下された任務
帝国暦168年、一介の小国であったゼノリス公国は、新王グラム=ゼノリス16世は、これまでの永世中立国としていた立場を一転し、突如ゼノリス魔道帝国と名を改め武力国家として台頭。不可侵条約を結んでいた近隣諸国を瞬く間に滅ぼし、5年足らずで世界に名だたる大帝国へと変貌を遂げた。この知らせを受けた世界各国の上層部は、一切の軍事力を持たなかったゼノリスが突如として周辺諸国を滅ぼすほどに成長を遂げたのか疑問を抱き、あらゆる方法でゼノリス国内に密偵を派遣するも、その密偵は誰一人として帰ってくることは無かった。この事態の異常性を特に重く見た二台大国、騎士国家ヨグソートと機甲帝国ノーデンは周辺諸国を扇動し、ゼノリスを東西から挟むように包囲。その上で緊急会談をゼノリス、ノーデン、ヨグソートの三国が開き、15年の不可侵条約を再度締結した。
そして不気味な平穏を保ったまま、15年の時が過ぎた時。ゼノリスの隣国であったドルン共和国はその沈黙を破り、時効を迎える寸前だった不可侵条約を破棄。突如ゼノリスを襲撃した。それに対しゼノリスは一切の慈悲も無い、まるで見せしめのような殲滅戦を行った。
結果として不可侵条約の破棄の重さを世界に知らしめると共に、ゼノリスに逆らえばどうなるかを見せ付ける事に成功。かつてドルン共和国のあった場所は一切が焦土と化しており、城や城下町の瓦礫すらも見当たらないほど。瞬く間に世界各国にその情報が伝わり、恐怖と驚愕に混乱する最中もゼノリスは攻撃の手を休めてはおらず、三日足らずで周辺を包囲していた20余りの小国を壊滅させ流事に成功する。どれもすべて焦土のような有様となっており、生存者は一人もいないとされ、この残酷な手口を目の当たりにした力を持たぬ諸国は二の舞を踏まぬようこぞってゼノリスの傘下に収まった。
帝国暦183年。こうして世界は騎士国家ヨグソート、機甲帝国ノーデン、魔道帝国ゼノリスの三国によって分断される事となった。幾多の衝突を繰り返したものの拮抗する勢力は次第に冷戦状態へと陥り、民衆による反乱が各地で相次ぐ偽りの平和が生まれる中、ゼノリスからヨグソートに向けて進行する5人の姿があった。
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下された任務
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「ようやく視認できる範囲まで来たか。」
広い草原の中央で腕組をしている黒茶色の髪をしたつり目の男、サイが呟く。
「そう、あれこそが巨大な城壁を初めとした様々な防壁で幾多の侵略を防いできた完全無欠の要塞都市、ヨグソートの首都であるアザド。噂では旅行客すら入れないとも言われているね。排他主義もここまできたら立派な国家というわけか。」
首をすくめながら白髪の男、アーヴは答えた。
遠く、果てしなく広がる草原の先に、不釣合いなほどに巨大な建造物が立っている。
まるで塔のように伸びる中央の建物と、そこから円形に何重にも広がる城壁が特に目を引く構造になっている。
だがその内部を伺おうとすると、光の入る隙間も無いのではないかと不安になるほどに固められた石の壁により、上空からでもうかがうことは出来ないという。
密閉された箱のように、上下左右隙間無く作り上げられたその外壁は、あらゆる侵入者を防ぐ究極の壁として機能していた。
「しかしこのような任務を達成して来いなど、王はよほど僕たち『落ちこぼれ』がキライなようだ。」
「当たり前だろう。俺たちは危険分子となんら変わらない。だからこそ学校でもああなるんだ。」
ふん、と鼻を鳴らしてサイはアザドの方角をじっと見つめる。
勅命が届いたのは一月ほど前。ゼノリスがドルンを滅ぼしたその数日後の事だった。
