遇は約束しよう」
「それでもダメなのです。馬車を用意していただければ定期的に城へ足を運んで治療致します故、私を城へ住まわせるのはお諦めください」
「ならぬ」
王がさらに口調を強めると、健人の横にいる騎士が剣を抜いた。
膝をついて一部始終を見ていた健人の前で、二名の騎士は剣を交差させる。
「娘よ。貴様の白魔法は万能と聞くが、触れていなければ効果はないと耳にした。今一度言う。後ろの男を殺されたくなければ、城に住まえ」
「…………」
明らかに不利な状況ではあるが、健人もドクトルも取り乱しはしなかった。
健人は歯を食いしばったまま人質になることを受け入れ、ドクトルはやっぱりこうなったかと諦観するばかり。二人の表情に、焦りなどは一切ない。
なぜならこの困難を突破する方法は、すでに見えているのだから。
問題はドクトルに覚悟があるかどうか。否、覚悟はもうできている。
城に到着する前、馬車の中で交わした健人の言葉を思い出しながら、ドクトルは顔を上げた。
「王様……」
ドクトルが浮かべた笑みは、とても乾いていた。
「王様は、私の逆鱗に触れてしまいましたね?」
「なっ――」
王が絶句する。それもそのはず。診察のためドクトルに触れられている手が、何十年も年を取ってしまったように老化していたのだから。
「若返らせられるということは、その逆もできるということですよ」
「やめろ!」
叫び声を上げながら、王は慌てて手を引いた。
ドクトルは追い打ちをするわけでもなく、診察する体勢のまま乾いた笑みを向けるばかりだった。
その笑顔に恐怖すら抱いたのか、王が再びヒステリックに叫ぶ。
「こ、殺せ! その女を殺せ! こいつは魔王軍の領地に隣接している森に暮らしていると聞く! 魔王軍に与する前に、ここで殺してしまえ!」
王の命令に、すぐ側で待機していた騎士がドクトルの前へと歩み出た。
そして躊躇いもなく剣を振り下ろす。ドクトルは避けるどころか微動だにもせず、自らの命を奪う凶撃をただただ受け入れるばかりだった。
だがしかし――。
間違いなく首筋を捉えたはずの剣は、ドクトルの身体をすり抜けた。
同時に、後方で拘束されている健人の首が飛ぶ。
「はっ?」
ドクトルを除く、その場にいた誰もが状況を理解できず呆気に取られてしまった。
それも当然のこと。目の前の女の首を刎ねたと思ったら、刃も届かない無関係な男の頭が落ちたのだ。因果関係が結べず、混乱してしまうのも無理はない。
ただそこは王を守る近衛騎士。精神力も並ではなかった。
ドクトルが絶命していないと判断した騎士は、冷静に剣を引く。そして今度は心臓を目がけて背中から剣を突き立てたのだが……残念ながらまたもドクトルの身体をすり抜け、頭部を失った健人の胴体に穴が開いた。
「……無駄ですよ。私は死にませんので」
「ひっ」
ドクトルに睨まれ、さすがの騎士も一歩後退した。
数々のあり得ない現象を目の当たりにし、恐怖心を抱いてしまったのだ。
「馬鹿者! 何故その男を殺した! そいつは人質だぞ!」
現在の状況から一歩遅れて、王が叫んだ。
おそらく王は、騎士が健人の首を刎ねたと思ったのだろう。現状から無理やり合理的な結論に結び付けるとすれば、そう判断するほかない。どのみちドクトル以外で今の状況をしっかりと把握できている者など、この謁見の間には一人もいなかった。
玉座の上で縮こまる人類軍の最高権力者を目の当たりにして、ドクトルは感情を失くしたまま吐き捨てた。
「これではっきりしました。あなた方は私たちの敵です。以後、私たちには関わらないでください。もし次に同じようなことがあれば……容赦はしませんよ?」
踵を返したドクトルが、首を刎ねられた健人の元へと歩む。
絶命している彼の元まで辿り着くと、騎士の一人が剣を振り上げた。
