■殺し屋編 その2~過去~
20XX年 A国D州
「おれはロックスターになるんだ。それがおれ流の白人どもへの復讐のしかただからさ」
20XX年の春ごろ、正確な日時は不明だが、Bは人種の坩堝・A国D州のダウンタウンのストリートで生を受けたらしい。
いや、ただしくは物心ついたときにはそこにいた、というほうがあっているかもしれない。
いうまでもなく、Bの一番古い記憶もこの、壁はグラフィティアートで汚され、満杯のゴミ箱から異臭が常に漂っている、通称「ストレイキャッツストリート」での一コマのはずなのだが、そんな風景とはまるで違うビジョンがBの頭から離れないでいる。
そこは緑のカーペットが広がる小高い草原。
なびく風が頬に気持ちよく、木製の椅子に座っている幼少時のBを母親らしき人物が散髪をしている。
目を細め、慈しむようにBを見続けて、このうえない笑顔をたたえながら……という記憶。
しかし、「ストレイキャッツストリート」には、草原どころか生えている草すら工業地帯であるD州に多く立ち並ぶ工場からのスモッグで枯れ草状態の有様。
Bの記憶の欠片すら再現されるような場所は存在しない。
母親どころか父親も知らず、気がつけば、ストリートのチンピラに窃盗要員として育てられただけに、Bのその記憶は実際の体験などではなく、単にBが欲した妄想なのかもしれない。
Bをはじめ、ストリートにはかっぱらいの子供たちであふれかえっていた。
いろんな人種、男、女、年齢の関係なしに。
中には体が不自由な年寄りの姿も見受けられる。
そして等しく貧しかった。
かっぱらいの手口は今も昔も変わらない。
上等な服を着こなしている大人に近づいて、仲間がしつこく物乞いをしている隙に、背後から財布を頂戴する。
ただそれだけのことなのだが、このやり方が一番うまくいくのだ。
人は眼前に気を取られると、恐ろしいほど背後の気配には無防備になる。
Bが裏稼業のプロになったいまも、常に背後を他人に取られないように行動するのは、そんな幼少期からの体験が大きい。
「今日の収穫はなかなかだな」
盗んだ財布の中身をあさりながら、トニーはBに話しかけた。
トニーはBより10歳くらい年上の黒人の男だ。
そのときBは14歳くらい。
正確な年齢など知らないし、知ったところでどうなるものでもなく、また興味もなかった。
名前だって誰がつけたのかすらわからないが、ただ、確かなことはBが白人であるということだけだ。
ストリートキッズの中で白人は珍しかった。
いつの時代でも白人は支配する側、いうなれば吹き溜まりである彼らの大部分を占める有色人種たちにとっては忌み嫌うべき存在。
それだけにBはいわれのない因縁やイジメ、時には性的なイタズラさえされることがしばしばあった。
しかし、行き場のないBにとってはそこで生活するしかなかったのだ。
だが、そんな状況においても、救いの手というのはあるものだ。
そう、トニーである。
Bは、なぜかこの年上の黒人とウマが合った。
トニーもまた、Bを弟のようにかわいがった。
それだけに、仕事をするときは、大体二人でコンビを組んで行っていた。
Bが物乞いのおとり、トニーがスリ役。
白人の浮浪児はD州では珍しく、声をかけられた人たちも有色人種よりは警戒心も緩む。
その隙を突いて、トニーが背後から忍び寄り、財布を盗み取るという具合だ。
そして、今日も仕事はうまくいった。
「ほら、お前の取り分だ」
と、トニーはわずかばかりの紙幣をBに手渡した。
「残りは俺の取り分と、上への上納金として納めておくから」
そういうと、残りの金の入った財布を無造作にズボンのポケットへとねじ込んだ。
くそったれて、しみったれた生活。
将来の展望もなければ、過去に対する後悔もない。
いまがすべてのその日暮らし。
これは、B、そして多くの浮浪児たちに共通したことだった。
物乞いやかっぱらった金を糧に飯を食らい酒を飲み、タバコを吸う。
違和感もない。
何年もの間、同じことを繰り返していれば、善も悪もなく、それが普通のこととなる。
Bは貰った紙幣を右手でもてあそびながら、トニーに話しかけた。
「今日はこれからどうするんだ?」
トニーは上機嫌のときは、決まって口笛を吹く癖がある。
たぶん、なにかいいことでもあったのだろう。
話しかけられたトニーは口笛をやめて、Bを見ながら返事した。
「ん? 今日か? 今日はついにギブソンのレスポールを買いにいくのさ!」
満面の笑みを浮かべながら、トニーはエアギターをプレイした。
「いよいよ買うのか!」
「ああ。長年の夢がついに今日かなうのさ!」
トニーが長年欲しがっていたギター。
木目のきれいなサンバースト。
流線型を描くボディラインも美しい。
楽器や音楽のことはよくわからないBだが、兄貴分のトニーが欲しがっていることもあってか、そのギターがとても美しく、尊いもののように思えた。
「俺も一緒に行っていいかい?」
「オーケー! それじゃあ行きますか!」
トニーが先頭、それにしたがって着いていくB。
心のうちでトニーを慕っていたBは、いつでもトニーの後について歩いていった。
それがたとえB自身が暮らすスクワットに行くときにでもだ。
トニーもそんなBの気持ちを知ってか知らずか、いつでも「ついてこい!」という兄貴的な振る舞いをするのだった。
楽器屋はストレイキャッツストリートの外れに店を構えていた。
店の前に着くとトニーはいったん歩みを止めて、ガラス越しに飾られているレスポールを満足げに見つめていた。
Bも同じく、そのギターを見ていた。
トニーはBに笑顔を向けた。
「へへっ、本来であればかっぱらうのが俺たちの流儀なんだけどな。こればっかりはそうはいかねぇ」
しようがねぇな、といった表情のトニー。
そう、ストリートには掟があり、町の店での盗みは禁じられているからだ。
それというのも、トニーやBたちを仕切っているマフィアが町の店から用心棒代を上納させているためで、その金の内訳には路上生活者、つまりBたち窃盗団からの盗難を守るという意味も込められている。
これは、万引きによる被害がバカにならないということから、町会の会長とマフィアの間で取り決められた密約なのだ。
町の利益は共栄共存、路上生活者たちの収入はマフィアの息がかかったお店や家以外の空き巣か、町の外から来る者たちの懐を収入とするものと決められていた。
この禁を犯した者は、もう町に住むことはできず、その報復も見せしめの意味も含めてえげつない。
裏切り者には、親兄弟含めて徹底的に追い込みをかけられる。
そんなわけで、トニーはこれまでに稼いだ(というより盗んだ)金で、ついに憧れのレスポールを手に入れられることになったのだ。
「こいつは、俺が今持っているような安物のギターとは違うぜ!」
喜び勇んで店に入るトニーに従ってついていくB。
