非なろう異世界
ゴブスレとグリムガルで答えは出てる。異世界でなろうと色を変えたいならああつくればいい。共通項は、陰惨な世界観をそのまま反映させるとなる。ダークファンタジーとなる。転生転移が重要じゃないのは、グリムガルを見れば分かる。そこには多分ある程度の以前話した読者の主観的リアリティを満足させる部分が必要になるだろう。
そのあたりは難しい、設定のリアルさと登場人物の思考のリアルさは全く違うから。こっちは補助的になる、基本設計が違う。俺YOEEEでは無い。ゴブスレを見ると、なろうっぽさは俺TUEEEというシンプルなものじゃない。ひたすらゴブリンを狩るというのが俺TUEEになってる。そのバランスを取ってるのが、数になる。基本一人で多数のゴブリンを狩るからがかなり大きい。
だがそういったもので俺TUEEEを表現してるなろう作品は皆無になる。結局なろうらしさはそういったシンプルなものじゃない。こういった違いは何故出来るか?まおゆう、ゴブスレ、リゼロはすべて一つの共通項がある。ネット小説だが、特定の場所がきっかけで生まれたものになる。リゼロは参考にした程度らしいが、口の悪い人はパクリとも言う。
何がその軸になってるのか?は分からないが、私はその場所詳しくないのであまり突っ込みたくない。ただ言えるのは多数派の全員参加ランキングで選ばれたとかそういうタイプじゃない。リゼロはその後選ばれるのだが、そのあたりはややこしいのでやめておこう。リゼロは異色過ぎる。ただまおゆうはなろうの現代知識物の典型となってるが。覇王がそれを受け継いでいる。
覇王は身体的チート能力への批判から生まれている。その結果がなろう作品よりなろうらしい作品になってる。この点も俺TUEEEや転生転移でなろうを理解しようとしてもずれてる点だと思う。かといってまおゆうも違うから場所が重要じゃない。ゴブスレとグリムガルを見て、違いを見つけるしかない。
ただ問題は、結局異世界だって点。ゴブスレの問題は同時期にゴブリンの多発による馬鹿馬鹿しさになる。幸い食傷感にならずに、ゴブスレが毛色がかなり違うのでギャグとして受取ってもらえた。それでも私は異世界から抜け出さないと今のなろうのイメージを脱却するのはむつかしいと思う。
じゃ何故異世界をそのままになんとか色を変えたいと思うか?なら問題がテンプレにあると言う単純な見方のせいだと思う。何度も書くがそれは分かってない。複数のテンプレを細かく発展させて同時展開するから多様性が生まれるのであって、非テンプレが多様性を生むのじゃない。
ゴキブリと人間と言うまったく違う選択肢を取った生存競争の覇者が多様性を担っているのであり、生態系と言う意味ではゆがみとして捉えられるが、創作においてはそれで十分である。なろうがどれほど危機的に偏ってるか?これでも分かると思う。テンプレを否定するのではなく、別のタイプのテンプレを創らないといけないと考えないとなろうは変わらないし、それが本道だと思う。
良くある話だが批判は良いから、代替案を出せとなる。グリムガルやゴブスレは確かにテンプレではないが、何か共通項を全く違う場所で生まれたのに感じる。おそらくなろうの中ではそれらが人気になったら大きなジャンルに成るだろう。ただなろうのイメージ自体は代わらないと思う。私はその点外に向けて異世界を脱却し無いと駄目だと見ている。
方向性設計図自体はものすごく簡単だと思う。モデル作品がすでにあるから。問題はこの2つなろうで人気なるものを創れるか?となる。リゼロはその点すごいとは思う。ああいったものが作家の高い能力なんだと思う。もちろんリゼロも所詮は異世界好きってマニア刺激を利用したものでしか無い。
