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09.ドクトルさんとジャムづくり

 何か嫌な夢を見たような気がして、健人はゆっくりと目を覚ました。


 数日前からお世話になっている部屋は未だ暗く、室内は輪郭でしか捉えることができない。体内時間が狂っていなければ、そろそろ夜明けだろう。おそらく今は、ちょうど太陽が地平線から顔を出した頃合いだ。


 のっそりとベッドから身を起こす。特に暑いわけでもないのにシーツが寝汗で湿っていた。


「またか……」


 幾度となく繰り返し見る悪夢に、健人は肩を落とした。

 城の中で行っていた、地獄のような訓練。

 大義のない戦闘に駆り出された、本当の地獄。

 そして魔獣の餌となり、死の縁を彷徨った体験。


 脳裏にこびり付いているトラウマは、夢となって何度も健人に突き付けてくる。それはまるで今の安穏な生活を享受してはいけないと、目に見えない何かが警告してくるかのように。


「……いや、やめよう。考えない方がいい」


 独り言ちた健人は、悪い考えを振り払うように首を振った。


 ただ、悪夢のせいで沈んでしまった気持ちを切り替えるため、少し前から日課にしていることがあった。


 背伸びをした健人は、ログハウスの軒先へと足を運ぶ。薪木を削って作った簡易的な木刀を手にすると、徐々に明るくなっていく森へと向けて素振りを始めた。


 体力づくりの意味合いもあるが、主な目的は精神の安定を図るためだ。無心で何か単調な動作をすることで悪い思考を吹き飛ばせるし、運動により流れた汗は悪夢の嫌な寝汗を浄化させてくれるような気もする。今の健人には、まさにうってつけの日課だった。


 木刀を振った回数が三桁に達し、そろそろ数えるのが億劫になってきた頃、木々の間から差し込む朝日がようやく健人の手元を照らし始めた。


 そのタイミングで彼の背中に声がかかる。


「今日も朝早くから精が出ますね。ご苦労様です」

「ああ、おはよう」

「おはようございます」


 ログハウスの窓から顔を覗かせたドクトルが、盛大な欠伸をかました。


 気のせいかもしれないが、街へ買い物に出かけた日から、健人に対して少しずつ気を許し始めているような感じがする。出会った初日や二日目くらいの朝には決して見せなかった緩んだ顔に、健人も思わず表情が和らいだのだった。


「今から朝ごはんを用意しますので、少ししたら来てください」

「分かった」


 朝食ができるまでの時間を試算し、健人はラストスパートをかけた。

 素振りを終え、手洗い用の水瓶で汗を流す。さっぱりした顔でリビングへ向かうと、テーブルの上にはいつものようにパンとミルク、そして街へ行った時に買ったイチゴが食べやすいようにカットされた状態で食卓に並んでいた。


 ドクトルと顔を突き合わせて始まる朝食。水気のないパッサパサの不味いパンをちぎって口へ放り込んでいた健人だったが……そろそろ舌が限界だった。


「ドクトルさん。食べさせてもらってる身で、こういうのも悪いんだけど……もうちょっと味のある食事がしたいかなぁ……なんて」

「パンとミルクだけではなくて、ちゃんと果物も添えてあるではありませんか」

「それはそうなんだけどさ……」

「食事は栄養さえ摂れれば、それでいいんです。行き過ぎた欲求は身を滅ぼすだけ。贅沢は特別な日だけに許されるものなのです」


 すまし顔でパンを口に運びながら、まるで修道女みたいに説教を垂れるドクトル。


 ってことは街で果物を買った日は何か特別だったのかなと思いつつも、今日ばかりは健人も簡単には引き下がらなかった。


「行き過ぎるほど求めるつもりはないんだけどさ、例えばこのパンだって、せめてジャムとかあればもっと食事も楽しめるかなと思っただけだよ」

「ジャムは高いのでダメです」

「…………ん?」


 ジャムが……高い?