Bもトニーの喜びが伝染してか、妙に気分がハイになった。
ドアを開ける。
「いらっ…」
来客を笑顔で迎え入れようと挨拶をしたのもつかの間、店主は突然ふてくされたような顔をしてBたちを見るなり、はき捨てた。
「もう試奏はさせねぇぞ。買うやつにしか弾かせねぇことにしてるんだ。お前に触られてばっかりだと汚ねぇ手垢がついて、売り物にならなくなっちまうからな!」
あからさまに不機嫌となり、嫌味を言う店主。
「へへっ、そんなこと言っていいのかよ?」
ニヤニヤとするトニー。
間もなくポケットから紙幣の束を取り出して、いぶかしがる店主の前に突きつけた。
「ほらよ、金ならこのとおりあるんだぜ!」
『100ドル札!?』
トニーが見せびらかしている紙幣の中に、それがたくさん混じっているのをBは見逃さなかった。
それというのも、これまでのトニーとの窃盗の仕事において100ドル札が入っていたことはそんなになかったからだ。
治安の悪いD州において、財布の中に多額の現金を入れるような愚か者はいない。
観光客にしても、その点の注意は促されているのか、財布には最低限の金額のみしか入れていない場合がほとんどだからだ。
また、組織への上納金もある。
それだけに、100ドル札をあんなに持っているトニーに対してBは不思議に思ったのである。
『俺以外の誰かとの仕事か?』
一瞬Bはそう思ったが、それはないはず。
昼も夜も一緒につるんでいることが多いだけに、トニーが他の人間と仕事をする時間などはないはずだからだ。
盗んだ金を大きな札に両替することも考えられない。
そんなことをする意味がないし、それ以上に盗んだ金のナンバーから足がつくおそれがあるからだ。
それだけにBはいぶかしがった。
それなら一体、あの札はなんなのか……と。
「へへ、そういうことなら先に言えよ」
トニーから金を受け取ると、店主はウィンドウに飾っているレスポールを取り外し、トニーの手に持たせて言った。
トニーはさっそく得意のギターフレーズを弾いている。
「どうだ? いい音だろう? おい?」
はっと我に返るB。
「う、うん、いい音だな」
「どうしたんだ? 一体?」
「いや、別に」
ごまかして、場を取り繕うB。
見間違い……のはずはないのだが、そのことについては追求しないでおいた。
なんといっても喜んでいるトニーの姿を見ると、Bはその気持ちをぶち壊すようなことはしたくなかったからだ。
本音を言うと、事実を知ることで、いらない不幸を呼び起こすような気がしていたということもある。
いらぬ衝突は避ける。
ストリートで長生きするための処世術を幼いころからBは身につけていた。
そのとき店主が口を挟んだ。
「ふん、ストーンズか? お前も黒人ならソウルやレゲエをやったらどうなんだ?」
店主は蔑むような視線を投げかけながらトニーにいった。
とたん、トニーのギターの音がやんだ。
「科学者や哲学者、そうだな画家でもいいさ。それらの分野で黒人で有名なヤツがいるか? ほとんどいないだろ? なぜだか知っているか? それは分野が違うからなのさ」
店主は続ける。
「逆にソウルやブルース、ファンクやレゲエにもいえるが有名な白人となると、これまた少ない。陸上競技なんかでもそうだよな。なんでそれらの分野に白人が少ないかというと、俺たち白人は頭がいいからなのさ。賢いやつは分をわきまえる。できないことよりも、できることで勝負する、それが賢いやつの生き方なのさ」
トニーは店主をにらめつけながら言った。
「それなら、チャックベリーやジミヘンドリックス、マイケルジャクソンの存在はどう説明するんだ?」
「けっ! それはお前ら黒人のコンプレックスが生み出した妄想の産物にすぎんのさ! それなら聞くが、ほかにはいるか? いないだろ? それにそいつらははるか大昔、20世紀の連中さ。21世紀の現在、ロックで大成した黒人は皆無だろ? ロックはな、俺たち白人の音楽なんだよ。お前さんたち黒人には無理ってものさ」
「俺がそれになってやる」
「へっ! お前がか? まぁ、いい夢でも見ているんだな」
やれやれという身振りで店主は店の奥へ引っ込んだ。
そのとき、トニーがポツリともらした一言をBは聞き逃さなかった。
「おれはロックスターになるんだ。それがおれ流の白人どもへの復讐のしかただからさ……」
Bは一瞬耳を疑った。
『白人への復讐?』
それは白人であるBにも向けられた言葉なのだろうか? と。
まもなくすると、店主はギターケースを携えて戻ってきた。
「もう試奏は十分だろ? こいつにそれをつめてさっさと帰って練習でもしてな。21世紀のロックスターさんよ」
店を出たときは夕暮れだった。
「さて、帰るとするか」
トニーはポツリとつぶやいた。
「……どっちに?」
Bがたずねた。
トニーはBの住むスクワットに泊まることもあるが、いつもではない。
そんなときは、どこに寝泊りしているのかは知らないし、聞いてもいつもはぐらかされていた。
「ん? 今日はスクワットには帰らないぜ。なんといってもコイツがあるからな」
ポンとギターケースをたたく。
「ゆっくりと、誰にも邪魔されずに弾きたいんだ」
「そうか……」
歯切れの悪い返事をするB。
それに気がついたのか、トニーはつとめて明るくいった。
「おいおい、そんな暗い顔すんなよ。これで最後のお別れってわけじゃあるまいし!」
「そうだね。それじゃ」
「ああ、じゃあな」
トニーの背中を見つめるB。
「……」
『世の中には知らないままのほうがいいものがある』
さっきの100ドル札の件もそうだ。アウトローの世界に真実などいらない。
名前もプロフィールもなにもかもがすべては自己申告で、本当かどうかなどわからないし、またどうでもいいことでもあった。
それはBにしてもそうだ。
本当の名前も年齢も、当の本人ですらわからないのだから。
人種・白人、性別・男、という以外のことは。
だからトニーは仕事のパートナーであり、頼もしい兄貴分という存在だけでいいはずなのだ。
いいはずなのだが……。
Bは歩き始めた。
スクワットに向かって、ではなく、トニーの背中を見つめながら。
尾行。
トニーはBの存在にまったく気がつくことなく歩いている。
これまでも空き巣に入る家を見定めるときに、金持ちらしい紳士の後をつけていくことがよくあった。
相手との距離のとり方、ばれない尾行法を教えてくれたのは、当のトニーだった。
まったく気付かれる様子はない。
まさか尾行を教えてくれたトニーを尾行することに役立とうとは……皮肉なものだな、とBは思った。
電車を乗り継いで降りた町は、ベッドタウンとして知られる某地域。
迷うことなく、歩き続けているトニーの足取りからすると、そうとう通いなれている場所に違いないとBは感じた。
しかし、こんなベッドタウンになんの用が?