「サイ=ロステック。ユーフェミア=ヴァノワール。アーヴァイン=フェアフルーへン。クーネリア=ネーヴェルバング。そして本日転校してきたアメリア=ブルイヤール。理事長がお呼びだ。日の沈む頃、理事長室に行け。」
そう告げながら、教師が部屋の入り口から資料を投げ渡してきた。
「次の任務に関する連絡事項および説明を行うそうだ。いつも通り任務達成までの間は授業および訓練の免除期間となる。まあせいぜい死なないようにするんだな『落ちこぼれ』ども。」
教師はクックックと愉快そうに笑いながら教師は入り口から姿を消した。
一同は投げられた資料を手に取り、記載されている事項を確認する。
「そういえばアメリアの偽名初めて聞いたよ。」
「さっき適当に決めたからね。まったく、私が仇国の軍事教育施設に入らざるをえないとは思わなかったわ。」
「帝国民の18歳以下には軍事教育が義務付けられているからな。まあ私の親戚という設定でこの学校への入学をごり押しできただけましだ。他のとこだとどんな扱いを受けるかも分からん。モーメントの起動が出来ずに『落ちこぼれ』としてここに来たのはさすがに想定外だったが。他国の人間はモーメントを起動できないなんて初めて知ったよ。」
「まあ見ず知らずのやつらがいるところよりは安心かしら。でも、まさかあなたたちが『落ちこぼれ』でこんな待遇だなんて思いもしてなかったわよ。サイにいたっては軍のアサシンだとずっと勘違いしてたし。」
アメリアは教室をぐるりと見渡す。
何かが投げられて割れたガラス。
「死ね、帝国の恥さらし。」「帝国民の資格無し、目障りだ」などの罵倒が刻まれた壁。
叩き割られたような痕の残る無理やり補強された机と椅子。
錆付いてまともに使用する事も出来ないであろう武器の一式。
教育や訓練を受けさせる気など微塵も無い。といわんばかりの様相にただただ呆れるしかない。
「実際、先生たちも生徒も、ほとんど私たちの教室には来ないからね。そういう意味では安心できるかな。外にいると、私たちは石をなげられたり、モーメントの魔法ぶつけられたりするし。」
ユフィはえへへ、と寂しそうに笑った。
「そこら辺の犯罪者のほうがよっぽどマシな扱いを受けていると思うよ、まったく。サイがいなければもっと非道な扱いを受けていただろうしな。」
こんな任務を渡されるのも私たちだけだ。そういってクーは手元の資料を地面に投げ捨てる。
「騎士国家ヨグソートへの進入および、エーデルリッターを率いるウルヴァン将軍の暗殺。さしもの僕もお手上げといった任務だよ。」
アーヴは憂鬱そうな表情で、クーと同じように手元の資料を投げ捨てた。
「難攻不落、専守防衛、いかなる侵略者も寄せ付けない絶対無敗の騎士団が統治する、その歴史は1000の年を数えるほどといわれたほどの徹底した守りの国家。噂では古の頃、まだ人の姿をしていなかった『鬼』たちでさえ侵略できず、豊葦原に押し戻されたとも言うね。」
「別に正面から戦うわけではないからかまわんが、あの国家には恐ろしい風習がある。むしろ俺にとってはそちらのほうが問題だ。」
「風習?」
「ああ。」
サイは資料をぱらぱらとめくり、やはり書いてないか。と呟くと資料を投げ捨てた。
「風習というのも奇妙な話だが、あの国は一度入った人間を『二度と国の外から出さない』というルールがあるらしい。空からも地底からも外に出る事は適わないあの国で、唯一の出口は入り口になっている正面の門のみ。だがそこにはリッターが常に待機しており、入国者と共に脱走者を監視しているそうだ。」
「ということは、これは態のいい露払いといったとこか。成功すればそれはそれで国益になる。もし任務を放棄するか、失敗しても仕掛けられた『これ』のせいで首がはじけとんでテロになるシステムとして考えたわけか。」
そういってクーはにやりとわらいながら首をとんとんと叩く。
「体内潜伏型モーメント試作一号『カルマ』。専用の魔力波長にあわせて起動し、特定のワードを発するか一定時間後に爆発する口封じ専門の時限爆弾。まさかこんなものまで存在するとはな。」