 街の中でも、瓶詰めされたジャムが並んでいる露店をいくつか見たはずだ。この世界にジャムが存在していないというわけではないし、高価な商品にしては取り扱っている店が多いような気もする。


 というか、そもそも……と、健人はテーブルの上にあるイチゴを一瞥した。


 果物を買うだけで贅沢しちゃいましょうと言うくらいだから、材料が高いのか? 買い物はドクトルに任せっきりだったため、健人には相場が分からなかった。


「……ジャムなら自分で作ればいいんじゃないか?」

「え?」


 パンをちぎるドクトルの手がピタリと止まった。

 そして瞬きも忘れた瞳で健人を見据えながら、喉から神妙な声を絞り出す。


「ジャムが……作れるのですか?」

「んん?」


 そりゃ材料があるんだし、作れないわけがない。


 何を驚いているんだろうと不思議がる健人と、喜び半分、疑い半分で呆気に取られるドクトル。お互いの認識が食い違っているためか、それ以上に会話が進まなかった。


「まさか……ドクトルさんはジャムの作り方を知らないとか?」

「し、知ってるわけありません。誰かが教えてくれるわけでもありませんし、ジャムなんて数えるほどしか口にしたことありませんから」


 拗ねたような恥じたような、顔を赤く染めたドクトルがそっぽを向いた。


 なるほど、元の世界でいうコーラみたいなものか。と、健人は納得した。製造方法を知らずに口にしている物など、いくらでもある。


「分かった。ちょっとキッチン借りるよ」

「え? ええ……」


 ドクトルの許可を得た健人は、テーブルにあるイチゴを持ってキッチンへと向かった。


 滅多に入ることのないキッチンは、ガスや電気がないだけで、健人の世界とあまり大差はなかった。異なるところは、パンを焼くための大きな窯があることくらいだろう。


「俺も料理ができるわけじゃないけど、さすがにジャムくらいは……」


 そう呟いた健人は、手に持っていたイチゴを鍋の中へと放り込んだ。分量は分からないので適当に砂糖を加えてからスプーンで混ぜ合わせる。


「えっと、火は……」

「こちらです」


 横で眺めているドクトルが手を振ると、指先からマッチ程度の火が灯った。それを炭で囲んだ藁へと移し、簡易的なコンロを作る。


 やっぱり魔法って便利だなと思いつつも、どう考えても電気やガスのコンロの方が実用的だったことに気づく。ドクトルが自分の世界のコンロを目にしたらどんな反応するのだろうか。などと、健人は場違いなことを考えてしまっていた。


 ともあれ、とりあえず今はジャムづくりだ。

 イチゴと砂糖の入った鍋に蓋をし、コンロの上に載せてからドクトルの方へと振り返った。


「一応、このまま待つだけだよ」

「えっ? ……イチゴを温めているだけですよ?」


 もちろん途中でかき混ぜたり、灰汁を取ったりもする。手順は大幅に省略しているが、ジャムづくりなんて概ねこんなものだろう。


「果物を加熱するという発想がありませんでした……」


 騙されているんじゃないかと言わんばかりの目つきで、ドクトルは沸騰し始める鍋を唖然と見つめている。今までの常識が覆されるほどの衝撃ならば、その反応も不思議ではないのだが……これくらいで驚いてる彼女に対し、健人は疑いの眼差しを向けざるを得なかった。


「まさかドクトルさんって、料理できないんじゃ……?」


 指摘されたドクトルが、ギクッと肩を揺らした。どうやら図星だったようだ。


 だが今までの食卓を思い返せば判ること。いつもの料理は皮を剥いて切っただけの野菜や干し肉だけだし、スープらしき物も出されたことはない。極めつけには、異様に小綺麗なキッチン。調理器具は整っているのに、あまり使われた形跡はないようだった。


 と、泳いでいた眼を健人へまっすぐ向けながら、ドクトルが必死に訴えてくる。


「パ、パンは焼けます!」

「ええ、毎日美味しくいただいております」


 健人の笑顔は、皮肉以外の何物でもなかった。


 かき混ぜたり灰汁を取ったりしながら、約三十分ほど鍋を加熱し続ける。すると蓋を取るごとに逐一鍋の中を覗き込んでいたドクトルが、歓喜の声を上げた。


「わっ、わっ、わっ! イチゴが溶けてきています!」


 嬉しそうにはしゃぐその姿は、まるで子供のようだった。

 しかも今の自分の立ち振る舞いに気づいていないのか、期待に孕んだ瞳を健人の方へ向けてくる。


「味見してみてもいいですか?」

「冷やした方が美味しいぞ」

「ちょっとだけですよ」


 煮えたぎるイチゴジャムをスプーンで掬ったドクトルは、リビングから持ってきた朝食のパンへと載せた。まだ熱いであろうそのジャムを強引に頬張った途端……彼女の顔が一瞬にして輝いた。


