■孝編 その3
20XX年7月14日 日本・東京 14:00
自分の部屋でくつろいでいる孝。
どことなく、そわそわしているのは、今日、梢が遊びに来る日だから。
だが、残念なことに両親とは顔合わせをする機会を逸してしまった。
それというのも昨晩、祖父が急病で倒れ、今朝方両親ともども故郷へと帰省してしまったのである。
『何ともタイミングが悪い』
さすがにこれには、梢も心象を悪くするのではないだろうか?
こんなに都合よく肉親が危篤なんて話は、あまりにおあつらえ向きすぎる。
内心両親に会わせるのを拒否された、と考えられるかもしれない。
『まぁ考えても仕方ないか。本当のことを伝えよう』
まもなくして、中断していた部屋片付を再開した。
といっても、梢を迎い入れるための掃除ではない。
荷造りだ。
そう、今日はついに大阪に発つ日。
夜の新幹線で行くことになっている。
とりあえず大阪ではウィークリーマンションを借りて、明日送る予定の荷物が届き次第、マンションで暮らすことを考えているのだが、その割には肝心の荷造りははかどっていない。
『一部屋といっても結構荷物があるもんだな』
などと考えながら、思い出の品が出てくるたびに物思いに耽ったりするので、なかなか梱包が進まないのだ。
そんなとき、孝にとっての一番の思い出であり、思い入れのある品が出てきた。
それは梢が編んでくれたセーター。
お世辞にもできはよくない、というより悪いくらいだが、いうまでもなく気に入っている。
いきさつを思い出す。
今年の2月ごろ、学は梢からセーターをもらったと自慢してきたのだった。
それにはさすがに激しい嫉妬を覚えた孝だったが、日差しも温かくなってきた3月、突然梢から
「手編みだから時間かかっちゃった」
と、手渡されたのだった。
そのセーターは上と下とで白黒の二色に分かれており、梢いわく
「途中で毛糸足りなくなっちゃったから」
と無理に継ぎ足して作ったのだとか。
「ごめんね。これ以上時間かけたら渡すの夏になっちゃうかと思ったから、こんなのでもよければ受け取って」
「ありがとう! 大事に着るよ。それにしても見事に白黒だね。なんか、べっこ餅みたいだな」
そういうと、梢は、
「牛ならわかるけど、べっこ餅って」
と口を軽く押さえて、自分のことながらクックと笑い続けるのだった。
その後当然、学に見せたのだが、そのときの表情もおかしかった。
一瞬きょとんとしたかと思うと、猛烈に悔しそうな顔をして羨ましがったのだった。
『思えば、あのころから、もしかしたら梢は俺のことを選んでいてくれたのかもしれないな』
そんなことを考えていたら、ケータイが鳴った。
『梢かな?』
メールが着信したようなので確認してみる。
やはり梢だった。
そこには、
「ただいま某駅についたのでメールしました(_ _) 」
と書かれていたのでさっそくメールを打ち返す。
「了解! いまから駅に向います(・ω・)ゝ」
梢の文面に合わせて、普段めったに使わない絵文字を交えて返信すると、いそいで外着に着替えて家を出た。
◆■◆
「私、こんな町来たのはじめて」
あたりをキョロキョロ見渡しながら梢は言った。
手にはお土産が下げられている。
「まぁ、完全な住宅町だからね。遊ぶところがあるわけじゃないし」
「それにしても綺麗なお家が多いわね。うわさ通りの高級住宅街なのね」
そう、孝の住む町は、都内でも有数の高級住宅地として知られている某地区。
そのとき、ふと梢の住んでいるアパートのことを思い出してしまった。
「家、すぐそこだから」
と指をさす孝。
梢はその先に視線をうつすと、
「うわ~! 大きい家! それにお庭も立派ね!」
と驚いている様子だった。
「そんなことないよ。この辺ではこれが普通だから」
「そうよね。家のレベルと比べるのが間違っているのよね……」
すると、梢はしばらく黙りこんでしまった。
『この手の話題はNGだな』
たぶん、そのあたりが梢のコンプレックスなのだろう。
あまり格差を感じさせるような発言は控えようと孝は思った。
玄関ドアの錠を開け、中に梢を招き入れる。
「お家の中も綺麗ね」
「うん、母親が綺麗好きだから」
「そうだ。お土産持ってきたの。まずは挨拶させてちょうだい」
「……実はさ、昨日祖父が危篤なっちゃって、両親そろって帰省しっちゃったんだよね。せっかく梢が来てくれる日だってのに」
決まりが悪そうに、うつむき加減で言う孝。
「……そうなんだ。それなら仕方ないよね」
暗いトーンで返された。やはりなんか勘ぐられたのだろうか?
