表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

第9話 灰燼

 本能寺の伽藍(がらん)は燃え尽きていた。


(あっけないものだ)


 あの瓦礫(がれき)の下に、信長の遺体があるのだろう。首級は見つかっていない。だが、逃れたとは思えない。いや、絶対に逃してはいない。光秀は、その点は確信していた。


 過剰とも思える戦力で本能寺を十重二十重に囲み、逃れる女房衆に対しても一切躊躇せずに捕まえろと命令してある。仮に信長が女装して逃れようとしたとて、見逃すものではない。


 だが、それでも確信を得ようと、光秀は捕らえた女房衆の一人を尋問することにして、連れてこさせた。


「上様は、逃げようとはなさいませんでした」


 ただの女房衆である。脅すまでもなく簡単に口を割ったのだが、その答えは光秀にとっては意外なものだった。


「ほう? 儂の知る信長公なら、いかなる手を使ってでも、何としても逃れようとすると思うのだがな」


 そういう命汚さが信長にはある。かつて浅井長政に裏切られた時は、盟友も部下も見捨てて己の身一つで逃げ帰ったことさえあるのだ。自分が生きてさえあれば、いくらでも挽回できると確信していたのだろう。


 だが、女房衆は信長が諦めた理由を簡潔に述べた。


「上様は、こうおっしゃっておりました。きんか…いえ、日向守様に手抜かりのあろうはずがない、と」


「ふむ」


 信長は光秀を金柑と呼んでいたのだろう。そこを慌てて修正した女房衆に苦笑した光秀だったが、改めて、信長の己への評価の高さを知らされて複雑な思いを抱く。


「さぞや怒り狂っておいでだったであろうな」


 そう言ったあとで、己が敬語を使ってしまったことに光秀は気付いた。既に主君ではない。それどころか、自らの手で殺した相手なのである。一応、高位の貴人であるから敬意を払って「信長公」とは呼んでいるが、それは敵であった武田信玄や上杉謙信であっても「信玄公」「謙信公」と呼んでいたのと同じであり、一般的な敬意である。別に敬語を使う必要はない。


(癖とは恐ろしいものだ)


 そう内心で苦笑する光秀だったが、女房衆の返答を聞いて意外の感にとらわれた。


「いえ、ただ一言『良いも悪いも無いわ』とおっしゃっただけでございました」


 信長は、好悪の情が激しかった。特に、信頼している者に裏切られたときの怒りは凄まじかった。


 浅井長政、荒木(あらき)村重(むらしげ)のような同盟者や部下の裏切りはもとより、血のつながった叔母でさえ、己を裏切って武田家臣の秋山(あきやま)伯耆守(ほうきのかみ)に通じたときは、捕らえた後に磔にかけたくらいである。


 その信長が、己を殺害するという最大級の裏切りをなした光秀に対して、怒りを露わにしなかったというのである。


順逆(じゅんぎゃく)二門(にもん)()し…」


 光秀は、思わず心に浮かんだ言葉を口に上せていた。


(辞世の句に使えるかもしれんな。いや、漢詩にする方が良いか…)


 そんな事を考えたものの、次の瞬間には、その考え自体を否定する。


(馬鹿な! 縁起でもない!! 儂は今、天下に手をかけたのだぞ! なぜ辞世の句の事などを考えねばならんのだ!?)


 聞くべきことは聞いたとして女房衆を放免した光秀の元に、二条城に籠もった信忠を包囲していた別働隊からの使番(つかいばん)が駆け込んできた。


「三位中将様ご生害の模様!」


首級(みしるし)は?」


「それが、炎に巻かれ…」


 信長に続いて、信忠も炎の中に消えたという。


「これでは、首を晒せませんな」


 ちょうど光秀に報告に来ていた利三が忌々しげに言う。信長と信忠の首級を晒せれば、生存の可能性を否定できる。だが、それができない以上、「信長生存」の噂が流布することは防げないであろう。


「かまわぬ」


 言葉に出しては、それだけしか言わなかった光秀だったが、内心ではむしろ首級が取れなかった事に安堵していた。


 信長や信忠の首級を見たとき、何を感じ、何を口にしてしまうか、自分自身でも分からなかったからである。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