■博士編
20XX年7月15日 某国某州 22:15
Aは有頂天だった。
Aとはもちろん、言うまでもなく博士を裏切った、あのAである。
齢50数歳。
若いころのまま綺麗に年をとった渋いマスクは変わらずだが、口元に立派なひげを蓄えている。
『ふっ、俺もとうとうここまで来たか』
ワイングラスを片手に思いをはせる。
場所は某国某州でトップクラスの某ホテル、入口には「某国某州知事就任パーティ」と書かれていた。
そう、Aは博士からだまし取った新薬でノーベル賞を受賞、その知名度と持ち前のカリスマ性を生かして政界に進出し、現在ついに州知事の座を勝ち取ったのだ。
会場内には多くの人があふれている。
それを満足げに見渡すA。
『どうだこの顔触れは! 政界の大物、ノーベル賞受賞者、有名映画主演の男優、女優に、一流アスリートやアーティストの数々……』
その顔の広さ、そして自身の実力で勝ち取ってきた現在の地位をAは、心地よくかみ締めていた。
『だが、まだまだだ! 州知事なんぞその足がかりにすぎない。俺の目指すところは……』
一人、悦に入っているAにSPの男が近づいてきて耳打ちをした。
すると、それまで上機嫌だったAの顔が急に険しくなる。
「なんだと? たしかにそう言ったんだな?」
「ええ、間違いございません」
即答するSP。
すると、厳めしい顔で考え続けるAだったが、まもなく、
「そうか、通してやれ」
「かしこまりました」
そういうとSPは踵を返して元のいた場所へと戻って行った。
『なんだって今頃……』
Aの顔は相変わらず険しい。
しばらくすると、遠く会場の入り口から、小人のような140センチくらいの杖をついた男が、ビッコをひきながら近づいてきた。
『間違いない、やはりやつだ』
そう、現れたのはあの博士だった。
そして、二人相対する。
「……」
無言のまま、お互いを見やる。
口火をきったのはAだった。
「やあ久し振りだね。もうてっきり死んだものかと思っていたよ」
いきなり挑戦的な言葉で挑発するA。
無言の博士。
「いったい、こんなところまでなにしに来たんだね」
「ま、まずはノーベル賞受賞おめでとう」
「あーあれね。大したことはない。実につまらないものさ」
なおも博士を挑発し、小バカにしたような発言をする。
「き、綺麗な奥さんだな。確か3人目だったか?」
著名人たちと談笑している、それこそ女優にもひけを取らないほど綺麗なAの新しい奥さんを見て、博士は言った。
「ふ、よく知っているじゃないか。そんなに俺のことが気になるのか」
「あ、ああ、気にしているよ。い、一日たりとも君のことを忘れたことはなかったよ」
「ふん、気持ちの悪いやつだな。だが、生憎と私にはその手の趣味はないのでね。ところで用はなんだ?」
「き、君を殺しに来たのさ」
「な、なんだと?」
一瞬胆をつぶした。
かつての付き合いで、博士は嘘や冗談を言うような男ではないのを知っているからだ。
その刹那、となりにいるSPに振り向くA。
『武器やそれに準ずるようなものは持っていませんでした』
とSPはアイコンタクトでAに伝えた。
安堵の表情にもどるA。
「ふふ、お、驚いたようだね。な、なかなかいい表情だったよ」
博士がAを挑発する。
その発言にカチンときたAは、怒りにまかせて言った。
「ばかばかしい! 冗談はやめたまえ! 用がないのなら帰ってくれないか? 会場のみんなも君のことをそういう目で見ているぞ!」
確かに、それまでは各々談笑を楽しんでいたはずの会場内だが、博士が現れたことで水を打ったように静まり返り、A周辺のほうに視線が集まっている。
Aの奥さんも心配そうに、こちらを見ている。
「帰りたまえ! ここは君のような奴がくる場所ではない」
「そ、そうか、そ、それなら帰るとするか。た、ただその前に一つだけ言わせてもらおう」
