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第2話 宴席

 (うたげ)は正にたけなわであった。誰もが喜びに満ちあふれている。それも当然であろう。織田家にとって年来の宿敵、甲斐(かい)武田家を滅ぼした祝勝の宴なのだから。


 最上座で端然と酒を嘗めている信長も、近来(まれ)なほど上機嫌そうである。信長は下戸だが、宴席は好む。家臣たちが多少羽目を外しても目をつぶることが多い。近年、特に癇性(かんしょう)が増し、家臣の失策に厳しくなった信長ではあるが、宴席でその癖を出すことは少ないのだ。


 だが、その信長の眉が跳ね上がった。下座の方から聞こえてきた声の語る内容が、彼の癇性を刺激したのである。


金柑(きんかん)! その方、今、何と言った!?」


 問われたのは、光秀である。主君、信長よりも五歳年長であり還暦も見えてきた昨今、その頭は禿()げ上がっており、それを信長は金柑頭と呼んでいるのだ。(ひど)いあだ名であるのだが、同僚の羽柴(はしば)筑前守(ちくぜんのかみ)秀吉(ひでよし)のあだ名に比べれば、まだ増しであろう。秀吉のあだ名は、かつては「猿」であったが、今は「禿げ(ねずみ)」である。


「はて? 『我らの年来の骨折りの甲斐もあって、めでたくこの日を迎えることができた』と…」


 己の言葉のどこが信長の気に障ったのか分からぬながらも、即答する光秀。ここでダラダラと返答を引き延ばすことは、かえって信長の怒りを増すとよく分かっているからである。


「その方が、いつ、武田相手に骨を折った!? 長篠で鉄砲を放った以外は何もしておらぬではないか!!」


 光秀は信長が何に怒ったのかを知った。信長が最も嫌うのは、骨惜しみと手柄を誇張するような増上慢(ぞうじょうまん)である。裏切りにも厳しいのだが、利用価値があれば酷い裏切り者でも許すことがある。松永(まつなが)弾正少弼(だんじょうしょうひつ)久秀(ひさひで)などが好例であろう。久秀は骨惜しみはしない男であったし、手柄は誇っても誇張はしなかった。する必要もない力量の持ち主だったからである。


 逆に、忠臣であろうと骨惜しみしたり手柄を誇張して慢心する者には容赦しなかった。代表例が佐久間(さくま)信盛(のぶもり)であろう。彼が信長に追放された時の一番の理由が、石山本願寺攻めの際に漫然と包囲するだけで調略も何もせずに骨惜しみしたことであった。更に、以前に信長が家臣団を叱責した際に「自分たちほどの家臣はそうはおりますまい」と抗弁したことも理由の一つに挙げられている。力量以上に己を誇った増上慢を憎まれたのだ。


(これは、即座に謝ることだ)


 光秀の決断は早かった。


「これは失礼いたしました。確かに(それがし)は武田攻めでは何の役にも立っておりませぬ」


「そうであろうが!!」


 怒声を上げた信長に恐懼するように頭を伏せる光秀だったが、その怒声によって信長の気が一瞬晴れたのを見切って次の言葉を発する。


「これより西国筋でより一層の骨折りをいたしまするゆえ、なにとぞご容赦を賜りたく…」


 それを聞いた信長は、一転して上機嫌に戻り光秀に声をかける。


「左様であろう。そちが骨を折ってきたのは西国筋であろうが。たかが武田ずれを滅ぼした程度で、そちに満足されては困るぞ。そちには山陰、いやその先まで働いて貰わねばならぬからな」


「ははっ、上様の()かれますところ、山陰であろうが、九州であろうが、その先の(から)天竺(てんじく)であろうが、この日向守が先陣切って平らげてご覧に入れましょう」


 信長は、古い手柄を誇大に言い立てる者は憎むが、これからの働きを盛大に吹聴する者はむしろ好む。秀吉など、その最たる者だが、光秀とて裸一貫も同然の境遇から信長に気に入られて取り立てられてきた者なのだ。信長の気質はよく分かっており、この程度のことは平然と言い立てる。また、言っただけのことは今まで実現してきてもいる。だからこそ、近畿方面の大小名の取りまとめ役という、信長の親衛隊長的な役割も任せられているのだ。


「聞いたか、皆の者。日向こそ武者の誉れよ!」


 そう上機嫌に言う信長に、光秀は内心安堵のため息を漏らす。光秀ほどの者をしても、なお信長という主君は決して仕えやすい人物ではないのだ。それでも、今までは上手くやってきたし、これからもそれを続けることは難しいことではない。そのはずであった、が…


(やれやれ、まだ働かねばならぬのか…)


 ふと、そんな思いが意識の端をかすめたことに気付いた光秀は、内心激しく狼狽(ろうばい)した。このような骨惜しみをする意識は、決して信長に気付かれてはならない。気付かれたら最後、佐久間信盛と同じ運命が彼を襲うであろう。嫡子の十五郎(じゅうごろう)光慶(みつよし)もまだ若い、というより幼いのだ。今、ここで全てを失うようなことは絶対にできない。


 表面上は信長の賞賛に照れたように笑いながらも、光秀の心は激しく波立っていた。


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