雷騎士 レオンハルト
「おろかなりレオンハルト!私情に走り、外の薬を持ち帰るとは!審問にかけるまでも無く、我らが牙で裁いてくれよう!!」
「「「おおおおおおおおお!!」」」
首都アサドが僅かに見える程度に離れた草原で、武装した騎士の一団が吼えた。
数十騎にも上る元部下・ゲルブリッターが突撃槍を構え隊列を組む。
何千回何万回と繰り返してきた電光石火の突破陣形が、まさか考案した本人にこれが向けられる時が来ると誰が思っただろう。
馬まで覆うことが出来そうな巨大な盾と、身体に近づく程に半径の広がる円錐状の槍を正面に構え突撃するその姿は、まるで人が抗う事の出来ない荒波を髣髴とさせた。
一歩、ただ一歩、隊が進むだけで大地を踏み砕く音が響き、これから起きるであろう惨事に思わず身を震わせる。
今までどれだけの逆賊を、侵略者を、逃亡兵を血祭りに挙げてきたのだろう。数え切れぬ血を吸った白銀の槍は、今まさに次の獲物を一人の騎士に定めていた。
レオンハルトは同じく突撃槍を握り締め、盾を構え咆哮する。
「かかって来いゲルプリッター!たとえ一人であろうとも、この薬を持ち帰るまで俺は死なん!!」
「そのような事は認めぬ!!我々は国を守る為に選ばれた騎士!!たかが一人の命のため、異国のものを持ち込むなど認めん!!」
「一人の命すら守れぬ騎士が民を守れるものか!!」
「一人の命にこだわる騎士が国を守れるものか!!」
走る二つの影が、擦れ違うように槍を振るった。
円錐状に作られた突撃槍は側面を使う事で、普通の槍と違い打撃攻撃を試みる事が出来る。
互いの身体を覆うはプレートメイルとタワーシールド。細い先端を利用した突き技を繰り出したところでたいしたダメージは期待できない。石突や側面による打撃で衝撃を通し、直接内臓にダメージを与えたほうがいいという判断だろう。少なくとも、ゲルブリッターはそう考えていた。
しかしレオンハルトは違った。振るわれたランスを盾で捌き、生まれた一瞬の隙に馬の脚を叩き折ったのだ。
「ぬぅっ!ぉおおおおお!!」
足を折られた馬は騎士の重さに耐え切れず、バランスを崩して転倒してしまう。全身をプレートメイルで覆った騎士も同じだ。以下に鍛え上げた屈強な肉体を持つといえど、重力には逆らえない。情けない叫び声を上げ、馬と共に地面に吸い込まれていく。
「はぁっ!!」
その隙を逃すほどレオンハルトは甘くなかった。素早く馬首を上げ、落馬した騎士の頭を踏みつける。
グシャァ、という鈍い音が兜の奥から聞こえ、その隙間からトクトクと真っ赤な液体が流れてくる。踏みつけられた哀れな騎士はまるで電流を流されたかのように激しく痙攣し、やがて動かなくなった。
「怯むな!!奴を囲み退路と隙をふさげ!!槍衾にしてしまうのだ!!」
指揮官の檄を受け、ゲルプリッターは素早く周囲を取り囲むため、翼を広げるように移動を開始した。
接近戦はぎりぎり不可能と思える距離を測り、じりじりと後退しながら僅かな時間で取り囲む。
そのうえでレオンが馬を攻撃できないようタワーシールドを下方に下げ、馬を防御出来る体制を作った。
「投槍、構えっ!!」
指揮を取る兵の掛け声と共に、ゲルブリッターはランスを地面に突き刺し、馬の側面にくくりつけられた筒から小型の槍を取り出した。
「てぇっ!!」
合図の号令を受け、一斉にレオンハルトをめがけて弓なりの軌道を描いた槍が投げられる。
「ふっ、馬鹿が!!」
レオンハルトは正面槍を構え、馬のわき腹を蹴り加速する。
盾を頭上を覆うように動かし、姿勢を低く、馬に覆いかぶさるように変更する。
「おおおおおおおお!!」
投槍の雨を潜り抜け、包囲を突破するために適当に選んだ一人の騎士の顔面をめがけてランスを突き出した。
武器を地面に置き、下へとタワーシールドを下げていた。ましてや投槍で安心していた一騎士に回避するすべは無い。馬と突き出す勢いが加わった強烈な一撃は、問答無用で騎士の首をへし折り馬上から吹き飛ばした。