女か?
Bにはわからなかった。
まもなくすると、トニーは一軒の家の玄関の前で立ち止まった。
空き巣をする時間にはまだ早いはず。
それに玄関から堂々と入るなんてことはまずない。
そんなトニーの様子をいぶかしがりながら見続けるB。
まもなくすると、トニーはポケットから鍵をとりだし、玄関ドアに差し込んで開けた。
『家? トニーには住む家があったのか? それもこんなベッドタウンに』
Bは唖然とした。
しばらくすると二階の部屋の明かりがつき、窓が開け放たれた。
開けたのはほかでもない、トニーだった。
そして、聞きなれたギターのフレーズが窓からもれてきた。
「……」
Bは黙って二階の窓を見続けていた。
知識も教養もない、そのときのBにはその感情をうまく言葉で表すことはできなかった。
ただただ、辛く、苦しい思いが胸の奥を締め付けた。
◆■◆
「ジジイはいるか?」
スクワットに戻ったBは仲間に聞いた。
「ああ、いつもの部屋にいるはずだぜ」
「そうか」
ジジイとは、Bたちが住むスクワットに長居しているアラブ系の長老で、この町のことなら何でも知っている生き字引でもあった。
占い師としての側面も持っており、めっぽう当たると評判で、スクワット以外の町の住人、それも金持ちなどもわざわざこの小汚い部屋へ占ってもらいに来るらしい。
部屋の中は仏像などの小物や仏が描かれたバンダナのようなものが貼られており、なんともいえない妙なムードがハッタリとなって来客を惑わす。
「おいジジイ。聞きたいことがあるんだ」
Bは開けてしまった、
トニーのパンドラの箱を再び閉めることはできなかった。
もう、後戻りはできない。
「なんじゃ?」
部屋の中はマリファナの煙が充満していて、とても臭い。
その煙を手でかきわけながら、ジジイの前に立った。
「トニーのことについて知りたいんだ」
「いいだろう。10ドルだな」
『高いな』
内心そう思ったがおくびにも出さずに、Bはポケットの中から紙幣を取り出してジジイの前に投げ捨てた。
「どんなことが知りたいんじゃ?」
「あいつは俺たちと同じ浮浪児じゃないのか?」
「なんじゃ、そんなことか」
ジジイは考え深そうな表情であごをさすっている。
「そうじゃ、ヤツはお前と違ってちゃんとした家庭のある人間じゃ。住まいが某地域という場所柄を考えても、それなりの収入のある家庭なんじゃろうな」
「そんなやつがなんで俺たちと一緒に窃盗なんかをやるんだ?」
「それを知りたいのなら、もう10ドル」
欲深そうな目つきでBに催促する。
Bは身を乗り出して言った。
「そうかい、それならコイツでどうだ?」
そういうなり、ジジイのわき腹をケリ上げた。
「ぐほっ!」
悶絶するジジイ。
「まだ足りないか? そうなら言ってくれればもっとやってもいいぜ」
「わ、わかった。わかったから、乱暴はよせ!」
懇願するジジイに詰め寄るB。
「知っていることを全部話せ」
息を整えてから、ジジイはしぶしぶトニーについてのことを話し始めた。
「ヤツがミュージシャンになりたがっているのは知っているじゃろう? テクニックは申し分ない、ただ、ヤツの身の上ではロックをやるには少々幸福すぎるのだろうよ」
「どういうことだ?」
「ロックは、いうなれば飢えと危機感から生み出される芸術じゃ」
「いや、ロックに限らず音楽はおしなべてそうじゃろう。ジャズ、ソウル、ファンク、レゲエ……それらは絶望や渇望の中からしか本当の音は出てこない。幸せからは何も生み出されることはないからな」
「必要がないからじゃ。幸せであるという以上のことが。ヤツが好きなミュージシャンたちは、例外なくそうじゃ。黒い動機、暗いプロフィール……。ヤツも自分の限界を感じたのか、そんなものにあやかりたかったのではなかろうかの?」
「そんな理由から身を落としたというのか?」
「くくくっ! くだらんよ! 実にくだらん! 最終的にすべてを決めるのはセンスでもテクニックでもない、運じゃよ! 運!」
「運の前には才能だろうが努力だろうが、すべては簡単に飲み込まれてしまう。コイツがないばかりに、認められなかった幾多の才能があっただろうか?」
「本人の死後、勝手に才能を認められたアートは数え切れないほどあるが、それは創った本人たちの能力ではない。運命が決めたのじゃよ。そんな運命のいたずらに翻弄されたアーティストたちや作品のなんと多いことか! 時間の経過とともに、このままあらゆるものが積もり積もってゆく。お前は気にならんか?」
「千年後、一万年後の世界を! いまでも数え切れないほどの事件や決定的瞬間が次々と生まれ続けていく。歴史の教科書はいったいどうなるんじゃろうな! 覚えるほうも大変じゃが、作るほうも大変じゃて! ははははは!」
そんなジジイの饒舌をさえぎるようにBは重ねてたずねた。
「トニーは白人を憎んでいるのか?」
するといやらしい笑顔を見せながら、ジジイはいった。
「ここに白人の好きなヤツなどおらんわ! ひ~ひっひ! トニーは言っていたぞ! ケツの青い白人のガキとコンビを組めば、窃盗もやりやすいし、ピンハネもし放題だとな! つまりお前さんは利用されていたのさ! 痛快じゃないか! 白人のお前さんが、観光客らの白人を騙し、黒人のトニーがそれを掠め取る! こんな愉快なことがあろうか! 欲しいギターも手に入ったことだし、お前もお払い箱だろうよ!」
「そうかい、ありがとよ、釣りはいらねぇから」
そういうなり、Bはジジイにもう一発ケリを見舞ってその場を去った。
◆■◆
Bは部屋に戻った。
ベッドにはトニーが置いたままにしている無名のストラトキャスターが立てかけられていた。Bはそれを取り上げてベッドに座り、ひざの上に乗せた。
見よう見まねで覚えたトニーがよく弾くフレーズを奏でてみた。
悲しい音色に彩られたギターフレーズが痛々しい。
ローリングストーンズとかいうバンドの曲らしいが、曲名は知らない。
弾き終えたところで、Bはおもむろにギターを床に叩き付けた。
ピックでは決して表現できない音が、そのとき弾け、飛んだ。
こんな音も悪くはないな、とBは思った。
そしてトニーと別れてから一週間が経ち、一月が経ち、季節が変わり、年も変わった。
