第一話 異界よこんにちは (※挿絵)
息苦しい。
そう思っていると、胸が焼けるような痛みで目が覚めた。
寝ていた俺の真上に、色白の少女が目を潤ませて見下ろしていることに気付く。
「kjgregr、ekgfdl……dff」
その容姿の整った子が微笑みながら口にした言葉は、よくわからなかった。
――俺は何で倒れているんだ?
状況がわからず、何があったか思い出そうと思考する。
――ついさっきコンビニで買い物をしたあと、外に出ると雨が降りだして……あれ、そのあとはどうしてたっけ?
体を動かそうとすると、手足がしびれて動きづらいのを不思議に思う。
ゆっくり上半身を起こすと、今度は胸から腹にかけて激痛が走り腹部を押さえた。
「gfdl……df。……良かった。……df、もう助からないかとあきらめてた……の」
前面が開けたポンチョを羽織り、癖のある長く伸びた白紫色の髪をした少女が、少しづつ言葉がわかるように言った。
いや、俺が言葉を理解してきている気がする。
「お、俺が?」
知らない言語を理解し平然と発して驚くが、少女は目の涙を拭きながら笑顔でうなずいた。
おかしい……明らかにいろいろおかしい。
痛みが薄れてきたので胸を見てみると、服が破け胸部に血痕が付いてて驚く。
だが、よく見ると痛みの部分は、裂けたような傷跡だけで怪我はない。
おまけに筋肉や体系に既視感を抱くが、着ている服がおかしいことに目をむく。
衣服も記憶のない革の短パンに、胸の部分が裂けている上着を着ていて、コスプレの集会にでも来ていた状態だ。
それに防具らしき鉄の肩当てに、腰に下がる剣の鞘?
小型ナイフを収めたベルトに、革のすね当てをつけているのに覚えがなく、記憶のそごを感じている。
「スライムポーション使った。ライフポーションで、間に合ったよう……なの」
「そう……なのか? ……君が?」
スラ……ライフ……ポーション? この子は何を言っているのだろうか。
少女の話をぼんやり聞きながら周りを見直すと、あちこち地面が濡れていて、目線の先に黒ずんだ人のような塊とその近くに長剣らしき玩具が転がっているのが目に入る。
先ほどまで雨が降っていたようで、そのために急いで帰った小さい子が忘れていったものだろう。
ここは、子供の遊び広場か何かだろうか?
俺が寝ていた場所は、岩場の近くの草むらで高台の道外れだ。
下り坂の道が見え、薄暗い林道があり森が続いているが……。
森の先には壮大な山脈が高々と連なって、手前の山々にどす黒い雲が覆い、雨が降っていて雷雲らしい光も点滅していた。
その白い山脈の風景に、見慣れない巨大な紫色の月が重なっていて、神でも光臨しそうな風景だ。
――えっ?
――巨大な月?
どう見ても近所ではないし、間違いなく日本でもない……うん、まるで異界。
一気に頭が覚めてきて、寝てた前の状況が頭に浮かんだ。
コンビニを出たあと、突然の雨の中、傘をさして折りたたみ自転車のペダルを急いでこいでいた。
ゲリラ豪雨って奴で、傘が意味をなくするぐらい、服が濡れてしまい……。
「あっ、思い出した。激しい雷撃らしい音と光、それから頭をハンマーで殴られたような激痛があったんだ」
「うん。雷が続けて落ちた……よ」
雷に遭って、死にぞこなったってことか?
いや、何か怪しいポーションを使ったと少女が言っていたが、助けられたのか?
「君が俺を助けてくれたのかい?」
首を縦に振った彼女の顔から微笑みや涙は消えていた。
「そっか、ありがとう」
どう助けられたのか、わからなかったが、俺を見てくれていたのだから礼を言った。
「私、知らない……の?」
「えっ? ああっ」
俺が肯定すると、小首を傾げながらこちらを凝視するが、脱力したように肩を落として顔を地面へ向けた。
ポンチョの前半分が開いていて、短いスカートが見えていたが、見られないように手で押さえだすのが目に入った。
少女の動向に気にも留めない俺は、雷撃とか雨とか気候などを見て取り、自然の状態は対して変わらなそうと結論付ける。
だから、雷で異界に飛ばされたなどと思うと、乾いた笑いが起きる。
はははっ。
――ばかな。
ゆっくり立ち上がると、さっきまでの胸の痛みはズキズキと脈を打っているような感じになっていた。
ただめまいがして、二度ほど足をふら付かせる。
立った俺を黙って見上げる少女は、紫がかった白髪から飛び出た跳ねた毛に鼻にかかる前髪、身長が俺の首下辺り、歳は小中学生くらいか、貫頭衣の下から太ももの細い足を晒して皮のロングブーツをはいている。
その小さい少女の首元にアクセサリーとは思えない、鉄の首輪をはめているのが気になった。
あと左手に指輪をはめているが、まさかこのちっこい少女の結婚指輪?
