潜入開始
「雷騎士レオンハルトが命じる!!天の門を開けよ!!」
レオンハルトは名前に違わぬ、雷のような大声で開門を命じた。
反射的に耳をふさぎたくなるようなその声に思わず一同は顔をしかめる。
大声が壁に木霊し、一時の静寂を迎えた後、城門の向こうから同じく大声が聞こえてくる。
「雷騎士レオンハルトに問う!!貴殿の横にいる人物は何者か!!返答しだいでは開門の許可はできない!!」
「彼らは我が命の恩人だ!見識を深めるために諸国を巡る最中、魔物に襲われている我々を発見し、助太刀いただいた!!よって軍規第6条に則り、客人として一時迎え入れ事とした!!」
レオンハルトの回答に、門番は閉口して熟考する。
ごくり、とレオンハルトとはつばを飲み込んだ。
嫌な汗が額を伝う。もしここで開門が断られた場合、彼らを国内へといれる術は無い。
いかに1騎士団の長とはいえ、この門は厳格な規則で守られており、門番が拒否すれば入ることは出来ないのだ。
一同は固唾を呑んで見守る。レオンハルトにとっても命がけ、と言っていい時間だった。
「……身分および理由は正当なものであると判断する!!我が名、ロズウェルの名において開門許可を出す!!天の門を開けよ!!」
しばしの静寂の後、大声で門番が開門を命じた。
ギィイイイ……と扉がきしむ独特な音を立て、目の前にある巨大な門ではなく、壁と一体化していた部分が開き、暗い通路へと続く道を示す。
これを見てレオンハルトは内心ほくそえむ。軍規を盾に提示したものの、この軍規自体は防衛に支障が来たされるとされ、七騎士の会議で議論されていた不安定なものだったのだ。どうやらまだ下層のほうまではその情報はいきわたっていないようだ。心の中で門番に感謝しつつ、近くの兵にヒルデを預けて一行を天の門内部へと案内した。
内部は四方が全て石の壁に囲まれており、その全てが一切の光が入る余地も無く敷き詰められていた。
天の門を閉ざしてしまえば完全な闇がここを支配するであろう事は明白だった。
通路の広さは武装した騎士が一人ちょうど通れる程度であり、二人横に並ぶのは厳しそうだ。
順列はレオンハルト、サイ、ユフィ、アメリア、クー、アーヴの順に並んで入るが、中でもクーの持つリュックは非常にスペースを圧迫しており、左右から覗き込まなければ、クーの背後にいるアーヴは前が見えない状態になっている。
全員が順番に中に入り終えたところで背後からは重々しい音が響き、視界から一切の光が消えうせた。
呼吸音さえ響く暗闇の中で、手探りで一堂は前に向かって歩いていく。
「ところで、せっかく天の門というのだから、あの巨大な門が開くと思っていたのにがっかりだぞ。なあアメリア。」
「まったくね。しかも通されたのがどこを見渡しても蝋燭の明かりすらない常闇の通路だなんて。流石の私でも閉口してしまうほどに残念だわ。」
流石に暗闇の中で長時間黙り込むのは精神的にきついのだろう。女性二人が口を開いて会話を始めた。
「一応弁明させてもらうと、この天の門は身体検査をうけない客人用通路でな。国内の様相を見られないように移動させるための物となっている。もし検査を受けて身ぐるみを剥がされたなら、地の門と名づけられた先ほどの門から入れるぞ。」
「へぇ、だから僕たちは検査されずにここに案内されたのか。そういえばさっきは軍規に則って客人として迎えるといっていたけど、もしかして客人とするには何らかの規則があるのかい?」
「驚いた、さっきの一言だけでそれに気付くのか。」
暗闇の中から少し意外そうな声だけが聞こえてくる。
「まさにその通りだ。我々リッターには軍規というものがある。リッターとしてのマナーみたいなものではあるんだけどな、そこの6条に書いてあるのさ。命を救われた場合、諸国との交渉において当国にて会談を開くよう直接申請された場合及び正当かつやむをえない理由において、紅騎士との面会を求められた場合のみ、対象を身体検査不要の客人として、天の門の開門を申請する事が出来るってな。」
「でも、それだったら少しおかしくない?二つ目や三つ目の条件なんて暗殺してくださいって言ってるようなものだと思うんだけど。」
「……言われてみれば確かにそうだな。」
「でしょ?」
ユフェの疑問に、サイが便乗する形で同意する。
事実、至極もっともな意見ではあった。徹底した防衛を行っているにもかかわらず、客人という部分のみ警備が妙にゆるい。
これがこの国の騎士道だと言われればそこまでなのかもしれないが、ここまで徹底的に排してきた国がそんな理由で許可を出すとは到底思えなかった。
「ああ、それでこの軍規はいま改善のための会議にかけられている部分でもある。とはいえ然程問題ではない部分でもあるんだがな。そもそもこの門を通って直接いける場所は客人用宿舎と城壁の上だけなんだ。国内への扉は隠されていて入れないようになっているし、会談場所も、怪しげな動きや毒を散布される事を警戒して城壁の上で行うことになっている。屋内のほうが安全といわれるかもしれんが、四方に弓騎兵が配置され、ワイバーンでも手なづけていなければ狙撃する事すら適わない高さの城壁は部屋の内部よりよっぽど暗殺されるリスクが小さいんだ。それに紅騎士は……父上は、そんなもの意に介さないほどに強い。」
「ウルヴァン将軍か。」
前の見えない暗闇の中で、わずかにレオンハルトが首を動かした気配がする。
「そうだ。同時に、実質的にはこの国の王のようなもので、民からは騎士王ともよばれて崇められている。」
「へー、だから毎回ウルヴァン将軍が会合に出ていたわけか。私も騎士が統治しているとは聞いていたが、まさか王まで騎士とは思わなかったな。」
