道具屋 佐藤2
「突然でびっくりしましたネ」
ビールを彦根のコップに注いでやりながらいった。コイツ、いったい何の目的でここに来た?
注ぎ終わるやいなや、彦根はコップを手に取り一気に呑みほした。
「俺もびっくりだべよ」
彦根が大きく長いゲップをして、ソファに埋もれるように背を伸ばした。
「ほう、どうしまシタ?」空になったコップにビールを注いでやりながら訊いた。
「アンタから頼まれた、あの家の件だけどよ、ありゃ無理だべよ」
佐藤は自分のコップに注ぐ手を止めた。これは聞き捨てならない。
「それは何故デスか」
いやあ、とニット帽をはずし、つるりと頭を撫でた。
「悔しいけどよ、俺の腕じゃ無理だべ」
「何があったのデスか」
彦根がぽつりぽつりと、ことの経緯を話し始めた。あまり要領を得る話しぶりではなかったが、どうやら侵入に失敗し、警備担当者に逃がしてもらったことだけは理解できた。
「その警備担当者が二十億円といっていたのは間違いないデスか」
「おお、間違いねえや。びっくりしたべよ」
「なるほど」
佐藤はソファに背を預け、テーブルの上に視線を落としながら顎に手を当てた。二十億円という金額は、相川モナの話と一致する。全く信用していなかったが、信憑性は高いのかもしれない。
「何だよ。ひょっとしてアンタ、そのこと知ってたのか」
声に視線を戻した、彦根の細い目の奥が光ったように見えた。
「正直にいうと知っていました。でも全然、信じていませんでしたネ」
「そりゃ、ねえべよ。事前に教えてくれてりゃ、こっちの準備も違ったべな」
コップに手を伸ばし、またビールをひと息で呑んだ。瓶に手を出した佐藤に「いい」と掌を向け、手酌でコップに注ぐ。
「まあ、とはいってもあれじゃ結果は一緒だな」
「そんなに厳重なのデスか」
「アンタにプロの世界の話をしてもしょうがねえけど、たいがいの家ってのは、どっかに忍び込める隙ってのが、あんべよ。でも、あの家はそれを全部潰してある。まず外から入るのは無理だべ」
「そうですか。それは困りましたネ」
「依頼人にいっときな。諦めろ、ってよ」
佐藤はジーンズのポケットから潰れたラッキーストライクの箱を出し、ライターで火を点けた。
「〝飛びの彦三〟さんがいうんなら、そうなんでしょうね」
口では、そういったが、二十億円という金額に信憑性が出てきた今、簡単に諦めるわけにはいかなかった。しかし、方法がない――。
「まあ、そういうこったから」最後のビールを呑み干し、コップをテーブルに置いた。「俺は降りた」ソファから立ち上がる。
佐藤も右足の痛みに歯をくいしばりながら、立ち上がった。
「何だべ、アンタどっか悪いんか」
「いや、昔用心棒やってたときの古傷デスね」
「ああ、何か聞いたことあんべな。結構強かったんだって?」
「来日してたプロレスの世界チャンピオンともやったことがありマス」
「へえ、そりゃすげえな。で? どうなったの、その結果」
「ぶん殴られて失神しちゃいましたネ。やっぱりプロは違います」
「何だ、そうかい」
彦根が急に興味がなくなったような表情になり、背中を向けた。そのままドアに進む。だがノブに手をかけたところで脚を止め、また「ああ」と振り返った。
「どうしました?」
「ちょっと気になったんだけどよ。アンタ〝狸穴の光〟さんって知ってるべ」
「はい、名前くらいは。有名な人デスね」
確かあの家の持ち主の〝笹蟹の昌〟と同じくらい凄腕の大泥棒だったはずだ。とっくに引退している、と聞いたことがある。
「その人がどうかしましたか」
彦根はハゲ頭を後ろから前に撫でてから、ニット帽を目深に被った。
「いや、最近、さっぱり噂も聞かねえし、どこで何してんべなぁ、ってよ。アンタなら知ってるんじゃねえかと思っただけだべ」
「ゴメンナサイ。ボクも知らないデスね」
「ふーん、そうべか」
彦根はいったん扉に向き直りかけて、また顔を戻した。
「まだ、何かありますデスか?」
「前から訊きたかったんだけどよ。訊いてもいいべか」
じっと佐藤を見上げたままいった。
「ええ、どうぞ」
「アンタさあ、何でそんなナリしてんのに〝佐藤〟なんだべ? どっからどう見ても外人なんだからよ、どうせ偽名だったらジミーとかトムとか名乗ったほうが、いいんじゃねえべか」
「佐藤は日本で一番多い名前デスね。だから日本ではいちばん目立たない名前デス」
彦根は納得できない顔で、首をひねった。「そういうんじゃねえと思うけどなあ……」
裏口まで彦根を見送り、佐藤は店内に戻った。
サユリが席で雑誌を読んでいた。佐藤に気づき顔を上げると、椅子から立ち上がった。
「どうだったの?」
佐藤は肩をすくめ、顔を横に振った。
「駄目、失敗したネ」
「そう、しょうがないわね」にっこりと笑った。
その笑顔を見て、佐藤は肩の力が抜けていくのがわかった。
「でも大丈夫ネ。ちょっと思いついたことがあったから」
テーブルまで歩みを進め、サユリの頬にキスをした。