「ちょっと、それ大丈夫なの?」
少し引きつった表情でアメリアが尋ねる。
体内に爆弾が仕掛けられていると聞いたら誰でもそうなるだろう。
「ああ、すでにこのモーメントは学校全体で無力化されている。というよりは起動しないようになっているというべきか。」
「生まれたときに仕掛けられているものだったらしいから、気付いたときにはさすがの僕も驚愕したよ。」
はっはっはと笑い飛ばしているアーヴをみて、本当に彼はそんな事を考えているのかいぶかしみつつ、ホッと胸をなでおろす。
「ならよかったけど・・・・・・。でもこんなものどうするの?進入も出来そうに無い、仮に入れても脱出は無理。その上こなさなきゃいけないのはあの国で最強を誇る紅騎士ウルヴァンの暗殺でしょ?」
「まあそればかりはなるようになれとしか言いようが無いね。何せ町の地図すら機密扱いで手に入らないような国だ。分かってるのは各リッターを率いる将軍の顔のみ。策を練ろうにも練りようが無い。戦争を仕掛けたやつらは全員一人残らず返り討ち。逃げ出せたものもいないらしいし、戦い方も分からない。」
「考えられる方法としては、ウルヴァンに不満を持つ別のリッターを利用して味方につけるくらいか?そもそもそんなものがいるかどうかすら怪しいが。」
「どの国よりも団結力ありそうだもんね。あの国。」
「ああ、まずはその団結とやらに亀裂を入れる所からはじめなければならないだろう。」
サイは窓を見て夕日が山に溶けていく姿を確認して腰掛けていた机から立ち上がる。
「時間だ。面倒だが行くぞ。」
「了解。ユフィはいつもどおり真ん中ね。」
「移動のたびに魔法のターゲットにされるのも勘弁だしてもらいたいものだ。」
「うぅ、いつもみんなごめんね?」
「・・・・・・?何でみんなユフィを囲ってるの?」
さも当然のようにユフィを囲い始めた三人を見てアメリアは疑問を投げかける。
「ああ、アーちゃんは「その呼び方は止めなさい」ちぇっ。まあアメリアは知らなくても仕方ないが、ユフィはこの帝国に住む全員から迫害されている。そこにいる白髪ナルシストのほうがよっぽどマシなレベルでな。」
「迫害・・・・・・?確かに今日見た限りそこのナンパ男もだいぶ迫害されてたみたいだけど。」
「みんなが僕をいじめてくる。きっと僕が余りにも「静かにしろ口だけ男」やれやれ、ここの女の子はみんな過激だ。」
緩慢な仕草で頭を抱える振りをしたアーヴを無視し、一同は教室を出ながら会話を続ける。
錆とひびだらけの校舎には物音一つせず、壁の割れ目と砕けた窓からわずかに差し込む、沈みかけの日の光だけが彼らを包む。
「昔ね、この国には高名な魔道具師が二人いたの。あ、魔道具師って言うのは生活に役立つ大気中に存在する魔力で起動する道具を作って提供する人のことね。その中でも特に多くの貢献をしたとして、国から表彰されているような魔道具師だったんだ。」
ユフィが窓の外を眺めながら口を開いた。
アメリアを除いた三人はその姿を見て意外そうな顔をしたが、すぐ真面目な表情に戻って歩く速度を緩めた。
「その二人はいろんなものを作ったの。今当たり前のように使われてる加熱機も、冷却保存容器も、投影機って言う離れた場所の景色を映す機械も作ってたの。投影機は大きすぎてあまり普及しなかったけど、共振機って言う音を拾う魔道具とあわせて、商業用に売れたりもした。そうやって見る見るうちにこの国の生活は便利になったの。そしてその二人の最高傑作が『モーメント』だったの。」
ユフィは脚のホルダーにあるモーメントを取り出して悲しそうな目で眺めた。
「正確には、魔力起動型小規模事象発生装置って言うんだけど、当初はそれぞれの加護を受けた属性によって、その精霊が司る小規模な事象を簡易的に発生させる装置として開発されたの。火起こしだったり、涼んだり、ちょっと土壌を良くしてみたり。生活をより快適にする装置として普及したの。でも、それがいけなかったんだろうね。その研究は本人たちの知らないうちに軍事転用されて、15年前に今の『モーメント』になっちゃった。」
