プロローグ
『ぐすっ、もういやだよ……。』
ここではないどこかから、彼の耳に聞き覚えのある女の子の泣き声が届く。
『どうしてみんなわたしをいじめるの?どうしてだれもたすけてくれないの?なんでわたしだけこんなめにあうの?』
より悲しみ増した声がまた、彼のもとに届く。
今まで、彼女のこんな弱々しい姿など見たとこもなかった。
彼女の、こんな悲痛な叫びを聞いたこともなかった。
家が隣で、いつも一緒にいたのに…何一つ気づくことができなかった。
苛められているなど、思いもしなかった。いや、ひょっとしたらただ見ない振りをしていただけなのかもしれない。
何にせよ、彼は己を恥じた。
幼いながらも自らの思う『正義』を為していた。
どんな不正も卑劣も許さず、弱者の盾となってきた。
彼女も、『正義』のために廃すべき『悪』だと信じていた、つもりだった。
しかしそんな自分は、弱者の居場所を奪っていたこと。
自らが、弱者から力を毟り取る『外道』であると気づいてしまった。
だが、それを知ったからにはやらなければならないことがある。
動かさなければならない心がある。
伝えなければならない言葉がある。
彼は暗闇のなかで、声を頼りに彼女の方へ向かう。
どの方角を見ても夜の帳がおりたように暗く、一寸先すら見ることができない。
ひょっとしたら、その先に道はないかもしれない。
しかし彼は躊躇うことなく、ただ真っ直ぐ進んでいく。
やがて、一つの光を見つけた。
仄かな光に照らされたその空間では彼女がうずくまり、小さな肩を抱えて一人泣いていた。
『だったら、ぼくがきみのたてになるよ。』
彼はそう告げて、彼女の前にしゃがみこむ。
『ぼくがきみをまもりつづける。きみがなかなくてもいいように、きみがひとりにならないように。』
これは贖罪のためか、偽善のためか、それとも、目をそらしたかっただけなのかはわからない。
だが、その言葉だけはまぎれもなく本心だった。
『……ほんと?』
彼女は僅かに顔をあげ、彼の目を見てその真意を確かめてくる。
彼はその目をじっと見返し、微かに微笑む。
『うん、ほんとう。』
『……ほんとにほんと?』
『うん。』
しばらくお互いに見つめあい、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。
その顔を見て、彼の頭を一つの懸念がよぎる。
彼女は、自分がいなくなったらどうなってしまうのか。また、いじめられてしまうのではないか。
それ以上に、また一人になるのではないか。
彼は意を決して、一つの約束を取り付けることにした。
『だけどね、ひとつだけまもってほしいことがあるんだ。』
『まもってほしいこと?』
『うん、ぼくときみのやくそく。』
『やくそく。』
『そう、やくそく。ぼくはきみをまもるってきめたけど、まもれないときがあるかもしれない。ぼくがどこかにいっちゃったり、しんじゃったりしたりするかもしれない。』
『……どこかいっちゃうの?』
彼女は不安そうな顔で彼の顔色をうかがう。
『ううん。だけど、そんなことがあるかもしれない。だから、ひとつだけやくそくしてほしいんだ。それは―――』
―――――――――――――――
プロローグ 亡国の王女
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「はぁっ……はぁっ……!どうしてこんなことに……!」
王城の地下に隠されている、王族用の逃走経路をたどり、金髪のドレスをまとう少女……アメリアは外を目指して一心不乱に走っていた。
薄暗く、僅かな火の明かりが転々と灯されるだけの通路に、武器と武器のぶつかり合う甲高い金属音が、鎧を身に纏うものたちが発する独特の移動音が、そして、断末魔の叫び声が遠くから聞こえてくる。
「ゼノリスの魔導兵…まさかこれほどまでに……。」
