第四十五話 赤目のレイミア
俺はフィーの皮膚や肉が裂けた傷口が直っていくのを見てから、革袋と一緒に置いてあったポンチョを彼女の胸元へ掛けた。
呼吸はするがすぐ乱れるので、不安なまま石の台座に腕を置き見守る。
――フィーの痛みを俺は感知できなかった。
たぶんヒルドとの騎士契約で、フィーとのキス契約が解除されてしまったんだろう。
契約が切れてなかったら、もっと早く駆け付けられたのでは……。
いや、騎士契約でエインヘリャルになっていなければ、ヒルドの力を借りれず、広場で時間を食っていただろう。
これは最善だったと思いたい。
村の外から聞こえる奇異な声が、一段と騒がしくなり全員が外の森を見る。
「何?」
「フェンリルの叫びね」
森のあちこちの木々が大きく揺れている。
「いやもっと大きい生き物の声じゃね?」
ヒルドの言葉にマチアスが訂正を入れると、コゼットが不安そうに付け足した。
「それも、かなりの数の声です」
全員に一つの言葉が浮かんでいたが、誰も声に出すものはいなかった。
単発的に起こる地響きが足元を響かせ不安を誘う。
さらに赤化呪獣の雄叫びがいくつも夜空に響き渡ると、誰もが背筋を寒くした。
「くわっははっ。来ましたよ、来ました。成功だ」
神殿の外から金髪の男が、声を上げ外を指さし、足をふらつかせながら入ってきた。
現れたのは顔を青くしたテュポン。
また、全員が緊張して魔族の動向を見守る。
「あら、生きてたの? 私にしてもそうだけど、テオは爪が甘いわね」
赤目のレイミアが俺を見て微笑んだ。
「聞いたかいレイミア。あの赤化巨大獣の声を! 赤化狂乱災は自ら起こせることを私が証明しましたよ」
「はいはい、自画自賛はいいよ」
「そういえば、私のペットは?」
剣を持つヒルドにテュポンは笑顔で尋ねた。
「あの黒いキメラ獣? キーマと同種でなかったから、僕があの二つの首を斬り落としてやったわ」
「なんと、酷いことを」
「起きたばかりで、寝言言ってるのかしら?」
ヒルドが剣を向けると、テュポンは両手を上げた。
「私は……能力が使えない状態になっている。わかっているだろ。それとも敵なら無抵抗の者も斬るのが趣味なのかな、ヴァルキューレは?」
「口を慎め」
「くははっ、テュポンはもう人族に格下げか? 私は変わりないぞ」
レイミアは彼の前で、近くの死体から血を空中に巻き上げた。
「これは、どういうことだ? 私の大事な空間法術が使えなくなったんだ。いや、呪文自体使えないんだ。これは抗議する。戻せるなら、すぐに戻しなさい」
テュポンは声を荒げて俺とヒルドに文句を言っているが、これはこれで面倒だ。
「僕の剣で、この元魔族の首を狩っていいかしら?」
「よっ、よせ。私は、今はただの人だぞ」
「テュポン、うざい」
トマの死体から血液が吹き上がってきて、赤の槍に代わるとテュポンに向ったが、彼は限度いっぱいのところで身体を避けた。
「うおっ、何をする。赤化ハンターに味方する気か?」
青い顔のままティポンは怒鳴った。
「静かにしろと言ったんだ」
「赤化ハンターとは?」
俺が聞くと、コゼットも知らずマチアスは首を振り、ヒルドを見ると口を開けた。
「昔、赤化粉砕と異名を持つ魔族がいて、その能力で赤月族を殺しまわった人物が赤化ハンターね」
「そうそう、私が赤化した時代に無双して、三種族の頂点にまで上り詰めた馬鹿な男がいたのよ。……そんな赤化粉砕が復活していたと知られれば、赤月の三種族から刺客が大勢押し寄せるわよ。くふふふっ、どうするかなテオ?」
――なんだって?
俺はフィーを見ながら目をむく。
第三の腕って、そんな物騒なことになるものなのか?
――逃げるのみだろ。
「彼は、僕のエインヘリャル。そんなことにはさせないよ」
「男には手が早いじゃない、ヴァルキューレ」
「俗物の言い分だわね、レイミア」
石椅子からゆっくり立ち上がったレイミアは、ヒルドをにらみ一歩まえに出る。
先ほどテュポンを貫こうとした血の槍が、ヒルドに向かう。
再度剣を構えたヒルドに、レイミアの血の槍が突きを放つ。
剣で弾くとすり抜けた槍は、後ろへ如意棒のように伸びていく。
背後に居た者を突き刺した。
「うあっ」
全員が振り向くと、白のエキドナが脇腹に血の槍を受けてうめいていた。
「エキドナ!」
ヒルドを後ろからレイピアの剣で襲い掛かるところを、血の槍が仕留めた感じだ。
「何……裏切った……かレイミア」
エキドナの手からレイピアの剣が床に落ちると同時に、血の槍は脇腹から抜け出て縮み、元の死体まで戻ってから液体に変化した。
「私はオブザーバー。それに血流パイクを簡単に食らうようじゃ、あなたもうただの人なんでしょ? なら部外者よ。まあ、その発起人のトマやその部下もやられたからね、混沌計画自体頓挫、終了じゃない?」
「終了……って」
「エキドナをよくも! 悪魔に魂を売ったか」
テュポンがエキドナのもとへ走り寄り、抱きとめる。
「裏切者が!」
エキドナを抱えると、急いで神殿を出て降りて行った。
「仲間じゃなかったのか?」
マチアスが苦悶の表情でレイミアに問う。
「ただ連中の思惑の上に乗っていただけ、仲間意識などこの百年持ったことはないな。連中も同じ、私を担いで好き勝手やっていたに過ぎない」
「年取るとそんな風になるのか? 赤月族って寂しくね」
「マチアス。レイミアが特殊なだけです。ディース族はまともなのです。間違えないでください」
ヒルドが指摘するとマチアスは頭をかいて謝る。
木々が倒れる音に、大きな呪獣の雄叫びが夜空に広がる。
「あれは?」
コゼットが声色で、指さす先の森からティラノサウルスを彷彿させる凶悪な顔が、数百は出て動き回っていた。
「恐ろしいものが出てきやがった」
「あの大きさは、完全にベルグリシ」
マチアスがつぶやき、ヒルドは剣を下ろして力なく言う。
人や野獣ではなく、爬虫類や昆虫系が巨大化するらしいがその構造はなんだ?