「その先は俺が言おう。」
今にも泣き出しそうなユフィを見かねて、サイが割り込んでくる。
「そして軍事転用されたモーメントは、詳細が戦争を通じてユフィの両親バレそうになると、その二人が国家転覆を狙い製作したものを徴収したものであるとされ、まともな審議すら行われぬまま突如、国家転覆罪として公開処刑を行われた。この国では国家転覆罪はもっとも重い罪だ。誰一人としてその二人の有罪を信じて疑わなかった。そしてその矛先は二人だけにとどまらずに、その娘にも向けられた。国家転覆を狙う大罪人の血を根絶やしにしろ!と声高に叫んでな。そしてそれは、公開処刑が行われてから10年経った今でも根強く残っている。」
「どこまで……どこまで腐っているのよこの国は……!」
アメリアが怒りで壁に拳を叩きつけようとするも、その腕をアーヴに取り押さえられる。
反論をしようと口を開こうとするも、どこかあきらめた表情で首を振る彼を見て、強引に腕を振り解いたあとに、深呼吸をした。
「確かに、君にとっては不条理だろう。ドルンは諸国で稀に見る善政をしいていたと僕も耳にしている。だけど、これがこの国の正義なんだよ。正しさや真実なんていうものに何の価値も無い。国益と、この国を妄信的に信じる者しか必要としない。わずかにでも国に疑問を投げかけようものなら、暗い部分を知ろうものなら、僕たちのように『落ちこぼれ』としてこういう待遇を受ける事になる。この黒い制服は他ならない、この国に必要か不必要かを分けるだけの目印なんだ。」
「ユフィを囲む理由については理解したわ。でも、それなら『落ちこぼれ』はもっといるはずでしょう!?こんな状況に異を唱える人はもっといても可笑しくないはずじゃないの!?」
「ああ、沢山いたさ。だが全員、死んだか、『優等生』になったよ。」
目先の利益は、最も人を動かしやすい。そう呟いたクーの顔には紛れもなく怒りの表情が浮かび上がっていた。
「この国に従順であれば生活と安全は確実に保障される。そして『落ちこぼれ』を見ることで彼らは自身のほうが立場が上だと認識し、己の尊厳を保つ事が出来る。その上『落ちこぼれ』から更生した人間には支援金として金貨と勲章を手渡され、模範生として手厚い待遇を受ける事となる。そしてその更生に一役買った教師もしくは親族には、報奨金としてこれもまた金貨が支給される。こうして少しずつ少しずつ旨みに浸らせて反抗の意思を刈り取っていく。狡猾なやり方だ。」
「そして最後まで従わないものは、『任務』として間接的に始末したりね。」
「……。」
「そのお喋りはそこまでにしておこう。もうそろそろ一般校舎だ。」
サイの発言で辺りを見回すとすでに白い制服をまとった生徒がちらほらいるのが伺える。
こちらを見てあざ笑うもの、罵倒するもの、石や魔法を放つもの。取る行動は様々だが、こちらを見つけたやつらは例外なく敵対行動を取ってきているのは確かだった。
「ねぇ、何でやり返さないの?」
飛んでくる石を避けながらサイに問いかける。
「公開処刑されたいのならすればいいさ。」
「・・・・・・そういうことね。」
石をぶつけてあざ笑う下卑た声を聞きながら、軽く舌打ちをする。
そのなかで避けたり打ち落とすために誰を狙っているのかよく見ていると、一番石を叩き落しているのにもかかわらず、サイに向かってほとんど石が投げられていないことに気付く。
「そう言えば、サイがいなければ扱いがひどかったといってたけど、それはどうしてなの?今もサイはほとんど攻撃されてないみたいだし。」
「サイはこの国の英雄の息子だからだよ。」
「ユフィ、あいつは英雄じゃない。ただのろくでなしだ。」
チッ、と舌打ちをしながらサイははき捨てるように言う。