レオンハルトはその速度のまま、近場にあった森の中に身を投げ込む。
「逃げたぞ!追え!!追え!!」
怒気をはらんだ声が響き、レオンハルトの後を辿るようにゲルプリッターも森の中に侵入していった。
「くっ、なんとは地の利は得たが、流石にこのままではなぶり殺しだな。」
レオンハルトは、獣道をかき分け植物をなぎ払い、奥へ奥へと走り抜けていく。
しかし奥で待ち受けていたのは、逃げ場でも逆転の策でもなく、絶望だった。
「おいおいマジかよ……。」
たどり着いた先には開けた空間があり、切り立った石の壁が囲う袋小路になっていた。背後からはゲルプリッターの迫る音が聞こえる。前方に逃げ場は無い。反転し新たな道を探すのも間に合わない。
「すまんシルヴィア、生きてお前にこの薬を届ける事が出来ないかもしれん……。」
胸元から液体の入った小瓶を取り出し、強く握り締める。
「だが諦めはせんぞ!この四肢もがれようともシルヴィアを救ってみせる!!」
もう一度槍を握りなおし、石の壁に背を預けゲルプリッターの到着を待ち受ける。
「すまんなヒルデ。お前までこんな事に巻き込んでしまった。だが、きっとこれで最後だ。」
優しく、騎士就任から共に過ごしてきた愛馬の頭を撫でる。
ヒルデは何も答えることなく、ただ短く鳴いただけであった。
「さて、もう逃げ場は無い。再度問おう。おとなしく薬を捨て出頭するならば、審問による名誉な死を与えてやろう。断るならば、この場で断罪する。」
ゆっくりと影から姿を現したゲルブリッターが、槍を突きつけながら宣言する。
「裁けるものなら裁くがいい!!だが、そうやすやすとこの命くれてはやらん!!走れヒルデ!奴らを蹴散らす!!」
「愚かな!」
駆け出したレオンハルトを中心に捉え、ゲルブリッターは一斉に飛び掛った。
「同時に攻め立てよ!!間断なく武器を振るえ!!反撃の隙も余裕も与えるな、徹底的に打ち据えるのだ!!」
「「「はっ!!」」」
「征くぞゲルブリッター!!大罪人レオンハルトを生かして返すな!!」
ゲルブリッターはレオンハルトの周囲を取り囲むように回転しながら、連続で遠心力を加えたランスを叩きつける。
レオンハルトは盾やランスを巧みに振り回しうまく捌いていたものの、反撃の機会を見出す事も出来ず体力だけが奪われていく。
「くっ、こいつら・・・・・・がっ!!」
騎士の一人が振るったランスが背中を強く打ち据える。
重量が子供一人分ほどもあるランスが加速を伴って振り下ろされたのだ。その衝撃はレオンハルトの動きを止めるには十分すぎるほどだった。
腕、脚、胴、頭部。その一撃を皮切りにあらゆる場所にランスが振り下ろされる。
激痛から盾もランスも腕を離れ、すでに意識も危うい。馬上にまだ座っているだけでも奇跡に近かった。
「俺は、まだ……。」
兜に覆われた顔からは表情は分からない。ただ、うわごとのように何かを呟きながら動かない腕でランスを探していた。
「まだ意識があるのか。若くとも流石は七騎士の一人、素直に驚嘆する。だが……」
ゲルブリッターは動きを止め、指揮官と思わしき人物が前に出てくる。
指揮官はランスを中央に構え、ゆっくりと弓引くように腕を下げてためを作る。
「せめてもの情けだ。今楽にしてやろう。」
引き絞られた腕を開放し、銀の輝きが眼前に迫る。
「(すまない、シルヴィア。妹一人救えぬ、情けない兄を許せ。)」
懺悔の言葉を胸に、死を覚悟し瞳を閉じる。
だが、その槍はいつまでたっても振り抜かれることなく、眼前で停止していた。
なぜ?そのような疑問が胸中を占めるが、それだけではすまなかった。突如「森の中で発生した津波」にゲルブリッターが流されていったからだ。
「(何が、何が起きている?)」
