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02.少女の名前はドクトルさん

 さすがに説明不足だと感じた健人は、少女の後を追うことにした。


 身体に変な痛みが無いことを確認してから立ち上がり、少女が消えていった扉を開く。その先は、一家族が過ごすには十分な広さのあるリビングだった。


 真ん中にファミリー用の大きなテーブルがあり、椅子の数は四つ。角には煉瓦に囲われた暖炉と、その正面にソファーやロッキングチェア。その他チェストや書棚の上には、灯されていないランタンがいくつか置いてあった。


 電化製品が存在しないため、どうしても殺風景に見えてしまう。ただそれを抜きにしても、絵画や花瓶などの装飾品すら見当たらないその内装は『ただ住むためだけの家』というような印象を受けた。


 健人がすぐに追いかけたためか、少女の背中は目の前にあった。

 扉が開いたことに気づいた彼女は、振り向きざまに訝しげな声を上げる。


「……なにか?」

「いや、だから『なにか?』じゃなくて、もっと詳しく説明してください」


 健人が身振り手振りで力強く要求すると、少女は心底面倒くさそうなため息を吐いた。そして斜め下に視線を落としながら、健人の方へと人差し指を向ける。


「朝ごはんは食べましたか?」

「朝ごはん?」


 そういえばさっき、少女がパンとミルクをテーブルに置いたのを思い出した。


 当然だが、こんな短時間で食べられるはずはない。少女も分かっているはずだろうに、一寸のブレもない指先と何者にも屈しそうにない力強い眼差しは、健人の口から回答を強要しているようにも感じられた。


「いや……食べてないです」

「せっかく無償で提供して差し上げたのに、口にしないのは失礼ではありませんか?」

「…………」


 少女の不遜な物言いに多少なりとも苛立ちを覚えたが、言っていること自体は正論だ。しかも彼女は命の恩人。要求を蔑ろにするどころか、反論することなどできるはずはなかった。


 ただ一つ、健人にも譲れない部分がある。このまま部屋に引き下がり、一人黙々とパンを口に運ぶのは……さすがに情けない。


「こっちで食べてもいいですか? 食べながら話を聞きたいです」

「ええ、構いませんよ」


 未だ無表情を崩さないものの、少女はすんなり了承してくれた。

 先ほどの部屋に戻った健人は、パンとミルクの載ったお盆を持って戻ってくる。少女は粉ミルクの入った木製のコップにお湯を注ぎ、自分のミルクを用意しているところだった。


 彼女がテーブルの一角に腰を下ろしたため、健人はその対面に座る。


「椅子が四つありますけど、他にも誰か住んでいるんですか?」

「いえ、私だけです。それらの椅子はお客様用なので」


 素っ気なく返すと、少女は話題を拒むかのようにミルクを口にした。

 あまり芳しくない反応に憮然とした健人も、ちぎったパンを口に放り込んでミルクで流す。パンはともかく、ミルクは匂いが酷い。表情を変えないよう精一杯我慢したものの、この一ヶ月、城で飲んでいた物とほとんど大差なかったので慣れたものだった。


 とはいえ、こちらから話しかけないと少女が何も語らないことは目に見えていたので、健人は食べながら問いただした。


「さっきの疑問の続きですが、あなたが俺を助けてくれたんですよね?」

「先ほどもそう答えました。疑っているのですか?」

「疑うも何も、俺はこの世界に来てからまだ一ヶ月しか経っていないんです。魔法なんて数えるくらいしか見たことないし、知識すら城の賢者に与えてもらったものだけで……」

「ああ、なるほど。異世界からの転移者でしたか。どうりで顔の作りが違うと思いました」


 顔が違うのは、おそらく健人が日本人だからだろう。少女の顔は殊の外整っているが、元の世界でもどこかの国にいそうではあった。もちろん、健人はここまでの美人をテレビかネットの中でしか見たことがないのだが。


 健人が異世界人であると知ったためか、少女の口元が少しだけ緩んだような気がした。今までの不躾な態度にも納得がいった、とでも言っているようだ。


「この世界の白魔法をどのように聞いているか知りませんが、私の魔法は少し特殊なんです」

「特殊?」

「再生、回復、蘇生、復元、縫合、接合、除去、その他いろいろ、およそ『人体を治す』ことに限っていえば、なんでもできます」

「なんでもって……」

「なんでもはなんでもです」


 その言葉を耳にし、健人は思わず息を呑んでしまった。

 たった一晩で失った右腕を再生させ、ぐちゃぐちゃに掻き回された下腹部を完全修復させるほどの能力。しかも本人談では、蘇生もできるという。


 それはもう、神の領域に到達しているのではないか?

 いや、異世界だから――魔法だからそれが当たり前なのか? 少女は特殊と言ったが、もっと幅を狭めた専門家なら同じことが可能なのか?