アメリアは走りながら、ゼノリスの魔導兵が攻め込んできた瞬間を思いだし身震いする。
きっと今も、ゼノリスが産み出した魔導兵器『モーメント』による虐殺が行われているのだろう。
精霊を封じ込め、魔力を媒介にその力を無理矢理引き出して自然現象を思いのままに操る魔道具。
幼子でさえ、使い方を知れば一師団を壊滅させることが出来ると言われていた悪魔の兵器。
ただの噂話としか聞いていなかったが、空から降り注ぐ火柱を、大地から遡る雷を見て、それが真実だと思い知らされた。
たった30人にも満たない15歳程度の少年少女たちによって行われている殲滅戦。
滅ぼされていく父の国を、奪われていく民の命を思うだけで腸が煮えくり返るような錯覚を覚える。
「……っ!」
自分一人を逃がすためだけに犠牲となった幾多の兵士達を思い、アメリアは唇を噛む。
今すぐにでも引き返したい。
今すぐ、この腰に差した剣で、一人でも多くのゼノリス兵を殺してやりたい。
なにより、一人でも多くの臣下を助けたい。
そのような思いが胸中を渦巻くが、自らの役割や価値を知らぬほど、彼女愚かではなかった。
「私がいれば、また国は甦る。だから、ごめんなさい……。」
小さく懺悔の言葉を口にして、いままでよりも速く。思いを置き去りにしていくかのように、彼女は走り出した。
断末魔の声も、空が裂ける音も、家屋が崩れ行く音も失われていき、かわりに少しずつ外の光が漏れ出てくる。
わずかに薫る草の臭い、そよ風の気配が、出口へと近づいているとこを教えてくれた。
「(あと少しで逃げ切れる!)」
アメリアは真っ直ぐに首をあげ、出口を見据えた刹那、突然出口から一つの影が飛び出してきた。
「待ち伏せ!?くっ!」
動揺する間も許さず、飛び出してきた男は拳による鋭い一撃を放ってくる。
アメリアは慌てて腰の剣を抜き放ちつつ、拳をかわすように大きく後ろへ距離をとった。
剣を構え、突如現れた襲撃者に意識を向ける。
「(ゼノリスの魔導兵……!)」
アメリアは相手の姿をみて歯軋りをした。
ただの服にイグニタイトと呼ばれる非常に固い鉱石を紐のように編み込んでいるため、所々から赤い光が見える特殊な軍服。
そしてその胸につけられた、蛸のような生物を彷彿とさせる紋章。
なにより、その左足の太股にくくりつけられたホルダーから覗く、銀色に光る『それ』が、目の前の人物をゼノリス兵だと伝えてくる。
アメリアはゆっくりと手に持った剣を下段に下げつつ、予期せぬ客人をつぶさに観察する。
黒茶色の髪に、180を越えるであろう長身。上の兵とは違う漆黒の軍服を纏い、使う必要のないはずの大型のナイフと、数本のダガーナイフを軍服のホルダーに差し込んでいる。年齢はアメリアと同じぐらいだろうか。
身なりからは、ゼノリス側のアサシンではないかと思うものの、それにしては何処かおかしい。
「(そういえば最初、奇襲の時にナイフで切りかかってこなかった。まさか殺意がない……?ということは殺さずに確保しろと命令されている?)」
命を奪われることはないかもしれない、とわずかに安堵するものの、アメリアがおかれている状況に変化はない。
目の前の男を倒さなければどちらにせよ逃げ出すことなどできないのだ。
「私だって王族の末裔。国の再興の為にも、押し通らせてもらうわ!」
アメリアはそう叫び、鋭く一歩を踏み込んだ。
身体の動きにあわせて突き出された剣は真っ直ぐに男の心臓をめがけて飛んでいく。
しかし男は右足を前に出すことで素早く身を捩り、掠めるようにしてその突きをかわした。
そしてそのまま流れるように、捻られた体を「溜め」へと変化させ、アメリアの顔面を狙うように左拳を突き上げ気味に振り抜く。
「この………っ!」
完全にカウンターの形になったため、アメリアは十全な反応ができず、体制を崩しながらなんとかかわすことしかできなかった。
もちろん、その隙を見逃してくれるわけもない。
「(まずい!このままじゃ……!とりあえず間合いを取らないと!)」
