第五十四話 ビッグベアとその後起こったこと
この回で一話目と繋がりました。
アナネア開拓村に立ち寄るが、食料の調達をしてすぐに出発する。
雨が降り始めた森の細道を進んでいると、眼前に大きな野獣が現れた。
道の前にビッグベアが一頭立ちふさがり、護衛たちが凍り付く。
「なぜこんなところに……」
幌馬車の中の私や奴隷たちも、気付いて騒然とする。
「幌馬車は、後退して迂回しろ!」
一本道で簡単に二台の幌馬車が、後退して迂回など難しく、御者が下りて馬をなだめ後退させるが、ビッグベアの進む足が速い。
「ちっ、幌馬車を守る!」
護衛していた冒険者たちの二人が、馬に乗ったまま大型獣に立ち向かい、後衛の二人が法術で氷の矢をビッグベアに飛ばす。
前衛のリーダー・モイーズともう一人は、ビッグベアの腕で馬から簡単に叩き落とされ、法術の氷矢は野獣の体に突き刺さるが割れ落ちて効いてない。
幌馬車を下がらせ、方向を変えて逆走しようとするが、馬が恐怖でパニックになる。
御者が上手く操縦できないでいると、後方にもう一頭現れた。
「きゃっ、後ろからも。でかいのが」
「挟み撃ちよ。逃げなきゃ」
パニックの奴隷たちが急いで幌馬車から飛び降り、さきに逃げ出していた商人の従者や御者たちが走っていく方向にみんな付いて行った。
テオともう一人の冒険者トスカンが怒鳴る。
「危険だ」
「引き返せ」
だが、パニックを起こした面々には、聞く耳はもたなかった。
後続のビッグベアが走り出すと、すぐに追いつかれ次々に叩き伏せられ、食いちぎられては捨てられていく。
出遅れた私と数人の奴隷が幌馬車から下りると、冒険者の法術士が前面のビッグベアに食われているところを目にして、その場に固まってしまう。
「止まるな、逃げろ!」
誰かの声で我に返ると、奴隷商人の幌馬車が法術士を食いちぎったビッグベアの腕で叩き潰された。
その馬車から奴隷商人と調教師が、転がるようにして出てきた。
恐怖で逃げ遅れていたらしいが、前をよく見ず走ってきて私たち女奴隷たちと衝突。
ぶつかった衝撃で、私は倒されてしばらく息ができなくなった。
衝突した調教師も胸を押さえ苦しみだす。
「こっ、小娘。なっ、なんで赤くなっているんだ?」
「わたし……が、赤……い?」
前も言われたことが……ああっ、私が苦しむと血で繋がっている相手に赤くなって見えるってこと?
新しい発見。でも今はそんなこと考えている暇は……。
一台目の幌馬車を壊したビッグベアが、こちらの幌馬車に向ってきた。
奴隷商人は、立ち上がった私をビッグベアに見えないように後ろへ隠した。
「早く逃げなさい」
奴隷商人が手を上げたことで、深紅の指環が目に入った。
――指輪!
胸を抑える奴隷商人から、二本の指輪をした手を抑えた。
「指輪! それで防御結界でき……る」
「何、本当か? だが私は呪文を唱えられん」
奴隷商人は不安な声のまま、指輪をした手を私に指し向けた。
すぐ取り出すと肩を押されるようにして、突き倒された。
その上をビッグベアの腕が通り過ぎていき、奴隷商人と調教師、女奴隷たちが消える。
「えっ?」
右側に音がしてみると、四人の男女が大木に衝突し倒れて動かなくなった。
――商人は私をかばった?
あの血液混入は、私が意図したイメージが契約的に遂行されていた?