「まぁ、とにかく上がってよ。君の事は両親に話済みだから、会おうと思えばいつでも会えるさ」
そういうと幾分気を良くしたのか、いつもの明るさに戻ったように見えた。
「そうね、それじゃ、おじゃまします」
そうして二階の自分の部屋に案内する。
「わあ広いお部屋! それにしてもすごい荷物ね。これ全部持っていくの?」
「そうかな? でも、なかなか荷造りがはかどらなくて」
「って、もしかして私の手伝いあてにしてた?」
「うん、ちょっとだけね」
「も~! 非力な女の子に力仕事期待しないでよ~」
お互いに笑いながら、荷造りにいそしむ。
途中、コーヒーブレイクをはさみながら、晩ごろにはなんとか荷造りは完了した。
二人、横に並んで床に座っている。
「ふう、なんとか終わったな」
「あ~疲れたわ。力仕事久しぶり」
そこで学は、例のセーターを取り出した。
「これも持っていくよ」
すると梢は顔を赤くして恥ずかしそうに言った。
「え~! それまだ持ってたの? ってか捨てていいよ」
「捨てるなんてできるわけないだろ。それにこれはこれで味わいあっていいよ」
「でも、絶対人前ではそれ着ないでね。ってかそんなできの悪いの着ると思わないけど、もし着たら神経疑われるよ」
「自分で作ったものだろ? そんなにまで言わなくてもいいのに」
「今年の冬は、もっと綺麗なの作ってあげるね」
そういって孝の肩にコクンと首をのせた。
「……」
無言ののち、どちらからともなく口づけを交わした。
その感触はとてもやわらかく、甘美だった。
荷造りされた段ボールばかりの殺風景な空間に、ベッドだけがいままでどおり残されていた。
そこで、学と梢は裸になって抱き合っていた。
二人無言のまま、余韻を味わっている。
静かで甘い時間が流れる中、突然梢が話をし始めた。
「あのね、私ね……」
そうやって切り出し話の内容は梢の昔話だった。
すでに聞いた「遊んではいけない子」だった過去、半ばグレかけた中学時代、そしてかつての恋人の存在をほのめかすような話題まで。
「なんで急にそんな話を?」
「うん、孝には知っておいてほしかったの、私のことを少しでも多く……。でも、ごめんね、こんなの卑怯だよね。私の重い部分も含めて背負わせるようなことしちゃったみたいだし」
「……」
確かに、話の大部分は聞きたくないことばかりだった。
その荒んだ生活ぶりが、あまりにも自分のそれとかけ離れていたということもある。
しかし、それが何だというのだ?
いつだって今しかない。
「たら」「れば」の話をしても仕方ないのだ。
ただ、当たり前のことだとは思ったが、少しガッカリだったのは梢はやはり経験済みであったことだ。
孝はこれまでの恋愛で、そんなことを気にするタイプではなかったが、こと梢に関してだけは違う思いを持っていた。
そういえば、以前テレビで自称プレイボーイの中年俳優が言っていたことを思い出した。
「男はいつでも女に対して初めての男でありたいし、女はいつでも男に対して最後の女でありたい」
と。
なるほど、それは一理あるな、と今更ながら思った。
もしかしたら、梢は最後の女でありたいからこそ、俺に対して過去の話をしたのかもしれない。
そのすべてを受け止めてほしい一心で。
「なに考えているの?」
ふいに梢が訪ねた。
「やっぱり聞きたくなかった?」
「いや、ますます君のことを好きになったよ」
「本当に? 私のこと、本当に好き?」
指先で孝の胸になにか文字のようなものを書きながら梢は聞いてきた。
孝は梢の指先が「好き」と、何度も書いているのを文字通りに肌で感じ取った。
「もちろんだよ」
「ありがとう」
梢はこれ以上ない笑顔で応えてくれた。
もちろん孝にとっても、これは偽らざる真の気持だった。
梢のすべてを受け止める決心を、梢の告白を聞いたことでさらに固いものとなった。
「だからってわけじゃないけど、毎週君に会いに戻ってくるよ」
「毎週なんて大変よ。二週間に一回でいいよ」
「ん? 俺と会いたくないの?」
「違うって、あなたが来ない週は私が大阪に行ってあげるってこと。それならあいこでしょ?」
「はは、そういうことか。それなら、まぁお互い無理しないようにしようよ」
「そやね」
突然、梢が大阪弁で返事をした。
思わず小さく笑う二人。
「そういえばさ、関西の方ってニュースは標準語なのかな?」
「ん? どうだろう? さすがに報道は標準語なんじゃないかな?」
「だったらさ、それも確認してきてよ」
「了解。テレビで確認したら、すぐメールするよ」
ふふふっ、と梢はまた笑っている。
孝はそんな小さな笑顔に、大きな幸福を感じていた。
「大阪での仕事、頑張ってね。私、あなたがちゃんと役目を終えて戻ってくるのをずっと待っているから」
「ああ、すぐにでも戻ってこれるように頑張るさ。君のためにもね」
そういうと梢は孝にキスをした。
孝は、梢を強く抱きしめた。