ドクトルさんとテーブルゲーム
時系列的にはエピローグの数日後
「……暇だ」
自分の部屋のベッドで大の字に寝転がったまま、健人は死人のように呟いた。
ドクトルに何か手伝うことがないかと訊ねても、何もないと一蹴される始末。当然だ。外は今、一瞬でずぶ濡れになってしまうほどの大雨が降っているのだから。
ザーッと途切れることのない雨音は、心地の良い眠気をもたらしてくる。しかし先ほどまでずっと昼寝をしていたためか、意識を失うまでには至らなかった。
久々の雨なので、貯水できるというメリットもある。けどまさか、雨の日がこんなにも暇を持て余すものだとは思わなかった。
元の世界のように、もっと娯楽があれば……。
「おっと。今のはダメだな」
健人は自分の意志でこの世界に残ると決めたのだ。今さら元の世界が恋しくなるようなことを考えてはいけないと、彼は煩悩を払うように頭を振った。
でも何か、暇を潰せる方法を考えた方がいいだろう。このままでは退屈死してしまう。
「……そうだ!」
微睡みを帯びた意識の中で、一筋の閃きが生まれた。
別にここは原始時代でもなければ、健人一人の孤独な生活を送っているわけでもない。さらには、この世界に存在しない知識も健人の頭の中に残っているのだ。
なら、作ればいいじゃないか。暇を潰せるものを。
思い立ったが吉日。ベッドから飛び降りた健人は、勇み足でリビングへと向かった。
『太陽石』の灯った薄暗いリビングの中、ドクトルは火のついていない暖炉の前で編み物をしていた。
「ドクトルさん。何か雑巾みたいなものはないかな?」
「雑巾ですか? そこの引き出しの中にたくさんありますけど……こんな雨の日に掃除をするんですか?」
「いや、ちょっとゲームでも作ろうかと思って」
「げーむ?」
オウム返しをしたドクトルが、不思議そうに首を傾げた。
だが健人は特に説明もせず、引き出しを開けて雑巾を確認する。
「……いい感じの大きさだな。ちなみにこれって切っても大丈夫?」
「ええ。構いませんが、あんまりもったいないことはしないでくださいよ?」
「大丈夫。一応、二枚しか使う予定はないから」
そう断りを入れてから、健人は雑巾をテーブルの上に載せた。
他に用意するのはペンとハサミだ。それらの場所は知っている。
そうして必要な物を集めた健人は、さっそく作業に取り掛かった。
一枚目の雑巾には、8×8のマス目を描く。もう一枚の方は切り刻み、マスの上に載る大きさのコマを64個作成する。さらに64個すべてのコマの片面にペンで黒く塗れば、お手製オセロの完成だ。
「ドクトルさん。ちょっといいかな?」
「なんでしょう?」
ぱっと顔を上げたドクトルが、編み物を中断してテーブルへとやって来た。
作業中、チラチラとこちらを気にしていたのは知っていた。ようやく呼ばれたとでも言わんばかりの足取りは、どことなく嬉しそうでもある。
「俺の世界にあるテーブルゲームを作ってみたんだ。二人で勝負するものなんだけど……やる?」
「はい。ぜひ」
前向きな返事を頂けたので、健人はほっと一息ついた。
今さらだが、ここまでやっといて断られたらどうしようかと思った。
「それじゃ、ルールを説明するね。初期配置はまず、中心に白いコマと黒いコマを互い違いに置く。次に自分の色を決めて、交互に手元のコマを盤面に置いていくんだ」
「ふむふむ」
「ただ、どこにでも置けるわけじゃない。自分の番で置けるコマは、盤面にある自分の色のコマを使って相手のコマを挟むようにしなければならない。俺が黒だとすると、初期配置から置けるのは四ヶ所のみ。で、置いた後は挟んだ相手のコマを裏返せるんだ。こうやって……」
説明しながら実践してみる。
黒色のコマを置いた健人は、挟んだ白いコマをひっくり返した。
「白が一つになってしまいました……」
「そんなしょんぼりしなくても……。次はドクトルさんの番だから、黒を挟むようにして置けば数が増えるよ。ちなみに斜めでも置くことはできるから」
「ふむ。では、ここなんかどうでしょう?」
そう言って、ドクトルは健人がやったようにコマを置いた。