呆けていると、助かった残りの奴隷たちは一目散に後方へ逃げだした。
私は恐怖で尻餅をついたまま、その場に固まる。
ビッグベアの腕が今度は私に向ってきたので、慌てて二個の深紅指環を発動させた。
眼前に薄い網状の白膜ができたところに、野獣の鋭い爪の手が落ちてくる。
衝撃が起き、膜から煙が上がり冷たい粉状のものがこちらに落ちてきたが、爪はしっかり弾いてくれた。
ビッグベアは腕を振ったあと、今度は2台目の幌馬車を叩き破壊しながら幌の中に顔を突っ込んでいく。
「ぐああっ」
後ろからの悲鳴で振り返ると、逃げた女性奴隷が大型のグラスランズ・キャットに倒されていた。
マンイーターが数頭、ビッグベアのおこぼれを拾うため、待機していたのにやられてしまったようだ。
呻き声が聞こえなくなると、森からは葉っぱを叩く雨音だけが響いた。
――森へは逃げられない。
道の先は上り坂になって木々が少なくなり風上でもあったので、私は立ち上がりビッグベアやグラスランズ・キャットを避けながらゆっくりとそちらに歩く。
だが、動く私をビッグベアはすぐに反応して、こちらに足を向けた。
――わっ、来るな。
駆け出すと、地面から振動が伝わり、後方のビッグベアも足を速めてきたことを知る。
この防御法術はどれだけ耐えうるのか……不安のまま走るが、すぐ追いつかれ、横殴りに腕が飛んできた。
目をつぶり体を硬くすると、衝撃と白い煙が少し上がっただけで、指輪の防御法術は私を守ってくれた。
ビッグベアはまた腕を振っていた。
「フィー」
そこにテオの声。
「そこから逃げろーっ」
まだ彼が生きていたと安堵するが、次の瞬間あり得ない光景が目の前で起こり身体が震える。
ビッグベアに向けて彼は剣を上段に構えて振り切るが、何かミスって武器を持たない状態になっている。
「あっ」
次にはビッグベアの腕に弾かれると血が噴き出て、上り坂へ飛ばされた。
「テッ、テオーッ」
私は悲鳴を上げて、飛ばされた先へ走っていく。
ビッグベアは、残りの冒険者の詠唱で放った炎弾に意識が向いていた。
テオが倒れた場所に行って、横に座りながらのぞくが、もう動いていなく、息もしていない。
腹が裂けて大きく損傷し、中身が出ているようにも見えて顔がゆがむ。
「あっ、あああっ……ああ」
目の前が暗くなり、嗚咽する。
また孤独の恐怖にさいなまれる。
――やだ、もう一人のままは……やだ。
それならば、しなくてはいけないことがある。
瞬時に体が動いた。
ビッグベアが残った冒険者に気が言っているうちに、私は急いで壊れた幌馬車に戻った。
私の薬師用の革袋を見つけて、担いで緩い坂を走り上る。
実験で作り上げていた赤のライフポーションを引っぱり出し、蓋を開け転がるようにしてテオの傷口に流し込む。
続けてポーションの水筒の蓋を開けてかけた。
すぐに傷口から熱で死んだ細胞が焼ける音と、煙が上がっていく。
――ライフポーション。テオを直して、直して。
祈るように見ていると、飛び出ていた内臓が戻りだし、同時に液体が傷口に馴染むように新しい細胞に変質していった。
ものの五分ほどで、テオの腹は修復されて息を吹き返ていた。
――でも、起きない。
いちど死んだ者は意識など戻らない。
それは定説。
意識など戻らないと、頭をリフレインする。
だけど昔、それを覆した男がいる。
母親の再生したシーンを思い返す。
――あれをやってみる? 早ければいいって話だったはず。
眠ったままのテオを見て……覚悟をした。
深紅の赤月指輪の一つを指から取り出し、テオの指にはめて胸に持っていく。
近くでまた振動がして、顔を上げると口に人の腕を加えたビッグベアがこちらに向かってきた。
「トスカン、逃げろーっ」
「応援、呼んでくる」
何かのやり取りを聞き流しながら、私はもしものために覚えていた呪文を口ずさむ。
「嬢ちゃん、もう護衛は無理だ。一人で逃げるんだ」
血だらけのリーダの冒険者が呼び止めるが、感知せず、呪文を本格的に詠唱する。
ビッグベアの足に冒険者の剣が突き刺さるが、剣を持ったまま叩き飛ばされて近くに倒れて動かなくなった。
雷の音がすると、続いて何度も雷鳴がとどろき、上空から光の柱がテオの胸の指環にピンポイントに次々と落ちてくる。
光の一本が、最後に倒れた冒険者の剣に吸い込まれもした。
空気が裂けたような響きとともに、光の球が空中を舞い、そして全体的に光ると収縮するようにテオの中空で消滅した。
森が静かになると、テオの呼吸が耳に心地よく聞こえてくるが起きてくれない。
気が付くと雨粒が顔にかからなくなっていて、ビッグベアは二頭とも立ち去り、張り詰めた空気も消えていた。
生き残りはいないか、森に深く入らずに眺めて確認するが、動くものは存在しなかった。
周りを注意し、壊れた荷馬車から食料や必要な物を探しだし、拝借して大きな革袋に詰め込む。
森にマンイーターが何頭も見えていたが、食事がすんだからか、こちらに来ることはなかった。
裸足だった足に、商人の専属契約者だった者のブーツをはき、ポンチョも羽織った。
革袋を整理していると木彫りの首飾りが落ちたのに気付き、拾ってそれをしばらく眺めてから首にかけた。
坂道を歩きテオのところまで戻ると、腕が動いているのに気付いて急ぎ横に座る。
様子を見ていると、彼の目が開いた。
――テオ。
彼はゆっくりと私を見た。
「お帰り……なの」
私は涙ぐみながら笑顔で言った。
--- 番外編 フィオレッラの足跡編 終了 ---
読んでいただきありがとうございました。
今回で 『番外編 フィオレッラの足跡』 は終了です。
次からは 『第四部 砦』 になります。