理解の追いつかぬまま、なけなしの力を振り絞り周囲を見渡す。すると眼下には馬にすら乗っていない、たった五人の歩兵がいた。
「アメリア、ユフィ。その騎士の手当てをして森から脱出し身柄を確保しろ。クー、アーヴ。俺たちの存在がばれると厄介だ。流した奴らを口封じに行くぞ。」
「ええわかったわ、任せておいて。」
「サイ、あんまり手荒な事をしちゃだめだよ?」
「それは相手の出方次第だ。」
サイは肩に背負っていたククリナイフを抜き放ち、素早く森の茂みの中に身を隠した。
アーヴとクーもそれに続いて茂みに飛び込み、二人の視界から姿を消した。
「(こいつら、何者だ?だが、もう、意識……が……。)」
レオンハルトはその姿を見送ると同時に意識を手放し、ヒルデにもたれかかる。
その手には割れた小瓶が握られていた。
「くっ、何が起きた?各員!状況を報告しろ!!」
ゲルブリッターの指揮官が声を荒げ、周囲の騎士に指示を飛ばす。
「はっ!部隊は謎の津波により半壊!死者3名、負傷者16名!現在戦闘が可能な人員は18名です!」
「また、周囲に水分は見当たりません!先ほどの津波の原因は依然不明のままです!!」
「何がどうなっている!!」
指揮官は兜を取り、地面に叩きつけた。
しばらく地面を睨みそのまま震えていたものの、気持ちを切り替え部隊へ指示を飛ばすべく、一団のほうへ振り向いた。
「急ぐぞ!体勢を立て直し逆賊を「死ね」は?」
突如馬の頭上に、黒いレザーベストを着た男が降ってきた。
シャリン、と僅かに金属が擦れあう音と共に、ぐにゃりと視界が歪み、急激に身体が冷えていく感覚を感じる。
斬られた。そう感じる間もなく、指揮官は後ろにのけぞり、そのまま絶命した。
「なっ!?」
ゲルブリッターの間に震撼が走る。突然現れた男が一瞬で指揮官の首を取ったのだ、無理も無いだろう。
男……サイは騎士の集団を一瞥し、茂みの中へ再度身を隠した。
「アサシンだ!アサシンが潜んでいるぞ!!」
互いに背中合わせになるよう隊を組み、ゲルブリッターは全方位を警戒する。
だが、固まってしまった事がすでに悪手である事に彼らは気付かなかった。
茂みの中から一枚のカードが飛来し、一人の足元に突き刺さる。
「なんだ!?……ただのカード?」
「気を引くための罠か?」
数人の騎士がその詳細を意図を読む為にカードを注視した。
「そう、その当たり前の対応が大切なんだ。」
木の上から聞こえる男の声に、一同は上を見上げる。
「見えない敵、謎の攻撃、姿なき声……考えれば考えるほど、すべてが君たちの精神力と判断力を奪う。」
「そこか!!」
騎士の一人が当たりをつけ、投槍による攻撃を試みるが、枝を砕きどこかの地面に突き刺さった音のみしか聞こえない。
「さて、君たちはアサシンは何人いると思う?指揮官を殺したのは僕かな?それとも、別の人かな?」
「だまれぇ!!」
再度闇雲に槍を投げるも、また同じくどこかに突き刺さる音だけが響く。
「おい、移動したほうがいいんじゃねぇか?」
「ああ、全軍移動するぞ!!止まっていては的でしかない!!」
騎士たちは一刻も早く暗殺の危険から逃れるために逃亡を図ろうとする。
しかしその行動の先にあるのは逃げ場ではなく、処刑台だった。
動き出した騎士の一人が投げ捨てられたカードを『偶然』踏み抜いたときにそれは起きた。
「あーあ、最初からバラバラに散開して逃げていれば、こうはならなかったものを。」
無情な現実を目に、頭上からあざけ笑うような声が響く。
「あぁああぁ……。」
「いてぇ……いてぇよぉ……。」
「なんだ、これは……俺たちは、死神にでも目をつけられたのか……?」
『偶然』無事だったたった一人の騎士は、手に持っていたランスを地面に落とした。
ガシャン、と音がしたランスの矛先にあったは、倒れ付した仲間たちの姿だった。
『偶然』カードを踏んだ馬が『たまたま』足を滑らし、『不運にも』後ろにいた騎士全員を巻き込みドミノ式に落馬したのだ。