なんとか踏ん張り持ち直したものの、攻め混んでくる男を迎撃するほどの余裕はアメリアにはない。
避けることののみに意識を集中し幾度と降り下ろされる鋭い拳撃を、後ろに大きく飛ぶことで、距離を離しつつ逃れることに成功した……かに見えた。
「……それでは、まだ足りん。」
「えっ?」
男がゆらり、と身体を振った瞬間、目の前には男の拳が迫っていた。
「なっ…!?」
あわてて首を捻るも、反応が間に合わず男の拳がアメリアの頬を掠める。
「(一足飛びで間合いを詰めるなんて…!)」
まるで焼けたかのようなチリチリとした痛みが後を引いてくるが、それに気を取られたことがアメリアにとって最大の失敗だった。
男はそのまま、がら空きになっているアメリアの横っ腹に体重をのせた回し蹴りを叩き込む。
「あがっ…!」
肝臓と肺にまで到達する強烈な衝撃に、思わず空気が漏れ、意識が朦朧としてくる。
既に手に力は入らず、持っていた剣を地面に落としよろよろと数歩歩いたのち、膝から崩れ落ちた。
「…心しろ、悪いようにはしない。」
立ち上がる気力も、呼吸する力もなかったが、薄れ行く意識のなかで、そう告げた低い声だけが脳裏に焼き付いていた。
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「さて、僕たちに与えられた命令は『王女の暗殺』だったはずだけど……気絶させてどういうつもりかな?」
白髪に金の目を持つ中性的な青年が、大袈裟に肩をすくめ、黒茶色の髪を持つ男に問いかけた。
おどけたような口調で語りかけているが、言葉の節々に理由を言及するという強い意思を感じる。
「ごめん、アーヴ。私がサイにお願いしたの。なんの罪もない王女様を暗殺なんて、嫌だったから……。」
小柄で黄緑の長い髪をサイドテールに纏めた少女が、あわてて二人の間に入りこみ、アーヴと呼んだ白髪の男に対しいまにも泣きそうな表情のまま、うつむいて弁解した。
それを見たアーヴは口角を釣り上げ、楽しそうに笑いながら辺りを意味もなく歩き始めた。
「ふふ、そのくらい知ってるよ。少しからかっただけさ。ユフィもサイも、からかうと生真面目に返事してくるからと面白くてね。ついやってしまう。これは僕の悪い癖だとは思うが、いかんせん中々直らないものから困ったものだ。そうそう、もちろん、僕も暗殺には反対だったからね。怒ってなんかいないし、むしろ喜んでると言うべきかな。」
アーヴはユフィとサイの周囲を、まるで円を書くようにゆっくりと歩く。
上機嫌そうにしゃべる彼を横目に、サイと呼ばれた黒茶色の髪をした青年は大きなため息をつき、王女を肩に背負った。
「アーヴ、もう少ししたら、哨戒に出ているクーも戻ってくる。戻り次第、クーの情報を元に、本国の部隊に見つからないよう国に戻るぞ。獣道を中心に進む。道中、追い剥ぎや山賊の類いも現れる可能性が高い。人をからかっている位なら武器の確認をしておけ。」
「やれやれ、君はいつも真面目すぎるのが玉に傷だよ。もう少し肩の力を抜いてもバチは当たらないと思うのけど?」
サイの指示に肩をすくめつつ、アーヴは腰の鞘から、刃渡りが1mほどもある細身の長剣を抜き放ち、それを腹の部分が上を向くように、体に対して平行に持つ。
日の光を受けて輝く両刃の剣には様々な装飾が施されており、柄にはきらびやかな宝石が、刀身にはオーロラを象った紋様が刻み込まれている。
「どうせ、儀礼用の剣だから戦闘では役に立たない無用の長物なのだけどね。」
少し嬉しそうに布で答申を拭き始めるアーヴに、「なぜそんなものを持ってきた」等と突っ込むことなく、それを横目に、各々の武器を一通り確認する。
ユフィは後ろ腰のガンホルダーから、銃身が30㎝はある白銀の双銃を取りだし、ため息をついたあと直ぐに腰に戻した。