どうやら今の説明で理解してくれたようだ。
「オッケー。これを交互にやってって、盤面が全部コマで埋まった時に自分の色の多い方が勝ちってゲームだ」
「ふむふむふむ」
自分の顎に触れながら、ルールを咀嚼するように盤面を凝視するドクトル。
真剣に考え込んでいる姿も絵になるなぁ。と、健人は和んだのだった。
「ちょっと待ってください。そのルールだと、コマを角に置いた場合は絶対に裏返せないと思うのですが」
「おっ、さすがはドクトルさんだ。いいところに気が付いた。角に置いたコマを裏返せないってことは、もうそのマスはその色で確定になるんだ。だからこのゲームは、いかに角を取るかにかかってるんだよ」
「いかに角を取るか……ですか」
ドクトルが再び盤面を見下ろす。
だが今度はそう長く黙考するわけではなかった。
「分かりました。ひとまずやってみましょう」
「よっしゃ」
そうして健人とドクトルの第一回オセロ大会が始まった。
先攻後攻はドクトルに好きな方を選ばせる。初めてやるゲーム……というか、もしかしたらテーブルゲーム自体が初めてなのか、序盤でも彼女は恐る恐るといった手つきでコマを裏返していた。
最初に健人が角を取るゲームと説明したからだろう。ドクトルは積極的に角を狙ってコマを置いていく。しかし最終的にコマの数が多かったのは、健人の持ち色である黒だった。
「俺の勝ち。まあ、こういうゲームだよ」
「…………」
ゲームが終わったのにもかかわらず、ドクトルはまっさらになった盤面を未だに見つめていた。どこに置こうか悩んでいる時よりも、ずいぶんと真剣に考え込んでいる様子。
しばらくは黙って見守っていた健人だったが、あまりにも長く考え込んでいるため、さすがに不安になった。
「もしかして、お気に召さなかったかな?」
「……いえ、楽しかったですよ。ちょっと考え事をしていただけです」
「考え事?」
「ケントさん。もう一度やりませんか? 次は勝ってみせます」
「ほお?」
次は勝つなんて、大胆なことを言いきったものだ。
健人もまだまだ子供心を失ってはない。次は勝つなんて豪語するのであれば、相手が初心者だろうが手心を加えるつもりはない。自信家の鼻を実力でへし折るのは、それはそれで気分の良いものだ。
「じゃあ俺も本気で行くぞ」
そう宣言して、意気込んだ健人だったが……、
残念なことに……、
二回戦の最終盤面は、ほとんどがホワイトで染まっていた。
「…………」
今度は健人が黙り込む番だった。
唖然としながら盤面を凝視する。どうしてこうなったのか理解できなかった。
するとドクトルが得意げな顔で解説してきた。
「最後に自分の色の多い方が勝ちという勝敗判定。自分の番では必ずどこかに置かなければならない。また、置く場所がなければ相手が続けてコマを置く。以上のルールより、序盤はあまり多くひっくり返さず、終盤で一気に逆転した方が有利になるのではと思いました。いかがでしょうか?」
健人は驚愕の眼差しでドクトルを見つめた。
確かにそれは定石だ。実際一回目の時も、健人はそれを意識していた。
けどまさか、たった二回でその結論に至るだなんて……。
未だ言葉を失っていると、ドクトルはしたり顔で鼻を鳴らした。
「ケントさんの表情を見るに、どうやら正解のようですね。こういう論理的な思考で解答を導くのは、昔から得意でしたので」
「そうだったのか……。いや、だとしても、やっぱりドクトルさんはすごいよ。二回目でそこまで辿り着けるなんて。普通じゃできないことだ」
嫌味でも皮肉でもなく、純粋に賞賛する。
だがしかし、彼女は何故か大きく口を開けて呆気に取られているようだった。
「え? えぇ、まあ、これくらいはできて当然です」
そう言って、ドクトルは照れ臭そうに視線を外した。
そのまま彼女は口を噤んでしまったため、健人としても会話に困ってしまう。
結局二人の間に気まずい雰囲気が漂い始め、オセロ大会は今の二戦で幕を閉じてしまうのであった。
再び自室のベッドに寝転がった健人は、ぼんやりと考える。
オセロ後、どうしてドクトルはあんなによそよそしくなったのか。
自分と遊ぶのが嫌だった?