「でも、その肩書きのおかげで僕たちは助かってるんだ。少なくとも町で買い物できるようにはなったし。」
「まあ私としてはサイがそこまで毛嫌いしている理由がイマイチ分からんがな。確かに帝国騎士団長である以上国の駒だが、ユフィや『落ちこぼれ』に対する改善政策、孤児支援施設の設立、私財を投じた風土病に関する研究など、知っている限りでは聖人といわれても過言ではない功績を残している。それゆえにどうも胡散臭いのは確かだが。」
「ふーん……。」
「まあ、知りたいのなら僕たちの校舎にある書庫に行くといいよ。『落ちこぼれ』を更生させようとしてか、この国を称える系の本が山ほど置いてあるから間違いなくあるはず。英雄の功績は国にとって誇らしいものだからね。まあこの国の英雄は君たちにとっての極悪人になるけど……っと、着いたみたいだ。」
視線を上に向けると、そこには理事長室と書かれた鋼のプレートが壁にかけられていた。
ここが目的の場所である事を確認し、サイは乱暴にドアを叩く。
「サイ=ロステック、及び他四名。任務のためのブリーフィングに参りました。」
「……入れ。」
扉の置くからくぐもった低い声が聞こえると同時に、ギィィと重い音を立てて扉が開く。
中に踏み入ると、正面にはでっぷりと太った身なりのいい男がにやけた表情で座っていた。
頭は禿げており、夕日が頭頂部に反射して光っているのは思わず笑いをこらえたくなる光景だが、問題なのはそれではなかった。
その傍らにいる、肩にダリアの勲章をつけた白い制服を身にまとった長髪の男が彼らの視線を奪っていた。
「ギュンター。しばらく見ていないと思ったらこのようなことになっているとはな。」
クーがぼそりと呟き、アメリア以外の四人は顔をこわばらせる。
「呼び出して悪かったな、サイ=ロステック。それからそのクラスメイトよ。今日は二つの報告があって呼びださせてもらった。まずは一つ目、こちらは本題の任務について。そしてもうひとつは、昨日栄えある『優等生』へと昇格したギュンター君が、どうしても君たちとお話をしたかったそうでね。こうして来てもらったわけだ。」
「そういうわけだから、少しだけわたしのお話に付き合ってもらおう。理事長、少しお時間をいただきます。」
「うむ。」
ギュンターと呼ばれた深緑の髪をした青年は理事長に恭しく一礼するとその脚でサイの目の前に立った。
「サイ、君のおかげで僕はこうして『優等生』になれたよ。そのことでどうしてもお礼が言いたくてね。」
「……。」
「君が教えてくれたんだよ、英雄の息子。正しい事なんて何の役にも立たない。英雄の息子といえど底辺に落ちるように馬鹿げたことだってね!!」
「ぐ……!」
突然起動したモーメントが、圧縮された衝撃波の塊を生み出し、サイの鳩尾に命中する。
いかに刃物すらへし折るイグナイトの制服とはいえ、貫通する衝撃に対しては無力だ。
サイはうめき声を上げて地に膝を着く。
「サイっ!?きゃっ!!」
慌ててユフィが駆け寄るも、どこからか生み出された風の壁に阻まれて弾き飛ばされてしまう。
「おっとサイ、突然倒れこんで大丈夫かい?これはいけない、起こしてあげなければ!」
「がっ……!」
ギュンターは拳を振りかぶり、サイの顎をまっすぐに打ち上げた。
確かにバランスを取るために立ち上がるものの、起こしてあげたなどとはまったく持っていえないだろう。
明らかに暴力行為。言い訳の仕様も無い直接的な攻撃を行っているにもかかわらず、理事長は窓を見る事で気にも留めていない振りをしているようだ。
「(待機状態のモーメント。起動してないのに適用されている風の壁。こりゃあのくそ爺、確信を持って見逃してるね。)」
アーヴは困ったような顔をしながら、目だけで周囲を確認する。
「(一見して怪しげなものは無い。となるとあのくそ爺は見逃すどころか協力者か。サイを虐げて『優等生』にして、報奨金をもらうって魂胆、といったとこか。)」
