第四十九話 ベリアル
近くにいたもう一人の騎士も、いつの間にか首がなくなっている。
その騎士から飛んだ血しぶきが、私の顔にもろにかかった。
「きっ、危険だ。下がれ、下がれ」
騎士団長が命令すると、一気に馬を引き全力で後方へ駆け出す騎士たち。
剣客ソフィは、緊張した面持ちでその場に残っていた。
私は血痕を浴び呆然としたまま、その場に突っ立って彼の行動を見続ける。
いや、母に口外無用と言われた目に映る色、それが今、意識しないと見えてこない識別色が、膨大な赤と深紅として普通に目の前に幻影のように見えていた。
騎士団たちは、その識別色からくる恐怖を肌で感じて逃げ出したのがわかる。
子供の私はそれに抗えるわけがなく、怯えて萎縮しその場に動けないでいたに過ぎなかった。
だが、そんなことよりも驚いたのが、次に起こったことである。
深紅の男は、地面を赤く染めて倒れて動かない母の前に片膝をつき、うつ伏せの身体を仰向けにする。
目を背けたくなる傷口がむき出しになり、その脇の地面へ赤月剣を突き立てて赤化術を詠唱し始めた。
赤目の男が、傷口の周りを両手で囲うようにすると、すぐにその空間と母の傷口に発光が起きた。
すると次第に地面に流れた血が傷口へ戻りだし、私の服に飛び散った母の血痕も飛んで帰っていく。
母の欠損部分に血が逆流するように戻っていき修復されていく。
切れた服まで元に戻っていた。
母から聞いたことのある、壊れた物のみを時間を巻きもどして欠損修復する収拾術式を思い出した。
「収拾術……式」
「ほう、こいつから聞いていたか」
赤目の男はこちらに向くともなく話しながら、母の胸に手を置いて……鼓動を調べている。
「伝説の術式でテスティーノは助かったのか?」
剣客ソフィが蒼白なまま聞いてきたが、赤目の男は彼女へ振り向いた瞬間地面に刺さっていた赤月剣を手にして声の主にかざしていた。
ソフィは瞬間身体を動かし剣の風圧な何かを避けたが、手で首を押さえてうめいた。
「避けたか。少しはやれるか」
「ソフィは敵じゃ……ない」
私はとっさにソフィをかばっていた。
もう顔も見たくない気持ちだったが、彼女には死んで欲しくもなかったからだ。
男は私を見ると、静かに剣を地面に下ろした。
「問題がある。いったん死んだやつは、中々元には戻ってくれないんだな。チビ、ちょっと来な」
座り込んだ男に呼ばれたことで、身体の金縛りが解けたようになり、ぎこちなく歩いて近づく。
ソフィはその場に立ち尽くし、恐怖で動けないようだ。
騎士団たちは、点に見えるほど遠くからこちらをうかがっているのが見えた。
近づくと、目を閉じた母が呼吸しているのがわかって安堵のため息をする。
「母さん……生きて……る」
「そう、生き返ってはいる。だが……」
「んっ?」
「生命しか元通りにできない……意識までの完全復元は無理だ。こんどは生還させないとな。……それで、今はお前が持っているのか」
男は私の左手を取ると、母から譲り受けた深紅の指輪を確認した。
「まあいいか。こいつがお前に指輪を与えたってことだからな」
何気なく私に話しながら、胸のポケットから深紅の石を取り出すと赤月剣で丸く削りだした。
「あっ……」
赤月結晶は普通の剣では、刃が立たないのに男の赤月剣は、果実の皮を向くように簡単に削れて驚いた。
作業を終えた男は、ベルトに付いた袋から爪のみの指輪を取り出して深紅石を爪にはめ込み、母の左の薬指にはめた。
「こうしないと吹き飛んで、失敗するからな」
男は母の手を胸の部分に持って行き置いた。
「さてと……久しぶりにやってみるか。この術は早ければ成功率は上がるからな」
赤月剣を母の頭上の地面に刺すと、指に取り付けた深紅の赤月指輪を触りながら、祈りを唱え、続けて呪文を唱え始めた。
私は男の横に立ったまま、詠唱を聞き、成り行きを見守っていると呪文が終わる。
しばらく何も起こらないことに不審に思ったら、唐突に天から雷が深紅の指輪に飛来して、母を中心に周りを閃光と轟音に包み込んだ。
続けて落雷は続き、私たちの周りに光の球がいくつも飛び交い、浮遊しだしてやがて消失した。
私は驚いて地面に座り込んだが、男は微動だもしていなかった。
母の指に指した深紅の指輪が、白い石に代わっていたことに気付き、マァニを最後まで消化したことを読み取った。
しばらく誰も動かず沈黙が続いたあと、中心人物が声を発した。
「うっ、うん……」
「母さん!」
「テスティーノ?」
私とソフィが同時に声を上げた。
「んっ……kpohgfhkprt……hfdhfg……hlxxnjgfpf……うう」
母が目覚めた、だけど知らない言葉だ。
「これは召喚法……術?」
「いや、憑依法術だ。この器の元の持ち主に近い性格の者が、呼び出されて宿ること」
「それは……どこ……から?」
「この世のどこからかの元死者だな」
「はあ……」
あまりの隔絶した話で、私の頭は整理しきれずに混乱するばかりだ。
「あの……ここは……どこですか? 天国?」
上半身を起こした母は、静かに男に聞いた。
先ほどまでの異界の言葉が消えて、私のわかる言語で話してきた。
母の器に意識が定着したからだろうか?