何気に自分の手を見ると右手の人差し指に指輪がはめてあり、白い宝石が……爪付きの指輪から落ちていった。
「あれ?」
小さく割れたのか、地面に落ちてわからなくなった。
まがい物か?
少女に質問しようと顔を上げると、彼女は森の方を見ていた。
俺もそちらへ顔を向けるが、薄暗く静まり返った深い森に不安が募る。
――いったいここはどこで、なぜここにいるんだ?
「ねえ、君。ここ、どこか知っているかな?」
そう尋ねながら、周りを見渡すと坂道の下に続く森奥に、壊れたような小屋? テント? が小さく見えた。
小さくてよく見えないが、大型の犬らしいのも動いている。
「あれは?」
俺は少女に森を指差して聞くと、ゆっくり立ち上がって話し出した。
「幌馬車、今まで乗っていて襲われて壊れた。護衛の一人が逃げたけど、たぶん私たち以外みんな死んだ……よ」
「はっ?」
みんな死んだ? この子は何を言っているんだ。
「飛ばされたから、頭打って忘れて……る? ビッグベアが二頭出て、商人も護衛も他の奴隷の方もみんな……ね」
奴隷とか嫌なキーワードを聞いたが、ビッグベアは、何となくわかる。
クマだよな、それのでかいやつ二頭に襲われて……。
とにかく様子を見ようと歩きかけるが、少女が俺の腕を掴んで引き止めた。
「ビッグベアは去ったけど、食べ残った死体に今はいろんな野獣が寄ってきていて危ないよ。それにここは風下だから、大きな音を出さず動かなければ、たぶん安全だ……よ」
少女は片手に持っていた荷物の大きな革袋を担ぐと、草むらに落ちている長剣を指差した。
近くの草むらに、その鞘らしきものもあった。
「私、持ち運ぶのできない。手ぶらだと大変だから、持って行くといい……よ」
そう言って岩場の方へ歩いていくと、小さい少女の可愛らしさを強調させるように、その場に座りポンチョから細い足とブーツを投げ出した。
何気に俺の行動を見続ける少女に違和感を感じながら、落ちている長剣に向かう。
鞘を先に拾うが、すぐに子供の玩具でないことを自覚する。
その場で長剣も手に取って持ち上げてみると、重みがあり刃の部分が片手長さほどのロングソードだ。
――本物?
剣を前に出し掲げて眺めてみる。
「何かすげえな」
少し振ってみるとずっしりと腕にきた。
そこで腕がしびれ同時に頭痛がして剣を地面へ刺すと、その場に硬直する。
平衡感覚を失いめまいがすると、見たことのない映像の羅列が眼前の空間に現れて戦慄した。
――なっ、なな?
目の前50センチくらいの空間にモニターがあるように、映像だけが立体的に上映されだした感じだ。
誰かの目線アングルで、ぶつ切れ動画のようにすぐ変わっていくのである。
それは初めて見た兵隊に怪物との対峙、洞窟で野獣との切り合い、人と長剣での打ち合い、そんな剣をテーマにした映像体験が一瞬にして目の中を通った。
……走馬灯?
全てこちらに向かってくる剣やこん棒、槍などがはっきりと鮮明に見え、そこから周りがゆるくボケていく感じ。
その映像はやがて消失して、元の何もない空間に戻っていく。
「何?」
俺が頭を振り出したので、少女が不審な目で聞いてきた。
「今、空間に映像が……」
「映像? 何もなかった……けど?」
この子、俺を見てたんだよな……なら、幻影だった?
「いっ、いや……気のせいらしい」
少女は俺を不審な面持ちで眺めたあと、考え込むように木々の方へ顔を向いた。
周りを見て不思議に思いながら、また剣を手に取って前にかざす。
今度は何も起こらなかったので、さっきのは何だったのかいぶかしんでしまう。
目の前へ剣を引き寄せると、光沢のある鉄が俺の顔も映し出すほど磨かれていて、刃の鋭さが本物と実感させられた。
「んっ?」
ちっ、ちょっと待て。
もう一度、光沢の刃に自身の顔を見る。
鏡ほどはっきりとわからずとも、刃の平に映った俺の顔が別人とすぐわかった。
トレードマークの黒縁メガネをしていなく、髪が染まって金髪に……。
いや、何より太った輪郭が、ほっそりして、イケメン? 風になっているのだから。
――誰だこいつ?