■孝編 その6
『はぁ、暑い……』
孝は暑がっていた。
夏場だからというのもあるが、それ以上にそんな暑い中、セーターまで着こんでいるのだから、それは暑いに決まっている。
これは、先日大阪を発つときに、偶然見かけた子供たちのTシャツに名前が書いてあるのをヒントに思いついたことだった。
着ているセーターはもちろん、梢から貰ったべっこセーター。
みんなが同じ顔をしている以上、梢を見つけるのは無理に等しい。
それなら自分から相手に見つけてもらえるよう、そのシグナルを発していればいいのでは、と孝は考えたのだ。
もし偶然、梢が孝の服装を見かけたら、すぐに気が付いてくれるのではないか? という算段のもと、このクソ暑い中、わざわざ梢が編んでくれたセーターを着こんでいるのだった。
もちろん、東京に入ってからでも遅くはないとも思ったが、万が一に備えて着こむことにした。
ないとは思うが、どこで梢に会うかわからない。
それなら暑いのは我慢して、着ておこうと孝は思った。
大阪を発ってから2日、孝はその短い間でいろんな体験をした。
特に驚いたのが、こんな短期間で、多くの人が殺され、もしくは自殺したということだ。
それも眼前で繰り広げられることもあった。
目の前で飛び降り自殺者が降ってきて、飛び上がるほど驚いた経験もしたし、また何が目的かは知らないが、凶器で人を追い回す狂人たちも。
道は多くの死体であふれかえっていた。
その数はおびただしく、日本にはこんなにも人がいたのかと驚くほどに。
顔を失ったことで、完全に自我が崩壊したのだろう。
この現実は、狂わんばかりのことなのは確かだ。
家族や友人の見分けがつかなくなり、また自身の存在すら完全に破壊されてしまったのだ。
人は顔という個性をもってこその自分であり、また他人でもある。
孝にしてもそうだ。
鏡やガラスに映る自分の姿にはいまだ違和感を覚えるし、ときには恐怖すら感じるほどだ。
しかし、そんな状態に陥っても自我を保てる理由はただ一つ。
梢に会いたい。
ただ、それだけだった。
もちろん梢の顔も変わっているだろう。
が、しかし、それでも会いたいのだ。
それが愛というのかもしれないし、単に自分の存在を確認できる相手が欲しいだけなのかもしれない。
が、小難しいことは抜きにして、とにかく今すぐにでも梢に会いたい。
孝の生を支えているのは、ただその一点のみだった。
「はあ、はあ」
大汗をかきながらも、依然セーターを着て歩き続ける。
乗っていた自転車はパンクしてしまい、先ほど捨てた。
道は完全に麻痺している。
置き去りにされた車が邪魔をしているため車は使えず、バイクも都合よく、そうそう乗れる状態では転がっていない。
また、ケータイも相変わらずつながらずじまいだ。
たぶん多くの人が仕事を放棄してしまったであろう今、電話会社に勤めていた人間たちもいなくなってしまったからかもしれない。
ただ、水道と電気、ガスはまだ通じているようだった。
が、電話同様それらもいつまでも使えるとは思えない。
その辺のインフラはどのようになっているのか孝にはわからないし、知ったところでどうにもならない。
ただ、電気とガスは使っても、孝は水道水には口をつけないようにしている。
こんな状況であるいま、ダムに毒物を投棄するような狂人がいないとも限らないからだ。
そのため、飲み物はもっぱらジュースだ。
金だけはいっぱいある。
自分の手持ちもあるし、なくなればなったで、道々に転がっているその辺の死体から拝借すればいいだけのことだ。
金の持つ意味も完全に崩壊し、たくさん持つことには何の意味もない。
かつて、
「こんな時代に金なんてケツ拭く紙にもなりゃしねぇ!」
と言っていた、世紀末物の古典マンガがあったが、まさしくいまはそんな状態だ。
いや、それよりもっとひどいかもしれない。
天災なり、戦争が起きて核爆弾を落とされるよりも悲惨で考えられない状況。
前記した状況であれば、復興することもできるし、いままで人類はそういう局面においてもがんばり続けてきた。
が、しかし、いまのこの状況はもはや回復不可能といっていい。
この、顔が同じくなるという奇病、どこの狂人が考えたのか知らないが、この世を終わらせるのが目的なのだとしたら、もしかしたらどんな兵器よりも強力で、無慈悲なものなのかもしれない。
『どこかに自転車はないか?』
いま孝がいるのは田舎道、民家もないような場所だから、当然自転車などあろうわけがない。
人の死体すら、ほとんど見当たらない。
いざというときの武器代わりにと持った杖をつきながら、一路東京を目指す。