NARAK(K)
美味しいハーブティーを飲んでから、俺らはさらに限りない草原の先を突き進んでいた。
今のところ龍は見ていない。遠くの方の森や山にひっそりと隠れているんだろうか。であれば、そこから一生出てくるなと言いたい。
「ときにハドアくん。エレナ女史とは、幼馴染なのだろう?」
「ええ、まあ。一応」
何故こんなことを聞くんだろう。魔女の話でもしてくれるのか?
「そうかそうか。いつ頃知り合ったとか、聞いてよいかな?」
「はい。えーと、3歳か4歳の頃っすね」
「そうか。それは丁度、空に魔法陣が出てきた頃になるね?」
懐かしい。単純にそう思った。
急に空に魔法陣が現れて、あの頃の俺には何が起こったか全然分からなかった。そもそも魔法陣自体見たことがなかったから、空に面白い模様が浮かんでる、くらいにしか思わなかった。急に出てきたのだから、いつかは消えるだろう。そう思っていた。だから、大人たちが過剰に不安がっている理由も、あの時の自分には分からなかった。
だけど今は全部わかる。魔法陣がどんなものかは知っているし、ただ無意味に消えてしまうこともないのだと思っている。
「あの頃は両親ともに騒いでいたんで、なんかその…… 親に構って貰えなかったからですかね。勝手に外に出て遊んでたんです。それである日、エレナと出会って……」
「それから彼女とは遊んだりしたのかい?」
「はい。全然趣味は合わなかったっすけど、あの頃は特に、子供を外で遊ばせる親がいなかったんで、周りに遊び相手がいなくて」
「ふむ、そうか。彼女の祖母が魔女だってことは話したね?」
やっぱり魔女の話か。
「はい。聞きましたね」
「ヴィーガ・イーフェ。彼女の祖母の名だ。魔法陣の発生に乗じて、既にこの地を去っておるがな」
そういえば、ウィガロさんが「あのババアの孫娘」と言っていたな。あれは恐らくエレナのことを指していたんだろうし、となると、学長やウィガロさんはエレナのお祖母さんと知り合いということになる。
「なんでここを離れたんでしょう」
「そうだね。まず、魔女がどんな職業か知っているかい?」
あー、多少は聞いたことがあるなあ。
「確か、魔法とかで国を補佐するんですよね?」
「うむ。その通り。魔法に関する国の危機に際して、国を防衛、補佐する重要な役割だ。そんな役目を負った彼女が、危険な場所に身を置いたままではいかんのだよ。だから彼女はこの地を去ったのだろう。まあ、これは彼女から直接聞いた話ではないから、実のところは分からんがね」
うーむ、魔女も色々大変なんだなぁ。
「あれ? でも、この魔法陣だって、“魔法に関する国の危機”ですよね?」
「うむ。彼女もここの外から、魔法陣について研究しているかもしれないね」
「それは心強いですね」
「うむ。そうじゃな。さて、話もほどほどに。もうすぐ目的地に着くぞ?」
あれ…… 広がる草原。前も左右も、上も下も、何もそれらしいものは見えやしない。遠くに山々が見えるけど、あの山々に“もうすぐ”着くなんて出来ないだろう。
なんかデジャヴだな。また中身の見えない結界か?
「ふっふ。また結界で見えない、とでも思っておるな?」
ギクッ…… とは驚かない。今度は何が来ても驚かない。地面が割れても、建物が降ってきても、UFOに攫われたって、もう驚かない。
「今度は、何処にあるんですかね」
「このまま、前じゃ」
はい? 前方の山はあまりに遠い。数分で着く距離じゃない。かと言って中身の見えない結界ではないんだろ?
……もしかして、進んだ先の地面に転移魔法陣でも記されているのかな。この若干上り坂の道なら、地面に魔法陣が書かれていてもここからは見えないはずだ。
「じゃあ、進んでみますね」
真下を見つめながら、じっくりと時間をかけて歩いていく。
魔法陣。魔法陣。緑色の魔力回路だったら見えにくいから、注意深く見ていこう……
何十歩か、数えていないから正確には分からないが、そこそこ歩いたときだった。突然視界の上の方に黒い物体が映った。
俺の視界に映ったものは、黒い物体ではなかった。在りえない大きさの落とし穴だったのだ。いや、落とし穴という表現は適切ではない。落とし穴というより、深淵。上り坂で見えなかったのは転移魔法陣ではなくて、限りない深淵だったのだ。その限りない深淵は、差し込む日光をかき消し、純粋な黒を保っている。
ここに落ちていたらと思うと、ゾッとする。実際あと10センチも歩いていたら、落ちていただろう。それを自覚すると、明らかに鼓動が早くなって、ウサギを抱えたまま後ろに倒れ込んだ。
「ふっふっふ。驚いたかな」
「お、おおお驚いたかなじゃねーよ! 殺す気か!!」
「殺す気ではない。正気じゃ。落ちなくて良かったね」
学長はそう言ってニッコリ笑った。
「クソッ! このクソ悪魔!」
「でもね、ワシらの目的地は、この奈落の底なんじゃよ」
な、何を言っているんだこのクソは。
「どうぞどうぞ。学長のご生還を心待ちにしております。それでは私は実家に帰らせていただきますので」
「龍が蔓延るこの土地を? 一人で帰るつもりかね?」
「今なら龍だって倒せるね! 帰ります、帰ります」
「それはいかんな。それではハドアくん。ゆくぞ」
学長は力の抜けきった俺を脇に抱え込むと、高らかに飛翔した。
「めあああああああああああああ!! 助けろ! 助けてくれ! 嘘だろ!! おおおおおん!」
そんな虚しい叫び声とともに、俺は深淵へと飲まれていった。
あれ? 夢だったのか?