「まあ他国に比べて特殊だとは思うぜ。……そのせいでこんな意味の分からない国になっているわけだがな。」
明確な怒りをもって、レオンハルトは唸るように呟いた。
声は通路の先へと消えていき、足音だけが一行の耳に残る。
通路内を漂うひんやりとした風が、妙に気持ち悪い。
「……そんなにべらべらと俺たちに喋っていいのか。機密事項だろう。」
「ああ、この程度なら規則にも触れないから大丈夫だ。それに、どうせ行けば分かる事だから問題ないさ。」
先ほどの声とは一転して、落ち着いた声でレオンハルトは答えた。
「……そうか、ならいい。」
「……ああ。」
「……。」
「……。」
「……何か言えよ。この重々しい空気を打開しろよ。会話を続ける努力をしろよ。」
「俺の質問にお前が答えた。先ほどの会話は終わっている。」
「……いやそうじゃなくてさ、他に聞くこととかさ。」
「ない。」
「……そうか。」
「ああ。」
「……。」
「……。」
先ほどとは別の意味で、痛いほどの沈黙が通路内を支配する。
「え、えっと。ウルヴァン将軍の息子さんって事はこの国の王子みたいなものだよね!れ、レオンハルトさんってすごい偉い人だったんだ!!旅人の私たちがそんな人と会えるなんて光栄ですよ!ねっ、みんな……?」
ユフィはどうにかサイが木っ端微塵にした空気を立て直そうと一生懸命明るく振舞った。
とはいえ誰の表情も見る事が出来ないのであくまで声から推測できる程度なのだが、今回の場合はそれがあだとなった。表情や態度でごまかせない分、声が少し震えているだけで無理をしていると判断できてしまうからだ。
そのおかげで先ほどサイが木っ端微塵にした空気以上に、どこかいたたまれない空気が流れてしまう。
「あ、いや……俺は孤児だったから正確には違うんだが……。戦争孤児って言うやつでな、たまたま拾われたんだって聞いてるよ。物心ついたときにはすでに俺はここにいたから正確なことはわからないけど……。」
レオンハルトはそこに追い討ちをかけるように自身の出生について気まずそうな声で話した。
「「(地雷踏んだーーーー!!)」」
アメリアとアーヴは頭を抱える。
「で、でも、私たち庶民からしたらやっぱり王族と合えるなんてすごい事だと思うんだよ!たとえ養子だったとしても!!」
「(止めてユフィ、火に油を注がないで!)」
「それにレオンハルトさんだって気まずそうにしてるけど、うん、えっと……うん!!大丈夫だよ!!」
「(ユフィ!もうやめて!!もう無理しなくていいから!!)」
「あ、でも王族みたいなものなのに誰一人温情をかけることなく騎士に命を狙われるって、よっぽど日ごろの素行が悪かったのかなぁ。」
「「(ユフィィィィイイイイ!?)」」
悪意無く、徹底的に地雷を踏み抜いていくユフィにアメリアとアーヴは冷や汗をかいていた。
ぽたぽたと汗が滴る音が聞こえる。変な震えが止まらない。
「……ああ、うん、そうだね。きっと俺の素行が悪かったのかもしれないな……。人徳が無かったんだろう、ははっ……ぐすっ。」
「「(泣いた!?)」」
思わず起きた異例の事態に心の中で突っ込みの嵐が巻き起こっていた。
混沌としたこの状況を抑える方法も無く、ただただユフィが地雷を踏み抜いていく様を聞き続けるしかなかった。
しかしアーヴは突っ込みつつも腑に落ちない点が一つ、心の中にわだかまりとして生まれていた。
「(いかに人徳が無いとはいえ、曲がりなりにも騎士団の長。その場で即時処刑など普通は考えないはずだけど……戦争孤児ねぇ。)」
アーヴは顎に手を当て、誰にも見えないがこわばった表情で思考を開始する。
身体的特徴、髪の色、そして戦争孤児というキーワード。物心が着く前と言う事は年代も限定されてくる。
仮にレオンハルトの年齢が同年代とするならば、13~15年程度、過去にあったヨグソートの戦争を調べればいい。
「(しかしこの期間は不可侵条約が成立した年代以降、高確率で戦争なんか起きていない……。赤ん坊の段階で拾われたのか……?)」
「アーヴ、嫌に静かだがどうかしたか?いつもの君ならこの壁の構造とか叩いて調べてそうなものだが。」
「ん、ああ。旅の途中で戦争孤児の話を聞いた事があったか気になってね。思い出そうとしてたんだ。」
クーから突然振られた質問に、適当に言葉を濁しつつ返事をする。
今は表情が読まれない事が好都合だった。クーは何も考えていないようで人間の心理に妙に鋭いときがある。
もし見られてたら変な警戒を持たせることになっただろう。確実ではない情報は、適切なタイミングで提示する必要がある。それがアーヴの信条だった。
ふぅ、と一息ついて気持ちを切り替え、適当な世間話へと会話をつなげる。しかし、アーヴ心の中を占めているのは納得のいかない戦争孤児というワードについてだった。
「(ちょっと調べて見る必要があるみたいだね。)」
アーヴは暗闇の中で何かを取り出し、それを力強く握りつぶした。
紙が握りつぶされるグシャッという音と共に、通路内に一瞬だけ目もくらむような閃光が駆け巡る。
「なんだ!?何が起きた!?」
「今のは……アーヴか。」
「うん。ごめんごめん、どうも僕の持ってる閃光系の目潰しが誤作動したみたいでね。こうも暗いと持ち物もおちおちチェックできないね。ガス灯の一つでもつけてほしいものだよ。」
おどけたような口調でアーヴは告げる。
「まったく、気をつけてくれ。ここだからよかったものの、もし外で暴発して侵略の意思有りとみなされたら、お前たちは全員生きて帰ることは出来ないんだぞ。」
「ごめんごめん、ちゃんと外にでる前にロックしておくからさ!ほら、早く先に進もうじゃないか。」