赤化しやすいマァニを大量に吸収でき、大きくなる遺伝子でも組み込まれていることで、進化形態型なのかもしれない。
この異界に組み込まれた歯車のひとつで、必要悪? 循環法則? そんなところなのだろう。
地響きが続き、足元が揺らめく。
森からは数千ともつかない異獣がうごめき吠えだしていた。
何体かが近くの家を壊し始めていて、身近で吸収進化した獣らしい。
広場にいた兵が、ピラミッドに逃げて走り上がってきている。
村人が厩舎から馬を何頭も引っ張ってきて、ピラミッドの入り口に詰め込んでいるのも見えた。
「ねえ、森の多くがこっちに向ってない?」
「神殿の光に釣られて来てそうだな。そして、通り過ぎるところは破壊しかないのがベルグリシ」
コゼットの不安にマチアスが肯定した。
「やばいじゃない。ここ潰されるの?」
「さすがにそれはないわ。赤月狂乱災を意識して、マァニ遮断術式や強度補強などの設計された建築物だからね。この神殿内部で通り過ぎるのを待つのがいい」
ヒルドが適切なことを言って二人を安心させる。
「ベルグリシたちが、イラベの城砦都市なんかに向ったらやばいわ」
「そうね、情報を伝えないと」
「あいつら俺たちでどうにかなるもんじゃないしな、軍隊でもかなりの被害が出そうだ」
俺たちの疑問に、レイミアがあっさり答える。
「ああっ、あれはたしかマァニを放出させる赤月石に行動術式を組み込んだとかで、西南に進んでいくとテュポンが言ってた。ティラリ軍が占領したソラタに向かうようにと、神官トマの計画だったはず」
「何?」
「それって……ティラリ軍に戦わせるつもりか?」
俺とマチアスが目をむく。
「どう転ぶかはわからないが、混乱させるには十分じゃないか? そして、状況がわかってくれば、東のイラベ王国が仕掛けたと思う。イラベが否定しても険悪状態になる。そこへ別の計画が進行してとなるが……。時間かかって飽きてたところなんだな」
「そんな動乱を引き起こす計画を……」
コゼットが絶句する。
「壮観な見世物が見れると混沌計画なるものに参加してしまったが、どの道この一、二年で狂乱災は始まることだし、もう三度も経験しているからね。それより、新しい発見と出会いに巡り合えてうれしいよ、テオ」
笑顔で俺に近寄る赤目のレイミアは少し不気味で、フィーの横たわる台座を後ろに立ちすくむが、すぐに俺の前にヒルドが立ちふさがった。
「魔族は間に合ってるわ」
レイミアは不快な表情をして、両手を左右の腰に当てる。
「私が赤化ハンターの再来と触れ回れば、停滞している赤月族は大騒ぎになって、ふふっ、あなたたちに跳ね返ってくるわよ」
「脅しかしら? でも一向にかまわないわ。テオが僕のエインヘリャルである限り、大きな騒ぎにはならないはず」
「ふん、管理するって言いたいの? 表向きはそうかもしれないけど、周りはそうとは見ないと思うわ」
マチアスとコゼットが、白けたような顔で、レイミアとヒルドの口論を見ては俺を凝視する。
お前らわかってるだろと、毒付きたいのを抑える。
レイミアが興味を持ち、ヒルドが守ろうとするのは、俺ではない。
――第三の腕であるスキル。それを欲しているだけだ。
俺はフィオの状況を見つつ、外を眺めながら答える。
「エインヘリャルなど愚策。私がテオを手元に置くのが、トラブル回避に一番いい策なのよ」
「魔族の管理など、あり得ないわ」
「二人とも、今はそれどころでないだろ」
俺は二人の会話を打ち切り、フィーの傷が塞がったのを確認して、ポンチョを全身に掛けて両手で抱き上げる。
「ベルグリシが来ている。もう神殿を引き払おう」
コゼットにフィーの革袋を持ってもらい、俺はフィーの身体を抱いて石の台座から離れる。
「このピラミッドにあんなのが上って来られたら、この神殿にいたら大変よ」
「降りよう」




