第五話 キス契約とな?
夜になると空の大きな紫月が不気味に光っている。
その紫がかった月明りの中、焚き火でワイルドボアの肉を焼き二人で分けて食べた。
だが、生臭く、硬さもいまいちなのに閉口した。
外食産業の味に舌が肥えてしまって、いや、脳が、いや、精神になるのか? それのおかげで、美味くないと舌が訴えている。
そう思いながら肉をかみ切っていると、眼前の少女が持ち物から小さな何かを取り出して、自分の焼肉にふりかけ始めた。
「その白い物はなんだ?」
少女は俺の質問を無視して、いい風に焼けて肉汁が出ている部分と白くまぶしたもの混ざった部分をほおばった。
噛んで口を動かし飲み込むと、満面の笑顔を俺に向けた。
「それ、ごまか何かだろ? ごまダレがいいのだが、少し欲しいぞ」
「ゴマダレは知らないけど、調味料……よ。誰にも上げない。欲しかったら、稼いで買ってくるといい。冒険者なんだ……し」
「おまえ、それブーメランだろ? 幌馬車に積んでいた品物じゃないのか?」
「うぐ……」
「仲良く、分け合おうな」
「うーっ。あまりない……の」
不満そうにしながらも、俺に貸してくれる。
片手に掴める小さな瓶に半分ほど、調味料が入っていた。
入れ物はごつごつしているが、しっかりしたガラス細工だ。
「うむ」
「少しだけかけるの……よ」
「わかった、わかった」
瓶のふたを開け、ふりかけて食べてみる。
「おーっ、しっ、しっ、塩、かよ」
「そうだよ。他に何がある……の?」
首を横に傾けて不思議そうに言う少女。
「いや……いい。これはこれでいける」
塩肉を食べたら、それが呼び水となり、続けていく切れも食べ続けた。
なれない解体をしたせいか、無性に腹が空いていたようで、味覚より食欲が勝ってしまう。
調味料を受け取った少女は、俺の食べっぷりを呆けて見ていたが、何かに納得して食事を再開する。
一息ついて、水筒のふたを開け水を口に入れる。
「先ほどの冒険者で稼ぐとか、俺は、ルールも何も覚えてないんだよな……いやいや、自分の名前さえ知らないんだった」
あっ、テオって言われてたっけ。
少女は俺を人目見るが、また口を動かし美味しそうに黙って食べだす。
「君の名前は? 聞いてなかった」
直接聞くと、食事を止めてしばらく俺を凝視する少女の顔は酷く悲しそうに見えた。
「私、フィオレッラ」
「そっ、そうか。フィオレッラか、いい名だ」
「フィオでいい。……カード。冒険者ならギルドカードある……はず」
ここにも同業組合があるのか。
そう思いながら、腰に掛けてある巾着袋を調べると、携帯食らしい干し肉と財布系に、小さなプレートが入っていた。
取り出してみると、綺麗な貨幣と剣の白い絵が入り、金具で打ち込んだような中世風文字が刻まれている黒いカードだった。
「そう、それ……よ」
文字は……少し読めるが……不安だ。
「字があまり読めん」
俺の言葉を聞くと、無言で手を差し伸べてくるフィオに、カードを渡すと読んでくれた。
「えっと……テオドール・アマル 。アマルは村の名前……なの。十八歳。出身地はプーノ共和国南領ティワナ。レベルEの冒険者で職業は剣士……よ」
「おおっ、俺はテオドールって言うのか。だからテオって言ってたのか」
「んっ。テオだ……よ」
俺の顔を見たあと、少し寂しそうにした。
「俺、十八歳なのか……んっ、フィオは歳……聞いていい?」
「んっ、十六歳だ……よ」
「えっ? 小学生かと思ってた」
「ショウガクセイ?」
「ああっ、そっか」
前世の言葉が話せても、同種の単語がなかったら不明語になるのか。
「……えっと、勉強する場所の、小さい子……親の保護下の子供たちってことかな?」
「テッ、テオ。しっ、失礼……なの。私、結婚できる……から」
少し怒ったあと、大きくため息をされたので、前世の感覚からの子供扱いが不味かったようだ。
この異界では、学校でなく、もう働いていて、彼女は結婚適齢期を迎えていた状態なのだろう。
「そっ、そうか……わりー」
俺の今のこの身体だと、二歳しか違わないのか……前世の世界と同じ一年サイクルの日付ならだけど。
歳の離れた妹から、下級生女子に変わった感じだ。
「ひとつ気になっていることがある。その言葉の最後が小さくなって話すのは方言か、それともクセなのか?」
「うん? いつのまにかそうなった……よ」
彼女は下を向いて、小声で寂しく言った。
何か精神的な苦労があった吃音の一種のようなので、シリアス系は苦手なのでこれ以上聞くのは止めて話題を変える。
「フィオは、あの幌馬車で旅してたのか? 俺が……テオたちがその護衛役だった?」
「そう護衛の冒険者六人で、幌馬車には商人とその関係者六人、他が私たち奴隷二十人だった……よ」
肉をかじりながら、状況をまとめようと思案した。
奴隷商人の幌馬車の護衛で、冒険者グループの一人として付いていた。
ビッグベアに襲われ三十人ほどいたが、俺たちを残してほぼ全滅。
逃げた冒険者がいたらしいが、生死不明。
悲惨だ、新聞のトップに載るほどのニュースだよな。
だが、ここは別世界、自分じゃない体を使って行動しているのは、ロールプレイングの気分だ。
現世で雷に打たれて死ぬと転移が待っているのか?