でも、そうなると、これは、この人は私の母でない。
「ようこそ、ここは異界のアクリャ王国。俺は君のパートナーのベリアルだ」
「私のパートナー? えっ? あれ、その服装は……私の服も。あれっ? あれっ?」
母だった者は、ゆっくりと立ち上がり体を調べだし、私を見ると驚いて後退る。
「あんた、顔に血がべっとり……怪我しているの?」
「いい……え」
私は無言で、倒れている首のない二体の騎士の残骸を指さした。
目線を追って地面に倒れた物体を眺めると、悲鳴を上げて目を背け地面にしゃがみ込んで震えだす。
「……違う。私の母で……ない」
私が唇を噛んで言葉を放つと、男が振り返って赤目を向けた。
「しばらくは仕方ない。そのうち元に戻ってくる」
「……っ?」
言っている意味がわからなかったが、自分なりに考えて、この男は法術の限界だと投げたんだと台詞の意味を捉えた。
母の生還で安堵した気分が、一気に暗転した。
「私は……」
気落ちした私に赤目男は、辛い言葉を投げつけた。
「いいか、俺はガキは嫌いだ。だから親権を拒否した。ゆえにこれからは一人で生きな。独り立ちに十分な年齢だろ」
何を言われたのか、頭が理解できない。
いやっ、信じられないことを言われて、頭が言葉を弾いたんだ。
「何で。母さん……は?」
母を見ると、ソフィを見て怖がり、遠くの騎士団を見てまた震えだしていた。
「この通り、俺もお前もそこの女も知らない状態だ。今のお前ではこいつのお守りは無理だ。俺が預かる」
「でも……」
「追われていたのだろう? 一緒は無理だ、お前ひとりなら土地が変われば生きていける」
赤目の男は、立ち尽くしていたソフィに声をかけた。
「お前はどうする?」
「わっ、私は自らテスティーノを突き放した不義なる者、もう一緒にはいられぬ」
「そうか」
男はおもむろに立ち上がり赤月剣を鞘に納めると、母を立ち上がらせて、私を招き寄せ詠唱を始めた。
「わっ、魔法? やっぱりここは……あれだね」
母は不安なまま、男の呪文を複雑な顔で聞き入っている。
周りが暗く変位すると、耳鳴りがしだし耳を抑え目をつぶる。
明るくなったので目を開けると、今までいた岩場やソフィが消えて、新緑の草原に変わっていた。
「瞬間移動する魔法?」
母が驚きの声を出して、周りを見渡し動き回る。
「移動法術だ」
私は一瞬の移動に驚愕し、その場に立ったままになった。
「ここはアクリャ王国の西の山脈を越えたプーノ共和国だな。俺も住んだことのあるティワナって場所で、のどかで良いところだ。これで王国の騎士たちはもう追ってこれまい」
赤目の男は私に向いて話したあと、ベルトの袋からまた深紅石を取り出して、速攻で深紅の赤月指輪を作った。
「母の一つでは心もとなかろう。これは選別だ」
それを私の手に持たせたので、受け取る。
「えっと、ありが……とう」
「俺はお前よりもっと小さい時に放り出されて、生き抜いて強くなった。わかるな、死ぬも生きるもお前次第だ。頑張って生き抜けよ」
また、私の頭が男の言葉を弾いたようで、全然頭にはいらなかった。
近くの小川を見ていた母に手招きした赤目男は、片手を私に向けるとその場所が発光する。
瞬きすると、もう二人は居なくなり、男が消えて少し清々した気持ちになった。
抱いてくれない赤目男など、親と認めない。
でも、母があの男と一緒なのは、気に入らないけど……別人になったから……もういい。
そう自分に言い聞かせるが、目から自然と涙があふれ出る。
ここにいても仕方ないので歩き出すが、涙は一向に止まらず、気が付くと声を漏らして泣いていた。
しばらく獣道を歩くと草むらの一角に動く気配を感じて、恐怖で涙が止まる。
逃げるように身構えると、野獣の顔が草むらから顔を出して別の方向を見ていた。
気付かれれば脚では逃げられないと悟り、すぐ母に言われた防御法術を作るべく、左手の指環に手をかけて構築。
四つ足マンイーターは、見ていた方向へ飛び出すと、大きいグラスランズ・キャットだとわかって怖気付いたが、同時に安堵もする。
向かった方向に目を向けると、少年と小さな子供たち数人がクワを持って草原の道を移動していた。
危険と感じて、すぐ声を上げた。
「危な……い」
少年はすぐに私の方へ向くとグラスランズ・キャットにも気づいて、手持ちのクワで迎え撃とうとする。
私は急いで、少年たちのいる方へ駆けていった。
赤月剣 ⇒ 深紅の指輪 に飛来して に修正。




