第3話 転封
「出雲、石見の二国でございますか」
「分かるな?」
安土城大天守。その最上階から見渡す琵琶湖の眺めは、まさに天下人のみが独占できる絶景である。それを堪能しながら、信長が見据えているのは西南。京の都の方角である。
自分だけが呼ばれて人払いをされている。信長お気に入りの近習、森蘭丸すら階下に下がっている状況で、国替えの内示を受けた光秀は、即座に信長の意図をくみ取った。
「三つ、ございますな。一つ、蔵入地。二つ、銀の銭。三つ、大国主命。いかがにございましょうか?」
「よう読んだ。さすがは日向よ」
信長の賞賛を受けながら、光秀の頭は素早く回転を続ける。
一つ目の蔵入地、すなわち信長が直轄する所領については難しいことではない。光秀の所領、近江坂本と丹波一国は、京の都を囲む位置にある。後のことを考えれば、信長自身の、というよりは織田家の直轄領にする方がよいのだ。
光秀にとっても、初の所領である坂本や、攻め取るのに苦労した丹波は思い入れのある地ではある。今も大切に慈しみ、その発展に尽くしている大切な所領なのだ。
しかし、信長が行おうとしている「天下布武」、すなわち武力による強力な中央集権体制の実現のためには、京の周囲、いや五畿内とその周辺を直轄地にすることは避けて通れない道である。光秀にもそれはよく分かっている。なればこそ、坂本や丹波を取り上げられることはやむを得ないと分かる。それを理解できない鈍感な者や、理解してもなお従おうとしない者は、容赦なく切られるであろう。
それに、代替地として示された出雲、石見の二国は非常に魅力のある地なのだ。まだ毛利の所領とはいえ、毛利家の屈服は既に見えている。屈服したならばこの二国は取り上げる。屈服しないのならば、武田家と同じように滅ぼす。いずれにせよ、この二国が織田家の所領になるのは、もはや既定の事実となっているのだ。だからこそ、現在の敵地に国替えの内示をされたとて光秀は疑問に思うことはない。それ以上に、その魅力の方が大きいからだ。
まず、出雲。言わずと知れた出雲大社のある地である。全国から出雲大社に詣でる人々は多い。伊勢神宮や信濃の善光寺などと並ぶ大寺社なのである。当然、そこに人々が落とす銭も当然膨大な量になる。余得が非常に多い地なのだ。
余得が多いと言えば、石見はそれに勝る。名にし負う石見銀山がそれである。その産出量は、この時代の世界の銀の産出量の三分の一を占めたと推定されるほどなのだ。
もちろん、この二国を所領にするとはいっても、出雲大社周辺と石見銀山は織田家が直轄するであろう。しかし、その代官は光秀に任されるはずである。そうでなければ、光秀にこの二国を任せる意味はない。代官を務めるだけでも、その余得は膨大なものになるであろう。
これは褒美である。それも、これからの仕事に対する先払いの褒美なのだ。そう考えると、むしろ「御恩」と言うべきかもしれない。それに対する「奉公」が求められるのだ。
その「奉公」の内容も、光秀には分かっている。
「まずは『銀の銭』作りですな。イスパニアの銀の銭を模すところから始めるべきかと」
スペインの8レアル銀貨は、この時代の国際通貨である。それと等価の銀貨を鋳造すると光秀は言っているのだ。
「止まるか?」
「止めさせます。貫目ではなく額で金銀を取引させれば自ずと止まりましょう。質が安定せぬ内は撰銭されるかもしれませぬが、質が安定すれば額での取引も安定しましょう。いずれ金の銭も作れば、さらに安定するかと」
信長が光秀に暗に命令しているのは、海外への銀の流出の抑止である。この時代、石見銀山の膨大な銀の産出は、海外への銀の流出を招いていた。日本国内の金銀の交換比が海外に比べて不均衡であるため、日本で銀を買うだけで南蛮商人には利益になるのである。このため、国内から銀が海外に流出しているのだ。
それを止める方策を信長は求めており、その回答として光秀は銀貨の鋳造により、従来は重量で行っていた金銀交換比を貨幣を用いることで海外と同率に改定することを目論むと述べたのである。さらに、将来は金貨も鋳造することで交換比の安定化を図り、銀の海外流出を抑止すると言っているのだ。
「であるか」
満足そうに頷く信長に対して、光秀は更に言を継ぐ。
「あとは『大国主命』ですな。こちらは早急には参りますまい」
「構わぬ。今は手がかりを掴んでおけばよいのだ。公家雀どもは『前例、前例』とわめき立てるしか能が無いが、ならば前例を突きつけてやればよい」
「国譲りの儀、必ずや調べてご覧に入れます」
「そうよ。大国主命が天照大神の子孫に国を譲ったのであれば、今度は天照大神の子孫が盆山に国を譲って悪い事もあるまい」
日の本の国は万世一系の天皇がこれを治めることになっている。その万世一系の祖は天照大神である。そして、日本神話には天照大神の子孫に「国を譲った」という記述があるのである。つまり、日の本の統治権は、その前に存在した統治者、大国主命から譲られたものなのである。一度譲られたという「先例」があるなら、それが繰り返されても何の問題もない、と信長は言っているのだ。
そして、「盆山」とは信長が安土城に勝手に祀っている「ご神体」のことである。何の由来も御利益も無いが、信長が崇めるよう言っているので、民はこれを崇めている。言わば、信長自身が盆山という神の生みの親なのである。
新たなる「国譲り」のために、先例を調べる。その手がかりを探す場所として、旧支配者である大国主命を祀る出雲大社以上の場所はあるまい。神話ではなく、古の政治として、政権の移譲が行われた証拠を見つければ、朝廷に対する切り札になるであろう。