目を覚ますと、俺はまだ生きていて、暗い森の中に寝転がっていた。さっきのウサギのオラクルが、俺に不快な夢でも見せていたんだろうか。
体を起こして周りを見ても、ここが何処だかは分からない。
俺から約半径5メートルは、薄暗い緑色の光のおかげで辺りを確認できるが、そこから先は何故か急に暗くなっていて、一切見えない。まるで深淵だ。ん? ここはやっぱりさっきの深淵の底なのか?
にしても奇妙だ。上を見ても、木々の上に太陽はなく、周辺同様ただ暗黒が広がるのみ。それなのに、何故か俺の周りだけ薄暗い緑の光に照らされている。周辺を目で探っても、緑色の光が何処から発せられるものなのかは分からない。
そういえば、学長とウサギは何処だ?
「がくちょー」
俺の呼びかけに呼応する学長の声が、遠くから微かに聞こえる。学長の声は段々と近づいてきて、やがて草を踏む足音も聞こえ始めた。
「こっちじゃ、ハドアくん」
深淵の向こうから、ウサギを抱えた学長が登場する。
「学長、ここは?」
「奈落の底じゃ。ここに『奈落の王』と呼ばれる者がおるんじゃ」
「奈落の王? そいつが目当ての品を持っているんですか?」
「うむ。奈落の王が持つオラクルの一部を譲ってもらうのだ。ワシについてきなさい」
そう言って学長は、さっき学長が出現した方向へ歩き始めた。
歩き始めて間もなく、学長は言った。
「これじゃ。これが奈落の王じゃ」
学長が指差す方向には誰もいなかった。そこには暗黒があるばかりで、一切何も見えやしない。
「彼女はな、人のいる方向に暗闇を出現させるのだ。だから顔を見たければ、横から見るしかない」
彼女!? 女なのか? よっしゃ~回り込むぞ~……
「……回り込んでも見えませんが」
「だから言ったろう。人のいる方向に暗黒を出現させるのだ。君が移動しても、君の移動に合わせて暗黒が移動するだけじゃ」
「じゃあどうしたらいいんですか!」
「鏡じゃ、鏡。鏡を使えば見える。ワシの方に来なさい」
学長の近くに行き、奈落の王のご尊顔を心待ちにする。
「よいか? ハドアくん。この暗闇のお蔭で、今の彼女にはワシらの声が聞こえとらん。だが鏡でワシらを視認すれば、彼女はワシらと会話をするための体勢にはいるじゃろう。くれぐれも、無礼のないようにな」
「は、はあ」
「もし無礼をはたらけば、最悪深淵に飲まれ、一生をここで過ごすことになるじゃろう」
そういう脅し止めて! 心臓に悪い。
「あの。じゃあ事前に聞いときますけど、美人なんですか?」
「あのな、ハドアくん。チョイと前に人ではないと言ったろう?」
「なんだと!? じゃあなんで彼女って」
「とにかく、彼女をレディーとして扱うことだ。レディーと接するように持て成すことが、彼女を怒らせないための最も効果的な方法じゃ」
「は、はい。わかりました」
渋々承諾すると、学長は魔法で、右前に鏡面を作り出した。
鏡に映っていたのは、サップーケで見た巨人に似た、けれども別種の何かだった。
あの時見た巨人とは大きさも形も似ているが、黒々とした体ではなくて、赤褐色の蔦が絡まって巨人の形を作っているような、そんな見た目だった。それに、巨人と違って目や鼻のようなパーツが顔に付いている。
奈落の王は鏡越しにこちらを覗いて、ゆっくりと、女の声で言った。
『儚き生命たちよ。何故この地を訪ねたか』
学長が姿勢よく、鏡に向かって頭を下げる。それに合わせて俺も頭を下げておく。
「突然の訪問、大変申し訳なく存じます」
今の学長には、普段の感じからは考えもつかないような、ピリとした雰囲気がある。学長も緊張してたりするんだろうか。
『其方、もしや前にも此処へ』
「はい。一度ならず二度までも。大変申し訳ない」
敬語を使う学長は、まるで別人のようだった。俺はどうしたら良いんだろう。
『フフ…… そもそもこんな地にいる者に、約束はできぬだろうに。……よい。顔を上げよ』
学長が顔を上げたのを確認してから俺も顔を上げる。
「本日はこの者に、“果実”を授けて頂くべく、こちらへ参じました」
果実…… それが奈落の王が持つオラクルの一部なのか?
『フフフ…… 儂がタダで物を寄越すと思うてか? 退屈な男に貢いでも、虚しくなるばかり。そこの男よ。汝と少し、話して決めよう』
「ハドアくん。お達者で」
学長は笑顔で言った。
「え!? なに!?」
何がお達者なんだ! そう思っていると、いつの間にか俺の足首をアイツの蔦が搦めていて、俺はそのまま暗黒へ引き摺り込まれてしまった。