「なんだね、言いたいことがあるなら、早く言いたまえ!」
怒気まじりに、博士にはき捨てるA。
「も、もうすぐ世界が終る。ぼ、僕の発明した新薬でね。そ、それを君にだけは伝えたかったんだ」
「!」
驚きひきつるA。
『世界が終わるだと? そんなふざけたことがあってたまるか!』
博士の天才ぶりから考えると、あながち嘘とも思えないが、Aはそんな考えを無理矢理に否定した。
いや、そうでも思わなければやってられなかった。
これまでAが築き上げてきたサクセスストーリーを軽蔑していた博士ごときに破壊されるようなことはあってはならないからだ。
Aの存在意義が博士の発言を拒絶した。
「こ、これは僕を裏切った君への報復であり、ま、また僕を黙殺し続けてきた世間への復讐なんだ」
Aは頭に血が上った。
上機嫌だった気分をぶち壊しにされたからだ。
博士の登場により、パーティがしらけてしまったこともある。
場内は、Aと博士のやり取りを見ながら、ざわついている。
「こ、この狂人が! この男をつまみ出せ!」
Aがそういうと、2人のSPは博士の両腕をしっかりつかみ、外へと運び出そうとする。
博士は、まるで抵抗しない。
「今日の22時20分ごろ、世界は終わりを迎えるのだ! ははははは! 終わりだ! すべてが終わるのだ! そして新しい時代が幕を開ける! かつてない、誰も想像したことがない新世界が!」
思わず時計に目をやるA。
時間は22時18分。
博士のいやな笑い声が会場内にこだまする。
間もなくすると博士の姿も会場から消え、その笑い声も聞こえなくなった。
しかし、時計から目を離せないA。
『世界が終わるだと? いったいどんな方法で?』
緊張しながら時計を見続けるA。
『あと、10秒……』
『3・2・1……』
『0! なにも起こらなかった! ふん! あの狂人めが! 戯言をぬかしやがってからに!』
◆■◆
その時、世界中の空には、ラジコンヘリのようなものが旋回していた。
薄紫色をした煙のようなものを散布しながら……。
だがしかし、それを異変として気がつくものは誰もいなかった。
◆■◆
気を取り直し、某政治家と歓談しているA。
博士のことなど、もうすでに頭にはない。
が、話をしている最中、急な眠気に襲われた。
なぜか頭がふらつく。
中にはその場に倒れこんでいる者の姿も、かすれゆく視界のなかで確認できた。
『ま、まさかあいつがいっていたのはこのことか? もしかして毒ガス? いつ、どこに仕掛けたんだ……』
薄れゆく意識の中で、Aは思った。
こんなことになるなら、博士を拘束していおけばよかった、と。
「……」
深い眠りについたような感じだった。
が、間もなく意識をとりもどしたA。
『一体何が起きたんだ』
とりあえず時計を見ると、時間は22時35分を示していた。
あれから数分くらいしかたっていなかったことになる。
『生きている! なにが起きたのか知らないが、結局は奴のハッタリだったんだろう』
Aは安堵した。
が、しかし、それは束の間のことで、周囲は大いにざわめいている。
かなり、騒がしい。
すぐに、その理由はAにもすぐわかった。
「な! なんだこれは! いったい何が起きたんだ!」
お互いがお互いの顔を見つつ、騒ぎ出しているのだ。
中にはパニックに陥っている者もいる。
というより、正気の者のほうが少ないくらいだ。
会場内は大きな騒ぎとなった。
危機的状況がもたらす本能なのか、会場から逃げ出そうとする人間たちが入口に殺到し、かなり危険な状態になっている。
「こ、これは、こ、これはいったい!?」
顔が、みんなの顔が同じになっている。
「なんでみんなの顔が変わっているんだ!」
はっとして、両手で自らの顔をまさぐるA。