大人1人分にも上る重量の装備を纏った兵士が雪崩れ込むように倒れてくるのだ。そんなものただではすまない。
脚を潰されたもの、腕を潰されたもの、砕けた鎧の破片が腹に突き刺さっているもの。見るに耐えない状況がそこにはあった。
そして、処刑の刃はすでに背後に迫っていた。
「そう、お前たちは目をつけられた。死神よりも無慈悲なやつらにな。」
やあこんにちは。まるで知り合いに挨拶するように気軽に声をかけてきた女性は、身の丈ほどの巨大なハルバードを片手で軽々ともち、緩慢な動作で歩いてくる。その太ももには、銀色に輝く円形の機械が風を吸い込むような音をならして駆動していた。
「ゼノリスの魔道兵……。」
「半分正解、半分はずれといっておこう。」
高々とハルバードを掲げ、女は騎士の頭部に狙いを定める。
「かわいいかわいいユフィのお願いもあるから本当は殺したくないんだが、今回ばかりはお前らが生きてると面倒なんだ。悪いが皆死んでくれ。」
「頼む……やめてくれ……」
「無理。」
浮力解除、水圧を創造。そう呟いてから振り下ろされた刃は、いとも容易く騎士の身体を鎧ごと真っ二つにした。
斬られてからしばらくして、血があふれ出るように流れ出てくる。左側の身体だけは心臓の弱々しい鼓動にあわせ、波のようにゴボッ、ゴボッと音を立てて地面を濡らしていく。
「恨むなら、うちのつるっぱげ理事長を恨んでくれ。」
水圧解除、浮力の創造。次はそう呟き、ぶんぶんとハルバードを振り回し斧の部分についた血を払い飛ばす。
ハルバードを分解し、モーメントを停止させた頃にはサイとアーヴも作業を終えたようで、こちらに向かって歩いてきていた。
二人の後ろには抗う事も許されぬまま、首を掻き切られて息絶えた17の騎士と馬が物言わぬ躯となって転がっていた。
「おーおー、ずいぶん残酷な事で。」
「殺しておかなければ俺たちの存在も、あの騎士が裏切った事もばれるからな。任務のためにも、俺たちの目的のためにも困る。」
「うん、今回ばかりは仕方ない。ユフィにはうまい事口裏を合わせようか。魔物にでも襲われたってことにしてさ。」
「なら死体が見つかったときのために、適当に引き裂いた様な痕も作る必要があるな。めんどくさい。」
「そのくらいは我慢しろ。」
そうぼやきながら、三人は死体を切り刻み始めた。
「うー、いつも持ってる救急セットで足りるかなぁ……?」
ユフィはがさがさと背負っていた鞄を漁り、底の方から一つの箱を取り出した。
箱を開けると、簡単な止血道具、消毒用品、包帯、水の冷却装置、薬や薬草などが山ほど出てくる。
「いつもこんなに持ち歩いているの?」
少し引きつった笑みでアメリアは箱を覗き込む。
「うん。少しの怪我でも後々大きな病気になっちゃったりするかもしれないし、それ以上に私たちはいつ『任務』に呼び出されるかも判らないから、念のために沢山持ってるんだ。」
それに、町でも学校でも攻撃されちゃうから。
力ない声で呟くユフィを見て、アメリアは気まずそうな顔をする。きっとこの止血道具なども、いつも自分を守ってくれるサイ達のことを思って持ってきているんだと思うと、言葉が出てこなかった。
「とりあえず鎧をはがして傷を見ないと。アメリアちゃん身体の部分をはがしてくれる?」
「ええ、分かったわ。」
気を失っている騎士を馬から下ろし、叩きつけられ変形した金属鎧を一枚一枚はがしていく。
もともと全身を隙間なく覆うこのプレートメイルは脱ぐということに関して非常に不便であり、殴られて変形しているならば尚更だ。どうにか隙間に手を突っ込み、必死になってめくる事で、何とか腕以外の全身の鎧をはがす事に成功した。
「これならそこまで深刻じゃないから大丈夫かな。ただ何かを握り締めてるから腕は剥がせないね。」
「まあしかたないんじゃないかしら。とりあえず出来る事はやってしまいましょう。」
