第九話 ビッグベアは怖い
野獣の更なる一撃が前方で炸裂すると、泥土と枝が空中に沢山舞っていく。
剣で足を貫こうとうしろから飛び込んだが、ビッグベアの腕が飛んできて払われる。
顔面を強打。
鼻血を出しながら吹き飛び、泥の地面に転がり込んでむせぶ。
「ぐはっ、うぐっ」
体に熱が帯びてこないので、フィオは攻撃を避けたようで、怪我はしていないことを体で確認できた。
前を振り向くと、ビッグベアの腕が飛んでくる。
避けるため夢中で転がると、風圧が後方で起きた。
共振と共に泥土が舞い上がり、地面に穴が開き、土埃が体にかかる。
すぐ起き上がり、剣を握って後ろへ下がった。
この野獣、彼女から俺にシフトさせたようで、凶悪な両目がこちらを射抜いている。
小雨が霧のように周りを白くさせる中、目の前に立ち上がったビッグベアの圧迫感は、近くで感じると半端なく強大さに足がすくんでいく。
――やばい。
ワイルドボアやクモ魔物のように、勝てる気がしねえ。
大体、剣が届く前にあの腕に潰される。
ビッグベアの後ろにある木の脇から、フィオがこちらをのぞいていて目が合う。
何か腕を振って倒せとゼスチャーして見えるのは、気のせいだろうか。
数歩両足を前に出したビッグベアに警戒して下がる。
下がったとたん、剣のような鋭い爪を俺に向けて叩きつけてきた。
その爪がやたらとはっきりと見え、動きがスローモーションになった。
うしろへ飛んで避けると、野獣の腕はゆっくり土を抉り、倒れた古木を破壊した。
次の瞬間、時間が元に戻ったかのように、風圧と足に伝わる地響きが激しく起き、泥土や枯葉が周りを舞い、俺にも沢山降りかかる。
だが、なぜか今の破壊音は聞こえなかった。
――やばっ、やばっ。
本気で本物の集中をしないと、二度目の人生も終わってしまう。
ビッグベアの唸り声が耳に入ると、雨音も耳に入りだす。
横に移動すると小雨が強くなったせいか、野獣は俺を目視できてないようで、顔を左右に動かしている。
――チャンス?
一瞬、そう思ったら自然と足が飛び出て、横腹に剣の一撃を入れる。
だが、ビッグベアの腕が長剣を止めた。
その腕の腕力で弾き飛ばされ、剣を落としてしまう。
また地面に転がりこみ、泥土を拝んだ。
「くっ」
こちらに地響きが迫り追撃が来ると、体を横へ飛ぶように回避し、その勢いで立ち上がる。
ビッグベアは跳躍していて、激突音とともに、今いた場所に泥土が飛び散り草葉が舞った。
それを目の当たりにして驚く。
「しまった」
四つ足から立ち上がり歩き出したビッグベアは、こちらを一気に覆いつくすような巨体で足に怖気が走る。
奴の目線の射程圏から逃げられない。
――今度こそ、やばい。
何かしないと、そう思うと腕が腰に回った。
ビッグベアの腕が振り上がったのと同時に、俺は腰ベルトに装着していた投げナイフの一本を頭部に投てきしていた。
野獣の顔の毛の一本一本までもが、なぜかはっきりと鮮明に見えて、すべてがスローに動いている感覚を味わう中の目つぶし投てきである。
その狙い定めたナイフは、大野獣のぎらついた右目に狂いなく刺さった。
振り下ろす腕は弱まり、ビッグベアの射程圏から逃げ出すことに成功。
ひと吠えして、顔をかきむしり動きが鈍くなるビッグベア。
真後ろへ回ると、刺さったままの槍が目に入った。
その槍に手をかけると、あの痺れが腕に伝わり、眼前に映像が羅列されて躊躇する。
だが、有効作はない。
しびれもなくなり杞憂かと思い、槍をしっかり握り締めて、体の体重を使って抜き取った。
ビッグベアが吠えて、腕が後ろに回ってきたので、そのままジャンプして下がる。
左手に持った二メートルほどの槍、ショートスピアを手の平で転がす。
途端に持った腕に激痛が走った。
「うっ」
全身の筋肉がつった状態になり、槍を手放して地面に倒れ込む。
――ここで、痛みかよ。
ビッグベアを視野に入れて、苦痛を耐える。
だが、大野獣は待ってくれず、腕を振り上げてこちらに落としてきた。
苦痛より死が恐ろしい。
だがまたも腕の落ちる速度がスローに見え、爪が光っているかのように鮮明に映り、俺は涙と鼻水をたらしながら、スローの爪を渾身の思いで横っ飛びにかわす。
すぐ隣に強腕な爪が落ちて、地面を削り取る。
だがその音は聞こえない。
その風圧と衝撃で、身体は飛ばされた。
「うわっ」
槍を手にしたときの痛みが引いてきたことで、身体が元に戻り急いで立ち上がるが、また武器がない。
こちらに向き直ったビッグベアが、突進しだして地面から泥土を弾き飛ばす。
うしろの大木に回ると、大野獣は俺に腕を振るった。
大木に挟まれて枝を眼前になぎ落とすが、折れた枝で自らの視野をせばめて俺を見失う。
「何でも、なぎ倒せると思うな」
そう思うと、守ってくれた大木が倒れだした。
「うわっ」
なんて奴。
でもお陰で、武器を落とした場所まで走り戻る時間を稼げた。
剣を手に取り瞬時に鞘へ納め、槍を持ち上げ振り向き両手で構える。
雨が本降りになって、髪から水滴が垂れてきて邪魔くさい。
そこへ人影が森の奥から見えた。
「よせ、死ぬぞ!」
山賊か傭兵くずれの肌の色が薄い男性数人が現れ、呼びかけてきた。
「離れろ!」
「下がれ坊主!」
声だけでこちらへは来ない。
五、六人いるが、加勢はしてくれないようだ。
それにビッグベアにロックオンされているから、逃げたら一撃であの世だろ?