サイは王女を担いだままに、腰に差してあるダガーナイフの位置、肩から胸に向かってつけられているククリナイフの位置を片手で抜きやすいよう調節した。
「ところでサイ。王女を運ぶのはいいとして、その後のことについては考えてるのかい?」
長剣を布で拭きながら、思い出したかのようにアーヴが問いかける。
「ああ、一応だが…しばらく失踪したことにして家で匿おうかと思っている。その後、ほとぼとりが冷め、彼女の気持ちが落ち着き次第生け捕りにしたと報告。王には『王女を手中に納めたことにより、奴等を従える大きな切り札を手にいれたこととなります。殺すには惜しいかと。』とでも伝えて俺達の監視下におけば……」
「駄目!そんなのは絶対に駄目!」
突然声を荒げてユフィは必死に反論をし始める。
サイはわずかに眉間にシワを寄せ、ユフィの方へと振り返った。
「何がダメなんだ?」
「えっと、その、それじゃあ処刑されると思うの!」
「……そうか。では、なぜ処刑されると思うんだ。それ次第で方針を変えなければならん。」
「えっと、えっと、その、あのね、その……」
手を上下に動かし、目を泳がせながら、ユフィは必死に処刑されると思う理由を探し始めたが思い付かず、涙目になりながらアーヴの方へと視線を移す。
「(ごめん、助けて……)」
「(やれやれ。)サイ、それは人質としてメリットを提示できてないからと言える。」
しかたない、といった装いでアーヴが口を開く。
ユフィはほっと胸を撫で下ろし、アーヴの言葉にウンウンと頷くふりをする。
「人質としてのメリットか。」
「そう。彼女は今、生かしておくだけの理由がない。いや、あるにはあるが、殺したときのメリットの方が大きい……と言うべきだろう。」
アーヴは剣を鞘に納め、ゆっくりと立ち上がった。
「たしかに彼女を生かしておけば、ドルンの民衆に対する人質として、懐柔という形でゼノリスに取り込む。もしくは傘下にすることが出来るだろう。だが、この通り。我らがゼノリスはドルンを滅ぼすだけの力がある。恐怖で押さえつけるだけの統治も難なくこなすことが出来るだろう。むしろ、その為には王族を皆殺しにして取り込んだ方が早いと言える。下手に再興の希望を持たれて、いつ反乱を起こすのか分からないものをおいておくだけの理由がないだろう?」
遠く、火の手が上がり、焼け落ちていく城下町を遠く眺めながらアーヴは続ける。
「残酷かもしれないが、すべて摘み取ってしまう方が早い。」
「……そんなの、酷すぎるよ。」
アーヴの意見に、ユフィは思わず声を漏らしてしまった。
どこか今にも消えてしまいそうな悲しげな声色が、彼女の心中を表現している。
「しかし、これがゼノリスの目指す『統一』だ。従わぬものを滅ぼし、希望の欠片も残さず、ただただひたすらに、皇帝グラム=ゼノリス16世を崇めることでのみ人として生きられる世界。紛れもない『統一』だろう?皇帝を崇めぬものは、一切居なくなるのだから。」
アーヴは皮肉ったように、統一の部分だけを強調した。
「……そうだな。そしてその為に、彼女が邪魔なのか。」
サイは肩にかついだ少女の顔を見る。
気を失い、眠っているだけの彼女を見ていると、一体彼女と一般市民と、何が違うのか。そう問いただしたい気持ちにかられてくる。
「……ひとつの肩書きを持たされただけで、ここまで背負わされるとはな。哀れなものだ。」
どこか自分達に言い聞かせるような、静かな口調でサイは呟いた。
それぞれが一瞬、どこか遠い場所へとその意識を運んでいったような、奇妙な沈黙が辺りを覆う。
「…サイ、クーちゃんが帰ってきたよ。」
沈黙を破り、そう告げたユフィの視線の先に、巨大な槍斧を背中に担いだ女性が歩いていた。
すらりとした長身に加え、長く伸びた深い青の髪を一つにくくり、武器を携えたその姿はヴァルキリーとでも形容するのがふさわしいだろう。
「すまない、遅くなった。」
透き通る様な凛とした声で彼女は仲間たちに声をかける。