レオンハルトは突如先をせかし始めたアーヴに不信感を抱きながらも、早く進みシルヴィアを助けたい気持ちがあるため、その意見を承諾しまっすぐ道を歩き始めた。
最初に入ってからどれだけの時間がたったであろうか。光無き道は時間の流れも距離すらも判別できない。
「この暗闇では、本来騎士が正面に立って案内する事は無いんだ。さっきみたいな事があり、背後から刺されるかもしれないからな。」
「確かに、暗殺には絶好の機会だな。さっきの軍規も合わせて狙わないやつはいないだろう。……だからこんなものを用意してさも暗殺できるよう見せかけているわけか。」
サイはコンコンと強めに壁を叩く。耳を澄まさないと分からないほどだが、わずかに空洞のような音がその先から聞こえ、響くことなく音が吸い込まれていった。
「暗闇で視界が防がれる事を利用して、目がなれる前にこちらの通路に潜んでおき、客には直線だけで構築されているこの通路を進行させる。正面に騎士がいると思っているやつらは暗殺に失敗し、脱出も面倒になると言うところか。騎士らしくない小賢しい方法だな。」
「さっきの一瞬の光で見つけたのかよ……お前ら、旅人じゃなくて本当は盗賊かなんかじゃねぇのか?」
「さてな。それはお前の知る必要は無いだろう。」
「……そうか。まあ俺はシルヴィアを助けてくれるなら何でもいい。たとえ盗賊だとしてもな。ついたぞ。」
突き当りと思わしき場所で、レオンハルトが壁を押すような音が聞こえる。
重たい石作りのものがずれていく音と共に壁が回転し、数刻ぶりの太陽の光が差し込んできた。
そのまぶしさに思わず目を覆うものの、開けた視界への開放感が一行の胸を占める。
たどり着いた場所は城壁の上であるものの、レオンハルトの言う様に四方は高い壁に囲まれていた。
おそらく城壁と城壁の間に作った踊り場のようなものだろう。大体20M四方ほどの正方形のつくりになっており、中央には小さな会談用と思わしき長方形のテーブルが置かれている。イスは二つしか置かれておらず、一見すると普通の謁見と似たような形式であると言う事が分かる。
一方で照明と思わしき設備は無く、ここでの会談は昼でしか行われないのだろう、という事が推測された。
「あー、やっとでれたわ。真っ暗で狭い通路とか正気の沙汰じゃないわよ。その上長いし。」
「客人とはいえ、何か動きがあったら皆殺しに出来るような仕掛けになってるからだろうね。分かりにくかったけど上り坂になっていたからここから岩でも落とせばぺしゃんこだ。」
「後は壁を叩き壊されないように対策できたら完璧だな。」
「いや、そこは流石に対策してるんじゃないかしら。むしろ明かりもって来られたときの対策が必要じゃない?」
「あんな密閉された空間で使えば、煙が充満して中毒になるから問題ないだろう。それに洞窟と違い水が無い以上、何かの手違いで引火したらどうしようもないから使いにくいな。」
一行はなぜか敵国の客人用通路について、ああでもないこうでもないと議論を始めた。
出口を閉鎖し終えたレオンハルトは彼らの元へと歩いていくが、その光景に怪訝な顔をする。
「お前らなんでそんな事を議論する必要があるんだよ……。」
「いろんなところを旅しているからね。似たような事があったら対処できるようにこうやって自分が作るときはどうするのかを考えてみるんだよ。これが意外に役立つんだ。」
アーヴはにこやかに笑いながらレオンハルトの方をぽんと叩く。
「で、僕たちは次はどこに行けばいいんだい?あの奥にある扉の先に行けばいいのかな?」
アーヴの視線の先には小さな扉があった。丁度先ほどの出口と対面するように設置されており、重厚な銀の装飾が思わず目を引く。
「あそこは宿舎への入り口だからお前たちには関係ないぜ。本来だったらあっちに通してから上に報告して、もてなしの準備をするんだが、お前たちにはシルヴィアのとこに行ってもらわなきゃ困るからな。たしかどこかこの辺に……お、あったあった。」
会談用のイスの付近の床を入念に調べると、石畳の間に棒状の取手が隠されているのを見つけた。
石畳と同じ色に塗装されているそれは一見すると非常に見難く、夜になれば絶対に見つけることは出来ないだろう。
「こいつを引っ張ったら非常用の脱出経路を経由して、騎士たちに見つかることなく町に潜り込めるぜ。」
「どうして町に……いや、君たちは外に行くよりも町のほうが安全なのか。」
「まあそういうこった。とりあえずはこの通路を通ったら教会の裏にでる。そしたらその教会のシスターに、レオンハルトから頼まれたって言ってこれを見せてくれ。俺の使いと分かれば、武器や荷物を隠さなくても案内してもらえるはずだ。」
レオンハルトは小さな牙で作られたペンダントをアーヴに渡す。
「俺は先に上にゲルブリッターが壊滅した報告をしないといけないからな。後で向かうからよろしく頼むぜ。」
「……だったら僕もその報告には参加させてもらえないかな。」
アーヴは受け取ったペンダントをクーに渡した。
「ある程度は話したとはいえ、君は詳細な戦闘状況や魔物の数、種類も分からないだろう?ここは僕と口裏を合わせるほうが得策だと思うよ。」
「それもそうだな……だったら少しここに残っていてもらえるか?父上を呼んでくることにする。」
「うん。じゃあ四人とも、後は任せたよ。」
アーヴの一言に四人は頷き、レオンハルトは取っ手を引っ張って避難経路を開いた。
その下にはなだらかな坂になっており、出口まで一直線に滑り降りる事が出来るだろう。
最初にサイがその中に飛び込み、続いてクーがその中に飛び込んだ。