でも、一度死んだ俺にとってあの世ってどこよ?
一瞬余裕をかましたら、強力な剛毛腕が鮮明に見えてスローモーションで迫ってきた。
激しい泥土と振動のあと、足元に小型クレーターが簡単に掘り起こされる。
それを紙一重でかわすことができた。
「うっ」
――まじ、今のはやばかった。
ショベルカーとその腕のバケットが、荒ぶっり狂って俺を殺しに来ているようだ。
その場で、片腕の槍をすばやく下腹部に突きを入れると肉を斬る感触。
初めてヒットした。
槍は腕になじんで、絶妙に扱えると自覚する。
吠えながらビッグベアが振ってくる強碗の腕を避けて、同じ下腹部にもう一突き食らわした。
また深く肉を刺し貫くと、血液が飛び散る。
やみくもにショベルカーの腕が無作為に振り出されて、冷や汗をかきながら避ける。
左右に移動し、槍で上手く攻撃。
下腹部にヒット。
もう一度ヒット。
さらにヒット、と続く。
同時に、体の動きも冴え渡ってきた。
逆にビッグベアは動きが散漫になって、立つのを止めて四つ足状態になった。
これならと、勝負に出た。
昨日のワイルドボアと同じ哺乳類なら、心臓は胸の中心。
凶悪な腕を軽く避けて、長剣を引き抜き右脇から懐に入る。
またすべてが鮮明に見えだして、野獣の動きが散漫に見える中、胸の心臓付近で右手に剣を上部へ構えた。
渾身の力を込め、心臓付近の剛毛がでかい的になったように感じながら、深く刺し貫く。
剣を抜き、飛びのくと血しぶきが地面に落ちてくる。
そこでビッグベアの動きが、傷みをこらえるかのように止まった。
俺はそのまま二歩三歩と後ろへ下がり、右手に長剣、左手と脇で槍を構え攻撃に備える。
ビッグベアは四つ足のままゆっくり体を丸め、その場を彷徨うように歩きだした。
俺は刺し貫くことで、肉を切った嫌な感触を味わった剣を眺める。
血痕が根元まで付いていたのを見て、無意識に腕を振るい、ぬめりを散らした。
息の乱れが意外になく、飛び出した時の激しい息遣いが消えていて自分で驚いてしまう。
足に振動音が伝わり、顔を上げるとビッグベアがうずくまるように倒れていた。
近くで観戦していた男たちの一人が、剣を抜いてビッグベアに近寄っていく。
「虫の息だ」
そう言って、リーダー格の男は剣をビッグベアの首元に向けると貫いていた。
周りの男たちも、驚きながら最初の男に追随して剣を刺す。
「おおっ、やったなジャコ。絶命したぞ」
フィオも動かなくなったビッグベアに近づき手で叩いたあと、目に刺さってい投てきした茜色ナイフを引き抜いて離れる。
彼女は俺の前に来て、目をキラキラさせて茜色柄の投てきナイフを差し出してきた。
「私の言うとおり、やっつけてくれた。テオ、すごい、すごい……よ」
興奮が落ち着き、思慮が戻り槍を持った左手を見て感慨にふける。
やはり、武器の持ち主の手続き記憶を受け継げると確信した。
それも上書きせず、同時に使うことも……これなら、ここで生きていけるかもしれない。
剣を鞘に収め、槍をもったまま、見守っていた男たちに近づくとフィオが横につく。
「まだ、もう一頭いたと思うのですが?」
「お前の言う一頭は、別グループの仲間たちが狩っている。それで小僧、冒険者か?」
「ええっ、幌馬車の護衛をしていたんです。テオと言います」
「ほう。助かったのか。じゃあ、そっちのちっちぇえのも生き残りか?」
「そうです」
俺が答えると、目のぎらついた男が後方の男たちに話しかけると騒ぎ出した。
「なんだと?」
「赤月指輪。それも深紅のだぜ」
男たちににらまれたフィオは、腕をすぐひっこめて俺の後ろに回った。
だか、男たち全員が見つめ合い卑屈な笑いを始めると、先頭の男が前に出た。
「ふん。俺はアナネア開拓村の警備隊のジャコ。奴隷馬車が襲われたと聞き、討伐部隊で出てきた」
山賊かと思ったが、どうやらまともらしく安心した。
「しかし、小僧一人でビッグベアを倒すとはな。驚いたぜ」
「えっと、それは手負いだったからでしょう」
薄笑いを浮かべるジャコに、ついうっかり謙遜を言ってしまう俺は小市民。
「そうだ。最後は小僧だったが、それまで戦っていたのは俺たちだぜ」
「ああっ、そうだな。俺たちが深手を負わせて弱らせていたからできたこと」
目のぎらついた男が不快そうに言うと、ジャコも同調しだし他のメンバーも言い出した。
「そうだ。先に狩ったのは俺たち」
「我々が戦ってた最中のビッグベアだ。横取りはさせんぞ」
どうやら謙遜は、獲物の取り分の主張を与えてしまったようだ。
「別に……俺たちは襲われたから戦ったまでですよ」
「獲物を掠め取るのは、冒険者の常套手段だからな」
山賊風の若い男たちが凄んで、うしろの数人が剣に手をかけたので驚いた。
「ちょっ、本気かよ」
リーダー格のジャコは止めようともせず、フィオの方を見てから言った。
「ところで、その生き残った小娘。そいつは奴隷だな? 俺たちが預かろう」
俺とフィオは驚いてジャコを見た。
明日は2話予定してます。