……違うな。テーブルに呼んだ時、犬だったらまるで尻尾でも振りそうなくらい興味津々に近づいてきた。決して自分と遊ぶことが憂鬱だったわけではない。
オセロがつまらなかった?
……一回戦で負けた時は、盤面を食い入るように見つめるほどだった。お気に召さないわけではない、というのは決して嘘じゃないだろう。
俺が弱すぎたから?
……だったら勝った時にあんな嬉しそうな顔するかなぁ。
不機嫌というまでではないにしろ、彼女がよそよそしくなった理由に心当たりがない。一連の流れの中で、何がドクトルの感情に触れたのか。
「ドクトルさん。幼い頃はよく弟と一緒に遊んでたって言ってたんだけどなぁ」
あれだけ弟のことを想っているのだ。きっと仲が良かったに違いない。
となれば、彼女の弟の立場になって考えれば分かるのか? どうして姉は不機嫌になってしまったのか。その後、どうすれば機嫌を取り戻してくれるのか。
そんなことを考えながら、うつらうつらとし始める。
現実と夢が切り替わる瞬間、またも閃きが過った。
……弟?
「まさか……!?」
ドクトルの態度が一変した原因に合点がいった健人は、勢いよくベッドから飛び起きたのだった。
健人は再びリビングへと足を運んだ。
「ドクトルさん。もう一回オセロをやらないか?」
「もう一回、ですか?」
「ただ条件がある。本気でやってほしい」
真顔で言うと、ドクトルもまた神妙な顔つきで頷いた。
「……分かりました」
編み物をソファに置いて、テーブルの方へとやってくる。
見た感じでは、健人の申し出を煩わしいと思っているわけではなさそうだ。ただ最初みたいに興味津々というわけではなく、敗者のリターンマッチを受けて立つチャンピオンのような堂々とした足取りである。
なるほど。たった一回勝っただけで、もう自分は上に立ったつもりでいるのか。戦績としては、まだイーブンなのに。
その自信、今度こそへし折ってやる!
と、健人もまた気を引き締めてオセロに臨んだのだが……。
結果は当然のように惨敗だった。しかもさっきよりも白の数が多いような気がする。
「私の勝ち、ですね」
「…………」
まあ、最初から分かっていたことだ。ドクトルは頭が良すぎる。
ただ健人の勝負はここからだった。
勝ち誇るドクトルの前で、健人は自らの額をテーブルの上へと強打した。
「だー、何回やっても勝てそうにねえ。やっぱり手加減してもらえばよかったかなぁ。ドクトルさんは何でそんなに強いんだ?」
テーブルの上に伏せ、情けない声を上げる。
半分演技、半分本心だった。事実、自分とドクトルの間にこれほどの知力の差があるのは、ちょっと悔しいものがあった。
一通り泣き言を言ってから、ちらりとドクトルの顔を一瞥する。
彼女は……先ほどまでの微妙な感情を含んだ表情とは打って変わって、まるで迷い人を導く女神のような慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
「ふふふ。落ち込んでいても仕方がありませんよ。練習すれば、ケントさんももっと強くなれるはずですから」
そう言いながら、手を伸ばして健人の頭を撫でてくる。
ああ、やっぱりだ。と、健人は確信した。
ドクトルは、健人の距離を置いたような賞賛に戸惑ってしまったのだ。
幼い頃、修道院を出るまではずっと弟と一緒だったと言っていた。姉であるドクトルが母親代わりとして弟の世話をしていたのは、想像に難しくない。
だからこそ、今ではもう家族のような立場である健人に他人行儀な態度はとってほしくなかったのだ。弟は姉に気を遣ったりはしないのだから。
そう。ドクトルは間違いなく、健人を弟と重ね合わせて見ている。
褒められるよりも褒めたい。
慰められるよりも慰めたい。
姉として、弟と接する時には当然の心理だった。
自分が弟の代理なのは、ちょっと残念な気もするが……。
同時に健人は決心する。弟としてではなく、いつかは必ず一人の男としてドクトルさんに認めさせてやる、と。




