第六話 フェンリルが来た!
「しちゃった」
「おっ、おう」
でも、何で接吻契約なんだ?
「もうしちゃったから、成立……なの。これは秘密で、誰にも言ってはいけない……の」
「うん? 成立って何か、血の同盟か」
「監視契約」
「んんっ、監視契約?」
こちらの監視契約ってのは、愛の告白ってことなのか?
守ってくれる、その対価に自らを差し出してきた?
可愛い少女にキスされてたと思うと……嬉しいわ、抱きしめたくなるわ、なんだが。
いやいや、こっちの世界の習慣が接吻はどんなものか、わからないんだぞ。
「俺とキスしてどうなのかな?」
「えっ……そっ、それは、恥ずかしいよ。生命の契約だ……もん」
「ん? 愛の契約じゃないのか?」
「あっ、それ、かぶるけど、ちっ、違う……よ」
フィオの顔がさらに赤らんだ。
こちらも愛やキスの習慣は変わりなさそうだが、契約とダブっててちょっと変だ。
「成立とか言ってた、その監視って何だ?」
「私を見てくれる契約……だよ」
「よくわからんが、護衛のことじゃないよな?」
「うん、そんな感じ……かな」
「んん? 愛の監視じゃないのか?」
「私の監視役になるのは……嫌?」
愛も混じっているようだが……ちょっと違うような気もする。
「嫌ではないぞ」
俺が答えると、彼女は突然立ち上がって暗闇の森に目をやりだした。
ワイルドボアを思い出して、手にした魔石の指輪を上着のポケットに入れて、緊張しながら立ち上がる。
「しまった。もう来てる……よ」
「何が?」
「フェンリル……なの」
フィオの前方にある木の葉がゆれて何かが動く。
すぐ俺の体が反応して、腰の長剣を抜いた。
先に刃をむけるや否や、黒い塊が飛んできた。
剣に鈍い衝撃が入ると激しい音と重みで、うしろへ押し倒された。
「ぐはぁ」
ぶつかった黒い塊は足元に落ちて来た。
すぐ塊に剣を一振りすると、柔らかい部分を切った感触を得た。
剣を振った方向へそのまま身体を回転させて、黒い塊から逃れて急ぎ立ち上がる。
焚き火の光で、ワイルドボア並みの本体から、毛深い8本の長い脚の生えた大きい蜘蛛の姿が現れた。
「うわっ。何だあれ、キモ! 蜘蛛か? でかすぎだろ。あんなのがジャンプしてきたのか」
だが、火を嫌っのか、すぐに長い足を大股で動かし暗がりに下がっていく。
「赤化呪獣に変化した蜘蛛が、テオに食い付いてきたの……よ。それにあの、まだらは……」
「ひ、人食い蜘蛛? 俺、危なかった?」
やばすぎる。
あんなのに対峙するには、火炎放射器がいるわ。
肌があわ立ったが、暗がりの大蜘蛛は背を向け、こちらへ白い糸を吹き出してきた。
「うわっ、半端ない糸の量だ」
避けて一歩下がるが、大量に落ちてきた白糸に片足がかかってしまい、その足部分が硬直したことを悟る。
「げっ、足が動かね」
強力なトリモチのように、糸が硬く地面と足に取り付いていた。
俺の足を見たフィオが、急いで焚き火から燃えてる枝を引き出して、短剣と一緒に大蜘蛛に向ける。
火を嫌って後ろ向きのまま下がりだす大蜘蛛だが、尻から糸を爆発的な量を撒き散らし、一瞬でフィオの身体を絡めだした。
大蜘蛛のトリモチ糸は、彼女の持っていた腕をも絡めて、燃えてる枝を落とさせる。
俺は足と地面についているトリモチ糸を、剣で引き裂こうとするが、弾力があって切れない。
トリモチ糸は、フィオの足の動きも止めさせた。
「あっ、まずい」
落ちたまま燃えてる枝も、糸を吹きかけ消した大蜘蛛は、金属をこするような声を上げて前に進みだす。
「弱点。体の裂傷部分」
俺に向かってフィオが声を上げる。
同時に大蜘蛛が彼女に飛び掛る。
フィオは短剣でかばうが、八本脚の野獣に体ごと押し倒された。
「やばい」
俺は腰のナイフを引き抜き、大蜘蛛の本体に投げようとしたが、傷部分が見当たらない。
「どこだ?」
躊躇しているうちに、フェンリルはフィオの肩を噛み切った。
「うぐうああーっ」
彼女は悲痛な声を空間に響かせて、持っていた短剣を落とした。
その瞬間、俺自身の心臓が鷲づかみにされた。
胸の痛みで体が固まる。