もう気付いているのだろう。クーもユフィもすでに理事長を睨んでおり、アメリアにいたっては剣を抜いて切りかかりそうなのをクーに押さえ込まれている形になっている。
「無様だなサイぃ!!こうして今まで見下してきたやつには向かうこともできないとはなぁ!!」
ギュンターは間髪いれずに前蹴りを放ちサイを蹴り飛ばした。
攻撃というよりは押し出すようにして蹴るため、体制を崩していたサイは壁に衝突した。
「私はお前を踏み台にして、このダリアの証と共に『優等生』の頂点に君臨する!帝王に近衛兵として仕え、貴様らのようなクズを全員皆殺しにしてやる!!クズとして生きていたからこそ分かる!こんなものに何の価値も無い!価値があるのは、力と!金と!権力だ!!そう、貴様の持つ英雄の息子という肩書きのようにな!!」
「……言いたいことはそれだけか。」
サイは口から流れている血をぬぐい、ゆっくりと立ち上がる。
「いいや、もう一つある。」
ギュンターは際の肩に手を置き、優しい笑みをうかべた。
「そう、とても大切な事を伝えていない。……君のすかした表情が気にいらないっていうことをねぇ!!!」
肩に置いた手を素早く後頭部に回し、身体を反転させて、その顔を壁に叩きつける。
小さなうめき声と共に、ピチャッ、ピチャッと赤い液体が壁を伝い、床を濡らしていくのが見える。
アメリアはそれを見て再度飛び掛ろうとするがクーの力が想像以上に強く、羽交い絞めにされたまま動く事が出来ない。
「離しなさいよクー!」
「問題ない。そこから動くな。」
「サイ!」
「いいから動くな。黙ってみていろ。」
「うぐっ……。」
怒気をはらんだ声をぶつけ、無理やりアメリアを黙らせる。そのまま額から血を流しつつ、ふらふらとした緩慢な動作でギュンターのほうを振り返った。
「クックック、あっはっはっはっは!!流石は案山子のサイ!!こんなときまで新入りの世話か!!殴られても文句一つ言わず、仲間に被害が及ぶのを防ぐ。噂かと思っていたが本当だとはな!英雄の子は聖人か!」
ギュンターは高笑いをし、サイの肩をぽんぽんと叩く。
「これからもこうして私たちエリートのストレス解消に役立ってくれ。では理事長、失礼いたします。」
ギュンターの去っていく先から下卑た笑い声と、複数の足音が響く。
「サイ、早く手当てしないと。」
ユフィが止血帯を持って走ってくるが、それを手で制し、サイは理事長のほうへ向き直り、頭を下げる。
「ご多忙の中ギュンターと私の私用に時間を割いていただき、真に恐れ入ります。」
「いやなに、それほどではない。頭を上げよ。」
「はっ。」
表情一つ変えることなくサイは顔を上げた。
後ろに控えるアメリアは睨みつけるように理事長を凝視しているが、他の三人はサイと同じく表情に変化が無い。
強いて言うならユフィが心配そうにおろおろしているくらいか。
「ではブリーフィングを始めようか。渡した資料の通り、君たちにはヨグソートに言ってもらう。騎士により生み出された要塞とも言うべき堅牢な国家。そこに潜入して紅騎士ウルヴァンを暗殺してきてもらいたい。」
理事長はサイの額から血など流れていないように、気にとめることも無く話し始めた。
「ヨグソートはそのほとんどが謎に包まれている。騎士の編成、規模、武器、国内の地図、気候、食糧事情、歴史、教育。上げればキリが無いほど、そのすべてが不明だ。かつて攻め入ったとされる国も、脱走兵のみが生きて帰り、勇猛果敢な兵は皆殺しにされたという。だが、それゆえに君たちの役割は非常に大きい。騎士の一角でも始末する事が出来れば、戦局は大きく変化する。」
葉巻を咥え、指先から火をともして紫煙を吐き出す。
ふぅ、とため息をつき、憂いを帯びた表情を浮かべて沈み行く太陽へと視線を移した。
「もちろん私とて本意ではないのだが、今君たち以外は三月の宵に行われる御前試合の修練で忙しい……。しかしこれは不可侵条約を破ったドルンが引き起こした冷戦状態を打開するための一手なのだ。分かってくれるな?サイ=ロステック。」
