元魔王と世間知らずのエルフ少女
(ここまで来れば大丈夫か……?)
翌日の昼。
グインドールは木々の生い茂る森の中でようやく足を止めた。
人間の限界を遥かに越えた速度で走り続け、悪魔城から国境を2つ越えた場所まで来た。
ここなら"救世主"と出くわすことはないだろう。
(にしても……この身体、マジですごいな)
休憩も取らずに一日ブッ通しで走ったのに、体力にまだ余裕がある。
さすがは魔王の肉体だ。
いまだに信じ切れないが、魔王として転生したことは……現実だろう。
吹き付ける風の冷たさも、悪魔にとっての心臓である魔核の鼓動も、リアルに感じ取れた。
こんなことは夢ではありえない。
だが自分の頭の中にあるのは、プレイヤーとしてRPG『バイブリック・ファンタジー』を遊んだ時の知識のみ。
魔王グインドール自身の記憶や人格は残っておらず、なぜ転生したかは見当もつかない。
(まずは……状況を整理するか)
ゲームでの設定によると、この世界は創世の女神エルシアによって生みだされた。
地上では人間や亜人が繁栄して、地獄にはかつて神に敗れた悪魔たちが蠢めいている。
何百年かに一度、悪魔の『魔軍』が地上に攻め込み、そのたびに大戦争になっている。
グインドールは『魔軍』の現在の総指揮官だ。
ドラゴンのブレスでも傷一つ付かない不死身じみた肉体と、城を一撃で消し飛ばす圧倒的火力。
歴代魔王の中でも最強と謳われ、かの七大悪魔をも叩きのめして配下にした、地獄の覇者。
そんな魔王の侵攻に、地上の国々は連合を組んで対抗。
神に選ばれた"救世主"を育て、決戦に挑もうとしていた……。
(……そこで、俺が魔王に転生して。役目を放棄して、今にいたると)
これからどうするべきか。
地獄の部下のところに戻るのはナシだ。
太陽のない地獄は、少ない資源を巡って殺し合う修羅の土地だ。
そんなところに行きたくないし、ただの社畜の自分に悪魔の王が務まるとも思えない。
地上で暮らしたいが……侵略者である悪魔は、当然忌み嫌われている。
世界最大の国家・メディラーマ帝国は豊かで治安もいいが、対魔王連合の盟主国だ。
悪魔根絶やしを教義とする、神聖エルシア教国は論外。
穏便に過ごせそうな国はなかなか思い浮かばない。
どうしたものかと、悩んでいたところで。
甲高い悲鳴が耳に届いた。
(これは……女か!?)
声は前方、立ち並ぶ木々の奥から聞こえてきた。
考えるより早くグインドールは走り出す。
一歩ごとに大地を震わせるほどの、凄まじい脚力で駆け続けると、すぐ声の主が視界に入った。
「いや……いやぁ……」
地面に尻餅をついているのは、金色の髪と長い耳を持つ、小柄なエルフの少女。
人間でいえば年は16才くらいだろうか。
幼さの残る可愛らしい顔立ち。
一方で身体は肉付きがよく、特に胸が山のように膨らんでいる。
そんな少女の表情が、今は恐怖に歪んでいた。
少女の前に立ちはだかるのは、全長5メートルほどの巨大なモンスター。
アレは……マンティコアか。
ライオンを数倍大きくしたような肉体に、人間に似た頭部と、先端に大量の毒針が生えた尻尾を持つ怪物。
そこらの騎士では敵わない中級クラスの魔物だが、グインドールにゲーム通りの力があるとすれば、問題はないはずだ。
(……助けるか)
悪魔の姿のまま行けば、敵扱いされてしまうだろうが……。
擬態している時間はなさそうだ。
グインドールは超速で駆けて、少女とマンティコアの間に割って入る。
「え…………!?」
背後からエルフの女の子の驚く声が聞こえてくる。
そんな中、マンティコアはグインドールを敵とみなしたのか。
先端に毒針のついた尻尾を振り上げ、叩きつけようとしてくる。
(確か……こうすればいいんだよな)
城を出て移動している最中に、魔法やスキルの発動方法については、軽く試してある。
グインドールは片手を持ち上げ、短く告げる。
「深淵魔法――――『炎獄魔弾』」
地獄の悪魔だけが使える、強力無比な深淵属性の魔法。
その中でも最上級のものを発動させる。
たちまちグインドールの手の先に、炎の玉が生まれて……。
(って、おいおい!? デカすぎないか……!?)