その後トニーはBの前はもちろん、スクワットにも現れることはなかった。
トニーのことは代わることのない記憶として残ったが、Bは成長とともに変わっていった。
トニーに裏切られた痛手は行き場のない憎悪へと変換された。
そして、その対象に境界はない。
敵対する組織はもちろん、気に食わなければ仲間にまで、その刃は向けられた。
向こう見ずな狂犬ぶりは、頼もしくもあり、また恐怖の対象ともなったが、組織の上の連中はそんなBの振る舞いを好ましく思っていた。
ガッツのある命知らずこそ、アウトローの世界では重宝されるからだ。
そんなこともあり、Bは若くしてスクワット内での地位を上げていった。
面白く思わない連中もいたが、それよりもおこぼれに授かろうとする者のほうが多いのも、Bの更なるステップアップを後押しした。
しかし、くそったれた日々は代わり映えしない。
たたきや近隣のチンピラとの抗争、ヤクの売人にポン引きと、どうでもいいような日々が過ぎていくだけだが、あることをきっかけにBは大きく変身することになる。
それは、ぼんやりと、ソファにもたれかかって見ていた深夜映画。
大昔に起こった戦争、第二次世界大戦を題材にしたものだった。
隣にいる女が話しかけてきた。
「ねぇ~、オモシロいの?」
マリファナ臭い。
かなりキマッているようだ。
「いや、つまんねぇ」
Bが面倒くさそうに返事する。
映画の中では、日本兵が日本語で何かを叫んでいる。
「手榴弾だ!」
字幕にはgrenadeと書かれている。
「シリューダンだって。グレネードのことを日本ではそういうのねぇ」
「シリューダン? シュリューダーンじゃねぇのか? 俺にはそう聞こえるけど?」
「シリューダン! シリューダン!」
女がはしゃぎながらBの股間を握り締めた。
「ここにたまっているシリューダンもそろそろ出したいんじゃないの?」
女は雌の視線でBの若い体を挑発した。
「ああ、たっぷりたまっているぜ。いまにも爆発しちまいそうさ」
そう言うと女を強引に引き寄せて、力強く抱いた。
そして、その数日後に事件は起こった。
いつものスクワットで、仲間たちとたむろしているB。
そのとき、不意に窓ガラスが割られた。
「!」
一瞬にして仲間たちに緊張が走る。
みな、すばやくピストルを窓外に向けて構え、発砲した。
銃撃戦は続く。
そしてその時、ある日本語がBの耳に突き刺さった。
「おい! 早く手榴弾を投げ込め!」
外から声がした。
「シリュウダン? シュリューダーンだと?」
そのとたん、脱兎のごとく部屋から飛び出したB。
後に爆発音。
悲鳴すら上がることなく、部屋に残っていた仲間たちは全滅。
窓から吹く風に乗って、血なまぐさい臭いがBの鼻を突いた。
たぶん、隣町を縄張りとする日本のヤクザたちの仕業だろう。
先日、島争いのいざこざで数人殺したのだが、それに対しての報復なのかもしれない。
そしてBは戦慄した。
あの時たまたま見ていた深夜映画、本来ならスルーしてしまうようなシーンだが、女と面白がっていたことで記憶に残っていたセリフが、まさか自身の身を救うことになろうとは。
その日を境に、Bはこれまでやったこともなかった勉強に取り組んだ。
言うまでもなく、語学。
バカはどの世界でも生き残れない。
それは、生死と隣り合わせな裏社会においては、より顕著となる。
その事実を身をもって学んだのは大きい。
Bはみるみる語学を身につけていった。
イタリア、ロシア、中国、メキシコ……アウトロー人口の高い国の言葉を優先して学んでいった。
優先度の低い言語については戦闘時に使われる言葉やスラングなどをメインにできる限りを身につけた。
人は自身の能力に目覚めたとき、その成長は飛躍的な伸びを見せる。
Bは驚くほどのスピードでいろんなことを学び、吸収していった。
元から頭がよかったこともある。
語学のほか、格闘技や射撃、暗殺術も学んだ。
センスがあったのだろう。
こちらのほうも、いち早く身につけ、また誰にも負けることがなかった。
学び、頭がよくなるほど、鍛え、強くなるほど、その欲求はさらなる高みを望むことになる。
また、望まなくとも、出世というおまけまでもついてくる。
言葉を話せるということは、他人に安心感を与える。他国のマフィアたちとのネゴシエーターとしての仕事が増えた。
また、屈強な肉体と格闘術、射撃技術はボディガード、そして時には殺しの依頼へと結びついた。
人は賢くなることで二者にわかれる。
ひとつは己が知識をひけらかす饒舌な者、もうひとつは周りの知的水準・文化程度に合わなくなり、無口となる者。
Bは後者だった。
口数の少なさが年齢に似合わない落ち着きをかもし、多くが年長者であった依頼者たちからのウケもよかった。
よって仕事も増えた。
仕事が増えることで当然環境は変わる。
スクワットでのしみったれた暮らしがつい先日までのことだったはずなのに、遠い昔のように感じられた。
また、それまで一緒に暮らしていた仲間たちも、いまBのいるポジションにまで上ってこられるものはなく、ついに知る顔はいなくなってしまった。
ひとりになったことで、無駄話や暇つぶしのための徒党を組む時間がなくなり、その分をさらなる自分磨きのために費やした。
トレーニングは毎日欠かさない。
勉強も暇を見ては図書館や大学に通って、いろんな知識を身につけるようにしていた。
知識が身につくことのすばらしさは、知るほどに、深まるほどに実感した。
しかし、それによって知らなくていいことも見えてくる、またわかってしまうことも……。
Bは自分自身が高まるほどに、どうしても鍛えることができないものがあることを痛感した。
それは「運」。
こればかりは、どうすることもできない。
トニーの一件で、ジジイがいったセリフが脳裏をよぎる。
「運の前には才能だろうが努力だろうが、すべては飲み込まれてしまう」
確かにそうなのかもしれない。
いや、そうなのだろう。
先日、Bに格闘技や射撃のイロハを教えてくれた男が死んだ。
先輩として、また偉大な裏家業の実力者として、Bはその男を尊敬していたし、腕前にもただならぬものを感じていた。
しかし、死んでしまったのだ。
それもあっけないほど簡単に。