「ジャムです! これはジャムです!」

「英語の教科書みたいな感想をありがとう」


 とはいえ、ちゃんと出来たことへの安堵と、心の底から喜んでくれるドクトルを見て、健人の顔からも自然と笑みがこぼれたのだった。


「なんだ、なんだ! なんか甘い匂いがするぞ!」


 突然、第三者の声が響き渡った。

 声の方へ顔を向ければ、妖精のククルゥが窓の外からキッチンを覗き込んでいた。きっとジャムの甘い匂いに誘われ、気になって見に来たのだろう。


「ふっふっふ。ククルゥさん、我々は今、ジャムを作っているのです」

「ジャ、ジャムだとぅ!?」


 妖しげに笑うドクトルの激白に、ククルゥは涎を垂らしながら驚愕していた。


「いや、作ってるのは俺だけなんだけど」

「ケントさん。それは言わない約束です!」

「いつ約束したんだ……。っていうか、贅沢は特別な日以外ダメなんじゃ?」

「うっ……」

「食事は栄養さえ摂れればよかったんじゃ?」

「うう……」


 甘い物を前にして、ついさっき宣言したことも忘れていたようだった。


 まあ、主義主張を変えてしまうほど嬉しかったんだと、好意的に受け取っておこう。あたふたとしながら眼を泳がせるドクトルを眺めるのも楽しかったが、さすがに申し訳なくなったので簡単に謝っておいた。


「二人でなにを話してるか知らないけど! ククルゥもジャム食べたい!」


 招かれざる客は、無視されてご立腹のようだった。

 慌てて咳払いしたドクトルが凛と澄ました声で問う。


「ククルゥさん。差し上げるのは構いませんが、貸し一つですよ?」

「つくるぞ! ジャムを食べれるんなら、借りくらいつくってやるぞ!」

「はいはい。では、どうぞ」


 肩に止まったククルゥに、ジャムの載ったパンの欠片を渡す。冷やした方が美味しいんだけどなぁと心配した健人だったが、どうやら杞憂だったようだ。


「んんんまぁーい!!」


 顔を綻ばせたククルゥは、この上なくご満悦のようだった。


 さらにドクトルが、「そうでしょう、そうでしょう」とでも言わんばかりに得意げに頷く。ペットに餌付けしているというよりは、まるで仲睦まじい姉妹のようにも見えた。


 そんな上機嫌の二人を見納めた健人は、出来上がったイチゴジャムを空きビンへ移す。冷蔵庫がないため、水の中に入れておけばそれなりに冷えるかな、などと考えていると……手持ちのパンを全部ククルゥに渡したドクトルが、ふと健人の服を引っ張った。


「ケントさん。ジャム、美味しかったです。ありがとうございました」


 一寸の曇りのない感謝の言葉に、健人は照れ臭そうに頬を掻いた。だがこうまで直球にお礼を言われては、受け取る側としてもちゃんと応えねばならない。恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、健人は本心を口にした。


「まあ、店で売ってる物みたいな出来じゃないけどな。それでも、これくらいでその笑顔が見れるんなら安いもんだよ」


 言ってから気づく。先日と同様、今のはあまりに気障ったらしかった。


 元々こんなセリフを吐く人間じゃないはずなんだけどなぁと自己評価をしながら、健人はドクトルの反応を待つ。いつものように抑揚のない声で軽くあしらってくれれば、傷口が広がらずに済むはずだったのだろうが……あろうことかドクトルは、目を瞬かせながらポカンと口を大きく開けた後、不意に顔を背けてしまった。


「おっ? ドクトル、どうした? 顔がジャムみたいに真っ赤だぞ? 熱でも出たのか?」

「何でもないです! ……ケントさん。私はリビングで待っていますので、冷えたら持ってきてください!」


 そう言い残して踵を返したドクトルは、ククルゥを伴いさっさとキッチンから出て行ってしまった。絹糸のような髪の隙間から見える耳を、ほんのり赤く染めて。


「冷えたらって……ジャムの話だよな?」


 ドクトルの背中を呆然としたまま見送った健人は、無意識のうちに自分の頬に触れていた。

 火照った顔は、いつもより温かい気がした。

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