私は以前から、異世界以外だと根本はエロゲにありがちな流れだと書いた。だが異世界をきちんとネット小説的に繋げる事によって現代的な流れの刺激を生んでいるそこにリゼロの上手さがある。だが大半の刺激は古臭いゼロ年代のループ物の流れだと見ている。根本的にあれは面白さ自体はなろう的異世界に全く無くてジャンルが違う。
根本的には異世界以外でなろうを変えると言うのは批判的だが、それでもテンプレを取りあえず壊したいなら、この2作品をモデルに創れば一番良いだろう。リゼロはお勧めしない。何故なら共通項が無いからになる。場所的には共通項があるはずなのだが、それを言うならグリムガルとゴブスレは全く産地が違う。ナノに同じ産地の3作品より、ゴブスレはグリムガルの設計思想の方が近い。
グリムガルのなろうテンプレとの違いは、戦闘スタイルと、主人公の精神性ですぐ非なろう系を作れるだろう。私はもちろん創らない。何故ならそもそも異世界に批判的で、かつ私はそれらの根底にあるノーストレスに着目してるからになる。この言葉を避けていたのは、なろうの異世界ジャンルはノーストレスで綺麗に語れない。
だがグリムガルとゴブスレとなろう作品をわける決定的な差は多分そこにある。私はノーストレスを現代者に持ち込みたいのだ。なろうの異世界以外の片翼を利用したいが、異世界はその辺り雑でも成立する。じゃ何故ノーストレスを軸にしたのか?ならなろうはそのバランスが繊細すぎて、設計図を描けない。
だから私はなろうをノーストレスで切り取るのに批判的なんだ。だが、グリムガル、ゴブスレはむしろストレスフルこそがキーであり、ネガなストレスを創る事に主眼が置かれていて、これなら設計図を作るのはさほど難しくない。なろうはノーストレスを意識して作っても、そうとは言えないバランスを欠いた作品に余裕で上位を取られてしまうだろう。
グリムガルやゴブスレと言った作品ほど徹底して意識し無いと、このあたりは異世界という枠が重要で、異世界ファンタンジージャンルにおいて、ノーストレスはあまり価値にならない。漠然とした特徴と、実際どうやって作るか?を考えた場合、そこには大きな大きな溝がある。ノーストレスを意識して作っても多分ランキングにそれが反映される効果があまりなろうでは期待できないと書いておく。
さて問題はだ、どう創るか?はさほど難しくない。何故なら異世界ジャンルは特別だからだ。だから私はそれじゃ駄目だと何度も書いてるんだ。結局なろうが衰退する可能性があるのは、特定の作品しか無いから、それ以外の人がイメージを作ってしまって取り込めないからだ。それはテンプレじゃない。異世界というジャンルの方が問題なんだ。
なろうがこうだってイメージを壊すにはゴブスレやグリムガルじゃ駄目なんだ。ただこれは将来的で当面の問題はそこには無い、当面の問題は、それ受けるか?って話しになる。グリムガルやゴブスレってやっぱ能力が高いんだと思う。どうもなろうって数は多いが、そういう力のある作家がいるのかな?が疑問。
これは単純に作家の能力じゃない。そういった陰気で辛気臭い話をPT取れるように書ける能力の人がいるなら、もっと前から出て来てないか?って話しになる。その点私はその方向性はどのみち悲観的だ。
そもそも私がズット提唱してるのは、無料の価値を生かせと書いてるんだ。誰もが商業作品をモデルに創るから新しいものが生まれないんだ。そのレベルを落としたら多分今の作家でも作れる。何故商業作品の枠に囚われないといけないのか?そこが駄目だと思ってる。商業作品も大半は売れてないんだ。
狭き門は読者が読みたいものから発想されてるから狭いんだ。読者が避けたいものをまず重視して、読者が読みたいものはまずは後回しにしたほうが良い。これを読めばあなたは取りあえず避けたいものの選択の苦痛から解放されるってブランド創りこそがまずは重要だと見ている。見たいジャンルじゃなくて、避けたい作品が無いブランドを創るべきだ。