その男は交通事故で亡くなったのだ。
話によると男は、休日の公園でベースボールを楽しんでいる子供たちの姿に吸い寄せられるように歩道を渡ろうとしているところに、飲酒運転の車が突っ込んできて轢き殺されたのだという。
男がなぜ子供たちのベースボールに興味を引かれたのかわからない。
また、ホンの数秒早く、もしくは遅く歩道を渡っていれば、轢かれることもなかっただろう。
奇しくもその日は、男が引退前に受けた最後の仕事の日だったという。
男の死は、新聞の片隅に軽く報じられた。
そこに載っている名前と年齢はBが知っているものとは、やはり違っていた。
裏の人間に、真実などない。
裏社会の仲間たちは、この死に様を大いに笑った。
凄腕のプロフェッショナルが、そんな間抜けな死に方をしたことにたいして。
裏社会の男たちの消息は、実にひっそりとしたものなのだ。
消えるか消されるか、そのどちらかしかない。
しかし、その男の死を通してBは強く思った。
強さもたくましさも賢さも、所詮運命の前では小ざかしいものでしかないのだと。
◆■◆
大学構内に備えられているベンチでひとり座りながら、Bは運、そして死というものについて考えていた。
Bはこれまでの仕事でそれなりの人数を闇へと葬り去ってきた。
すべてファミリーからの指令であり、B個人の私怨によるものではない。
『俺は運がよかっただけなのだろう』
暗殺、ときには激闘。
これまで潜り抜けてきた修羅場の数々が脳裏をよぎる。
いつ死んでもおかしくはなかった。
紙一重のところで、どうにか生き残ってきた。
知識を得たことによる余計な副産物。
知らなくてもいいこと、考えなくてもいいことを考えるようになってしまう。
時として、昔のようになんの悩みもなく、かっぱらいだけで生計を立てていたときのほうが、もしかしたら幸せだったのかもしれない、とBは折に触れて思い出すことがある。
しかし、だからといって、もう後戻りもできないことも知っている。
いや、組織に深く関わったことによって、Bはいろいろと知りすぎてしまったのだ。
逃げることはできない。
ファミリーへの裏切りは自身の死につながる。
消えるか、消されるか……。
『俺の悪運はどこまで持つのだろうか?』
鍛えようのない、気まぐれな「運」に左右されて、これまで生きてはこれたが、明日、いや今この瞬間すら、どうなるのかはわからないのだ。
Bはいつからか、寄付をしたりボランティアに参加するようになった。
理由は、ない。
そんなことをして運勢が太くなるなどとは考えていないし、神を信じていないどころか、生きるか死ぬかの二極化した世界に生きている徹底したリアリストのBにとってはそんな世間的善行を積んだところで、どうなるものでもないこともわかっていた。
しかし、なぜか裏家業の合間を縫ってそれらの活動を気まぐれに行っていた。
自分でも不思議で仕方がなかった。
いくら考えても、理由が見当たらないからだ。
特別な使い道のない金と、無駄に積もった知識や発散しきれない若くたくましい肉体の開放。
その程度のものであると、Bは考えていた。
間違っても、善行などのつもりはない。
道を行きかう同い年くらいの若い男女は実に楽しそうだ。
語らい、手をつなぎ、笑顔がたえない。
そんな姿を見ていると、自分がずいぶんと老け込んだようにすら思えてしまう。
『俺と彼ら彼女らとの違いはなんなのか? これもまた、運命というものなのだろうか?』
と。
『俺も裏家業から足を洗って、彼らのように大手を振って昼の町中で楽しむことはできないのだろうか?』
考えてはみたが、それが無意味なことなのはB自身が一番知っていることだ。
人には適材適所というものがある。
Bにとっては裏社会こそが一番の住処なのだということは、自分自身がいやというほどわかっているからだ。
というよりは、そうでも思わないことにはやっていられない気持ちになる。
闇夜が仲間、太陽は敵。
うつろな目で学生たちを見ているときに、ケータイの着信音がけたたましく鳴った。
ディスプレイの番号がファミリーからの連絡であることを知らせている。
また、それ以外の連絡先からかかってくることなどもない。
『仕事の依頼か』
ベンチから立ち上がると、ポケットに手を突っ込み、歩き始めた。
◆■◆
「よくきてくれたな兄弟! にしてもなんて格好だぁ」
場所はD州でも指折りの歴史と風格を持つチャイニーズレストランのVIPルーム。
ドレスコードのうるさいその店で、ラフな格好で入ることができるのは、すなわち顔のきく一部の人間のみだ。
金持ちもしくは町の支配者であるマフィアの幹部連。
Bのジーンズにスニーカーといういでたちを見て、電話をした張本人であるマフィアのナンバー2が、素っ頓狂な声を上げた。
「たまには若者らしく、ってのもいいかなと」
大学で連絡を受け、すぐに来るよう呼びつけられたので、着替える暇がなかったのだ。
もちろん、Bが大学なんぞにいっていることは誰も知らない。
B自身、しゃべる気も毛頭ない。
「まぁいいさ。とにかく座れ」
顎でBに着席するよう促すナンバー2。
その子分が椅子を引き、うやうやしくBに席を勧める。
「で、話というのは?」
テーブルにひじを突き、両手で組んだ手の上に顎を乗せてBはたずねた。
「まぁ食べてからでもいいだろう」
「いや、あいにくと時間がないんでね」
Bに一瞥をくれるナンバー2。
「他のヤツなら気にいらねぇ態度だが、お前さんだと話は別だな。様になるんだよ。無口なだけにな」
「……」
無言で返すB。
「話ってのは他でもねぇ。我がファミリーのヤクに手をつけたバカ野郎たちをふん捕まえてほしいのさ。ただし、殺しは不要だ。それだけで済ませるわけにはいかねぇからな」
拷問、そして見せしめのために殺した後さらし者にする。
組織に楯突く愚か者は徹底的にやりこむのが、我がファミリーの決まりごとなのだ。
そして裏切り者にも。
「ヤクの売買は今週の土曜23時きっかりに○○埠頭の第○倉庫で行われるというタレコミがあった。お前には、そこへ単身乗り込んでバカ面下げた裏切り者どもを殺さない程度に痛めつけてもらうってわけさ」
裏物の取引は最小限の人間で行われることが多い。