「うん。じゃあまずは布を水に濡らしてくるね。」
ユフィはタオルを片手にパタパタと走っていく。
それを見送ったアメリアは、騎士の乗っていた馬をまじまじと眺め、へぇと感嘆の声を漏らした。
「鎧に覆われた馬ってだけでびっくりするけど、こんなにも綺麗な栗毛の馬って珍しいわね。私たちのところには黒毛の馬しかいなかったし。」
アメリアが暇をもてあまして眺めていると、栗毛の馬は心配そうに騎士の身体に顔を近づけ、擦り寄っていった。
「大丈夫よ。お前のご主人はきっと助かるわ。そんなに深い傷も無いから安心しなさい。」
アメリアは優しくその頭を撫でた。
そしてしばらく無言で倒れた騎士の姿を眺める。
普通の人とは違う病的なまでに白い肌。それは御伽噺に出てくる天使やエルフを髣髴とさせるほどだ。
「(太陽に当たらないから、かしらね。)」
不思議そうな顔をしながら、改めて騎士の姿を確認する。
体中には先程の戦闘でつけられた傷以外にも多くの刺し傷がついており、過酷な訓練にさらされてきた事が容易に想像できた。肌の色とは対照的な濃い赤の髪と、意志の強そうなその顔は未だどこかに幼さを残しており、自分たちと差ほど年齢が変わらないことを思わせる。
「最前線で戦う将軍が、私たちと同じ子供ねぇ。」
ドルンでは最前線の兵士は概ね30歳ほどだった。将となれば大体40~50歳といったところか。
確かに若い人も一応は訓練をつんではいたものの、戦地に送り出されるという事は無かったのだ。
アメリアも実際に戦ったのは、陥落した城から逃げるときにサイと戦った時だろう。
ヨグソートとゼノリス。どちらも少年兵が将として戦う国。すでにアメリアの脳裏には漠然としたいやな予感が駆け巡っていた。
「濡らしてきたよー。」
少し遠くから声を上げながら、ユフィがこちらに向かって走ってきた。
「とりあえずこれで一番ひどい患部を冷やしながら外に行こうよ。その後はこれを、飲ませてあげたら起きると思う。」
ユフィは布に包んだ小瓶をアメリアに見せる。
中には毒々しい紫色の液体が詰まっており、飲めといわれても思わずためらいそうだ。
「なに、これ?」
「えっとね、フェドルハーブって言う薬草を煮詰めてつくった液体に、数分間流水でさらしたクレスト草の絞り汁を混ぜて作る気付け薬だよ。怪我の治りも早くなるし効き目もすごいんだけど、早く飲まないとクレスト草の薬効がなくなっちゃうから作りおき出来ないのが難点かなぁ。さっき作ってきたの。」
きっと難点はそこじゃない。そう突っ込みたい気持ちを抑えつつ、患部に濡れたタオルを固定する。
「ねぇ、あなたのご主人を運んでいってくれる?」
言葉を理解しているのか定かではないが、首を騎士の体の下へ差し込むように動かし、背中へと放り投げる。
「武器は私たちじゃ運べそうに無いわね。あとでサイ達に持ってきてもらいましょうか。」
「うん。」
二人は手早く荷物を纏め直し、森の出口に向けて駆け出した。
幸いにも魔物に教われることなく無事に森を抜けだし、少し離れた小高い丘の上に生えた大きな木の根に騎士を寝かせる。
「じゃあこれを飲ませるね。」
「……本当にそれ飲ませるの?」
「うん、そうだよ?どうかしたの?」
「……いえ、なんでもないわ。」
取り出したビンとアメリアの顔を交互に眺め、さも当たり前のように告げるユフィを見て、これが国の違いか……と思いつつも、きっと自分も飲まされていたんだろうか、と少し頭を抱えたくなる気持ちに駆られる。
「アメリアちゃん、口の中に無理矢理流し込むからちょっと手伝ってー。」
そんな気持ちを知ってか知らずか、すでにユフィは騎士の口をこじ開けようと孤軍奮闘していた。
「あなたも結構過激なことをいうのね。」
「え?何が?」
心底分からないといった表情でユフィが首を傾げる。
「(天然なのか、周りの影響なのか区別がつかないわね。)」
