殺し屋 須崎2
須崎は立ち上がり、天井に設置された監視カメラを見上げた。赤いライトがちかちかと点滅している。フロアの中は静まりかえっていた。レンズの向こうから息を潜めた視線を感じていた。
身体の向きを変え、階段を駆け上がった。三階にたどり着く寸前で身体をかがめ、前方回転して立ちあがった。火薬の臭い――。
瞬間、須崎はうつ伏せになって床を転がった。サイレンサーをつけた銃声が二回続き、弾けたカーペットの欠片が頬をかすめた。
すぐに立ち上がって横に飛んだ。空中で左右に目を動かす。視界に三人の男が入った。真ん中に木村、隣に立った黒っぽいスーツの男が拳銃を構えている。銃はひとつか。
銃声、背後で何かが弾けた。肩から落ちる直前、ナイフを投げた。ヒット。
男の手からこぼれた銃が、フローリングの床を回って右のほうに滑っていく、木村が銃を追いかける。床を蹴ってすぐ立ち上がり、ヘッドスライディングして木村が掴みかけた銃を奪った。体制を立て直し、膝立ちになった木村の頭に銃口を向ける。
木村と男二人に視線を素早く巡らせた。拳銃を持っていた男はナイフの刺さった肩を左手で押さえ、スーツの袖から血がしたたり落ちていた。その隣で二メートル近い大男がこちらを睨んでいた。
ここで初めて須崎は、周りを見まわした。広い部屋だった。仕切りがなく、フロア全体がひと部屋になっている。真ん中にソファが置かれ、書棚、大きな液晶テレビ、サイドボード、壁には大胡総業と大総組の文字の入った提灯が交互に並び、神棚が設置されている。暴対法施行後、すっかり見なくなった典型的なヤクザ事務所の光景だった。
「お前、ヤクザじゃないな。殺し屋か」
声に視線を戻した。木村が須崎を見あげていた。オールバックの髪、口の横から頬に走る傷痕。シルクのシャツに黒いカーディガン。はだけた胸元から青い刺青がのぞいている。目に怯えの色はなかった。
大総組は構成員が二十名ほどだが、大胡総業内ではイケイケの武闘派といわれているらしい。そこを束ねているわけだから、さすがに度胸はありそうだ。五十二歳だと聞いていたが、実際はもっと若く見える。
「誰に頼まれた。池田か?」
須崎は答えず引き金を引いた。弾かれたように木村が仰向けに倒れる。天井を睨むように目を見開いたまま、額の穴から血がだらだらと流れていた。これで十人。
拳銃を握ったままの腕を下ろし、残りの男たちに顔を向けた。
「待て、撃つな」
黒スーツの男が、顔じゅうに脂汗を浮かせて片手を上げた。そこで初めて須崎は男の顔をじっくりと見た。コイツは大総組の若頭の瀬戸だ。
「オヤジは死んだ。なら、もう用はないだろ」
須崎はゆっくりと瀬戸に向き直った。そのまま、ただ無言で顔を見つめた。
沈黙――。
部屋に硝煙の臭いが立ち込めている。壁の時計の秒針を刻む音だけが響いていた。
張りつめた空気に耐えきれなくなったのか、瀬戸が口を開いた。
「なあ、おい。何とかいってくれよ、もう用はないよな、な?」
「……アンタに用はない」
ひとことだけ答えてやった。
「そうか――」
そういって、瀬戸が息を吐いた。
同時に腕を上げ、撃った。
後ろに引っ張られるように、瀬戸が背中を反り返らせて頭から落ちた。
須崎は銃口を横にずらし、隣に立っている大男に向けた。
だが男は、ポケットに手を突っ込んだまま、顔色も変えずに顔を横に向けた。瀬戸を見下ろし、また須崎に戻す。
「あんた、プロだな」平然といった。「眉間を一発だ」
低く、喉の奥にこもった声だった。黒いセーター越しにもわかる発達した上半身に女の腰回りくらいはありそうな太い腿。顎が長く、飛び出た額が眉の下に濃い影を作っている。
「オマエも……、な」
須崎には確信があった。銃口を向けられても動じない態度。やけくそや開き直りではない落ち着き。生死の修羅場を幾度も潜り抜けてきた人間だけが持つ空気を、男から感じ取っていた。
男がゆっくりとポケットから両手を抜き、上に挙げた。
「止めようぜ。あんたのやるべき仕事は終わった。俺にも、守る奴がいねえ」
「まだ終わっていない」
須崎は男に近づき、男の額に銃口を押し当てた。
「おいおい、随分仕事熱心なんだな」
男の唇の両端が上がっていく――と、思った瞬間、消えた。
銃口が火を噴くのと、外側から腕を払われたのが同時だった。男が滑るように横を回りこみ、背後から須崎の首に太い腕を巻きつける。そのまま後ろに倒されて腕を取られ、拳銃を奪われた。
すぐに起き上がろうとしたが……動けなかった。
仰向けになった顔の前に男の構えた銃口があった。
一瞬で形勢を逆転された。
