20話 マナ・レヴィアタン
「ああ、ダーリンダーリンダーリンダーリン、もっと綺麗な私の身体を見てくれ」
姉さんは自分の胸をたくし上げ、服からはみ出ているそれを男に強調している。恥を忍ぶこともなく見せている、姉さんのあられもない姿は、僕の頰に涙を落とすことになった。
「お前は胸が一番実っているな。顔も、可愛いというよりかは、美しいといったところだ。見た目大人で、クールなお姉さんは今までいなかったから新鮮だよ」
男は姉さんがたくし上げている胸の上部に手を置き、撫でる。
「私の胸を気に入ってもらえた………あはは! そうだ!ダーリンは身体の中で一番大きい胸を持つ私を一番愛してくれる! もっと、もっと、もっと、私と愛を育もうな、ダーリン♡」
姉さんは狂った笑顔をしながら、大声で叫んだ後、
「んっ」
男と口づけを交わす。ファーストキスだ。
僕は自ら男たちに取り込まれていく姉さんを見ていられず、視線を反らした。
「今日のところは譲ってあげましょう。ねえ、皆さん」
「そうっすね、正妻は余裕があるものっす」
「偶には良いこと言いますわね。レイナも」
「ハイルの言ったことに異論はない」
姉さんと男の他には、4人の女がいた。2人は騎士、恐らくパルテからの回し者だ。金髪の奴が持っているのが多分、宝具。彼奴らが実行犯か?
3人目は4枚羽の生えた、身長が最も低い女。服に紋章がないから、あれは騎士じゃない。何者だろうか。
4人目は何処にでもいそうな村娘の姿をした女。僕は一目見てわかった。彼奴が一番危険だということに。刺す様な、禍々しい何かがある。見ただけで背筋が凍ってしまう程の何かだ。
これは感だ。しかし、子ども特有の感は良く当たると兄さんは言った。
こんな烏合の集で、オセアンの宝物殿を襲いに来た奴等は初めてだ。今までの奴は一国のみの小隊編成か、堂々と一人で盗む、生粋のコソ泥のどちらかであるらしい。これも兄さんの話から得た。
姉さんとルナさんの裏切り、パルテの騎士を手引きしていると思しき正体不明の連中。不可解な要素たちが僕の頭の中を掻き乱す。
あの中に、あの烏合の集を統括する奴がいるのか。それとも、まだ裏で糸を引く何者かが潜んでいるのか。考えれば考える程、キリがない。
しかしだ、わかったところで何になる。姉さんは敵の手に落ちている。あの様子じゃ、ルナさんみたいに、何を言おうと敵対することになるのは必至………
それでも、僕はない頭をフル回転させ、打開策を導き出そうと考えた。
結果的に考えても何も浮かばなかった。裸一貫で何が出来るんだ、という結論だ。
でも………
「姉さん!」
「ルナさん、しくじりましたか」
理屈じゃ語れないこともあるって、兄さんから教えてもらったんだ!
「子ども?」
「ダーリン、教えてあげようか」
「過去の汚物だ」
◆◇◆◇◆
「姉さん、姉さんはオセアンを護る為に此処にいるんだよね」
「………………」
僕は姉さんに必死に語り掛けるも、姉さんは何も答えず、男の横で立ち尽くしている。
「姉さん!」
「煩いなぁ!」
二度目………
僕の叫びは虚しく、激昂する姉さんに気圧され、尻餅をついた。
「ダーリン、ちょっとけじめをつけてくるよ、過去の私に」
「ああ………」
姉さんが眉間に皺を寄せた顔で迫って来る。
「破岩烈波!」
姉さんは徐ろに拳を突き出し、僕がいる一帯を、闘気で抉り取った。岩は粉々に砕け、破砕されて残った塵芥が、跡に散らばる。
「姉………さん?」
僕は姉さんのモーションを瞬時に判断し、直ぐに範囲外に逃げたので、余波による擦り傷で済んだ。だけど、姉さんが僕を本気で殺そうとしている事実が僕に与えるダメージは、想像以上だ。
「何だ? 姉さんと遊ばないのか? 久しぶりに思う存分遊ぼう。だが、今回は死の遊びだがなぁ」
僕は木陰に隠れ、そこから姉さんが下品な笑いをしているのを見た。もうあれは姉さんじゃない。そう思わずにはいられなくなる。
姉さんは尚も僕を血祭りに上げようと迫って来る。
「姉さん寂しいよ。ショウ………お前が隠れて遊んでくれないから」
「ダークフレア」
姉さんの身体から黒い炎が出て、それが僕に向け、放たれた。
何だこの魔法、姉さんが使っていたのは見たことがないぞ!