しかしそのしゃべり方に抑揚は無く、感情を感じ取る事は出来ない。
だがそれを彼らが気にする様子もなく、平然と言葉を返した。
「ううん、大丈夫だよ。私たちもさっき支度できたところだから。」
「そうか、それならばよかった。私のほうは見つからないように大変で時間がかかってしまっていたからな。さて、哨戒の結果だが、このまま森を越えていけば問題無いだろう。奴等はこのまま城下町に残るようだ。」
クーは視線を焼け野原となった城下町へと一瞬移し、すぐさま三人の方へと視線を戻す。
「……ところで、サイが人さらいのように担いでる彼女が、ドルンの王女ということか。」
クーは顎に手を当てて、じっくりとサイを観察してボソッと呟く。
それを耳にしたアーヴはサイの方を改めて眺めたのち、声を圧し殺して笑い始めた。
「アーヴ、笑いすぎだ。」
「ククッ。いやぁ申し訳ない。人さらいとはいいえて妙というか、あまりにもサイが彼女を自然に担いでいたから気がつかなかった…。いやたしかに、これは人さらいだ!はっはっは!」
サイに指摘されてなおツボにはまったのか、アーヴは声を大にして笑い始めた。
「……まあ、これからやることは人さらいみたいなものだからな。サイ、私はそのままでいいと思うぞ。追い剥ぎも同業として見逃してくれるかもしれん。どうする?小脇に抱えた方が追い剥ぎっぽいか?私としては肩に担いだまま、追い剥ぎに遭遇して、『ゲヘヘ、こいつぁえれぇ上玉だからなぁ、同業とはいえてめえらにはくれてやらねえぜ?』とかいってくれた方が小物っぽくて好みなのだが。」
「クーちゃん…歌劇の見すぎだよ……」
ユフィは額に手を当てて、ふぅ、と小さく息を吐いた。
サイに至っては途中から付き合いきれんと言わんばかりにスタスタと森に向かい歩き始めていたようで、すでに大分先を歩いていた。
「あっ、ちょっと!サイ、まってよ~!」
ユフィはそれに気づき、あわててサイの所へと小走りでかけていくが、それとは対照的に、アーヴとクーはのんびりとその後ろを歩いてついていく。
恐らくこれがいつもの光景で、彼等なりの距離感なのだろう。
一行が森の奥へと進んでいるうちに、徐々に日も暮れ、星空と月が太陽の代わりに顔を覗かせてきた。
木々の隙間から差し込む柔らかい月の光は湖畔に反射し、普段とは違う幻想的な姿へと景色を変貌させる。
「こんな任務の最中でもなければ、見事な景色に心奪われ、楽器の一つでも奏でたいものだけど、いやしかし、月には叢雲花には風。美しいものには往々にして邪魔が入るもの。全くもって嘆かわしいと思わないかい?ユフィ。」
「ふえっ!?えっと、あの、アーヴってなにか楽器でもできるの?」
突然話を振られたユフィは上擦った声をあげて驚き、検討違いな質問をアーヴに返すが、気にした様子はないようで
「ふっ、もちろん。」とアーヴは誇らしそうな表情で胸を張る。
「流石に音楽家ほどの腕前は無いけど、楽士の使うようなものは一通り出来るとも。」
それを聞いてふむ、と思い出したかのようにクーは顎に手を当てる。
「アーヴは一応貴族だからな。私も付き合いで何度か聞いたことがあるが、確かに中々上手い物だった。」
「そう言えば二人とも貴族だったっけ。私やサイと一緒にいるからすっかり忘れてたよ。」
「俺達庶民と貴族がつるむことは、普通はあり得ないからな。ましてやアーヴにクーだ。貴族と思われないのも仕方ない。」
「おっと、それは聞き捨てならないな。この品位ある立ち振る舞いのどこに貴族らしさがないと言うのか教えてもらいたいのだが。」
アーヴはにやけながらサイの後ろ肩を軽く小突く。
「でも二人とも貴族らしくはないよね。ほかの人たちと違って『俺様のほうが偉いのだ!』ってやらないし。」
ユフィが台詞に合わせて、精一杯雰囲気を出すために胸を張って偉そうにふんぞり返る。が、背丈が150㎝しかない彼女がやったところで背伸びした子供にしか見えない。
