■図書館の少年編 その2~過去~4
『あいつ、こんなところに住んでいるのか……』
そこは市内でも有数の閑静な新興住宅町。
色とりどり、さまざまな形の新築住宅が立ち並んでいる。
転勤族の多いこの市内において、一軒家を建てるということは、永住する場合がほとんどだ。
少年は、この土地が嫌いだった。
イジメられているという現状に加えて、田舎特有の息詰るような感じがなんとも耐えられないのだ。
これまで親の仕事の関係で住んできた町は、いずれも都会。
どの町も臭く、騒々しく、都会特有のスピード感は、しばしば愚図で鈍な少年を置き去りにすることがあった。
しかし、都会は抜きん出たキャラクターの輝きは人々の目にとまるものの、それ以外の個性は素通りされる。
透明でありたい人間にとっては、よき隠れ蓑となるのが都会なのだ。
そこにきて、まるで時間が止まったようなこの土地。
川の流れも止まれば淀み、腐りゆく。
そんな腐敗した土壌がイジメという陰湿で閉塞的なものを生み出しているのではないか?
少年なりの足りない頭で考えた結果がこれだった。
こんな土地に永住。
しかも、一度イジメのレッテルを貼られたからにはこの町に暮らす以上、逃れることができない呪縛。
『あいつは蜘蛛の巣に引っかかった獲物だ』
ケータイのマップ機能が転校生の家のありかを示した。
そこを見ると、住宅町の中でもひときわ豪華な洋館が目に写った。
『ゴージャスな棺おけだな』
嫌味もこめて少年は思った。
庭に面した窓には人影があった。
『ん? なにやってんだろ?』
少年は悪い目を細めて凝視した。
すると、そこには転校生がバイオリンを弾いている姿が見て取れた。
近くには講師らしき男が立っていて、転校生に指導しているようだ。
『あいつ、バイオリンなんて習っているんだ』
厳しい講師のようで、何度もしかられているような様子が見て取れた。
そのたびに悲しそうに頭を下げる転校生。
多分涙をこらえているのだろう。
『あいつは、家でも学校でも泣かされているんだな』
嫌なものを見てしまった、そんな後味の悪さを引きずりつつ、少年は帰路についた。
次の日の昼、今日も日課である図書館へと少年は向かった。
が、途中で思い直して、進路を変更する。
行き先は転校生の家。
昨日と同じ場所から転校生の家を見る。
『いた』
が、今日は庭で屈強な若い男と一緒に格闘技のようなものをやっている。
例のごとく涙目になりながら。
それをただただ見つめる少年。
転校生は若い男に向かっては投げられ、向かっては投げられを繰り返していた。
必死な姿。
少年はそんながんばっている転校生を見たのは初めてだった。
学校ではいつも好きなようにやられっぱなしの泣きっぱなし。
抵抗することも、自己主張もすることなく、ただそこにいるだけの木偶の棒だと思っていたのに。
「……」
少年は、倒されても不屈に立ち向かう転校生の姿をただただ見ていた。
◆■◆
「お前、ここのこと知らないだろう?」
少年は転校生に向かっていった。
「う、うん、すごい場所だね!」
いま、少年と転校生は町を一望できる丘の上にいる。
「でも、よくこんなところを見つけられたね」
転校生は少年に賛辞を述べた。
「まぁな」
かっこよく返事をする少年。
孤独な人間は一人になる場所、というより逃げこむ場所を見つけるのが上手だ。
屋上、保健室、図書館……。
そんな寄る辺のない少年のプロフィールが、この小高い丘を発見させたのだった。
山を登り、獣道を歩くこと一時間の場所にあるこの丘から見る景色は絶景だ。
場所が場所なだけに、このことをを知る者もまた少ない。
少年は、転校生が稽古を終わったのを見計らって家を訪ねたのだ。
「理由はひとつ、あの殴り合いのとき、なぜ手を抜いたのか?」
その真相を確かめるためだった。
少年の突然の来訪に転校生は驚き、おどおどとしたが、弱きものには人一倍強気になる少年の執拗な誘いを断りきることができず、ここまで連れてこられたのだった。
「おまえ……」
「えっ? なに?」
景色に見ほれていた転校生はかなり上機嫌のようで、笑顔で返事をした。
「……タバコ、吸うか?」
『くそっ! 聞けない、やっぱり聞けない』
「いや、僕は吸わないよ」
『あのとき、手を抜いたかどうかなんて』
「いいから吸えよ!」
言うなり、ポケットから取り出したタバコを転校生の口に無理やりくわえさせて火を点けた。
これはかつてイジメっ子に少年が同じ事をされたことでもある。
それを今、少年が転校生に同じことをしている。
いやいやながらもタバコを吸う転校生。
とたん咽び、苦しそうに咳きをする。
「バカ! タバコってのはこうやって吸うんだよ」
そういうと転校生の口からタバコを取り上げて、少年は口にくわえてタバコをふかした。
もちろん肺には入れていない。
少年もまた最初のときは転校生と同じく、いきなり肺に入れて咽び苦しんだ思いがあるから。
当然イジメっ子連中からは笑われた。
「あ~うめぇ!」
思ってもいないことを口にする少年。
その姿をただ見ている転校生。
少年はふと思ったことを口にした。
「お前、習い事してんの?」
「うん、いろいろとね。好きでやっているわけじゃないんだけど」
「ふ~ん、それなら、なんで?」
「うん、親の教育方針なんだ。強く、賢くなくちゃいけないっていうんでね。毎日習い事さ。今日は護身術、明日はピアノ」
「やりたくないことやって楽しいのか?」
別段、楽しいことのある少年ではないが、それ以上に楽しくない思いをしている転校生に対しておかしな同情が芽生えた。
「楽しくは、ないね。でも、仕方がないんだ」
「何が仕方がないんだ?」
「僕、あの家の養子なんだよね。実家は借金だらけでお父さんは逃げてしまって、いまはお母さんだけなんだ。でも、面倒をみきれないから、僕を叔父さんの家に養子にって」
転校生の意外な告白に少年は驚いた。
Z市に住んでいるという離れ離れになった母親に会いたいということも、涙ながらに聞かされた。
「だからさ、そんな立場だから叔父さんのいうことには従わなければならないし、期待も裏切りたくない、いや裏切るわけにはいかないんだ」
「期待って?」
「叔父さん某株式会社の社長なんだ。子供のいない叔父さんは僕に跡継ぎとしての期待を寄せているんだよね。でも、僕は出来が悪いからさ……」
某株式会社といえば、この町に本社を持ち、全国的にも展開している一流企業だ。
転校生は、その会社の跡取り。
一般家庭のサラリーマンのこせがれでしかない少年でも、転校生の身の上に圧し掛かるプレッシャーがただ事でないことは容易に想像がついた。
かけるべき言葉が見つからない。
「そうか、がんばれよ」
場つなぎ的に言った一言だが、転校生は思いのほか喜んだ。
「ありがとう! がんばるよ!」
少年は、なんだかくすぐったいような、照れくさいような気持ちになった。
そして、結局その日は「なぜ殴り合いのときに手を抜いたのか?」について、聞くのを忘れてしまった。