「森を焼き尽くしてしまった。ククク………自分の力が恐ろしい」
僕は堪らず、森から弾き出される形で逃げる。振り返ると、森が黒い炎で焼かれているではないか。
後ろは炎、前は敵の軍勢。
もう逃げ場がない。姉さんを始め、敵に完全に取り囲まれた。
「こうなったら、やるしかない………」
「ククク、やっと姉さんと遊ぶ気になったか。久しぶりにどうだ? 姉さんと組手でもしよう」
姉さんの突然の提案。このまま僕を嬲り殺せば終わりなのに、どうして………
でも、情けで拾い直した命であっても活路は見出せる。
「わかった、やろう姉さん」
「ハイル、他の奴に手を出すなと伝えておけ」
「こんな面白い勝負に水を差す人はいませんよ」
こうして、僕と姉さんは互いに向かい合う。それを黙って観戦する連中。手を出されないなら、何とかなるかもしれない。
「今までと同じ、10本勝負だ。地面に倒れたら一本。ハンデとして、お前が私から一本でも取ったら勝ち、かつ、私は魔法やスキルの類は使わない。これでどうだ?」
「わかった」
「じゃ、纏まったところで、ウチが勝負を仕切るっす」
暴風雨とたなびく炎に煽られながらの、命懸けの組手。姉さんを正気に戻す為にも、負けられない!
「1本目!」
「始め!」
◆◇◆◇◆
「ククク、何処からでもかかって来い」
「ウォォォォォ!」
僕は姉さんに力一杯殴りかかる。其処に形なんてものはなく、感情を乗せただけのアンバランスな拳。当然、百戦錬磨の姉さんにそんな一撃は掠めることもなく、
「背中ァ!」
姉さんの素早く、重い肘打ちが僕の猫背になった背中のウィークポイントにクリーンヒットし、僕は地面に叩きつけられた。
「弱いなぁ、こんなのが優秀な私の弟だと思うと、情けなくて笑いが溢れてくる」
「ぐぅ………ぅぅ………」
「もうへばったのか? つまらんなぁ」
「まだ………だ」
僕は岩の地面に爪を立て、重くなった身体を何とか起こす。しかし、もう満身創痍、歩くことすらままならない。
この後も、一方的にやられ…………
「腹ぁ!」
「腕ぇ!」
「顔ぉ!」
「足ぃ!」
「肩ぁ!」
「手ぇ!」
「踏み込みぃ!」
「とろいぞ!」
「はぁ………はぁ………」
僕は地面に崩れ落ち、見下ろしてくる姉さんをただ見上げることしか出来なくなっていた。
身体は泥水に塗れ、ダメージで視界がぼやけ、動くことも最早適わない。これが、姉さんと僕を隔てる、絶対的な壁。
「ケヒャヒャ、何もかも全て私より弱い! これが優秀な姉と、非凡な弟との絶対的な差! こんな優越感に浸れるなんて、この身体は最高だ!」
「この身体?」
「あ……口に漏らしちゃったな、まあいいか。冥土の土産に教えてやる。私は女神ベルフェの化身へと生まれ変わった存在。ダーリンであるバスティア様からいただいた名は、マナ・レヴィアタン。お前の姉さんは私が喰い潰した」
「あ………ぁぁ……」
姉さんがこんな事をしないというのは正しかった。目の前の姉さんは、敵に何らかの術で身体を奪われたもの。
だが、絶望的な状況は何も変わっていない。