無用な警戒心を相手に与えないことと、大人数では揉め事が起きたときに大掛かりになってしまうからだ。
そのようなことから、暗黙の了解で少人数で取引されることが多いのだ。
それだけに、今回のヤマはそれほど難しいことはないだろう、とBは思った。
「わかった。道具は自前で用意するから」
「ん? 欲しいものがあるならいってくれ、好きなだけ用意するぜ」
「いや、いい」
用意されたものなど使えない。
それがたとえ仲間のものだとしてもだ。
この手の仕事を請けるときは猜疑心、というよりは小心になるくらいがちょうどいいとBはいつも思っている。
時には大胆さも当然必要だが、平素はデリケートかつ繊細に取り組むようにしている。
これも経験と学習から得た、生き延びるための知恵だ。
◆■◆
そして仕事の当日。
Bは一足早くブツのやり取りをする場に赴いてスタンバイをしていた。
下見はすでに済まし、事前にトラップや予備の武器などを倉庫内のあらゆるところに隠しておいた。
あとは、バカどもが現れるのを待つのみ。
まもなくすると、車が止まる音がした。そしてさらにもう一台。
「……」
車は二台、足音の数からすると、5人、いや4人だな。
息を潜め、目を閉じ、聴覚を鋭くして敵の数を数える。
この方法でいままで間違ったことはない。
倉庫の重いドアが開けられ、まもなく閉じられる金属音が響き渡る。
続いて電気が灯された。
電球は切れかけており、暗い。
ドアが閉ざされた倉庫内は外からの明かりもなく、暗闇同然だ。
「暗いな。目が慣れるまで、少し待たないか?」
「いいだろう」
切れかけの電球に交換したのはBだった。
こちらは暗視スコープを持っているので、少しでもアドバンテージを持たせるためにしたことだ。
数分後、どちらからともなく取引の話が再開した。
「それでは見せてもらおうか?」
「そっちも準備はできているんだろうな?」
お互いがけん制しあう、いつものパターン。
それぞれが品物と金をアタッシュケースからランダムに取り出し、偽物ではないかを確認する。
「ふむ、物は確かなようだ。それじゃ、手はずどおりに交換といくか」
物陰から現場を目視するB。
男たちはいずれもサングラスをしている。
これも当たり前のことだ。
どこで、面が割れてどうなるのかわからないだけに、当然のことといえよう。
そしていよいよ交換。
交換方法はいろいろあるが、今回は各組織から一人ずつアタッシュケースを持って近づき、同時に受け渡しをするというやり方らしい。
ここがもっとも緊張する瞬間。
取引のふりをして相手を殺し、両得を得ることはよくあることだからだが、果たして今回は!?
「ほらよ」
アタッシュケースを相手に渡す瞬間、手提げに力をこめるような動作をBは見逃さなかった。
『何かがある!』
Bの勘は当たった。
アタッシュケースから霧状のものが噴出し、食らった側は激しく咳きごんでいる。
「くそ! 騙しやがったな!」
「騙されるほうが悪いのさ。お前ら何年この世界で暮らしてきたんだ?」
そう言うなりピストルを懐から取り出し、瞬く間に取引相手を射殺してしまった。
「ふん、楽な商売だぜ。なぜ、あのときはこううまくいかなかったのか……」
一人ピストルをぶら下げたまま、男はぼやいた。
するともう一人がせかすように話しかけた。
「長居は無用だ。さっさといこうぜ!」
「そうだな」
ヤクと金のアタッシュケースを手に提げた男たちは、倉庫を後にしようとする。
『長居が無用なのは俺とて同じさ』
Bはピストルを構え、背中を向けたままの二人の男のうちの一人の太ももにめがけて発砲した。
「パン!」
静寂を破る弾音、そして悲鳴。
「ぐぉ!」
太ももを射抜かれた男がその場に倒れこみ、痛がっている。
それに気付いたもう一人の男が振り向きざまにBを確認したときには、すでに遅し。
Bの二発目の弾丸は見事に男の太ももを射抜いたのだ。
倒れこんでいる二人に近づくB。
まずは安全のために、相手のピストルを取り上げた。
「残念だったな。取引以外の第三者に気が回らないとはな。お前ら何年この世界で暮らしてきたんだ?」
男のセリフを拝借してBは言った。
そのとき、
「……お前……」
男がBを見て驚いた顔をしている。
「……」
Bは男の顔を軽くケリ上げてサングラスを顔から弾き飛ばした。
「トニー……」
「や、やっぱりお前か」
一瞬の沈黙。
「ふふふ、子供の成長は早いな。しばらく見ないうちに随分と男の顔つきになったじゃないか?」
「……」
「なんで? って顔に書いてあるぜ。知りたいのか? 俺のことを」
撃たれた太ももを手で撫で付けながら、トニーはBに言った。
その顔はやつれていた。
50代くらいの老けた顔つきで、頬もこけている。
たぶん、ドラッグのやりすぎなのだろう。
「殺す前に、少しくらい話をさせてくれないか? そうだな。タバコを吸い終わるくらいの時間でいい」
Bは険しい顔をしてピストルを再度構えた。
「う……お、おい…」
狼狽するトニー。
そして発砲。
「ぐお!」
撃ったのはトニーではなく、もう一人の男。
その場から逃げようとしたのを見とめてもう片方の足を射抜いたのだ。
「ふう……あせったぜ。」
息をつくトニー。
そして、Bに言った。
「すまんが、胸のポケットにタバコが入っている。取ってくれないか? 俺は見ての通り、両手で体を支えているんで取ることができねぇ」
「……」
「ふっ、顔つきといい、度胸といい、用心深さといい、お前、相当な玉に育ったようだな。元相棒としても鼻が高いぜ」
間を埋めるようにトニーが続ける。
「だが、大丈夫だ。見ての通り両手がふさがっているんだから、不意打ちなんてできっこねぇ。昔のよしみでそれくらいはやってくれないか?」
Bは警戒を怠らず、トニーの胸からタバコを取り出し、口にくわえさせて、火をつけてやった。
トニーはタバコを大きく吸い込むと、体の中のすべての空気を絞り出すように深く煙を吐き出した。
「うめぇ。これが最後の一本になるのかな? ふふ」
「……聞かせてもらおうか? お前のことを」
「やっと口をきいてくれたか。いいぜ。さーて、なにから話そうか?」
聞きたいことは山ほどあった。
なぜここにいる?