悲哀と期待が混じったような少し重々しい笑みを浮かべ、ゆっくりとサイに向かって同意を求める。
「重々承知しております。」
「うむ、よろしい。」
満面の笑みをたたえ、理事長は椅子に深く腰掛けなおした。
「さて、分かっているとは思うが、くれぐれも気付かれないように頼む。証拠は残さないほうが懸命ゆえにな。遂行のための武装に制限は設けないものとするため、方法に関しては自由にやるがよい。一応の期限はそうだな、50の日が昇ったときにここに戻ってくることとしよう。では下がってよいぞ。ああそうそう、最後に一つ。サイ=ロステック。言う事がある。」
きびすを返し、退室しようとしていたサイを呼び止めた。
サイは首だけを向け、脚をとめた。
「君もこちら側に来ないか?君はその権利がある。そこにいる四人と違ってな。それに、君も本意ではないだろう?」
「本意とは?」
「決まっている、『特別育成枠』にいることだよ。犯罪者の娘と、魔力無しと、不良品……その上転校生はそれ以上の欠陥品と来た。そんな吹き溜まりで君が理不尽な目にあう必要は無い。優秀とは言い難いかもしれんが、君もまた選ばれているのだから。どうかね、こちらに来る気はないかね。」
「私にはここでやるべき事がありますので。失礼します。」
サイは吐き捨てるように言葉を発し、足早に部屋を後にした。
部屋を出たところで慌ててユフィが止血帯を巻き、出血を抑えて手当てしているのが、閉ざされる前の扉の隙間からわずかに見えた。
「やれやれ。これだから頭の固い馬鹿は困る。」
一行を見送り、日の沈んだ外を眺めつつ、理事長は薄ら笑いを浮かべる。
「だがこれで邪魔者は二度と戻ってくる事はできぬだろう。こうして私の出世道は完成したというわけだ。ふ、ふふふ、ハァーッハッハッハ!!」
欲にまみれたその笑い声は誰にも聞かれること無く、遠く空に吸い込まれていた。
「狡猾なものだ。あえて怪我にも触れないことで事実をさも知らない振りで通そうとする。私たちの地位が未だに低い事だからできる方法ではあるがな。」
「だからといってあの態度はあんまりよ。ギュンターってやつもふざけてるわ。ああもう!思い出すだけで腹が立つ!」
地面を思いっきり剣で叩きつけアメリアは叫ぶ。
叩きつけられた場所はその衝撃で飛び散り、小さな穴を開けた。
「でも、私たちは黙ってやられてるしか選択肢が無いよ。まだ、私たちは死ぬわけにはいかないから。」
「それに、あと三ヶ月の辛抱だよ。御前試合があるって聞けたのはラッキーだった。うまくいけば御前試合で目にモノをみせてやれるからね。」
「そのためには、この任務終わらせて生きて帰らなきゃならんのだがな。」
意気込んで拳を握るアーヴを茶化すようにクーは言う。
「まあ、いつもの任務と違って私服で動けるんだ。旅行気分で楽しもうじゃないか。」
そういったクーの背中には大きなリュックが背負われており、服と思わしきものの袖がはみ出ており、長期滞在をする思惑がはっきりと見て取れる。服も黒いシャツの上に青の皮で作られたジャンパーを着ており、下は少し大きめのゆったりとした黒いズボンをはいている。
いつも愛用しているハルバードはどうやら分解されてリュックに押し込まれているようで、上の部分から刃の部分が飛び出していた。
「確かに気分的には旅行かもしれないけど、流石にそれはどうなのよ。家出るときに止めなかった私も悪いけどさぁ。」
赤いワンピースタイプの服にサンダルを履いているアメリアがクーの様子を見てため息をついた。
腰にはベルトを巻いており、そこに引っ掛けるようにして剣と盾が装備されていた。ラフな格好をして入るが、どうやらいつでも抜き打ちをかけられるようになっているようだ。
クーとは対照的にやや自己主張の激しい胸部と、武器を扱う事により引き締まっている身体、そして太陽の下で金に輝く髪は性別を関係無しに魅力的なものとして写るだろう。事実、ユフィが若干虚ろな目で自分の胸部をぺたぺたと触っている。