そして、首尾よく具体的な証拠を見つけ出せたならば、朝廷に代わる新たな「織田王朝」の重臣としての光秀の地位は盤石なものになる。
光秀は深い教養を身につけており、朝廷に対して尊崇の気持ちは持っている。だが、それと同時に朝廷工作にも深く関わってきたことで、公家連中は気位ばかり高くて現実の政治にはまるで役に立たないことも骨身に染みて知っているのだ。
信長は、美濃の稲葉山城を奪った際に「岐阜」と改名している。この名前は、中国の周王朝の祖が都を置いた地である「岐山」に由来する。そして、周王朝とは易姓革命を起こして前王朝である「商(殷)」に武力で取って代わった王朝なのだ。
中国の古典にも詳しい光秀は「岐阜」という名を聞いただけで、信長が何を指向しているのか即座に理解したのである。それを解った上で、何年も仕えてきたのだ。今更、信長が王権簒奪を試みようとしているからといって、それを批判する気も、逆らう積もりもない。むしろ、積極的に参加して、己の地歩を固めるのに役立てる方がよいと考えている。
信長も、そんな光秀だからこそ信頼して、大役を任せようとしているのだ。もっとも、他にその役割を果たせるような教養と政治力を兼ね備えた人材が、そう多くはないことも事実である。
「いずれも、そちにしか出来ぬことよ。権六や五郎左、左近将監あたりは戦と治世は何とかできようが、それ以上の役には立たぬ。禿げ鼠めは物の役に立つ男だが、商人を使うのは上手くとも銀が日の本の外に流れ出ていることなど気付きもすまい。ましてや朝廷など、出自の卑しさにつけ込まれて取り込まれるだけよ」
権六こと柴田修理亮勝家、五郎左こと丹羽長秀、左近将監こと滝川一益あたりは、戦の采配や所領の統治はこなせても、商業政策や朝廷工作などには向いていない。それに比べると羽柴秀吉は商業政策でも役立つが、国際的な視野に欠け、百姓出身ということもあって朝廷にはいいように利用されるだけであろう、と信長は評価しているのだ。
これに対して光秀は、戦の指揮は上手く、統治においても領民に慕われ、鉄砲の名手として知られるように最新の南蛮事情にも詳しい上に、伝統的教養を身につけており朝廷に対しての工作もできる。万能の才人として高く評価されているのだ。
「だからな、そちを蝙蝠ごときに使うなど勿体ないわ。四国など三七と五郎左で充分よ。なに、内蔵助には悪いようにはせん。あやつも妹婿が相手ではやりにくかろう。その代わり、蝙蝠が降ってきたら土佐一国の安堵は認めてやると内々に伝えておけ」
蝙蝠とは、土佐の大名、長宗我部宮内少輔元親のことである。以前に元親の家臣が信長に謁見に来た際に「無鳥島の蝙蝠」すなわち「鳥なき島のコウモリ」と言ってからかったのだ。もっとも、その家臣は信長に臆せず言い返したので、かえって信長は感心したという。
そもそも、信長と元親は同盟を結んでおり、信長は元親に「四国切取勝手」すなわち四国を自由に征服してよいと許していた。その際に、外交を担当する取次役だったのが光秀である。これは、元親の正妻が、光秀の家老である斉藤利三の腹違いの妹だったという縁による。また、元親の嫡男である信親の「信」の字は信長からの偏諱であり、織田家と長宗我部家は良好な関係を築いていたのだ。
だが、実際に信長が五畿内を制圧して、本願寺のあった大坂の地に本城の移転を考えると、その対岸の四国に大勢力ができるのは好ましくない。そこで、それまで元親に認めていた四国切取勝手の約束を反故にし、土佐と阿波半国のみの領有を認めるように方針を変更した。そのため「約束が違う」と怒った元親は、同盟を破棄して信長と敵対することになったのである。
この方針変更については、天下政権を成立させる上では当然のことと光秀も考えており、別に恨みに思ってはいない。
ただ、通常は同盟が破棄されて敵対関係に変わった場合は、取次役がそのまま征伐軍の司令官に任じられるのが慣例である。ところが、今回はその慣例に反して、光秀ではなく信長の三男である三七郎信孝が司令官に任命され、丹羽長秀が補佐役に付けられたのだ。これは、ある意味、光秀の面目を潰す人事である。
だが、信長はそんな慣例よりも、有能な光秀はもっと別の仕事に使う方がよいと考えたのだと言う。それに、縁戚と戦うことになる斉藤利三の心情も慮っているのである。信長は、冷酷非情な面ばかり強調されることが多いが、家臣に対しては意外に繊細な配慮を施すことも多々あるのだ。特に、近年は敵対した大名は容赦なく根切りにする方針の信長にしては珍しく、元親が降ったら本貫の土佐は安堵すると、かなり温情のある措置を約束している。これは、やはり光秀が取次役であったことと、その重臣である利三に配慮してのことであろう。
「ありがたき幸せ。内蔵助も喜びましょう」
だから、光秀は即座に平伏して謝意を表した。
「うむ、そちにも内蔵助にも期待しておるからな、励めよ」
「御意」
そう答えながらも、光秀の気分は奇妙に晴れなかった。日の本に前例のない銀貨鋳造や、それ以上の困難が待ち構えているであろう「国譲り」の調査。それを行うことを考えたときに、奇妙な倦怠感を覚えたからである。
光秀はそれまで信長から仕事を与えられた際には、それが困難な内容であるほど、むしろ高揚感を感じたものだった。それなのに、今回に限って、なぜ倦怠感を覚えるのであろうか?
光秀は己の心の動きに困惑していた。