■殺し屋編 その1
20XX年7月15日 某国某資産家邸 20:14
『このミッションには実に長い年月を要した。数々の適正試験をクリアし、部内での評価を得て、ようやくターゲットに接近できたのだが……』
Bは述懐していた。
『なのになんだ? このでたらめな世界は!』
Bは殺しの世界ではXXXという名で通り、その界隈では名前を知らないものがいないほどの存在だった。
いままで課された仕事はすべてそつなくこなし、今回のミッションに関してもすでにチェックメイトの段階にまできていたというのに……。
ターゲットは某資産家の娘。
某資産家は石油王として知られるアラブ系の人物で、某国の政治に多大な影響力を持つ裏の顔とまでいわれている人物だ。
それだけに、仲間も多いが、また敵も多い。
今回の依頼は、その某資産家の裏の力で失脚させられた某政治家のひとりから受けたものだった。
「やつの愛娘を殺してほしい。手段は問わない。が、明らかに他殺である形跡だけは残してくれ」
報復であることを知らしめたかったのだろう。
依頼人は下衆で知られる政治家の一人で、某国では老害扱いされているほどの憎まれ者だった。
しかし、Bにとっては大事な依頼人の一人。
なんの罪もない女を殺すことに躊躇はしたが、理由あって依頼を遂行しなければならなかった。
だが、某資産家の屋敷は厳重かつ広大なため、ライフルの類などでシュートするのは不可能に近い。
近距離戦でかたをつけるしか、手はなかった。
そのためには屋敷に忍び込むしかないわけだが、先にも述べたとおり、屋敷は常に厳戒態勢が敷かれているため、早々と侵入することはできない。
一度、命は取り留めたもののライフルで狙い撃ちされたのを機に、その手の外敵から身を守るため、ありとあらゆる防御手段が施されていた。
そのようなこともあり、残された道はただ一つ。
そう、雇われの身となってターゲットに近づき、隙を見て殺害する。
『これしかないな』
Bは思った。
入社試験はかなり厳しいものだった。
しかし、そこは裏の世界で名を馳せているだけのことはあるB。
まずはウソの身元をこしらえるために、あらゆる工作を施した。
裏から手をまわして戸籍を買い、車の免許を偽造し、身元をとことん偽った。
そして、試験。
明晰な頭脳、格闘技術、そして射撃能力。
A級の殺し屋として長年生きてきたBにとっては、これらはなんの苦もなくクリアすることができた。
『逆にそれが自らを襲う刃になるとも知らずに』
本末転倒なことになるこの試験を半ば滑稽に感じながらBは合格した。
そして、ここからが本番。
屋敷内での評判を高めること。
ある時は、謙虚に振る舞い、ある時は弱みを握って脅すなどして、同僚どもを蹴散らし、ついにターゲットの側近になるべく地位を手に入れたのだった。
『ようやくここまで来たというのに……』
その時、Bを呼ぶ内線が入った。
「B! B! いるの? いったい今なにがおきているの? いるならすぐきて頂戴!」
お嬢様からだった。
いうまでもなく、Bのターゲットである。
お嬢様は生まれながらにして目が見えなかった。
だからいま起きた喧騒を確認することができないので、不安がっているのだろう。
「お嬢様! いまはどちらですか?」
「自分の部屋よ! いったい何が起きているの?」
「詳しくは後でお話しします。ただ、今は危険な状態ですので、絶対に部屋からは出ないでください」
先ほど起こった正体不明の奇病により、みんな同じ顔になってしまってパニックが起き、屋敷にいた者のほとんどは外へ逃げ出してしまった。
Bは思う。
『この手のパニックが起きた時は、とりあえずその場にいることに身の危険を感じて、そこから離れたがるのは人間の、いや動物の本能なのだろうな』
と。
『しかし、どこへ行くというのだろう? こんな状況なら、外も同じだろうに。いや、パニックの相乗でよけい危険に身をさらすだけになるのがわからないのだろうか?』
つとめてプロらしい考察をしながら、お嬢様のところへ向うB。
が、その時、
「!」
急に立ち止まるB。
そして、素早く、それでいて静かに物陰へ身をひそめる。
それというのも、サイレンサー付きのピストルを片手に歩いている男の姿があったからだ。
『なぜこんなときに、ピストルなどを持っているんだ?』
男が去ったあと、急ぎ男が出てきた場所にいくと、そこには某資産家の死体があった。
いつものガウンを着ていたので、それがすぐに某資産家であることが分かった。
眉間を一撃で射抜かれている。
それを見て、これはプロの手によるものに違いない、とBは思った。
しかし、某資産家のアラブ系の褐色の肌は、見事なまでに白人のそれとなっている。
『このおかしな出来事は、人種を変え、顔を変える病気なのだろうか?』
その時、Bの頭にはある記憶がよぎった。
『トニーも同じく白い肌になったのだろうか? 忌み嫌っている白い肌に』