どの道、目の前にいるのは敵だ。姉さんの姿や技……全てを奪った別のナニカ。其奴に命を握られているのは変わらないのだ。
「大丈夫だぞ、ショウ。私が喰らった姉さんの代わりに、この、新しい姉さんが、これからのマナ・リーガルを作っていくんだ。ダーリンの駒としての人生をな」
先程までとは一転し、優しい笑顔で僕に語り掛けてくるレヴィアタン。
「ショウ、さあ、新しい私を受け入れるんだ。それで全ては特別に水に流してやる。私と幸せになろう」
レヴィアタンは僕に手を差し伸べてきた。
「………嫌だ」
「あ?」
「お前なんか、姉さんを語った偽物だ!」
僕はレヴィアタンの手を振り払う。すると、レヴィアタンの態度が、先程の見下した態度に豹変する。
「人が優しくしてやったら、付け上がるか……ククク、何処までも愚かな奴だ! この姉さんに泣き、縋ってくるなら、一瞬で楽にしてやろうと、計らうつもりだったが、やめだ………」
「お前の大好きなこの姉さんの手で、徹底的に苦しめて、殺してやる」
◆◇◆◇◆
「さあ、最後だ。たっぷりと私の力を味わえ」
「10本目!」
「始め!」
今度はレヴィアタンの方から仕掛けてきた。
「どうした? 姉さんを救いたいか? だけど無駄だ。全て遅いのだ!」
レヴィアタンの攻撃は鋭く、早く、隙もない。長い試合で少しは見れたが、技は姉さんのキレと大差ない。だから、実力不足かつ、大ダメージを負っている僕では、レヴィアタンのラッシュを捌くには無理があった。
「えい!」
破れかぶれの蹴り。
「見えているぞ。この姉さんの目には!」
「まだ姉さんを語るか!」
しかし、敵は姉さんの能力を我が物としている。この程度の攻撃は易々と受け止められた。
「どうだ?これで動けまい」
「ぐぅ………」
攻撃を左手で受け止められ、そのまま足を掴まれたまま、宙吊りにされる。
「くひひ、矢張り姉さんの方が何100枚も上手だったな」
レヴィアタンは空いている右の拳に闘気を集中させ、それを無防備な僕に打ち込もうと構える。
まだだ、此奴は姉さんとは違う。力に溺れぬ様、己を驕らず邁進してきた姉さんとは正反対だ。対して此奴は姉さんの強い力に溺れ、完全に油断している。勝利を確信している今、絶対に付け入る隙がある筈だ。
「もう飽きた。くたばれ!」
レヴィアタンは力を溜め終えた後、拳を打ち込む。
何処だ、何処だ………
明鏡止水の心で、敵の動きの粗を探す。
あった!
其処は………
『拳を打ち込む時、甘くなるのは何処だと思う?』
『ん〜脇腹の辺りかな?』
『そうだな。慣れないうちは、どうしても開いてしまう、打ち込みにおける明確な弱点の一つだ』
『だが、腰を据えて打ち込むことで、隙を限りなく最小限にすることが可能。ほら、こんな風に』
『姉さんの打ち込み、綺麗だ。綺麗に腰が据わっている』
『私なんてまだまだだ。もっと精進せねばな』
姉さんが拳を打ち込む時に気を付けていた脇腹だった。
当たるかはわからない。だけど、此処に打ち込むしか、今の僕に勝機は、ないんだ!