何処と無く微笑ましそうな表情のクーが「あーもう可愛いなぁこいつめ。」と言いながらユフィを撫で回し始めた。
「クーちゃんやめてよー!」とユフィはバタバタともがくものの、しっかりと抱きついているクーを離すことはできず、なすがままにされている。
「 …女性たちの仲が良くて喜ばしいことだね。まあ、しばらくユフィは捕まっているだろうから、休憩がてら君の担いでる王女の処遇を考えよう。」
アーヴはよっこらせ、と口にして湖のそばに腰を下ろす。
「君も彼女を下ろして、座ったらどうだい?人一人担いでここまで来たんだ。流石に疲れているだろう。」
アーヴの提案にサイは軽く頷き、担いでいたアメリアを仰向けに寝かせてその横に座った。
「…で、結局俺達は彼女をどうすればいい。」
手短に話せ。そう言わんばかりのなげやりな口調でサイは問いかけた。
「せっかちは嫌われる。もう少し余裕をつといい。」と前置きを述べてから、「単純で簡単な方法が一つある」とサイに向かって告げた。
「影武者を立てるのさ。そして、その影武者を、殺す。」
冷たく、そして鋭く突き放すようにアーヴは告げた。
「いつもの事だがユフィは優しすぎる。なにかを殺したり犠牲にすると言えばおそらく反対するだろう。そしてクーも乗り気にはならない。だからこそ、僕と君の二人で実行する。適当な町で女性を一人拐って、王女に仕立てあげて殺すのだよ。そうして彼女には適当な町娘の振りでもしてもらおう。そうすれば、王女は助かる。」
冷笑を浮かべてアーヴはサイを見る。白髪に金の瞳は、月明かりに照らし出され、異様な不気味さを醸し出していた。
「……そうか。」
「そうさ。」
数秒、無言の時間が二人の間に訪れる。すこし遠くからはクーとユフィの声が聞こえるが、それすら別の世界のなにかのように聞こえる。
「……だが、それでは意味がない。」
サイはアーヴの目を真っ直ぐ見つめる。
「俺たちの目的を果たすまで、知られてはいけない。俺たちは『落ちこぼれ』だ。」
「……………。」
いったいどれ程の時が流れたかは分からない。多分、1分も見ていなかったのだと思うが、長いことにらみ合いをしていた気がする。
サイが折れないことを確認すると、アーヴは「参った、降参だよ。」といい、両手を上にあげた。
「全く、君も随分ユフィに毒されているようだ。その辺りは頑固で困る。だが、そう言われたのなら別のアイデアを出すしかないか。」
そうぼやいた割には、何処か嬉しそうにアーヴは立ち上がり「クー!ちょっと来てくれないかね!」と声をあげた。
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「……?ここは………?」
アメリアはゆっくりと目を覚ました。
仰向けに寝ていた彼女の視界には深いブルーの天蓋が飛び込んでくる。サイドにある白いレースには輝く宝石が散りばめられており、この持ち主が大貴族かよほどの金持ちであることを想像させる。
「私は確か、あの男に狙われて…いたっ!」寝ぼけた頭で思考がまとまらないまま辺りの様子を見ようと起き上がると、突然鈍痛が脇腹を走る。
「あのときの蹴りで骨が折れたのかしら……気絶するような威力だったし、仕方ないのかしらね。」
アメリアはぽすっ、と音をたててベットに横たわり、ちらりと脇腹を見る。どうやら大きな布のようなものをあばらに巻き付けることで骨を固定しているようだ。着ている服は恐らくここの人物のものだろうか。城から逃げてきた時とは違う、一回り大きいTシャツとズボンになっていた。
辺りを見渡すとアメリアの持っていた剣も鞘に納められて立て掛けられており、服はハンガーにかかって壁の付近にぶら下がっていた。
「応急手当てはしてあるし、私の持ち物も無事……。ってことは、同盟国のノーデンかしら。ノーデンの『石人形』ならゼノリスの魔導兵にも勝てるでしょうし、安心ね。」