ギターを買った時の金はどうしたんだ?
ギターはもうやめたのか?
なぜスクワットに来なくなったのか?
そして……
「人から聞いた話だが、お前はなぜ白人を憎んでいるんだ?」
時間もそんなにあるわけではない。
一番気になっていること、そして多分諸々の根源となっていると思われることをズバリ聞いた。
「ふ、そんなことか」
やれやれといった顔つきでため息を付き、言葉を続けた。
「それはな、俺の体に半分白人の血が混じっているからさ」
「……」
驚いたがそのことは顔や口には出さない。
次の言葉を待った。
「俺のお袋はある白人の有名ロックバンドのギタリストにレイプされたのよ。そして生まれたのがこの俺ってわけさ。忌々しい生い立ちだよ。白人でもなければ、仲間と思った黒人からは白人の血が入っていると拒絶される。俺はいったい何人だ?」
「……」
「遺伝ってのは、確かにあるのかもしれねぇ。皮肉にも、そいつの血が騒ぐのか俺は自分で言うのもなんだがギターのセンスはかなりあった。その道で有名になることで、お袋をレイプした白豚野郎に復讐ができると思ったわけさ。黒人の言うことなんざ、誰も信じやしねぇからな。俺が出生のことを声高に叫んだところで、売名目的の虚言か狂っていると思われるのが関の山さ」
「殺しはしない。後悔させてやるのさ。俺があんたの息子だってな! そのためにも俺は有名になる必要があったのさ! ヤツと同じステージに立つ必要がな」
「気にくわねぇことには、タンと養育費だけはよこしていやがる。ロッカーのくせに、世間体だけは気にしやがる小心者さ! そんなやつの作る音楽ほどよく売れるってな! それで黒人には不似合いな自適な暮らしができたってわけだ。へっ、糞食らえだ! そんなんで罪を償えるとでも思ったのかね?」
「しかし、お袋もお袋さ。そんな白豚からの施しでのうのうと暮らしているんだからな! 黒人としてのプライドなんてありゃしねぇ! はっ、まぁ俺は黒人でもなければ白人でもないんだけどな!」
「大体にして、お袋がレイプされたなんて話も怪しいもんさ。悠々自適の暮らしで昼真っから男をとっかえひっかえよ。お前にはわかるまい。そんなわけのわかんねぇ家庭、家族という絆のわずらわしさをな! 俺みたいな腐った家庭環境の人間にとって、それはいらん十字架のようなものなのよ! 俺は自由でありたかった。名もなき浮浪児たちのお前らがうらやましくてしようがなかったんだよ! くくく、これはブルジョアの驕りってか?」
『黒い動機、暗いプロフィール』
Bの頭の中にジジイの言葉が響き渡る。
家なき子は確かに恵まれてはいないが、不幸とも限らない。
家のある子は確かに恵まれているかもしれないが、幸福とも限らない。
町を彩る家々やマンション、ビルの中には、いろんな幸せや不幸せを内包している。
物質の豊かさが、必ずしも幸福量に比例するわけではないのだ。
「だから俺は、極力自力で生活する道を選んだのさ。黒人のできる仕事なんてしれている。だからアウトローの道に進んだんだよ。実際、スクワットでの仕事は金になったしな」
「が、しかしだ。考えが甘かったようだな。裏町道に首を突っ込んでしまったら、そう簡単には逃がしちゃくれねぇ。それはお前には説明するまでもないだろう。それからは転落の一途よ。お前と別れた後、組織を抜けようとしたのがバレて連れ戻されて、このザマさ」
そういうと、トニーは左手の平をBの前に掲げた。
その手の平には、何かで射抜いかれたような古い傷跡が見て取れた。
左手は小刻みに震えていた。
これではギターを握ることもままならないだろう。
そして、その時……
「プシュ!」
トニーの左手のジャケットの裾から霧状の液体がBの目の中に飛んできた。
「うっ!」
顔をそむけたが一瞬遅れてしまい、液体を顔に受けてしまったB。
『目が、開けない! 燃えるように熱い!』
受けたのは護身用のスプレーかなにかだろう。
いずれにせよ、己の迂闊さを呪った。
「ははは! 詰めが甘いんだよ、坊や! さらば、かわいい相棒よ!」
そういうと、トニーはゆっくりと立ち上がり、足を引きずりながら出て行こうとする気配がした。
「待ってくれよアンジー! 俺を見捨てないでくれ!」
Bに両足を射抜かれたもう一人の男が叫んでいる。
「くっ! 待て! トニー!」
倉庫のドアが開き、トニーが出て行くのがわかった。
口笛を吹いている。いつも聞かせてくれたあの曲。
ローリングストーンズの曲『As Tears Go By』。
曲名を知ったのはいつだっただろうか?
目を押さえながらBは考えていた。
もうギターでは弾くことができないであろうその曲をトニーは口笛に乗せて吹いていたが、メロディはどんどん遠のき、埠頭の夜霧とともにかすんで消えた。
そして、しばらくすると、車の到着する音。
たぶん、組織の連中だろう。
◆■◆
「まさか、しくじろうとはなぁ」
いつものチャイニーズレストランのVIPルーム。
ナンバー2はゴルフクラブのヘッドを磨きながら、そばで立ったままじっとしているBを叱るでもなく、話しかけた。
「……」
沈黙するB。
トニーから食らったスプレーは毒性のものではなかったので、しばらく時間が経てば痛みはとれ、視力も元通りに回復した。
「まぁいい。もう一匹の雑魚はそのうち網にかかるだろう。どのみち生きてはこの町から出ることなどはできんさ」
すると、ククッと小さな笑いを漏らしながらナンバー2は言った。
「それよりも、お前もミスすることがあるんだな! ふふふ、お前は少し精密すぎた。逆に人間ぽいっところを見ることができたんで安心したぜ」
椅子から立ち上がり、ゴルフのスウィングをするナンバー2。
「で、お前を呼んだのは他でもない。また、仕事を頼みたくてきてもらったわけだが……」
子分に目で合図を送ると、子分は懐から取り出した写真をBに手渡した。
『女?』
写真には女が写っていた。褐色の肌、黒いつややかな髪、目はなぜか閉じたままだが、全体の顔立ちからもかなりの美人であることがわかる。
「これはファミリー直の仕事じゃねぇ。関わりのある某政治家からの依頼だ。その女のオヤジはアラブの石油王なのさ。某国には献金やらでかなり顔が利くらしく、そのオヤジに足元をすくわれた報復だとよ。愛娘を殺せばせいせいするんだろうさ。ま、くわしいことは直接電話して決めてくれ。俺たちに任せられたことは、ただひとつ。その女を殺すということさ」
「……」
「ふん、さすがのお前も罪のない女の殺害は気乗りしないってか? 冷徹なマシーンだとばかり思っていたが、ついに錆び付いてきたのか? ははは」
そう、Bは罪のない人を殺してきたわけではない。
『俺は確かに人殺しかもしれないが、殺人鬼ではない』
境界線などわからない。もちろん、誰に決められることでもない。
戦争による殺人は?