余計な事を考えつつ、口を大きく開いて固定させた。
ユフィはそれを確認して、少し顎を引くように頭を持ち上げて薬を流し込む。
匂いは香草そのものなのだが、やはりその色がアメリアの顔をしかめさせる。
「これ、へんな副作用とかあったりしないわよね?」
「大丈夫だよ。変わりに途轍もない刺激が喉に来るけど。お水を飲んだら治るからそんなに気にするほどじゃないけど、それまではしんどいかなぁ。あ、喉に入ったから離れたほうがいいよ。」
平然ととんでもないことを口にしつつ、ユフィは手を離して素早く赤髪の騎士から距離をとった。
「え?どういうこと?」
「早くしないと起きちゃうよー。」
「え?なんで「ゲボッ!!ガハッ!!ガァア!!」ひゃあっ!!」
突然目を見開き、のどを押さえてのたうち回り始めた赤毛の騎士を見てアメリアは悲鳴を上げて尻餅をついてしまう。
「もー、だから離れたほうがいいよっていったのに。」
「こんなの予想がつくわけ無いじゃない!!」
顔を真っ赤にして叫ぶアメリアを完全に無視しつつ、鞄の中から水筒を取り出して騎士の前に差し出した。
「これを飲んでください、そしたら楽になりますから。」
喉の痛みにもだえながら、赤髪の騎士は水の入った水筒を口にあて、その中身を一気に飲み干した。
ゼェゼェと肩で呼吸し、何度か咳き込むものの先程の痛みは消えたようだ。
数分したら呼吸も整い、表情も少し落ち着いたものとなった。
「ゴホッ、くそ、一体なにが起きた?そうだ、薬は!薬はどこだ!」」
状況が飲み込めず、騎士は周囲を確認する。そして手の中に小瓶が無い事が分かると、焦燥した様子で辺り捜し始めた。
「ひょっとして、薬ってこれかしら。」
尻餅をついた体勢のまま、いつの間にか傍に転がっていた小さな小瓶を拾い上げる。
「でも、中には何も入ってないけど。おまけに割れてるし。」
「なんだと!?」
ひったくるようにしてアメリアから小瓶を奪い取りその状態を確認する。
どうやら底の部分に穴が開いており、内容物はすべてどこかに行ってしまっているようだ。
「これじゃあ俺は何のために……!!くそぉおおおおおおお!!」
拳を地面に叩きつけ、空に向かって慟哭する。
「ちょっとだめだよ興奮しちゃ!打撲ばっかりとはいえ安静にしてないと骨にひびが入ってたら大変だよ!」
いつの間にか近くに来ていたユフィが腰の辺りに抱きつき押さえ込もうとする。
「離せ!」
「いいから落ち着きなさいよ!それが何か知らないけど叫んだって何にもならないでしょうが!!」
「うるさい!顔も知らないお前らに……顔も知らない?」
自分で口走った言葉に疑問を持ったのか、騎士は間抜けな表情でアメリアとユフィを交互に見る。
「誰だお前らは!?」
素っ頓狂な男の叫び声は空に木霊し、遠く離れた森から鳥たちが羽ばたく音が聞こえた。
「俺はレオンハルト。一応ゲルブリッターと呼ばれる部隊……お前たちが引き受けてくれた騎士たちの長だった。」
魔物に殺される最後を迎えるほど、情けない騎士団ではないはずだったんだがな。
首都に向け歩を進める一行に、レオンハルトハ哀愁を漂わせた声で告げた。
合流したサイたちが、レオンハルトを見つけて報告したのだ。
「しかし、本当にお前たちはシルヴィアの病を治せるのか?俺も国を裏切った身だ。シルヴィアさえ助かるのならいくらでもお前たちを密入国させてやるが、信用できるんだろうな。」
「証明は出来ないから信用はしてもらうしかないけど……。病気自体は症状を聞いた限り、それはここより少し北に離れたエルトダウンって言う集落の近辺で起きる風土病だと思う。きっと遠征とかでその近くに行った騎士がその病気にかかってて、その結果感染したんじゃないかな。見立てが正しければ私の鞄に入ってる薬草で特効薬は作れるよ。」
「本当に何種類の薬草が入ってるのよ……。」