ふう、と大きく息を吐いて彼女は改めてあの襲撃者を思い出す。
黒茶色の髪を持ち、背丈は180ほど。
素手による近接戦闘を使い、武器を持ったアメリアよりも強い。
しかし、ひとつだけ引っ掛かることがあった。
「(どうしてモーメントを使わなかったのかしら。)」
ゼノリスの象徴とも言うべき魔導具モーメント。
その恐ろしさは、短時間ではあるものの自然現象すら操り、任意の影響を指定した範囲に及ぼす……と言う言葉に尽きる。
もし作動させたなら、もっと楽に。それどころか姿すら見せずに私を倒せたはずではないか。と彼女は考えていた。
「解せないわね。」
ボソッと呟き再び天蓋を見上げる。
「…ん?」
レースにちりばめられた宝石を改めて眺めると、それは無作為に散りばめられているわけではなく、何かの形をかたどっていることにアメリアは気付いた。
流れるような流線型に散りばめられた宝石を遠く捉えるように見ると、それはだんだんと大口を開けた長細い蛇のように形作られていく。
「口を開けた青く長細い奇妙なドラゴン……。まさかここはっ……!」
アメリアは痛む脇腹を押さえて無理矢理体を起こし、壁に掛けてある剣を手に取ろうとした。
しかし、その行動は部屋の扉が開いたことで遮られてしまう。
「何処に行くつもりかな、アメリア王女?」
ゆっくりと開かれた扉からは、深い青の髪を後ろで一つに括った女性が出てくる。年齢はアメリアと同じくらいだろう。
手には湯気の立つコップを二つと、トーストのようなものを二枚トレイにのせて持っている。
「まあ、落ち着け。脱走を図るよりも先に取り敢えず食事でもどうだ?君は丸1日気絶してたのだからな。おっとしまった……1日気絶してた人間に対してトーストは駄目だったか?仕方ない。トーストは私が食べて後で果物でも運んでこようか。」
青い髪の彼女はどっこいせ。と呟きながら近くにあった椅子に腰かけ、テーブルに置いたトレイの上からトーストをつまみサクサクと音を立てながらを頬張り始めた。
「ん?どうした?座って飲まんのか?」
一切警戒と言う態度を見せない彼女に奇妙な威圧感を感じつつも、その手元の飲食物を確認する。
トーストはまだしも、緑色に染まった謎の液体は見るからに毒が入っているといわんばかりの色だ。
「……そんなもの、飲めるわけないじゃない。ゼノリスの大貴族、ネーヴェルバンクの人間のお膝元にいるって言うのに。」
アメリアは青の髪の女性から目を離さないようにゆっくりと壁のほうに移動し、掛けてあった剣に手をかける。
だがそれすら意に介さず、青い髪の女性はのんびりとトーストを頬張りつつ、コップのなかに入ってある飲料を啜っていた。
「ん?この通り警戒せずとも毒なんか入ってないぞ?これはお茶という鬼達の飲み物だ。渋いがうまいぞ。」
毒の入っていないことを大っぴらにアピールするためか、「ほれ」と言いながら食べているものを掲げる。
「しかし、よくここがネーヴェルバンク家の屋敷だとわかったな。」
「…その悪趣味な天蓋を見てて気が付いたわ。」
彼女はそう言って剣を抜き放ち、素早く間合いを詰めて青い髪の女性の喉元に突き付ける。
「あなたを人質にとって、私はここから逃げ出すわ。大貴族ネーヴェルバンクの娘を人質にしたら、ネーヴェルバンクの力を使い逃げおおせる可能性が高い。」
「ふっ、それは無理じゃないかな?」
青髪の女性は突きつけられた刃を見もせずに鼻で笑う。
「よく勉強しているが、違う点が二つあるな。まず一つ。ネーヴェルバンクは大貴族ではあるが少々特殊でな。一人の王女を国外逃亡させられるような兵もなければ人もいない。」
「でもあなたを人質にとればネーヴェルバンクの当主は「二つ目だ。」」
アメリアの台詞に無理矢理被せて彼女は続ける。
「その当主は私だからだ。」
よっこいせ、と呟きながら青い髪の女性はトースト片手に立ち上がってアメリアの顔をじっと見る。