直径5メートル……10メートル……15メートル……20メートル……!
炎の玉はどんどんサイズと熱量を増していく。
まるで小さな太陽だ。
これ以上はマズいと感じたグインドールは、完全に魔力を注ぎ終える前に、『炎獄魔弾』を発射した。
吹き荒れる熱風。
マンティコアは避ける暇もなく、一瞬で消滅。
地獄の魔弾は軌道上にある木々を焼き尽くし、なおも猛烈な速度で直進。
森に潜んでいたトロールも、ワーウルフの群れも、巻き込まれて蒸発していく。
やがて炎の玉が消滅した頃には、直線状の破壊痕が地平線の先まで伸びていた。
(威力ありすぎだろ……)
上空から見下ろせば、森全体が左右に両断されたようになっているはずだ。
魔王だから強いだろうとは予想していたが、ここまでとは思わなかった。
よほどの敵が相手でもない限り、最上級魔法は控えた方が良さそうだ。
(というかコレを上回るって、どんだけチートなんだよ救世主……)
ゲーム上では周囲の被害は描写されていなかったが……。
実際に戦えば、城そのものが消し飛びかねない。
救世主って、杖を振り上げるだけで海を真っ二つに割るような化け物だし。
グインドールがそんなことを思っていると、背後から声が聞こえてきた。
「あ、あぁぁぁ…………」
振り返ると、エルフの少女は地面に尻餅をついて、か細い声を漏らしていた。
人類の宿敵たる悪魔がいきなり現れ、あんな天災級の破壊を見せつけたのだ。
怯えるのは当然だろう。
安全な場所まで無理やり運んでから、とっとと退散するべきか。
そう考えていた時、エルフの少女が言葉を漏らす。
「す…………」
少女はガバッと立ち上がると、グインドールの手を握ってきた。
「すごいです! あんな大魔法、初めて見ました!」
どういうわけかエルフの少女は怯えるどころか、興奮した表情となっていた。
「わたしの使う魔法とは、全然違います! お強いんですね!」
「あ、ああ…………まあな」
だって魔王だし。
転生で勝手に得た力だから、自慢できるものでもないが。
「というか、悪魔が怖くないのか……?」
「え?」
「ほら……俺、悪魔だろ?」
そう言ってグインドールが、頭部の角を指差す。
少女はそんなグインドールの姿をじっくり眺め、納得した表情となった。
「言われてみれば悪魔みたいですね。でも、わたしを助けてくれた恩人さんです。怖くなんてありません」
「そ、そうか……」
語るプリシィの眼差しには怯えの色は一切なく、本当に怖がっていないようだ。
悪魔たちは過去に何度も地上へと侵攻して、そのたびに人類と激しく争っている。
圧倒的な力で、多くの人間、それにエルフなどの亜人も屠ってきた怪物だ。
(そんな悪魔をあっさり受け入れるなんて……物分かりが良すぎないか?)
グインドールの疑問をよそに、プリシィは顔を近づけてくる。
「わたし、プリシィっていいます。エルフです!」
ニコリと笑顔を浮かべて、エルフの少女――プリシィが自己紹介してくれた。
こちらも名乗るべきだが、魔王だと正直に明かすのは、さすがに良くないだろう。
「ええと……俺はグイドだ」
「グイドさん、ですね。よろしくお願いします!」
とっさに思い付いた偽名を口にする。
素直に応じてくれたプリシィに対して、罪悪感を覚えていた時。
プリシィの腹が、ぐぅぅぅ~~~っと音を鳴らした。
「腹、減ってるのか?」
「は、はい……」
さすがに恥ずかしかったようで、うつむいてしまうプリシィ。
少女の赤く染まった頬を、汗が伝う。
汗はそのまま顎から落下して、大きな胸の谷間へと衝突。
飛び散った汗の欠片が、乳白色の胸の丘陵を濡らす。
そんな光景に、中身が社畜童貞のグインドールはドキドキするしかない。
「と、とりあえず……飯にするか」
腹が減っては戦はできない。
まずは空腹を満たしてから、今後のことを考えればいい。
グインドールはそう結論付けた。
こうして元魔王は、世間知らずのエルフの少女を保護したのだった。
読んでくださってありがとうございます。
次話は明日、4/28(日)の22時頃に投稿予定です。