まあ、異界って言っても前世と同じ三次元を体現する目が二つの人類や動物で、なぜか言語を理解して話せてるから混乱があまりない。
目が四つ、あるいは耳が六つとかの人類で、俺がその多次元を体験してたらパニックで死んでたかもしれないしな。
この今の状態は、彼女に話すべきでないかな……話すとたぶん、おかしい奴と思われて置いて行かれるのが想像できる。
この世界で今一人になるのは、かなりやばい気がする。
ここで死んだら、元に戻れるなどと考えない方がいいだろうが、前の俺に戻りたいとも思わない自分もいる。
今はなぜこうなったか、独自で原因究明するしかないかな。
まだ一人放り出されたわけじゃなく、異界ナビゲーターとして同種の存在がいるのはとても助かる。
そう思ってフィオを見ると、一通り食べ終わって腹を摩りながら顔を上げて飽食後の息を吐いた。
「プファーッ」
うん、慎みがたりないちっこい乙女だった。
そのまま俺は横になり、一回目のうたた寝をしてしまう。
◆◆◆
フィオに肩を揺すられ目を覚ます。
あっ、また寝ていたか。
「わりい、二度目だな」
彼女を見ながら起きる。
「何かわからないのが少し先に現れた……の。凄く禍々しい……もの」
「禍々しいもの?」
「うん。それから離れるように、何か大きな物がこっちへ近づいてきてる……の」
目を凝らしてみるが暗闇ばかりで目視はできない。
両サイドは虫の声が聞こえるが、フィオが見ている方角だけ不気味なほど静かになっていた。
何だろう?
俺には感じ取れない何かを、彼女はわかるのだろうか?
「どのへん?」
「ちょうど、道の、幌馬車の方向から……なの」
「わかった。……様子を見てくる」
正直、非常に不安だが、寝てしまった対価だと思うことにして、焚き木の一本を取ろうと立ち上がる。
だが彼女はひざ立ちして、俺の手を取り行動を制した。
無言で俺を見てくる。
泥沼にはまったときの不安な顔だ。
「……俺は逃げないぞ」
「恐ろしいものに会えば、わからない……の」
手を離さないフィオの手を取って、中腰で向かい合う。
「信用してもらえない? それとも何かある?」
彼女はうつむき加減で口を開ける。
「じゃあ。契約して……なの」
「んんっ、契約? よくわからないが信用してくれるなら、いいぞ」
俺の発言に笑顔になった彼女は、腰から短剣を取り出した。
指に手刃先を当てて切る。
「おおっ、何している。血が一杯……」
「らい丈夫……らの」
自ら切った指をなめながら、俺に顔を寄せてきた。
「おおい、近いぞ」
俺は中腰のまま上半身を後ろへのけぞらせてしまう。
「動かないで。キスでの契約……なの」
キスって……唐突過ぎませんかお嬢さん。
こっちでは、キスが契約になるのか?
「いっ、いや……それなら婚約とか、いいのか?」
「婚約? 私が? なぜそう思うの……かな?」
目を丸くして、少し驚いた感じで聞いてきた。
「結婚できるとか言ってたし、薬指の指輪は違うのか?」
フィオは左手の指輪を見てから笑顔になる。
「そう言われればそうね。そういう風習があったこと忘れていた。これは単なる厄除けアイテム、深紅の赤月指輪……よ」
「深紅の赤月指輪?」
首をかしげると、フィオは綺麗に赤く光る指輪を外して俺に差し出してきた。
赤いから、そんな名前の結晶石なのか、それで深紅の指輪とも訳すらしい。
指輪を手にとって見ると、神々しいほどの紅な光を放って魅了されるが、彼女の手が俺の肩に置かれた。
「早く、契約する……の」
彼女はせくように言いながら血の付いた指を口に含めると、顔にかかっていた髪を片手でうしろにかき上げる。
言われるまま深紅の指輪から目を放し前を向くと、フィオの綺麗な顔があごを上げて近づいてきた。
瞳が心なしか潤んでいて、ドキドキしてくる。
その瞳が閉じると催促がきた。
「して」
彼女の肩を取って、恐る恐る唇を合わせる。
やわらかく甘い感触。
彼女の吐息。
頭を上げ唇を離すと彼女の声。
「まだ、これから……なの」
「んっ?」
それならばと、もう一度唇を合わせる。
顔を近づけすぎて歯と歯をぶつけてしまい、初心者を暴露させるが、彼女は意に介さず受け止める。
口づけで体の芯が異常に熱くなってくると、フィオの両腕が俺の首に巻き付いてきた。
俺の唇に彼女の唇が入り込む。
驚く間もなく、口内に舌の感触が伝わってきた。
フレンチ?
何この子、ディープをかましてきて……積極的。
すぐ口の中に、鉄分の味がしだし、彼女の血を送り込まれていると悟る。
これかと、いまさらに契約の意味を知った。
息継ぎから鉄分を飲み込むが、別に何かが起きる感じもない。
血の血判同盟のようなしきたりが、この地での血の契約なのか?
ゆっくり離れたフィオの顔の頬が、思いのほか赤くなっていた。