「やめておきなさい。私は触れただけであなたを殺すことができます。もちろん、鎧の有無は関係ありません」
「ぐっ……」
ドクトルに睨みつけられ、騎士は苦渋に満ちた表情を浮かべて剣を収めた。
周りの騎士たちを近寄らせないよう牽制したドクトルは、転がっている健人の頭部を大事そうに抱えた。そして胴体の方へ寄せると、すぐさま復元魔法をかける。ほんの数秒ほど白い光に包まれただけで、健人は元の健康的な姿へと戻った。
目を覚ました健人に向けて、ドクトルは心配そうに声を掛ける。
「ケントさん、大丈夫ですか?」
「ああ、問題なさそうだ。……さすが王様の近衛騎士ってとこだな。一瞬で刎ね飛ばされたみたいだから、痛みもまったく無かったよ」
「よかった……」
健人の胸を借りて、ドクトルはホッと一息吐いた。
彼らの周りでは、見守っていた騎士たちがざわめき始めていた。もちろん驚きがほとんどではあるが、中には奇跡を目の当たりにして好意的な言葉を口にしている者もいる。彼女がいれば死んでも生き返ることができるのだ。命を懸けて戦う者としては、なんとしてでも仲間に引き入れたいことだろう。
だがしかし、ただ一人……王だけは憤死しそうなほど怒りに染まりきっていた。
彼は枯れ木のようになった手首を掲げながら絶叫する。
「殺せぇ! そいつらを殺せぇ!」
しかし誰一人として動こうとはしなかった。
彼女のおかげでウェルリア東区の砦を取り戻すことができたと耳にしているし、一緒に戦ったという兵士からも評判は聞いている。そして今の蘇生魔法も見せつけられた。
彼女は自分たちが敵う相手ではない……もとい戦って良い相手ではないと、騎士たちは理解しているのだ。いくら王の命令とて、このまま何事もなく帰ってくれそうな化け物に手を出そうとする人間は、ここにはいなかった。
「それでは、我々は帰らせていただきます。ちゃんと馬車は出してくださいね」
「帰すわけがなかろう! 捕らえろ! 早くこいつらを殺せぇ!」
王にはもう言葉が通じそうになかったので、ドクトルの視線は隣の側近に向けられていた。
そしてドクトルは返事も待たぬまま、健人と連れ立って謁見の間を後にしたのだった。
誰もが怪物を怒らせたくはなかったのだろう。催促することもなく、馬車はしっかりと手配されていた。
城から離れたところで、健人がドクトルに訊ねた。
「それで、ドクトルさん。俺の首が刎ねられてからはどうなったんだ?」
「すみません。私は王様を怒らせ、あなたは敵だと宣言してしまいました。勝手なことをしてしまい……本当に申し訳ありません」
「だから謝るなって。俺はドクトルさんの選択を全部尊重するって言っただろ?」
「……はい」
目を伏せて頷いたドクトルが、さらに健人へと身を寄せた。
ドクトルがどんな行動や選択をしようと、健人に文句はない。地獄の底までついて行くつもりだ。
ただ今回の覚悟については、どうしても聞いておかなければならないことがあった。
「俺はいいんだけどさ、その……弟さんは大丈夫なのかなって」
「え? ……ああ、弟のことなら心配いりません。たぶん大丈夫です」
「そうなんだ?」
「はい。私と弟が姉弟の関係であることは、あのガルディア兵士長しか知らないはずでしたから。今回のことで私の弟に罰が下ることはないでしょう」
「え、そうだったの?」
「私を脅す時、はっきり言っていましたもの。『お前の弟のことは俺しか知らない。他の兵士に聞いても無駄だぞ』って」
「それは本当なのかな」
「たぶん嘘はついてないと思いますよ。ガルディア兵士長は出世欲の強い人でしたから、私を利用するための材料である弟のことを他言するとは思えないんですよね」
確かに、今回だって街での評判を聞きつけて騎士がやって来たような印象だった。ガルディア兵士長が上に報告していたのなら、もっと早い段階で王の耳にも入っていただろう。