「射撃の腕はいいが、銃を持ったときの動きに問題があるな。構えたら、すぐに撃つもんだ」
「……そういうオマエは撃たないのか」
「道具は使わねえんだよ、俺は」
拳銃を持っていないほうの手で襟元を掴まれた。もの凄い力だった。そのまま片手で引き上げられる。
大男が拳銃を放り投げ、須崎の襟首を両手で掴んだ。そのまま上に伸ばす。完全に両足が床から離れ、宙づりになった。気道が閉じ呼吸ができない。両手で外そうとしてもグローブのような太い指はびくともしなかった。爪を男の皮膚に喰い込ませ、掻き毟った。
食いしばった歯の間から泡が漏れ、視界が白く霞んできた。全身の力が抜けていくのがわかる。須崎は最後の力を振り絞って脚を滅茶苦茶に動かした。
曲げた膝が大男の顎に当たった。偶然、いい角度で入ったのか、ほんの少しだけ握力が緩んだ。気道に空気が流れ込む。視界が戻った。目の前に男の顔。手を伸ばす。眼球に親指がめり込んでいく感触――。
「ぎゃああああああっ」
「うああああああっ」
大男の悲鳴と須崎の叫びが重なった。
大男が手を離した。背中から床に落とされ、また息が詰まる。動けない。今、捕まれば反撃できない。
だが、相手も襲ってくる気配がなかった。唸り声が聞こえる。顔だけを動かして声の方向に目を向けた。顔を両手で覆って大男がうずくまっていた。指の間から血が流れている。
須崎は咳込みながら、うつ伏せになり、両手に力を込めて上半身を持ち上げた。右ひざを立て、勢いをつけて立ち上がる。
大男はまだ肩で息をしながらうずくまっていた。周りを見まわす。拳銃は部屋の一番端に落ちていた。その手前で瀬戸が肩にナイフを突き立てたまま倒れている。力を振り絞って脚を交互に前に進ませた。何とか、ナイフだけでも手にしたかった。
数歩進んだところで、肩を掴まれた。みしりと骨がきしむ。
「けっ」
気合を発し、身体を沈めた。前かがみにバランスを崩した男の脚を、伸ばした右足を床と水平に回転させ、刈った。
象が崩れ落ちるように男が床に手をついた。その頭を須崎は思い切り蹴り上げ――振り抜けない。男の太い首と顎が須崎の蹴りを受け止めたからだ。
蹴ったほうの足首を掴まれた。そのまま締めあげられる。
「があああああっ」
万力で挟まれたような強烈な痛みに、声を上げた。須崎は右手の人さし指と中指を伸ばし、左手で男の髪を掴んだ。立てた指を両目に一気に刺し込み、引き抜く。
どろりと目玉が外に流れ出た。
「ぎいいいいいいっ」
男が食いしばった歯の間から悲鳴を上げた。足首から手を離し、顔を両手で覆う。須崎は這いつくばったまま、両手両足を必死に動かして進んだ。早く、早く。ナイフを……。
瀬戸の肩に刺さったナイフを握り、引き抜いた。ほっと息をつく。
どうにかこうにか片膝立ちになり、振り返る。ぎょっと目を見開いた。振り子のように目玉を揺らした男の両手が迫っていた。
ナイフを横に振った。男の両手の指が飛び散り、床にバラバラと落ちた。それでも掴みかかってくる親指だけになった男の掌が、須崎の顔の上を彷徨った。
膝を深く曲げしゃがみ込み、ナイフを腰だめで構えた。ひと息に体を伸ばし、両腕を前に伸ばしたままの男の喉にナイフを突き刺した。
肉を裂き、分厚い筋肉を破って骨を砕いた。切っ先が首の後ろに貫通した感触があった。
殺った、と思った瞬間、伸ばした男の両腕が須崎の身体に巻きついてきた。そのまま締め付けられる。動けない。全身の骨がみしりと音を立てた。
須崎は歯を食いしばり、男の喉に刺さったナイフを両手で掴んだ。思い切り力を込め横に移動させる。傷口から大量に噴き出した血が、顔にふりかかった。
男の力は弱まらない。ぎしぎしと肋骨がきしむ。須崎は全力でナイフを動かした。食いしばった奥歯が欠け、砂を噛むような感覚があった。顔を流れる血が口に入り、鉄の味が広がった。
視界が白み、意識が遠のいていく。それでも須崎は力を込め続けた。
刃が首の皮を破った。同時に、男の首が、かくんとありえない角度で傾いた。急激に腕の力が緩み、須崎にすがりつくようにずり落ちていって、床に倒れた。
膝から力が抜け、両手を床についた。倒れた男に目を遣る。首は皮一枚で胴体に繋がっているような状態だった。
この、化け物め――。
体力は限界を超えていた。全身を腕で支えていられなくなり、仰向けに寝そべった。
息が苦しい。胸が喘ぐように激しく上下するたび、脇の下あたりが痛んだ。肋骨にひびが入っているかもしれない。
十二人……。
これほどの苦戦は、須崎にとっても初めての経験だった。