無意識のうちに起こした交通事故で殺めた場合は?
もし、そのようなものがあればの話だが、正当な理由、もしくは正義の元に行われた殺人は?
『俺の殺しに正義はないかもしれないが、悪でもない……はずだ』
これまでBが殺してきたのは、同じく裏稼業でしのいでいる、もしくはのさばっている悪党どもに限られた。
調査をして、自分なりの価値基準ではあるが、この世を去るほうがよい思える者だけを選んできた。
しかし、今回はどうやら違うようだ。
「……」
写真を見つめ続けるB。
ナンバー2は不敵な笑みをたたえながらBに言った。
「お前、もしかしたらこの稼業から足を洗いたいんじゃないのか?」
「!」
顔には出さない。
しかし、心は読まれたようだ。
「ふん、言葉ばかりがコミュニケーションじゃないぜ。そいつが発する空気感からも、十分に伝わるってもんよ。こう見えても俺、心理学を専攻していたんだぜ」
初めて聞く話だが、バカではナンバー2になどなれるわけがない。
Bの知らない特技がナンバー2にはあるようだ。
そんな人並みはずれた技量があればこそ、組織の二番手になれたのだろう。
「いいぜ。組織を抜けさせてやってもな。ただし、それはその仕事が無事に終わらすことができればってことでどうだ? ん?」
やさしく語りかけはするが、その顔は意地悪にゆがんでいる。
Bもまた、頭がいい。ナンバー2の考えもお見通しだ。
組織がそう簡単に俺を手放すことはない、と。
もちろん断ることもできるだろう。
が、しかし、
「いいだろう。この仕事は請ける。その後のことについては終わってから考えさせてくれ」
つとめて冷静に返事をするB。
「ははは! それでこそ俺が見込んだ男ってもんよ。それじゃ、よろしく頼んだぞ」
言うことをいってしまうと、またゴルフのスウィングに夢中になってしまい、Bのことなど忘れたかのようにクラブで空を斬っている。
「おっ! ナイスショット!」
会心のスウィングにガッツポーズをするナンバー2を尻目に、Bは静かに部屋を出た。
◆■◆
「おい、ジジイはまだ生きているのか?」
Bはスクワット前にたむろしている男の一人に声をかけた。
「あ? やつならまだ生きているけど……」
Bの上等な服装を見て、いぶかしそうに返事をする男。
「そうか」
「おい! 場所はわかるのかよ!」
Bはその返事を聞き流し、そのままスクワットの中へ入った。
『変わらないな』
ほんの数年前までは、生まれてからずいぶん長いこと暮らしていた場所なのに、もう懐かしさすらこみ上げてくる。
それだけBを取り巻く環境が、めまぐるしく変化したということだ。
懐かしさはなにも、月日の経過だけで覚える感覚ではない。
「入るぞ」
そういうなり、入り口にかけられたカーテンを開いて中に入る。
この部屋もまた、なにも変わっていない。
木彫りの仏像は由来のある神、ガキのころに見たときは、バンダナかなんかと思っていたものは曼荼羅。
なんの知識も教養もない、あのころのBといまのBは違う。
怪しげなムードとしか目に映らなかったこの部屋が、実はある宗教に根ざしたものであることが、いまのBにはよくわかる。
ちょっとした小宇宙だ、とBは思った。
センスと教養がにじみ出ているとも。
「ふん、だれかと思えば懐かしい顔じゃの」
マリファナをふかしながらBに話しかけるジジイ。
「で、なんの用じゃ?」
ジジイをしばらく見つめたのち、歩み寄るB。
「おっと! お前さんはそこまでじゃ。また釣りの払えないものを貰ってはたまらんからな」
以前、ケリ上げられたことがあるだけに、警戒しているようだ。
ジジイを見つめたまま、Bは切り出した。
「おい、俺は長生きできると思うか?」
単刀直入に問いかける。
「その質問は時価じゃな。それでもよければ答えて進ぜよう」
「いいだろう。教えてくれ」
「ふむ……」
じっとBの目を見つめるジジイ。
そんなジジイを見て、いまさらながらBは思った。
コイツもプロなのだな、と。
ハッタリのきいた部屋の装飾、胡散臭くも説得力を伴った風貌、そして部屋の中に充満するマリファナは訪れる者に幻覚をもたらせる……なるほど、占い師、いや詐欺師でもいいが、ジジイは人の心に忍び寄るためのなんたるかを心得ている。
数々の小道具が、人の心理に揺さぶりをかける。
これなら、騙されるやつが多いのもうなずけるというもの。
「お前は……次の仕事が大きな試練となる。長生きは……できるだろう」
「……」
「今わしが言えるのはここまでじゃ」
ふぅ、とため息を漏らし、額から大きな汗粒が垂れている。
「ふ……」
口元で小さな笑いを漏らすB。
そういえば、笑ったのはどれくらい久しぶりなのだろう?
芝居もここまで行けば上等だとBは思った。
Bは仕事のことは一言も言ってはいない。
しかし、ジジイはBからの質問に対して、なんらかの大きなヤマがあると踏んだのだろう。そうなると、もう生死をかけるような仕事以外には考えられない。
ハッタリだろうがヤマ勘だろうが、うまいこと言ったもの勝ちなのだ。
要は聞き手が納得するかどうか?
そういう意味では、ジジイの洞察力と話術は確かなものがある、とBは思った。
「そうかい、俺は長生きできるか」
「お前から発散される気にはそう出ておったよ」
「ありがとよ。これは謝礼だ」
そういうと、財布を丸ごとジジイの前に投げ捨てた。
財布を拾い上げ、中身を確認するジジイ。
「わしが欲しいのは金だけじゃ。免許証なんぞはいらんぞ」
「捨ててくれ。どうせ偽造したものだ。またこれから新しいものを作るから、もう必要ない」
そういい捨てるとBは、カーテンを開いて部屋の外に出た。
新たに受けた依頼をこなすために。