感情の麻痺
下校時間、多くの生徒は皆一様に仲の良い友達と喋りながら玄関を目指す。
その流れになんとなく乗りながら、数人を追い越して引き寄せられるように自分のシューズロッカーの扉を開いた。
ここに来るまでに追い越した生徒の中には、同じクラスの子も居たが、声をかけられなければ、声をかけようとも思わない。
一人が変な事だとも、思ったりはしない。
けれど一人でいる時には決まって考え事をしてしまう…丁度、今みたいに。
そしてもう一つ、私が一人でいる時に意識してしまうことがある。
それは笑い声だ。
周囲の笑い声がこの上なく苦手なのだ、私は。
全てが自分に向けられた嘲笑のように思えてきてしまう。
特に女子生徒の笑い声が苦手で、嘲笑も嘲笑、あの下卑た笑い声は苦手を通り越して嫌いだ。
笑い声は性格を映す、とそう思う。
笑い声が汚い人は、大抵集まれば悪口か噂ばかりの奴だ。
そんなヒエラルキーのようなものが嫌い。
だったら私の笑い声って…?
校舎を出たすぐそこの屋根の下で、肩に掛けた鞄の中からスマートフォンと付属のイヤホンを取り出す。
すぐに装着し、大好きな曲を流し始めたところでようやく落ち着く。
声も、笑いも、通り過ぎる車の音も、現実の音を断ち切るように。
つまるところ、イヤホンは私にとって最大の防御なのである。
少し、雨が降っているようだ。
けれどこの程度なら心配ない。
そう考えて雪解け水と雨と溶けかけの雪を踏み潰すようにして足を動かし始めた。
3月の始め、溶け始めた雪を一生懸命にスコップで避ける数名の男子生徒を横目で見ながら、今日の雪は重いんだろうな、と思う。
試しに、校舎を囲うコンクリートの柵の上に無情に降り積もった雪を右手で掴む。
あぁ、やっぱり重い。
いつもの考え事が始まる。
妄想や空想、現実にならない無意味な思考は今の状況をこう判断した。
この手の中の雪は私の心情を表している、と。
考えれば考えるほどにそう思えてきた。
無限にあるかのように思える雪の中からたったひと握りを掴んだ。
そういえば最近は心を許せるような仲間が出来たな、いつメンなんて呼んだりして、今ではそれが全てのように思えるくらいだ。
少し大げさだったかもしれないが、ようやく行き着いた居場所だ。
ただし、帰る方向が違う。
雪を握ると、それは溶け始めた。
当たり前のことだ。
それと同時にその冷たさから、無数の棘が刺さるような鋭い痛みに襲われる。
もう傷つきようがないのに。
それでも私を痛めつけるものが何なのかもよくわかっていない。
私は私自身を理解していない。
冷たさが表面から皮膚に溶ける。
そうすると当然手が冷える。
同時に感覚も溶け始めた。
こんな風に、普段も周りでは非常が通常になり、非日常は日常へと様変わりする。
握った手の隙間から、冷たい液体がまるで涙のように地面に落下する。
軽く手を開いてみると、少しずつ形を変えながら雪は固くなりつつあった。
表面は氷のように艶めいて、滑り落ちてしまいそうだ。
そう、今ようやく掴んだわずかな幸せだって、気を抜けばスルスルと零れ落ちてしまうかも。
そう考えるとどん底まで切なく、背筋が凍りつくような思いに駆られる。
行き場のない衝動を冷たさと共にしまい込むようにして抑えた。
通学に使う地下鉄の駅が見えてきた。
見飽きたくらいに見慣れた場所を見て、平凡な日常に絶望した。
あぁそうだ、流石にこれを持ったまま地下鉄に乗るわけにも行かないだろう。
握った手を顔の前で開いた私は、そこに佇む雪の姿にぞっとした。
最後私はそれを目の前に落とし、歩みのスピードは変えずに踏み潰した。
開いた手は薄く赤くなっていたが、そこには何もなかった。