しかしクーの背負った鞄が大き過ぎて経路につっかえていた為、アメリアが上から踏みつけるように滑り込み、最後にユフィがおずおずとしながら、ゆっくり降りるようにして中に入っていった。
「これで、とりあえずは国に入れるはずだ。あんたらが何をしようとしているか分からんが義理は果たしたぞ。」
「大丈夫、睨まなくても約束は果たすよ。さあ、早く将軍に申し開きをして合流しようか。」
アーヴは不敵に微笑みイスに腰掛ける。
その表情からは、何か別の目的があるようにも伺えた。
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「ほう、つまり我がヨグソートに侵入者が入り込んでおり、それを見つけたため始末したという筋書きですな。」
誰もいない部屋で、真紅の鎧に身を包んだ大柄の男性が虚空に向かって話しかける。
年齢は50ほどだろうか。金色の髪はところどころ色を失っており、顔にもしわが刻まれ始めていた。
しかし、全てを射抜くような鋭い眼光と軸を一切ぶらす事の無い歩き方。何よりその顔に刻まれたしわよりもはるかに多くの刀傷こそが彼を歴戦の勇士であると物語っていた。
「ふっふっふ、心配めされるな。すでに対価も受け取ってある。騎士の名にかけて受けた依頼はしかと成し遂げよう。我も長いこと続くこの冷戦には飽き飽きしていたのだ。民を護るといえど敵がいなければそれは成り立たぬ。事実我が国内でも騎士制度に批判の声が上がっておる。民を護らぬ騎士に価値はあるのかとな。」
自嘲気味な笑みをこぼし、ゆっくりと近くにあったイスに腰をかけた。
ふぅ、というため息と共に頬杖をつく。
「もちろん、そんなものに価値など無い。価値なき者が為政を行うことはなお価値が無い。それが武人であれば尚更、輪をかけて価値が無い。武人が為政を行うなど愚の骨頂。為政者と武人はけして相容れぬのだ。しかしてそれが和する場所こそが戦の渦中よ。」
腰に差した剣を鞘から抜き放ち、その輝きを眺める。
少し長めの柄と切っ先のほうに沿ったVの字型の鍔、鎧と同じ真紅に染まった両刃の刀身は不気味な威圧感を放っており、まるで近づくものを全て焼き尽くしてしまうような印象を受ける。
「突撃槍以外を使うという事に最初は抵抗があったが、中々に剣というものも使いやすい。部下に見られたら示しがつかぬが……まあ些細な事だろう。今後の事を思えばな。」
剣を納め、懐から一枚の紙切れを取り出す。
「ゼノリスとヨグソート間での密約……適当な口実で擬似的な戦争を起こすことで、双方への被害を極小に抑えつつ、利益を生み出す影の同盟。戦火は生まれた犠牲をはるかに超える産業の進化と発展を促してくれる。我が国ではそれに加え騎士による治世の安泰もだ。長くは持たぬ密約だとしても、現状を打破する起爆剤になれば十分よ。待ち遠しいな、再び地上が業火に焼かれるそのときが……。15年前のあの地獄が……。」
男が紙を握り締めるとそれは突如燃え上がり、黒い灰の塊となって地面へと零れていった。
男はそれを足で踏みつけ、立ち上がると共に大声で自分の息子の名を呼ぶ。
「ジークハルト!!ジークハルトはいるか!!」
「ここに。」
黒に黄色の線が刻まれた鎧を身にまとう一人の騎士が、音も無く部屋の中に現れる。
父と同じく金の髪をたなびかせ、どこか虚ろな碧眼を持つその騎士は恭しく頭をたれる。
両腰には刃の部分まで黒に塗装された鉤爪がそれぞれぶら下がっており、これも同じく奇妙な威圧感を放っている。
だが、それだけではない。彼の纏う漆黒の鎧も同じく、どこか違和感を覚える。
「……ほう、中々似合っておるではないか。黒騎士らしい格好になったな。」
「お戯れを。これは父上から賜ったもの、黒騎士たる姿になったのも父上の慧眼ゆえでしょう。」
ジークハルトは静かに告げて頭を下げる。
「褒め言葉は素直に受け取っておくものだ。さて、ジークハルトよ、お前に任務を与える。レオンハルトと共にこれに当たれ。」
「はっ。して、その任務とは。」
「この国に侵入してくるであろうゼノリスの密偵を捕縛する事だ。」
「なんと……ゼノリスの兵が来ると。」
ジークハルトは少しだけ目を見開く。
「普段感情を表に出さないお前が驚くとは。これは珍しいものを見れた。」
「お戯れを。しかし、不可侵条約の更新を間近に控えたこの時期にスパイを送り込むとは。」
「うむ、また再びこの大地を戦火に包もうと言うのだろう。それを見逃す事は、民の安全を預かる騎士として許すわけには行かぬ。分かるな、我が息子よ。」
「重々、承知しております。」
「それでこそ騎士よ。」
誇らしそうに微笑む男を前に、再度ジークハルトは頭をたれる。
「さて、標的は5人組だそうだ。おそらく、門の入場検査でモーメントが見つかるだろうが……他の何らかの手段で潜り込んでいる可能性もある。そのため町の哨戒を行い、怪しげなものがいたらそやつらの所持品を改めよ。そしてモーメントを見つけ次第捕縛するようにせよ。」
「承知しました。では、レオンハルトが遠征より帰還次第任務を開始いたします。」
「うむ。……?なにやら廊下が騒がしいな。」
だんだんと近寄ってくる大声が二人の耳に届く。
どうやら若い男と年寄りの間で揉め事が起きているようだ。
二人は入り口の扉に視線を移し、耳を済ませる。
「レオン坊ちゃん!そんな傷だらけの身体でどこに行こうというのです!!」
「ええい!じい、離せ!俺は火急すみやかに父上に報告しなければならないことがある!」
「なりませぬ!手当てをすでにされているとはいえ打撃による傷は臓器にも影響を与えます!!安静になさってくださいませ!!」
