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太宰治  滅亡と自殺と自虐そして道化のファランドール 私の太宰治論  試論

作者: 舜風人



(注)あくまでも私の個人的な感想であり学術的に正当性があるかどうかは保証できません。







前説


いまさら?

私ごときが太宰治について論じてみても

正に「屋上屋を架す」

でしかないでしょう。

太宰治についてはこれまでいろんな論客が様々な論陣を張って論じていますし

それらの中には私も首肯できる論説も多いのです。

ですがこの際


どうしても

私も一言太宰について述べておきたいという

已むに已まれぬ衝動?に駆られてこうして


「屋上屋を架す」

という無謀な行為に出ることをどうかご寛恕くださいませ・



本論


太宰治とは、、

その本質とは


「生まれてすいません」という彼自身の「自虐ネタ」みたいな

言説に如実に表れているのではないでしょうか?


正に彼の一生を支配していたのはこの

「生まれてすいません」というこの言葉に集約されていると断言できるのではないでしょうか?


大葉葉蔵(人間失脚)も

大谷(ヴィヨンの妻)も

正に生まれてすいません型の主人公です。


そもそも処女作に「晩年」という標題をつける作家って何でしょう、

ということですよね?

処女作が「晩年」ですか?

もう終わってるってことでしょ?

太宰治にとっては


もう初めから終わっていたんでしょうね。

実際彼はこの処女作品集を

「遺書」?として書いた?というようなことをどっかで言ってますよね?


つまり彼の作家活動って遺書から始まってるんですよ。


彼の生い立ちは津軽の大地主の末弟として生まれ

長兄は国会議員でしたし

津軽の大名家.大旧家です。

かってその旧宅はのちに売り出されて買い取った方が

『斜陽館」という旅館に転用されて営業されてもいたのです。

こういう地方の旧家、名家といえばまさにあの

宮沢賢治がそうです。

花巻の大金持ちで旧家のせがれ、それが賢治です。


さて太宰の実家はそれ以上の名家です。

国会議員も出したほどの津軽の旧家でしたから。


でもそんな大名家に生まれた太宰(津島修二)は


幼い時からなんか違和感、、というか

引け目?を感じていた自意識の強い、、、というか

自意識過剰の少年でした。

この辺の思い出がのちに

「生まれてきてすいません」という独白にもつながったのではないでしょうか?

あるいは自分を「滅亡の民」とも自称していますね。・


幼い頃の彼は自分をわざと(・・・)「道化」て見せてその自虐でかろうじて

この自意識過剰を「てらい」と「作り笑い」でごまかしていたのです。

それが彼の保身術??だったのです。

そうすることでかろうじて世間と折り合いをつけられた?のです。

精神バランスを保てたのですね。


ここから彼、、、太宰の精神形成は、、

自虐

お調子者

道化

なまけ

卑屈

そういう抜け道へと鬱屈してゆくのである。


そういう道を究めることで

いつしか、、「マイナスの極致を超えると突然プラスに転じる」、

というよな滅亡願望というか


進んで滅びたい

というサトリ?に至ったのでしょうね。

それしか自分にはない、、というある種の思いこみ


そこからさらに


滅びへの衝動、、というか


すべては傾く、、衰亡する、、


進んで滅びたい、、という情念?


というような彼の哲学??が形成されたのでしょう。




☆人間失格



つまりその辺の事情は彼の大表作「人間失格」にも色濃く投影されていますね。

生い立ちから始まって少年期・青年期と次第に滅びの美学?というか滅びの哲学?

に、傾倒してゆくさまがまざまざと描かれたいます。

太宰自身も睡眠薬「パピナール」の常習者であり、依存症でした。

精神病院へ強制入院加療という前歴もあります。

太宰はこのころから自分を世間的は破産者、、として自覚していたようです。

そこから彼は

滅亡を希求し

進んで滅びる美学に心酔し

でもそういう心情はひた隠して、、



この物語の初めはこんな出だしから始まっている

「恥の多い生活を送ってきました」


主人公大葉葉蔵は東北の大地主の家に生まれた自意識過剰の少年期を送りそこで世間と折り合いをつける術を自得する、それが道化だった、

なぜか世間とうまく折り合いがつかない、世間が理解できない、

成年になると上京してそこで自堕落な生活を送りながら共産主義を知りまた売春婦も知る。

うらぶれた女給と自殺未遂、自分だけ助かる。その後純真な女と結婚、、、だが、それもあっけなく破たん。

モルヒネ中毒になりまさに俳人と鉈ッところでこの物語は終わる。


「いまは自分には、幸福も不幸もありません。

ただ、一さいは過ぎていきます。

自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした」

葉造の最後の言葉はこんな風に記されている。



世間的にはワザト、、道化て見せてその場を取り繕っていたのでないか?

そういう自画像として小説化したのが「人間失格」なのである。

正に世間的生活からドロップアウトした大葉、、という主人公に仮託して

太宰の自画像を描いて見せた?ということなのでしょう。


この小説の「あとがき」に


「この手記をつづった狂人を私は直接には知らない」

、、と、、見事に切り捨てて見せてはいるが


実はこの狂人こそ太宰そのものだったのである。



☆ヴィヨンの妻



あるいは「ヴィヨンの妻」において大谷という主人公(詩人)は常にこういう思いを抱いている

大谷はこういう。

「死にたくて、仕様がないんです。生まれたときから。死ぬことばかり考えていたんです。」





☆トカトントン


太宰の小品にこの短編がある。

私は「走れメロス」くらいしかそれまで読んだことがなくって

太宰ってのは、甘い理想主義の作家?くらいにしか思っていなかったのが

私が大学生のある日にこの短編に出会ってがらりと印象が変わったという作品でした。

すごく短いのでまあ読んでみてください。

内容は、、何か熱血でさあやるぞ、、と思ってやろうとすると

どこからともなく無味乾燥な、、「トカトントン」という音が聞こえてきて

それを聞くと全身からサーッと力が抜けて行ってしまって

もうなんであんなに熱気にはやってたのかしら、、と冷めきってしまう


という男の手記なのです。


このトカトントントン

というのは

まあ言ってみればすべてはむなしいのさ、、

というニヒルなサトリ?の音なのでしょうね。


そんなに熱血でやったってどうもならないだろ、


みたいな

そういう無常観


すべてはやがて滅亡するの差、、みたいな

斜に構えた、、ニヒリズム?みたいな

でもこういう経験って誰にもありますよね?

大学生の私は当時大都会の片隅で「苦学生」として

三畳一間のうらびれた下宿で

将来に希望もなくって

正にそんなときにこの掌編と出会って妙に共鳴したことをいまだに覚えているのです。






結語


「ろうそくは、、燃え尽きる寸前が、、もっとも、美しく輝く」


その言葉を太宰治にささげたいと思います。


滅びの美学


滅亡の美しさ


それが太宰治文学のすべてなのですから、、、。


































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