自分のことしか考えていないあの性格なら、他の人間に話していないのは間違いなさそうだった。
「それに私に弟がいること自体、普通に調べるだけでは決して辿り着くことができないはずです。そういう意味では、ガルディア兵士長ってけっこう優秀だったんですよ」
「まさか、こんな所で奴の名誉が挽回されるとは……」
「ふふ」
まあ、優秀……もといずる賢くなければ、あれだけ無能な指揮で兵士長まで昇り詰めることはできないのだろうが。
それから少し眠いと言うドクトルに肩を貸し、また数時間の道程を経て街へ戻る。街の入り口に降り立った頃には、すでに陽が落ちかけていた。
「さて、今日はどうしましょうか。もう診療できる時間ではないですね」
「どこか宿を借りるか、一旦家に帰ってからまた明日来るかだな」
「たまには街に泊まるのもありかもしれませんね」
笑い合った二人は、早々に今後の予定を決めた。
と、その時である。街へ入ろうとする二人の元へ、馬車から降りてきた御者が小走りでやって来た。
「す、少しお待ちください!」
あまりの慌てた様子に、立ち止まった二人は警戒しながら振り返る。
中年の御者はドクトルの前まで来ると、彼女に向けて恭しく頭を下げた。
「お嬢さん。この前は、本当にありがとうございました」
「えっと……何のことでしょうか?」
「ウェルリア東区での砦奪還作戦の時です。わたくしはあなたに命を救われました」
「ええっと……」
記憶の引き出しを開けるように夜空を仰いだドクトルだったが、どうやら見つからなかったらしい。御者の兵士を思い出すことができず、彼女もまた申し訳なさそうに軽く頭を下げた。
「すみません。兵士の中にはいなかったような気もしますが……」
「ああ、いえ、わたくしは精鋭ではなく、あの若造の兵士長と一緒に後から来た者です。奴の護衛で砦を訪れたはいいものの、無謀な突撃命令で魔王軍にやられまして……お嬢さんに生き返らせていただいた時には、すでに戦いは終わっていました」
「ああ、あの時の……」
魔王軍の補給部隊が撤退した後、ドクトルはガルディア兵士長以外の兵士をすべて生き返らせた。ただ肉体的にも精神的にもかなり疲弊していたため、治療した人間の顔までは覚えていなかったのだ。
ドクトルがウェルリア東区での出来事を思い出そうとしていると、御者の兵士が彼女の手を取った。
「本当に、本当にありがとうございました。あなたのおかげで、再び娘の顔を見ることができました。いずれお礼を言いたいとは思っていましたが、なかなかお会いすることができず……こんなに遅れてしまって、本当に申し訳ありません」
御者の声は涙混じりだった。
自分たちより二回りも年上の人の号泣に、健人とドクトルは困ったように顔を見合わせる。
「あの……顔を上げてください。あの戦いはむしろ、私がいたからこそ起こったようなものですから。私がいなければ、さすがに撤退を選択していたでしょうし」
「いえ、そんなことはありません。お嬢さんがわたくしの命の恩人であることには変わりがありませんし、何より人類の恩人でもあります。ウェルリア東区の砦を取り返さねば魔王軍の侵攻は止まらず、いずれ人類は滅亡していたでしょうから」
「はあ」
そんな大げさなと思いつつも、手放しに誉められたドクトルも少々照れ臭くなってしまった。
ひとしきり感謝の言葉を述べた後、御者は今来た道を帰っていく。
馬車の後ろを見送りながら、ドクトルがポツリと呟いた。
「人類軍は敵だと宣言してしまいましたが……少し早計だったかもしれませんね」
「……そうだな」
世の中には他人を利用しようとする人もいれば、命を救われたことでしっかりと恩を感じてくれる人もいる。人間の善悪は個人の一面性だけで推し量れるものではないと、二人の若者は学んだのだった。




