飛び彦三2
「お前もそれを狙って入ってるんだろうが。惚けてんじゃねえぞ」
「あの……梶谷さん、いったい何だべか」
「何だよ。何だって何だ」
梶谷が煙草に火を点けた。いったい前の煙草をいつ消したのかもわからなかった。
「いや、その」三郎は尻をずらし椅子に座りなおした。「何か、いいたいことがあるんじゃねえべかな、と思って」
「いいたいことか」にやりと笑った。「ここにゃ、お前らの欲しいモンが沢山あるぞ、ってことだ」
「はあ、そうですか」やっぱり訳がわからなかった。
梶谷が椅子に背を伸ばし、脚を高々と組んだ。
「お前、今日はもう帰っていいぞ」
「えっ、いいんですか」
「ああ、構わねえよ。ただし――」上を向いて煙を吹き上げた。「ここにお宝が溢れてるってことを、お前の仲間に広めろ。それが条件だ」
「はあ……、はい」
難しいことではなかったが、それではこの家への侵入者がますます増えてしまうのは、火を見るより明らかだ。金があるとわかっていて侵入を試みないプロはいない。腕に自信がある奴なら尚更だ。
「でも、何で……」
「いいんだよ。最初にいったろ、ここのギャラは凄くいいんだ。だからお前らみたいなのが、それこそ引きも切らずに来てくれたほうが、俺達の立場も安定するってもんだ」
ははあ、と三郎は椅子にもたれた。いかにも梶谷の考えそうなことだ、と思った。
「そうなんべか」
「もうデカじゃねえんだ、検挙率なんて関係ねえ。とにかくお宝が守られてりゃ、問題ないわけだ」
「でも……」
「大丈夫なんだよ。この家にゃ誰も入れねえし、何も盗めねえ。事実お前だって、庭に忍びこむのが精一杯だったろうが。長年、窃盗犯専門のデカやってりゃ、それくらいわかんだよ」
「……だべな」
屈辱的だったが、いい返すことができなかった。
「いいか彦三、俺がこんなこといってたって、他でベラベラ喋るんじゃねえぞ。いっていいことと、まずいことをちゃんと理解できるってのが、長生きのコツだ」
梶谷のいい方は、ほとんどヤクザと変わらなかった。昔から柄が悪かったが、刑事を辞めて完全に本性を現わした。
「いいか、ちゃんと広めろよ。ここに金は唸るほどあるってな」
「……はい」
「何だその顔。逃がしてやるっていってるんだ。何が不満だ」
いえ、と三郎は首を横に振った。
「よーし、なら最後にいいこと教えてやる」梶谷が椅子から立ち上がり、テーブルを回りこんで三郎の横に立った。腰を折って顔を近くに寄せてくる。「ここにはなあ、現金が二十億円あるんだ。もちろん表の金じゃねえ、全部盗んだ金だ」
えっ、と横に顔を向けた。思いのほか、梶谷の顔が近くにあったので三郎は思わず上体を引いていた。
「二十億ですか」
「おお、驚いたろ」
言葉にならなかった。想像をはるかに上回る金額だった。
「どうだ、広める気になったか。それともお前が、もういっぺん来るか。そのかわり今度は見逃してやらねえがな」
「いえ――」
三郎が答えると、満足そうな笑みを浮かべながら梶谷が腰を伸ばした。煙草を喫いながらじっと三郎を見下ろしている。
視線に尻のあたりがこそばゆくなり、三郎は椅子から腰を浮かせた。
「あの……じゃあ、オイラ、もう行ってもいいべか」
「おお、行け。おい、コイツ外まで送ってってやれ」
痩せた男が三郎の腕を掴んだ。結局、この男の名前を聞けなかった。
扉を開けたところで、おい、と梶谷に呼びとめられた。肩越しに顔を向ける。
「そういや、お前と同業でいたろ、ほら何てったかな……」梶谷が額に手を当てた。「ほら、穴掘って金庫破る奴、狸の……」
「〝狸穴の光〟さんですか」
「おお、それだ、それだ。アイツならできんじゃねえのか」
〝狸穴の光〟は〝笹蟹の昌〟と並び称された大泥棒だ。金庫破り専門で『奴なら日本銀行でも破れるんじゃないか』といった刑事がいたとか、いないとか。
「もう、あの人も引退してんべよ。どこで何してるかもわかんねえし、ひょっとしたら死んでるかもしんねえす」
「そうか、そりゃ残念だな」
本当に残念そうに、梶谷は顔を歪めた。
すんません、と頭を下げ、三郎は外に出た。
(まったく……何考えてんべや)
ため息といっしょに、心の中でごちた。