やかましいというのが妥当な若者の叫び声と、それに引けを取らぬ老いた老人の叫び声が扉越しにも伝わってくる。
「この声はレオンハルトとコルベールか。丁度いい、ジークハルト。扉を開けて呼んできてくれ。」
「分かりました。」
ジークハルトが扉を開くと、そこにはボロボロの鎧を身に纏ったレオンハルトが、一人の老人を引きずって歩いてきていた。
老人は腰にすがりつき、おやめくだされ!おやめくだされ!と叫んでいるものの、当の本人は全力で鬱陶しがっているようで、必死に振りほどこうとしている。
しかし今その老人がすがり付いている事などは些細な事だった。
若いとはいえ七騎士の座にあるレオンハルトが致命傷を負い帰ってきたということは通常考えられない事態である。
「コルベール!」
真紅の鎧の男は大声で老人の名を呼ぶ。
それを受けた老人は雷に打たれたかのように素早く直立し、男に向かって最敬礼をする。
「ウルヴァン将軍閣下、お騒がせして申し訳ありませございませぬ!!」
「よい。しかしレオンハルトももう立派な騎士。おぬしの心配も分かるがこやつの意志を尊重するのもれっきとしたお守りの仕事だ。それに、雷騎士の名を持つレオンハルトがここまでの傷を負ったのは私も見たことはない。ただ事ではない事は一目瞭然だ。もう少し状況を考え行動せよ。」
「はっ、申し訳ございませぬ!!」
「レオンハルトは私が預かる。下がれ。」
「はっ!失礼いたします!」
老人は素早く一礼し、廊下を小走りで引き返して行く。
レオンハルトはそれを見送り、助かった……と小声で呟き部屋に入る。
「どうしたんだい、レオン。わたしの知る限りでも、遠征帰りに君がそこまでボロボロだったのは見たことが無い。鎧は仕方ないとしても……ここまで傷だらけなのは異常だ。」
「父上、兄上、落ち着いて聞いてくれ。……詳しいことは後で話すけど、結論から言うとゲルプリッターが全滅した。」
「なんだと!?」
ウルヴァンは目を見開き、驚愕の色を隠そうともせずに声を上げる。
ジークハルトも同じく、口を半開きにしたまま呆然と立ち尽くしていた。
「想定外の魔物の奇襲を受けて、ゲルプリッターは国の西にある魔の森に追い込まれた。そこで奮戦したものの俺も力尽きて……気がついたらゲルプリッターは全滅、俺はたまたま森に入るのを見ていた旅人に助けられたんだ。」
「馬鹿な。魔物の奇襲とはいえ鍛え抜かれた歴戦の兵たちが全滅なんて考えられない。父上、これにはもしや先ほどの件が絡んでいるやも知れません。」
「うむ、こうなれば一刻も早く手を打たねばなるまい。」
深刻な表情になり、頷きあう二名を見てレオンハルトの頭に疑問が浮かぶ。
「先ほどの件?兄上、なんだそれは。」
「ああ。どうやら、5人組のゼノリスの密偵が我らが国に向かって進行している様だ。もしかしたらすでに進入しているかもしれないからその捕縛を父上より任務として承ったんだ。レオン、お前も一緒だ。」
「ゼノリスの密偵だと!?」
「そうだ、レオンハルトよ。この不可侵条約が再び結ばれようとする時期にだ。実に由々しき自体と言える。再び地上が戦火に包まれる可能性を秘めたな……。故に、なんとしてでも阻止せねばならぬ!!民たちの平穏を護るために!!」
拳を握り、力強い声でウルヴァンは叫んだ。
体の芯にまで届くような咆哮は無意識のうちに心を奮い立たせる。
この号令こそが全ての騎士の長たる者の最大の武器であり、畏怖される所以でも合った
「してレオンハルトよ、貴様を救ったと言う旅人は今どこにいる。」
「あ、ああ。今は天の門の謁見席で待機してもらっている。魔物について話さなければと思って客人として招待したんだが……まさか父上!!俺の命の恩人を密偵の容疑で拘束するつもりか!!」
レオンハルトはウルヴァンの元に詰め寄り詰問するが、ウルヴァンは顔色一つ変えることなくレオンハルトを突き放す。
「ゼノリスの兵どもは自然現象すら操ると聞く。そこまで強大な力なら情報が無いだけで魔物も操れるかもしれぬ。お前を救った旅人が、魔物をけしかけ、自らそれを討伐する事で国内に入り込む口実を作ったとも考えられる。」
「そんな事は……。」
「ない、と言い切れるのか?」
「……いや。」
魔物をけしかけたと言う点に関しては無いといいきれるが、レオンハルトはそれを口にすることが出来なかった。
もしこれを口にすれば、自身の不正がばれ、軍規により自分自身とシルヴィアの命が失われてしまう。それだけはなんとしても避けなければいけなかったからだ。
唇をかみ締めたせいで鉄の味が口内に広がる。
「……だが、彼らは命の恩人だ。騎士の誇りにかけて、不当な扱いは行わないようにして欲しい。それ位は約束してくれ。」
震える声でレオンハルト小さくつぶやいた。
そうとしか、言えなかった。
「分かっている。だが、公平な立会いのためお前の臨席は許可しない。町へと戻り、密偵の捜査を開始せよ。」
二人はレオンハルトの横をすり抜けて廊下の先へと進んでいく。
レオンハルトはその後姿を見ながら拳を強く握り締めた。
「……いいんだこれで。ゼノリスは血も涙も無い、悪魔が支配する国だ。彼らが密偵で、万が一があればこの国は滅ぶ……。戦火にさらされれば、シルヴィアだって……。そうだ、シルヴィア!!」
もし彼らがゼノリスの密偵なら、今の自分があまりにも迂闊な行動にでている事にレオンハルトは気付いた。
自分の正体が騎士長の息子と言う事はわかっている。その妹で、ましてや病に冒されているとなれば絶好の人質材料だ。
「くそッ!間に合うか!」
命の恩人を信じていたい。しかしわずかな疑念は彼のその意思を不動のものとすることは出来なかった。