もしかしたらとは思ったが、すぐに分かった。
少なくとも、Aの顔の隆起は、普段洗顔などで覚えている手の感触とは違うものだった。
鼻の高さ、唇の形、瞼の厚さ、などなど……。
「か、顔が変わっている! 俺の顔が変わっている。そしてみんなの顔も!」
世界中がパニックに陥っている。
一瞬にして老若男女を問わずに、みんな同じ顔になってしまったのだ。
これが博士の発明だ。
薄紫色の煙を吸った人間の細胞を一瞬にして操作し、博士が作り上げた容姿へと変貌してしまうという劇薬。
白人も黒人も黄色人種も、みな同じ顔、同じ皮膚の色。
子供は子供用の顔に、大人は大人用の顔に、老人は老人用の顔に……。
当然声も同じになっている。
この世は男女二種類の顔しか存在しなくなってしまったのだ。
そんな喧騒のなか、博士はパニックの状況をひとり楽しんでいる。
「も、もう、こ、この世に美醜は存在しない! そ、それによる差別もなくなれば、コンプレックスもない。こ、これでもう、み、みな平等。ま、まさに公平な世の中なのだ!」
そのとき、会場から殺到してきた人々の波にのまれてしまった博士。
「う、うわ!」
体が小さいこともあってか、逃げ惑う人々から蹴倒され、転倒してしまったのだ。
「た、助けてくれ!」
博士の悲痛な声など、パニック状態に陥った人間の耳になど届くわけがない。
そのまま誰にも気がつかれずに踏みつぶされ続け、博士はまもなく絶命した。
これにより、天才狂科学者の発明した劇薬の解毒剤を作れる者は、この世に存在しなくなった。
いまも、そしてたぶんこれからも……。
◆■◆
ガランとした会場内に、ひとりポツンとたたずむA。
まさに一瞬だった。
一瞬にして、Aの持つすべての地位、財産、名誉……を奪い去った。
また、妻らしき者の姿すら見当たらない。
これまで、一つずつ築き上げてきたものすべてが一瞬にして無に帰った瞬間だった。
『やられた……』
思考は完全に停止している。
『くそ! あんなやつに、まさかこんな目にあわされるとは……』
ふらりと部屋を出た。
狭い出口に殺到したせいだろう、入口付近にはたくさんの同じ顔をした男女が死に、もしくは痛み苦しんでいる。
その中に、異様に背が低い男の死体も交じっていた。
これが博士だろう、とAは思った。
しばらく博士らしき死体を見つめたのち、Aは廊下の壁に掛けてあった鏡をのぞき込み、自分の顔を見てみた。
やはり、同じ顔だった。みんなと同じ顔。
『それにしても、どこかで見たことがある顔だな……』
しばし、自分の顔を見つめている。
『まぁもうどうでもいいことだ。こんなになってしまったあとでは……』
Aは予想した。
博士のいうとおり、もう世界は、そして人類は終わってしまうことを。
これからのパニックは想像に難くない。
顔が同じになったことにより、ショックで自殺する者、あるいは同じ顔であるのに乗じて悪事を働く者、食糧の奪い合い、殺し合いなども間もなく起こるだろう。
少なくともAにとって、すべてを失ってしまったこの世界には、もう未練はなかった。
もう一度、博士らしき死体に目をやった。
多大なコンプレックスが生み出した、狂気という名の平等。
そんな偽りの平等な世の中を作ったつもりでいた本人が、その平等によって殺された。
Aは一人、小さく笑った。
『皮肉なものだな。必要とされない者は、世の中が変わろうとも必要とされないのだ。たったいま、お前が身をもって知ったことだろうよ。ざまあみろだ!』
博士の狂った、それでいて天才的なこの発明に嫉妬しながらも、全面的に否定した。
『だが、俺は認めないぞ! 俺はお前に負けたのではない!』
そこに1人SPらしき服を着た男の死体があった。
AはSPの服をまさぐってピストルを抜きだすと、こめかみに銃口をあてがい引き金を引いた。