 この世界に来てからたった一ヶ月、さらにほとんどの時間を戦争のための訓練に費やしてきた健人には、彼女の言葉を正確に分析することはできなかった。


「治療に関しては万能ってことですよね。なんでそんなことができるんですか?」

「できるからできる、としか言いようがありません」


 言いようがないというよりは、これ以上は語りたくないと言わんばかりに、少女は再びミルクに口をつけた。


 健人の話術では、その堅い口を緩ませるのは何百年かかっても無理そうだ。

 なので話題を変える。


「でも、そんなすごい魔法が使えるのなら、なんで戦場に行かないんですか? もちろん戦えと言ってるわけではありません。後方で救護するだけでも、いくつもの命が助かるはずです」


 話しながら、健人は次々に殺されていったクラスメイトを思い出していた。


 槍で胴体を貫かれる者、モンスターの爪で引き裂かれる者、攻撃魔法の爆発で四肢が吹っ飛ばされる者。確かに手遅れの奴もいただろう。しかし少女ほどの白魔導士がいたのなら、友人たちの多くは死なずに済んだかもしれない。


 すでに叶わない願いだと理解しつつも、健人の声に力が入る。

 だが彼の熱とは対照的に、少女の態度は冷えに冷え切っていた。


「では、どちらの陣営に付けばいいと言うのですか?」

「……えっ?」


 予想だにしなかった返答に、健人は間抜けな声を上げた。


「この世界では今、人類軍と魔王軍の二つの勢力が争っています。仮に私が戦争に参加するとして、どちらに加担すればいいと思いますか?」

「えっと……人間だから人類側じゃ?」

「魔王軍の中にも、少なからず人間はいますよ」


 それは知らなかった。もしかしたら、意図的に情報を与えなかったのかもしれない。

 とはいえ、魔王軍に加担する理由が無ければ人類側に加勢すべきだろう。それで救われる命があるのなら、少女は戦争に参加するべきだ。参加すべき……はずなのだ。


「…………」


 ふと、健人は違和感に気づいた。

 どうして自分は初対面の少女に戦争に参加するよう迫っているのだ? しかも自分が逃げ出した戦場へと駆り出すようなマネを。


 自分の発言が矛盾していることを自覚し、健人は眉間を摘まんだ。


「どうかされましたか?」

「いや。頭の中で、何か変な感覚が……」

「変な感覚? ああ……いきなり戦争参加を促してくるあたり、もしかしたら洗脳でもされているのかもしれませんね」

「洗脳?」

「城のやり方です。召喚した異世界人を物言わぬ兵士として仕立て上げるため、少しずつ催眠を施しているという話を耳にしたことがあります」

「そんな……」


 驚きの声を上げるも、健人には少なからず心当たりがあった。


 今思えば、城での生活はやはり異常だった。誰も逆らうことなく、それどころか最初の頃以外は愚痴すら漏らすことなく、淡々と城の奴らに従っていたのだから。


 健人が衝撃の事実に絶句していると、少女が深いため息を漏らした。


「あなたの素性は分かりました。大変な境遇にあるかとは思いますが、少し休んだら帰ってください。私は戦争には参加しません」

「え?」

「もちろん、魔獣に襲われないよう安全な場所までは送ります」

「そうじゃなくて……」


 正直な話、まさか早々に帰れと言われるとは思っていなかった。


 いや、健人はもう怪我人ではないし、ここは病院でもない。自分の家から出て行けという少女の要求は、妥当も妥当だった。


 だが健人の方とて、帰れない理由がある。

 肩を竦めた健人は、罪を告白するように呟いた。


「俺は帰れません」

「何故ですか?」

「実は、戦争の途中で逃げてきたので……」

「なるほど、脱走兵でしたか。だからあんな場所で魔獣に襲われていたんですね」


 ようやく合点がいったと言わんばかりに、少女は深く頷いた。

 気が緩んだことを好機と見た健人は、一気に畳みかける。


「なので、お願いがあります。ほとぼりが冷めるまで、俺をここに住まわせてください」

「はい?」

「図々しい頼み事なのは百も承知です。でも今言ったように、俺には帰る場所がないんです。できれば、命を救ってくれたお礼もしたいですし……」


 きょとんとする翡翠色の眼差しに向けて、健人は深々と頭を下げた。

 五秒ほど旋毛を晒した後、再三のため息が健人の耳に届く。


「はあ、本当に助けるんじゃなかった」


 あまり好意的ではないセリフに、健人はビクッと身体を震わせた。

 ただ彼女の口調は、どちらかといえば拒絶よりも諦めの方が大きいような気がした。


「……分かりました。いいですよ、寝床も余っていますし」

「本当ですか!?」

「今さら軍に帰れない異世界人の脱走兵を追い出したら、私の方が悪者みたいですから」

「ありがとうございます!」

「ただし、条件が二つあります」


 頭を上げた健人の目の前に、少女は指を二本立てる。


「一つは家事。家のお手伝いをしてください」

「もちろんです。なんでもやります」

「もう一つは、私に対して敬語を使わないこと。年下から敬語を使われるのは苦手なもので」

「…………?」


 普通、逆じゃないのか? 年上から敬語で話されるのは、健人としてもむず痒いものがあるから理解できるのだが……と思っている途中に、ふと気づく。


 今、年下と言ったか?


「えっと、おいくつですか?」

「私は十八です」


 まさかの年上だった。十七歳の健人ですら、二つくらい年下かなと思ってしまうほど彼女は童顔だったからだ。


「あとはお互いの名前ですが……申し訳ありません。あまり本名を名乗りたくはありませんので、私のことはドクトルとお呼びください」

「分かりました。……分かった。俺は笹岡健人。健人って呼んでください……呼んでくれ」

「ケントさんですね。よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしく」


 年上に対してタメ口慣れしていないためか、しどろもどろな自己紹介になる。その気恥ずかしさを隠すため、健人は握手を求めたのだが……この世界には握手する習慣が無いのか、少女は健人の手に気づかずミルクを飲み干したのだった。

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