脳裏によぎる嫌な予感を払拭するように、レオンハルトは急ぎ廊下を引き返し、教会にめがけて駆け出した。
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――――――――――――
「あれは毒だね……それも、ゆっくりと体を蝕んでいく種類の毒だよ。病気なんかじゃなかった。誰かが悪意を持ってこれを飲ませてるんだと思う。」
四方を石の壁で囲まれた隔離病棟とも言うべき教会の一室で、肩で呼吸を繰り返す金髪の女の子……シルヴィアを見ながら、ユフィは沈んだ声でサイ達に告げた。
レオンハルトの言うように、教会のシスターにペンダントを渡すと、彼女はすぐにシルヴィアが隔離されていると言う部屋へと案内してくれた。厳重な鉄の扉で覆われたそこに入ってすぐ、簡素なベットで横たわる彼女へとユフィが顔色を変えて駆け寄ったのは一行の記憶に新しい。
「あれは粉末状にして定期的に摂取させ続ける事で徐々に筋肉を麻痺させていくことが出来るの。材料は主にゼノリスの近辺に生息するカシャ蛇の毒だね。確かに症状はエルトダウンの風土病と似ているけど……あの風土病はこんな風に玉のような汗は出ないくて、まとわりつくようなベトッとした汗になるし、体の一部が腫れてくるからほぼ間違いないと思う。でもとりあえずは血清があってよかったよ。後はほっといても大丈夫。」
ユフィはホッと胸をなでおろして地面に座り込む。処置を終えて緊張の糸が切れたのだろう。
再度よかった、とつぶやいて地面にばら撒いていた薬などを鞄に仕舞いなおした。
「しかし、なぜカシャ蛇の毒なんてものがこの国にあるんだ?そんなものが入り込む余地はこの国には無いだろうに、。私たちみたいな場合は別だが、そんなに数がいるはずも無い。」
「あの騎士みたいに持ち込んでる奴がいるのかしらね。定期的に摂取と言う事は料理に毒を盛っている、もしくは治療薬と偽って飲ませてると考えるのが妥当かしら。」
「だろうな。目的に関してはまだ結論を出すのは早いと言うべきか。ただの手の込んだ殺人計画か……それとも国家転覆を図っているのか。……まあいい。どうなろうと俺の知った事ではない。」
サイは下らなさそうに金髪の女の子を一瞥した。事実、彼にとって現在の彼女は何の価値も無いのだろう。
しかし、踵を返して部屋から出ようとするサイの腕をアメリアは素早く掴んだ。
「ちょっと、それはあんまりじゃないの?」
目を細め、サイを睨みつけながらアメリアは問う。
それに対してサイは手を振りほどく事すらせずに答えた。
「やるべき事は果たした。これ以上は無意味だ。俺たちの存在がばれるリスクも高まる。」
「だからってここでこの子を見捨てていい理由にならないでしょう?」
「しかしそいつを助ける理由にもならんな。」
互いに無言でにらみ合いを始める。どちらも譲る気は無いのだろう。身動き一つせず、ただただ互いの目を、殺気に満ちた目で見つめていた。
「……わかったわ。あんたがろくでなしって事がね!!」
アメリアはそう叫ぶと、サイの胸倉を強く掴む。
「知った事ではない、無意味だって……あなたは目の前で人が苦しんでいるのになんとも思わないの!?わたしたちが少し手を出したら助けられる存在をみすみす見殺しにしろというの!?」
「今のままならそうだ。」
サイは掴まれた腕を気にする事も無く、威圧的なまなざしでアメリアを見下ろす。
「もし今後そいつに関わり続けてみろ。そいつに施すであろう治療、必要な知識、行動、方言……多民族国家でもあるこの国ではそれら全ての要素から俺たちの存在が露見しないとも限らない。万が一、リッターにかぎつけられた時点で俺たちの死は免れないだろうな。」
「だからと言って……。」
「だからと言って何だ。助けないのは人として最低だとでも言うか?確かにそうかもしれん。だがな、お前はその結果、自らの『役割』すら放棄し、今は亡きドルン兵たちの願いを無駄にすることになるかもしれない。さらには彼女を助けた事が露見した瞬間、彼女とレオンハルトの命も失われるだろう。それでも良いと言えるのか?いや、それ以前にその可能性について一瞬でも考慮したか?」
「それは……。」
「浅い思慮で上辺だけの善心を説く……立派な偽善者だな。クー、俺は将軍について調べてくる。後は任せた。」
サイはアメリアの腕を軽く払い、一人で部屋から去っていく。
遠ざかる足音だけを耳にしながら、アメリアはうつむき、払われた手を眺め続ける。
偽善者。その言葉が深く胸に突き刺さっていた。
「さーて、めんどくさいが毒の混入に関する情報を調べるか。」
「うん!片付けも終わったし、さっさと調べよう。」
しかしそんなアメリアとは対照的に、よいしょ!と明るい声を上げてユフィは鞄を担ぎなおし、クーは行動指針を提示すると、めんどくさそうに壁にもたれかかる。
アメリアは二人を不思議そうな顔で交互に見た。
「不思議か?あんな事を言われた後に私達が毒の調査をするなんて言い出すのが。」
ふっ、とニヒルに笑う。
「安心しろ。あれはサイなりにお前のことを気遣っているだけだ。あいつは感情表現が不器用すぎてあんなのになっているがな。」
「あんなののどこが気遣ってるって言うのよ!非人道的で優しさのかけらも無いじゃない!」
「まあそう思うだろうが……実はな、私もアーヴもユフィもまったく同じ事をやられた事があるんだ。」
どこか懐かしむような表情で微笑みながら、クーは壁から離れてアメリアの頭をぽんぽんと叩く。
「あいつは、助けるという事に強い責任感を感じている。だからこそ、一時の感情だけで誰かを救うとすることを絶対に許そうとはしないんだよ。人を助ける事が、どれだけ重い責任を背負うかあいつはちゃんと分かっているんだ。」
