道具屋 佐藤1
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「ありがとうございましたぁ」
サユリが最後の客を送り出す声を、佐藤はカウンターの裏の椅子に腰かけてテレビを見ながら聞いていた。壁にかかった時計を見る。六時四十分になっていた。カウベルの音と同時に、右脚の痛みを堪えながら膝に手をついて立ち上がる。
「お疲れサン」
「パパ、ゴミ捨てといてよ」
はちきれそうに突き出た腹を擦りながら、レジに立ったサユリがいった。
「オーケー」
サユリは、腹の膨らみが目立ちはじめたあたりから、佐藤を名前ではなく、パパと呼ぶようになった。何となく違和感があったが、親子ほど年の差が離れているのと、あと二か月で実際にパパになるわけなのでそのままにしてある。もっとも客のほうはパパの意味を取り違えているほうが圧倒的で、何度も『娘さんですか』と訊かれた。最初のころは否定していたが、いちいち訂正するのも面倒くさくなり、今ではこちらのほうも勘違いされるまま、そのままにしてある。
生ごみとその他のごみの入ったビニール袋を両手にぶら下げ、店の裏手に向かった。両側に冷蔵庫やコーヒー豆を保管してある細長い通路を抜け、裏口の扉を開く。暖房のきいた店内に夜の冷気が吹き込み、息が白く曇る。タンクトップでむき出しの腕に鳥肌が浮くのがわかった。脇に置いたポリバケツの中にビニール袋を突っ込んでから、今年のゴミ回収は何日が最後だったか、などと思った。
「佐藤さん」
突然、背後から声を掛けられた。顔だけで振り返ってみる。誰もいない。
「ここだべ、こっち」
想定より低い位置から声がしたので視線を下に向けた。紺のニット帽に紺のジャンバー姿の、小柄で痩せた男が佐藤を見上げていた。
「ああ、彦根サン」
彦根三郎。別名〝飛び彦三〟と呼ばれている現役最高の腕を持つ泥棒だ。佐藤は彦根に向き直り、素早く左右に目を巡らせた。
「どうしたんデスか、こんな時期に」声を潜める。「お仕事のほうは?」
「その件で、話があんだわ」
眉が薄く、剃刀で切りこみを入れたような細い目でじっと視線を合わせてくる。日本人はもともと表情が読みにくいが、彦根の場合は特にそうだ。
「まあ、どうぞ入ってくだサイ」
彦根の背後に回り込み、背中を軽く押した。彦根が店に入るところを周りの視線から遮る目的もあった。
店内ではサユリが十あるテーブルの真ん中の席で電卓を叩いていた。売り上げを集計するときのいつもの光景だった。佐藤の後ろから彦根が入ってくるのを見て、少し目を大きくしたが、すぐ笑顔になって小さく頭を下げた。
「ちょっと奥ね」
佐藤はサユリにウィンクをしながらカウンターを出て、店の奥の扉を開いた。
「どうぞ、適当に座ってくだサイ」
彦根はきょろきょろと顔を巡らせながら、ソファに腰を下ろした。
「何か、この部屋だけ雰囲気が違うべな」
沈み込むクッションが居心地悪そうに尻をずらした。
「パーティールームです。常連客の皆さんに貸し切りで提供していマス」
「なるほど、だからカラオケなんかもあるんべや。壁も鏡張りだし――」口元が歪んだ。「何となくスケベな感じだべ」
彦根のその顔がどうやら笑っているらしいと気が付くまで、数秒を要した。
「何か飲みますか」
「ビールもらってもいいべか」
「オッケーです」
冷蔵庫から瓶ビールを取り出し、コップをふたつ手にして部屋に戻った。