「うっ、くっ!」
何が起こったのかわからず、周囲を見渡すが変化などない。
いや、フィオが薄い赤色オーラを身体の周りに出しているように俺の目が捕らえだした。
「なんだ」
目を擦るが、彼女以外は普通のままだ。
「あうーっ」
また彼女の声。
俺の胸の痛みは止まらず、体が大きく脈打ち発熱しだす。
何だがわからんが、今は一刻も早くフィオを助けないと。
冷や汗をかきながら、大蜘蛛の後部腹に投げナイフを投げこむ。
目線通り腹に突き刺さったが、浅い。
フェンリルも金属的な声を上げてフィオから、ゆっくり離れこちらに向きだす。
赤く濡れた口から血を吐き、今度は俺に噛み付かんと突進してきた。
熱を帯びた体を我慢しつつ、動けない右足を軸に左へ大きく離れて、飛び込んできた大蜘蛛の前歩脚の爪を回避する。
そのフェンリルの前歩脚に一太刀浴びせた。
「うんっ?」
だが、鈍い衝撃で太い樹木に当たったような感触を受け、対して切れてないことを悟る。
「何だこいつ。出会いがしらには切れたのに」
大蜘蛛ははじかれるように前面の地面に着地した。
だが後部腹には、ナイフが浅く刺さっている。
「脚は硬いが本体はまだ狙いどころだ。先ほどのは、体の一部を削っていたってことか」
すぐ剣を背中に刺そうとするが、熱でもうろうとして動きが遅れ、空を切っているうちに後ろへ逃げられる。
そのとき大蜘蛛が焚火にくべるために集めた小枝の山に登ったことで、前腹の側面下に裂傷部分を目視できた。
「あれか!」
一撃にかける。
右足を軸に、半円を描くように片足ジャンプで移動。
大蜘蛛の腹側面裂傷部に、剣の先端を横スイングで打つ。
長剣は潜り込んで、目視部分に当たって何かが砕けた感触を受けた。
――ヒット!
金属的な声を上げだしたフェンリルが後方へ下がる。
「よし」
糸が来るかと身構えるが、赤化呪獣と言う魔物の金属声が激しさを増した。
八本の歩脚をばたつかせると、体の胴体部分が地面に倒れて、おもちゃのゼンマイが切れたように動かなくなる。
目の前の大蜘蛛はゆっくりと30センチほどまでに萎んでいく。
驚いてしまうが、それよりフィオだ。
地面に固定されていたトリモチ糸を、剣で何度も叩くように突き刺していると、やがて足が地面から離れた。
赤色オーラを放つ彼女に走りより、糸を枝木で身体から広げて地面へ楽に寝かせる。
彼女の傷口は、肩から胸にかけてポンチョの生地とタンクトップが破け、それに沿って肌がえぐられ鮮血している。
傷口を目の当りにして動揺した。
「わっ、まずい。この傷……どうすればいい?」
俺は医学部だったが、中退で外科知識など持たない。
「ううっ……や、やった?」
「ああっ、小さくなった」
「スライムポーション。はあっ……私の荷物袋に入っているこげ茶と……黄土の革袋水筒。こげ茶の中身を傷口にかけ……て」
俺は急ぎ彼女の荷物袋に手を入れ、何本か膨らんだ革袋の水筒からこげ茶と黄土を一本づつ取り出して戻る。
「こげ茶の中身を噛まれた部分にかけるんだな?」
「うん……かけて」
革袋のふたを開けて傷口に当てると、緑色の粘り気のある液体がゆっくり流れ出てきた。
裂傷部分に滴下させていくと、彼女は苦痛に喘ぎだす。
「あう、ああっ」
痛みにこらえるように、俺の裂けた上着のすそを握り締める。
胸にかけた液体は、焦げたような音とともに傷口に馴染むように細胞化し、少しずつ肌が修復していくのがわかり衝撃を受けた。
――すげーっ。
手術も何もあったものじゃないが、同時に安堵もする。
傷口が消えていく様子を見ているうちに、ここは異界なのだと改めて実感した。
大蜘蛛が縮んだのも事実だと、受け止めないといけないだろう。
フィオは俺の上着のすそを握りつつ、苦痛の喘ぎから落ち着いた吐息に変わっていた。
ただ血痕だけ残った肌から、胸の膨らみとピンクの突起物が見えてしまい顔を背けると、彼女の疲れて閉じそうな目に焦点が合う。
「黄土の水筒を飲ませて……毒消しだから」
「噛まれて毒が?」
「まだらの蜘蛛は毒持ち」
あのフェンリルは、タランチュラ系の毒蜘蛛だったのか?