「人を助ける事の責任?」
「そう、責任だ。それが分かってなかったら、あいつはああやっていつも怒るんだよ。なぁユフィ。」
「うっ……さ、最近は余り怒られてないよ!!」
「アメリアを助けるようお願いしたときに、しこたま怒られて泣いてたのは誰だったかな?」
「二月も前の話なんだから最近じゃないよ!!結構前だよ!!」
「それは最近と言うんだ。」
顔を真っ赤にして必死に弁明するユフィを笑いながらも、アメリアの方へ向き直り、額を小突きながら口を開く。
「まあ、そういうことだ。あいつは別に反対してはいないんだよ。少しやり方は拙いが、助けたいと思うなら協力してくれる。だから私に、『ついて来い』では無く『後は任せる』といったんだ。不貞腐れるのはよく分かるが、少しゆっくり考えてみたらいい。人を助けると言う意味を。」
さて、ちゃっちゃと尻尾をつかみに行くかー。と、気の抜けた声を上げながらクーはゆっくりと部屋から出て行く。
ユフィもその後を追いかけるようにそれに続くが、アメリアはよく分からないといった表情のまま部屋の中に立ち尽くしていた。
「アメリア、こんがらがった頭で調べたくは無いだろう。だから、見張りついでにそこで少しその子の容態を眺めていてくれ。なーに、さっさと調べて戻ってくるさ。」
クーはそう告げるために一度だけ振り返り、ぐっと親指を立ててから扉を閉める。
「そうだ、荷物はこの中にいれとこ。」
クーはいい事を思いついた、と言わんばかりの表情で扉を再び開き、巨大な鞄からモーメントのみを取り出してのこりを鞄ごと中に放り込む。
「隔離病棟だからほとんどの人間は入ってこないだろうし、アメリアもいるから大丈夫だろ。」
取り出したモーメントを適当にポケットの中に押し込み、再び扉を閉めた後に二、三度ジャンプをして、体のバランスを確認する。
「おー軽くなった軽くなった。やっぱりあんなに荷物を突っ込んでくるものではなかったな。次からは反省しよう。」
自身の発言を肯定するように頷き、じゃ、と軽い挨拶と共に再び扉は閉まり、クーとユフィの姿は完全に見えなくなる。
「ただ、助けたいって思うから助けちゃ駄目だっていうの?私には判らないわ。カインやお父様だったら、この答えを知ってたのかしら……。」
閉じた扉を見ながら、地面に座り込んで声を漏らす。
善意を否定され、そのうえで反論が出来なかった。それは今までの彼女の価値観を真っ向から否定されたようで、実に受け入れがたい事であった事は想像に難くない。
自国が滅ぶ際に誰一人救う事が出来なかった無念と、彼らから託された国の再興への願いが、彼女の心の中を二分して渦巻いてた。
「クーはああいってたけど、サイにとってはきっと足手纏いって事なんでしょうね。戦いも知らず、温室で育ってきた私は。」
一度否定された事が、彼女の頭を後ろ向きな思考で支配していく。
足手纏い、偽善者、なによりも余所者であるということ。考えたくも無い言葉だけがぐるぐると駆け巡る。
「私は、何が出来るんだろう。戦う事も知らない、誰かを助ける責任についても分からない。皆の力になることも出来ない。今だってこうして一人で座っている。」
アメリアは膝を抱え、顔をうずめた。
暗く染まった視界で今までの自分の人生を振り返る。
王族と言う身分にあり、望めば全てが手に入っていた。
何かを願えば、誰かが叶えてくれていた。服も、友達も、ペットも、娯楽も。唯一できなかったのは王城から滅多に外へと出ることが出来なかっただけ。
確かに度の過ぎた要求は怒られてはいたが、それでも不自由なんて言う言葉は知らずに育ち、自分は何でもできると言う気になっていたのは確かだろう。
サイに偽善者と罵られ、クーには慰められ、自分が何も考えていない、一人では何も出来ないちっぽけな存在だと思い知らされた。
「そういえば、ユフィが私を助けるようにお願いしたって言ってたわね……。何がその場のノリで助けた、よ……。きっと私が、敵に情けをかけられたって言って自決すると思ったのかしら……。」
嘘つき。消え入りそうな声で呟き、より深く顔をうずめる。
気がつけばワンピースの裾は濡れており、しゃくりあげる様に呼吸をしていた。
「シルヴィア!!」
一人静かに涙を流していると、けたたましい足音とともに乱暴にドアが開かれる音がした。
その人物は聞き覚えのある声で横たわる少女の名を呼び、部屋の中に入ってくる。
「シル……おい、どうしたんだ?他の奴らは?」
ふと部屋の隅を見るとアメリアがうずくまり、泣いている姿がレオンハルトの視界に入る。
「……泣いているのか?」
「……なんでもないわ。大丈夫だから。」
冷たく突き放すように、そっけない返事をアメリアは返す。
「……その子は無事助かったわ。もう少し安静にしていれば完治するって。」
「そうか……礼を言う。」
静かな寝息を立てているシルヴィアの元に寄り、その様子を確認する。
「(本当に落ち着いているようだな。熱も無い、呼吸も正常だ……俺の早とちりだったか。)」
シルヴィアと自分を救ってくれた恩人たちを疑った己を恥じ、レオンハルトは深い後悔に襲われる。
ゼノリスの密偵が人助けなどするわけが無い。故に彼らはただの旅人だと。
しかしそれでも、彼の中の疑念は払拭される事は無い。確固たる証拠が、彼は欲しかった。
「……すまない。どうしても一つだけ確認させて欲しい事がある。」
「確認させて欲しい事?」
「すまない、これも任務なんだ。命の恩人に、こんな侮辱的な対応をすることを許して欲しい。」
レオンハルトはそう断ってからシルヴィアのベットから離れ、顔をうずめたままのアメリアの前に立ちふさがった。