僕も姉さんから習った技でほんの少し気を溜め、すれ違う様に拳をレヴィアタンに打ち込む。
「何⁉︎」
僕の予想外の反撃に怯んだのか、レヴィアタンは身体を強張らせ、それにより拳の軌道がずれた。
「グボェェェェ!」
レヴィアタンの拳は僕の頰を掠め、僕の拳は、クロスカウンター気味にレヴィアタンの脇腹を抉る。
渾身の一撃を受けたレヴィアタンは、地面を転がり、そのままノックダウンした。気の攻撃は無防備な相手にヒットすれば、それだけで敵を殺せる奥義だ。僕はまだ気を少ししか溜められず、致命傷を与えるには至らないが、それでも、倒すという目的の為には充分なものだった。
僕はそのまま地面に崩れ落ち、身体を仰向けにして、晴れてきた空を見上げる。
「ただの人間が女神に勝つなんて、ククク、勝負は時の運っていうやつっすか」
「違いますよ。アレはマナさんの落ち度です。油断しなければ拾えていた勝ちをみすみす逃すとは、何と馬鹿げた話か………」
「手に入れた身体に酔ってはしゃぎすぎるから馬鹿を見るのよ」
「言えてますわね」
「いやー、凄い戦いだったな。形式的な戦いは見応えがあっていい」
「そうですか?ダーリン。ふふふ、ダーリンに喜んでもらえて嬉しいです」
「ダーリンが嬉しいと、ウチも嬉しいっす」
「ダーリンが喜んでくれて良かったわ」
「わたくしも、ダーリンが喜んだのを見て、その満足感でお腹いっぱいですの」
村娘を始め、みなからダーリンと呼ばれている男………バスティアの言葉で沸き立つ女性陣。どうやら一連の事件はこの男が黒幕らしい。
なんだか明るいムードになりつつあるが、此奴らは敵だ。レヴィアタンを倒したはいいけど、お陰で満身創痍。
絶体絶命の大ピンチというやつだ。
そんな俺の焦る中、村娘が此方に歩み寄ってくるのが見えた。
「ククク」
僕を見てニヤつく村娘。僕は何だろうと首を傾げ、訝しむ。もう死の覚悟は決まった。姉さんはもういない。ならば、姉さんの元へ旅立つのも悪くないだろう。
「ダーリンを喜ばせた褒美です。今回は見逃しましょう」
「………⁉︎」
「私たちは何も、誰でも彼でも痛めつけたい訳ではないのです。ただ、目的を果たせればいい」
「姉さんや、恐らくお前の手に落ちているルナさんはどうなんだ。綺麗事で言い訳したって、それは誤魔化せない」
僕は身勝手な村娘の話に苛立ち、面と向かって反論した。
「アレらですか?目的の為の必要経費です」
「この悪魔が!」
「ふん!」
村娘は俺の腕を踏みつけた。
「がぁぁぁ! 痛い! 痛い!」
「ああ、あんまり口が過ぎると、子どもと言えど、この様に痛い目に遭ってもらいますが、宜しいですか?貴方の命は私たちが握ってますので、殺されても、文句は言えませんよ」
「………………」
淑女の体で、綺麗な言葉遣いで話してくる村娘は、その実、淑女の皮を被った悪魔だった。巧みな話術で、此方をコントロールしてきており、戦いでも、話し合いでも上を行かれているのを実感している。こんなの一村娘に出来る立ち回りとは到底思えない。
「もう会うことはありませんが、もう一つの土産として教えてあげます。私の名は、ハイル・ベルフェゴール。マナさんを含め、此処にいる駒たちの始祖。ベースはハイル・グランツというアルタード村の村娘です」
「ウチも便乗して名乗らせてもらうっす。名はレイナ・ベルゼブブ。一人だけ妖精ベースのはみ出しものっす。ベースは既に亡き、妖精の森に棲んでいた、妖精族のレイナっす」
「わたしはアナスタシア・サタン。ベースはパルテ王国騎士、アナスタシアよ」
「わたくしはかの誇り高きブリュンヒルデ家の息女、エイリア・ブリュンヒルデ・アスモデウスですわ。ベースはパルテ王国騎士、エイリア・ブリュンヒルデですの」
「そして、此方に在わす方は、我が夫、バスティア・グレイスその人です」
4人が2人ずつでそれぞれバスティアを挟む。
「なんか俺だけ凄い紹介の仕方だな」