俺は焦りながらフィオの身体を腕に抱いて、黄土の水筒を口につけ飲ませる。
途中咳き込んだが、口から垂らすもみんな飲み干した。
「こほっ、くぅん……無理に飲ませ過ぎ、ううっ……下手……なの」
「うっ、わりぃ」
俺の腕の中で、身じろぐように深呼吸しながら、不手際を責めることは忘れないフィオ。
薄めを開けたまま、深呼吸して落ち着きを取り戻した。
俺の目からフィオが放っていたように見えてた赤色オーラが、いつのまにか消えてなくなっていたのに気付く。
「はあ、はあ……助かった……よ。ありがとう……テオ」
「でも、怪我させたし」
「何で? テオ、フェンリルをやっつけてくれた……よ。だから私、ここでゆっくりしていられる……の」
「そうだが……」
そこで、俺の服を握り締めていたことに気付いたフィオは、手を離して目を泳がせた。
安堵したせいか、身近でもうろうとした顔を見ていると、先ほどのディープキスを思い出して変な気分になってくる。
「あれだ……ポーションにも色々種類があるんだな。赤とか……」
「うん。赤いのは、テオに使ったやつ……だよ」
「おっ?」
ビッグベアで腹を裂かれたときのか。
「赤のは、強力なのか?」
「ライフポーションは、どうしようもなくなった時の切り札……なの」
やはり俺、瀕死だったらしい。
「高そうな薬か?」
「高い……よ。私が考案した薬なんだから」
「オリジナルかよ。いや、フィオって、薬師なのか?」
「うん」
それで俺の腹が直っているって、この子優秀?
「ある伝説の法術に、負けない薬を作るために……改良を重ねて作った……やつ。中々作れないから……もしもの時以外は、封印……なの」
「伝説の法術? 伝説を真似た薬って……大丈夫なのか?」
「テオ、失礼……なの。自らが救われたありがたいポーションよ。敬うべき……なの」
「おおう。そうなるのか……覚えておくよ」
それを聞いたフィオは、微笑んで目を閉じるが、すぐ目を開けた。
「……あっ」
「ん?」
「フェンリルの赤月石……回収した……かな?」
「赤月石? いや、まだだ」
赤月石とは、魔物の討伐済みアイテムの魔石か何かの類か?
そう思ったら興味が湧いて、俺はフィオを横に寝かせて縮んだ大蜘蛛の場所に向かう。
いろいろ集中していたせいか、先ほどから出た熱が引いていたことにやっと思い当たった。
――大蜘蛛の糸に軽い毒でもあったのか?
何にせよ、ひと安心。
草場を歩くと、しわがれて縮小した元大蜘蛛のなれの果てがあり、その腹部分は破裂したように、かなりの量の血痕と肉片が飛び出ていた。
「げっ」
また胃の具合が悪くなる。
俺が切った背中部分に、赤色に光る物を目についたのて、確認するために脚を折りかがみ込む。
ごつごつした手の平に治まるサイズの石が飛び出ていて、その石を指で突き反応がないので取り上げるが感触は石。
だが、ぼんやりと赤色に光り、中央にひびがあった。
手に力を入れると石は赤の光を強く放ちだす。
夜や暗がりに便利かもしれないな。
「しかし、この光る石が蜘蛛を大型化でもさせていたのか?」
筋肉や皮膚、骨や血管の増強剤か……いや、それを言うならDNAを活性化か、変更させる魔法石ってところだが……俺ではよくわからないな。
投てきナイフも拾い焚き火の場所まで戻ると、出血で体力が落ちていたのか、フィオは眠った状態でいた。
彼女に巻き付いている糸は、水筒の水をかけると伸びたので、何とか取り除くことはできた。
横に座って、飛び出た毛をならすように頭を撫でるが、髪からまた跳ねてしまう。
「ううん」
声をもらすフィオの寝顔を眺めたあと、焚き火に枝をくべる。
借りたままになっていた深紅の赤月指輪を、彼女の左手の薬指にはめて戻してやると、フィオは気が付いて薄目を開けた。
けれども、すぐ目を閉じて寝てしまう。
まあ、ぎりぎりだったが、何とか助けることができて良かった。
前までの俺……前世の俺でいいのか……なら、あの赤化呪獣と言う魔物に彼女どころか俺も殺されていただろう。
この体の持ち主が覚えていた動作能力が優秀で助かったんだ。
何だっけ、車運転中に考えごとしていても、体が勝手に車を操作しているあれ……手や体が覚えている、手続き記憶か。
身体操作が絶妙で助けられている。
いや、フィオは、剣の腕はポンコツと称してたんだが?
よくわからないが、この身体能力は助かる。
やはりこれは、前世の記憶を持った俺が、この体に乗り移った異界身体憑依ってことでいいのか。
最初わからなかった言葉も、理解できて話し出せたのも、この身体の持ち主である記憶を使ってのことだろう。
前世でかすかに覚えているが、陳述記憶とエピソード記憶ってのがあって、言葉系の記憶は使えているがエピソード記憶が開示されてない状態になってる。
言葉が話せるが過去を思い出せないのは、本人の意識がないのと関係でもあるのかな?
わからないことだらけだが、この十八歳の身体と能力で再出発……悪くない。
見上げると東の空にはあの大きい紫の月が闇を照らし出し、西の空は色きらびやかな満天の星々が映しだされていた。
読んでいただきありがとうございました。
感想などよろしくお願いします。
フェンリル…の毒描写が前後しているとの指摘があり、間違いを修正しました。
「消失」⇒「縮んだ」の訂正。 「噛」が「?」と文字化けしていたのを訂正。