「安心しろユフィ。私など固定具が必要ない程度にまな板だ。」
「今後成長する可能性もあるからそんなに気にしなくてもいいと思うわよ?」
「なんか、二人に言われても慰められてる感じがしないよぅ……。」
はぁ、とため息をついてがっくりと肩を落とす。
女性三人はその後もわいわい騒いでいるが、対照的に男性二人は怪訝な顔をしてアザドを眺めていた。
パタパタと半袖に捲り上げた白いロングコートを風にはためかせながら、アーヴは唸り声を上げる。
「うぅーむ。しっかし困ったものだと思わないかい?サイ。」
「ああ。まったくだ。」
サイはどかっと草原に腰を下ろし、胡坐をかいて頬杖を付く。
「侵入の方法が本格的に見当たらん。何より、武器が問題だ。」
「当たり前のように武器もってきちゃったからねぇ。旅行客を演じて入るのも無理そうだ。」
「この近辺に魔物の一匹でもいたら言い訳が立ったんだがな。」
「確かに。こればっかりは向こうの手腕を褒めるしかないよ。」
アーヴも同じように腰を下ろし辺りをぐるっと見渡す。
「魔物一匹でない安全な領域の確保。武器を初めとした危険物を持ち込む必要性がないように徹底的にクリアにすることで、危険物を携帯するものに一定のラインを敷くことが出来る。おそらく入り口で検問もあるだろうし、より外的の進入を防止できるんだろうね。それに見たところその入り口も一つしかない。」
「ここまできたら内部で武器の調達もほぼ不可能だろうな。」
「見た限り、国内ではリッター以外に武器は必要なさそうだしね。あっても調理用のナイフくらいじゃないかな。」
「流石にそれなら素手のほうがマシだな。」
やれやれ、と呟いてごろんとサイは寝転がる。
「外壁に囲まれ太陽すら拝めない国か。さぞ息苦しいだろうな。」
空の青さに目を細めながら小さな声で呟いた。
「井の中の蛙大海を知らず、だよ。彼らにとってはあそこが世界のすべてだから、そうは思わないかもしれないね。」
「そういうものか。」
「そういうものさ。」
無言のまま、二人は思考をめぐらせる。
アイデアの一つも浮かばないまま、時間だけがゆっくりと過ぎていく。
しばらくすると、騒いでいた女性陣が焦ったように声をかけてきた。
「二人とも、こっちに来て!リッター内で揉め事が起きてるみたい!」
「見た感じ、リッターの一人が囲まれているな。」
「は、早く止めに行かないと!さっき外れの森の中に入っていっちゃった!」
三人の導くままに、首都へ向かう道を外れた先にある欝蒼とした森の中へと足を踏み入れる。
「足跡はこっちに続いている。足跡からしてかなりの速度で走り抜けていったみたいだな。」
サイは地面に残った馬の蹄を眺め、森の奥を指差した。
「ここは確か魔物の出現地域だ。うら若き乙女であるこの私が襲われてしまうかもしれないな。」
「まあ可憐な華である私が襲われるなら分かるけど、クーが襲われる事は無いんじゃない?」
「……ほう?」 「……へぇ?」
口角をひくつかせながら二人は互いをにらみ合う。
まさに一触即発という雰囲気。猛禽類のような笑みが二人の顔に浮かび上がる。
「(どっちも襲われる前に返り討ちにしちゃうと思うんだけど、それは突っ込んじゃいけないのかなぁ。)」
「何をしているんだい?早く行くよ。」
「「ちっ」」
獰猛な獣が二匹おとなしくなったところで、一同は武器を取り出し、体勢を低くして駆け足気味に足跡をたどっていく。
深部へと進むにつれて、刃がぶつかり合う音と馬が駆け回る音がだんだんと大きくなっていく。
「征くぞゲルブリッター!!大罪人レオンハルトを生かして返すな!!」
森全体に響き渡るかのような号令と共に、騎士たちの雄叫びが大地を揺るがした。
「……急ぐぞこれは侵入の為のチャンスだ。」
サイの一言に全員が頷き、5人は森の中を駆け抜ける。
その手に鍵を手にするために。