「前は確か34種だったっけ?下手な医療施設よりも多かったはずだよ。サイがいくらなんでも持ちすぎだ!って怒ってから少し減ったみたいだけど。あの時は鞄の大きさでカタツムリみたいな格好になってたからね。」
昔を思い出してか、アーヴは口元に手を当ててクックと笑う。
「ところでお前たちはどうして旅をしているんだ?魔物が出たとはいえ騎士団をやり過ごし、やつらから俺を助け出せるだけの手腕。どう考えても普通の旅人じゃないだろう。荷物を持ったまま我が国に入ろうとする者は多いが、そこまでの実力者なら少々話が変わってくる。」
鋭い目つきで5人を見渡し、威嚇するかのように低い声で喋るレオンハルトの姿を見て、双方にぴりぴりとした緊張が走る。
「なにかやましい事をたくらんでいるなら、民のためにお前たちを討たせてもらう。今の俺に、その資格は無くてもな。」
「ああ、好きにしろ。」
「……ならいい。まあそんな事にはならないと思ってはいるが、最低限の監視だけはいかなる理由でもつけさせてもらう。それだけは勘弁してくれ。」
「ああ。」
しばらく無言のまま、一向はゆっくりと草原を下っていく。
アザドへ近づいていけば近づくほど、その城壁の大きさが目を奪う。
おそらく一番手前の城壁の高さは10Mほどだろう。それが中央に向けて進んでいくほどに徐々に高さを増して行き、中央には約100Mほどと思われる巨大な塔が立っていた。
「よく勘違いされるが、首都アザドは正確にはあの塔の部分を指す。この国は城壁ごとに町が作れているんだが、それらを統括する部分としてアザドと呼ばれているあの部分を対外政策の際、諸国にあわせ首都と便宜上名乗っている。そのため実際にはアザドと言う町はなく、ヨグソートという名前の国があるだけだ。ここ以外の国は全ての町とその中心部の帝都や国都という部分に名前をつけているそうだからこのようなズレが生じているようだな。」
「へぇ、初めて聞いたよ。じゃあアザドって言うのはなんで名前がつけられているんだい?」
興味深そうな表情でアーヴが問う。
おそらくこういったことについては目が無いのだろう。いまだかつて無いほど生き生きした表情でアザドを見上げていた。
「ああ、何でも建国した当時からアザドと名づけられていたらしい。俺も父上から聞いただけで詳しくは知らないんだが、昔の言葉で揺り籠を意味しているそうだ。かといって全然揺り籠にも見えないから、翻訳が間違っているのではとも最近は言われているらしい。」
「へぇ!つまり交易共通語が発達する前の建造物なわけだ。俄然興味が湧いてきたよ。内部構造は?建築様式は?ああ、素材も気になる……。」
「やれやれ、またいつもの病気か。あとでどこかに縛り付けておかないとどこかに行くぞこいつ。」
歓喜を全身で表現しているアーヴを、クーは冷たい目で睨む。
過去に数回この状態に陥ったアーヴを見ているからこその対応だろう。
「シルヴィアさえ治療してくれたら好きに見てまわるがいいさ。別にあそこは立ち入り禁止というわけでもない。」
「本当かい!?そうと決まれば早くそのシルヴィアとやらを治療しなければ!皆、僕のこの高ぶる好奇心を満たすために早くいこうではないか!!」
言うが早いか、アーヴは身を翻し、一直線にアサドめがけて走り出した。
そこで誰一人後を追わない辺りが彼の人徳をあらわしているとも言えるだろう。いや、ただ面倒なだけかもしれないが。
何はともあれ、アーヴの後姿が小さく消えていくのを眺めつつ、残された5人はのんびりと歩き始めた。
「ところで、どうして自分の部隊に追われていたんだ。若い長は反感を買って認められなかったのか?」
「……いや、この薬のせいだ。」
レオンハルトは割れた小瓶を掲げた。
ビンに反射して見える歪んだアザドを目に写したまま彼は続ける。
「ヨグソートはその防衛力を傘に、周辺諸国を取り込むことで成長してきた。絶対に退く事の無い守りに特化した騎士、攻め込まれる事の無い鉄壁の要塞。己の安全を第一に願うものなら喉から手が出るほど欲しい軍事力だ。」