その拳にはいつの間にか短剣が握られており、その切っ先はアメリアの頭上を指している。
「答えてくれ。お前たちはゼノリスの密偵なのか?」
アメリアは、何も答えない。
「頼む、違うといってくれ。俺に、命の恩人に対して刃を向けさせないでくれ。」
懇願するように、どこか震える声でレオンハルトは告げる。
騎士としての責務、人としての情。天秤にかけられた二つの錘を、彼は傾ける事が出来なかった。
「もし、そうだって言ったら……どうするの?」
今、一番聞きたくない答えがアメリアの口から放たれる。
和気藹々とした場であれば冗談で済むだろうが、この場でこの発言をしたと言う事はもはや自白したのと同じようなものだ。
「……俺は、騎士だ。軍規に反し騎士の誓いに背いていた身でも。己の死を恐れ、真実を告げられない臆病者でも……俺は民を護る騎士なんだ。」
「……そう。」
アメリアはその一言だけを呟き、また黙り込んでしまう。
レオンハルトは、その口から再び言葉がつむがれるのを待っていた。
冗談よ、の一言でいい。レオンハルトはそれだけを望んでいた。
「ねぇ、あなたは、人を助ける事の責任ってなんだと思う?」
しかしアメリアの口から出たのは奇妙な問いかけだった。
レオンハルトは突然の質問に面食らうものの、何かの意味があると信じて言葉を返す。
「……俺は、その命を背負う事だと思っている。」
それは、騎士としてこの道を歩んできたときから、心に誓っていた一つの信念。
「たとえば、一人の人間を殺し多数を救う事が出来る場合と、一人の人間を助ける事で他の全てが死んでしまう場合があるとする。だが、まずここに正解なんて無い。どちらも等しく正しい行いであり、それは個人の心の天秤の振れ幅で決まる事だ。もちろん、全てを救えるのが理想的なわけだが……現実はそううまくはいかない。あきらめろというわけでもないがな。」
短剣をおろし、一度深呼吸をする。
「しかしその先で、やってはいけないことが一つだけある。助けた命をぞんざいに扱う事だ。何も考えずに適当に人を助けただけで、その先の事を一切考えず放置したら、その人物は自らの命と犠牲になった人々を秤にかけて、その重さに耐えられず命を捨てるかもしれない。助かったという事実に絶望してしまうかもしれない。もしそうなら、それでは助けた事にはならない。助けたという事実に自分が酔いたかっただけであり、偽善でしかないと俺は思う。」
短剣に反射した自分の顔を眺めながらレオンハルトは続ける。
「きっと本心から助けたいと願っている人物もいるだろうし、もちろんこの考えが正しいわけでもない。ましてや、そこら辺のお年寄りが重たい荷物を運んでいるのを助けるなんて事にはこんなことを考える必要も無いだろう。だが、人に手を差し伸べるという事は相手にも選択を強いる事なんだ。まさに、君たちが俺を助けた事で、俺に選択を迫っているように。」
そういわれて、アメリアは自分が助け出されたときのことを思い出す。
あの時も、確かに選択を迫られた。怒り狂い、冷静さを欠いていたあのときの自分に対し、クーはふざけた行動と言動で諌めつつ落ち着かせ、その上で二つの可能性を提示してくれた。仲間になることも、それを断ったのなら逃がす算段もきっと立てていたのだろう。ある意味選択肢は無いようなものだったが、それでも今この場で生きて道を選べているのは彼女のおかげだ。サイに気絶させられた後、放っておいてもよかったはずなのに。
「助けた命を自分のものにしようだとか、恩を売るだとか、そんな打算的な世界じゃない。助けると決めたのなら、命を賭してでも導き、その人が自分で選択した道を歩けるように支援する事。そして、その結果起こるであろう事態について覚悟を決めて立ち向かう事。言葉にすれば簡単だが、これが命を背負うって事だと俺は思っている。」
なんかうまく言えないがな。と照れくさそうに笑い、短刀に反射して映る妹の姿をいとおしそうに眺める。
アメリアは顔を上げ、それを眺めながら自分の思慮の浅さを恥じた。
軍人として生きてきた彼らと、王族として生きていた自分。選び続けなければならなかった彼らと、選ぶことなく全てを手に出来た自分。育った環境の違いだけでここまで思考が変わるものなのだろうか。それとも、与えられた幸福におぼれて思考を止めていた自分の咎なのだろうか。
「まあこれがすべてとは限らないさ。これは俺の持論であって、お前に合う答えである保証も無いからな……さて。おしゃべりは終わりにしよう。」
一度短刀を空中にほうり投げ、深く腰を落とす。
中を待っていた短刀をパシッと音を立てて右手で取り、逆手に構えて身体を半身に開く。
彼女は現段階で「敵」であると彼の中では結論が出たのだろう。いつでも飛び込む事ができるような体制で構えている。
アメリアはそれを見てしばらく考え込み、涙の後を手でこすった後に立ち上がった。
その表情には何かを決意したような、真剣な表情になっていた。
「私も、覚悟を決めた。だから本当の事を言うわ。」
一度つばを飲み込み、逃げたくなる衝動を押さえ込む。
王族としての意地もあった。こんなところで屈してなるものかという葛藤もある。
それどころか、ひょっとしたら自分だけは逃げる事が出来るかもしれない。仲間を売り、ドルン王家の紋が刻まれたこの剣を見せ、真実を話せば。
それでも、絶対にこの言葉だけは言うと決めた。
「ご想像の通り、私は『ゼノリスの密偵』。そして、『あなたの味方』よ。」
自分が助かるための小さなプライドを捨てて『ゼノリス』の人物であると名乗る。拙い覚悟であろうと、この部屋にいる二人を助けるために。