「その辺りは私も聞いたことがあるな。もともとは小さな国だったが、かつてこの周辺の大国として名をはせていたスティトルの軍団に10倍以上の兵力差をもって襲われてもそれを退け続けた。その結果、大国に襲われたくない民衆が次々と庇護を求めて亡命しつづけ、いつしか巨大な国家に生まれ変わったと。」
「ああ、だからこの国は南方領域、ヨグソートが中心の大陸南部をこう呼んでいるんだが、その南方領域では亡命国家とも呼ばれている。」
「へーそうなんだ。でも、それがどうして薬と関係あるの?」
ユフィが首を傾げて疑問を呈する。
隣ではアメリアも首を立てに振り、同じ疑問を持っている意思を示していた。
「それは、この薬が他国の物資だからだ。そしてこれこそがある意味この国を大国たらしめている要因ともいえる。たとえば、君の持っているその武器だ。それを持ち込んだとしよう。」
「これ?」
アメリアは自分の腰に差してある剣を指差すと、レオンハルトはゆっくりと頷いた。
「どのような理由であれ、武器であれば我々ヨグソートの民を危険にさらす可能性があることは容易に想像がつくため、検閲で取り上げるのは理解できるだろう。しかし問題は次だ。たとえばこの薬が毒かもしれない。他国から持ち帰った戦利品に兵が潜んでいるかもしれない。亡命してきた人間は諸国のスパイかもしれない。そのためまずは入り口で身包みを剥がすんだ。全てな。そしてその剥がれた持ち物は処分され、二度と戻る事は無い。その上、一度入国したものは二度とこの国から出られないように、危険物等を排除し、出入り口を俺たち騎士で固める。だがその検閲を無視する事が出来る例外がいるわけだ。」
「それがお前たち騎士か。」
「ああ。」
レオンハルトは大きく頷く。
「騎士が検閲しているからこそ、騎士は検閲をすり抜けることが出来る。そしてそれはこの国を危険にさらす可能性となって圧し掛かる。そのために二つの規則が提唱された。一つは不定期に行われる所持品の検査。二つ目は、違反した騎士の極刑だ。」
「・・・・・・なるほど、徹底した閉鎖的な保守体制をとることで様々な可能性を未然に防ぐわけだ。そして、運悪くお前は所持品の検査に引っかかったというわけだな。」
「ああそうだ。まったく、ホントに今日はついてねぇぜ。薬だけかと思いきや、結果として部下は全滅、変な集団を密入国させなきゃならないなんてよ。厄日にも程がある。」
ぽりぽりと頭をかきながらため息をつくレオンハルトだが、どこかまんざらでもなさそうな顔をしていた。
「その割には嬉しそうじゃない。」
目ざとく変化に気付いたアメリアが、少しニヤニヤしながらその顔を覗き込む。
「死を覚悟していたら救われて、その上シルヴィアまで助かるかもしれないんだ。部下の全滅は確かに苦しい事ではあるが、裏を返せば俺の規律違反がばれないということでもある。そういう意味では幸運だったからな。」
「ふっ、騎士の癖にずいぶん利己的な性格をしているな。」
「人間なんて大切なものがかかれば、誰だって利己的になるものだろ?」
「違いない。」
クーとレオンハルトは大声で互いに笑いあう。
ユフィはその光景を見て「二人とも優しさが足りないよ!」と憤っていたが、「こーら、ぷんすかしないの。」とアメリアに顔を引っ張って遊ばれていた。
「さて、小難しい話はおしまいにしていこうか。国はもう目の前だ。」
一同は表情を引き締め、城壁へと視線を移した。
全てを拒絶するように聳え立つ巨大な一枚の壁。
破壊も突破も不可能ではないかと思える鋼鉄の扉。
白銀の鎧を纏い、それを守る屈強なリッターたちの姿。
そしてわき腹を押さえ、壁に手を着き肩で呼吸しているアーヴの姿が、このヨグソートでサイ達を取り巻く全ての困難をあらわしている様な気がした。