「初めましてアメリア王女。ネーヴェルバンク14代目当主、クーネリア=ネーヴェルバンク。現在、王立魔導戦闘専門教育高等学校在住のピッチピチの16歳で彼氏募集中だ。クーとでも呼んでくれ。よろしく。」
クーは微笑んでそう告げた瞬間、「ほっ」と軽い声をだして突然アメリアの視界から消える。
「なっ、消えた!?」
「消えてないぞ。後ろだ。」
アメリアはあわてて背後を確認しようとするものの、すでに羽交い締めにされて動くことができない。
間の抜けた自己紹介とか喉元に剣を突きつけられた状態で動くとは思っていなかったアメリアの油断が、剣に沿うように一回転することで瞬間的に背後に回り込んだクーを見失っていたのだ。
クーは背後をとったまま、アメリアの口に目掛けてほっかほかのトーストをそのまま突っ込む。
「もごっ!?」
敵国の貴族に背後をとられたあげく、ほっかほかのトーストを口のなかに叩き込まれると言う前代未聞の事態にアメリアは目を白黒させながらトーストを咀嚼する。
ほのかに香るバター、その上にのせられた焦がされたチーズとベーコン。そしてそれらを繋いでいるスクランブルエッグ。シンプルな料理である分作り手の技術がしっかりと伝わってくる旨み。
おいしい。アメリアは思わずそう感じた。気絶してたが故の空腹もあるのだろうが、放りこまれたトーストを思わず食べてしまうほどにはおいしいと感じてしまった。
「取り敢えず、落ち着いて話す気にはなったか?」
背後を振り替えると、どや顔でパンくずだらけの手を腰に当てているネーヴェルバンク14代目当主がそこにいた。
確かに一気に気勢はそがれたものの、パンくずだらけの手を腰に当てるなという至極当然の疑問ばかりが、頭を逆に支配し始めた。
「…まあ、よくよく考えてみたら手当てもしてくれているわけだし、油断は出来ないけど、まあ話くらいは聞くべきね。突然剣を突きつけて悪かったわ。」
アメリアは剣を仕舞い、警戒のためか側に置いたまま席に座る。
「しかし礼儀も何もあったものじゃないな。お互いに。」
「外交してるわけでもないし、歳も同じみたいだから、まあ言いと思うけど。」
クーもまたどっこいせ、と呟きながら席に座る。
おっさん臭いなとアメリアは思うものの、これだけ適当でマイペースだから私の命があるのだろう。と思うとそこまで悪い気はしなかった。
「知ってると思うけど自己紹介しておくわ。私はアメリア=ウィル=ドルン。あなたの国に滅ぼされた亡国の『元』王女よ。」
アメリアはわざとらしく強調し、皮肉るように自己紹介を済ませた。
馴れ合うつもりも無いという意思の表れだろう。
「さっきも自己紹介した気がするが、私はクーネリア=ネーヴェルバンク。一応君たちの国を滅ぼした国家の平穏と調和を司る水の大貴族の当主だ。もっとも今はお飾りだがね。さて、じゃあ」
「まず私の国はどうなったのか教えなさい。」
アメリアは今にも飛びかかりそうな勢いでクーに詰問した。
睨み付けるような視線とテーブルに乗り出している体を見たら、どのくらい本気なのかはわかるだろう。
「…ふむ、やはり気になるか。正直私としては聞かないことをおすすめしたいのだが。」
「それでも言いなさい。私は王女としてそれを知らなきゃいけない義務があるの。」
「王女としての義務ね……。まあ、仕方ないか。」
義務や責務。大貴族ではあるが、今のゼノリスにおいて価値のない貴族であるがゆえに、クーはそんなものとはほとんど無縁の生活を送ってきていた。最低限の付き合いのみで生きてきた彼女に、そんなものは鬱陶しい檻にしか思えなかった。
手を頭の後ろで組み、椅子と足をぶらぶらさせながら、興味もなさそうにその時の光景を思い出す。
「まず、城下町の話からしようか。それはそれは凄惨なものだった。家なんて一件も残らないほどに、城下町は焼き尽くされてたよ。助かった人は一人もいない。そう思えるほどに完璧な焼け野原だった。事実私が知っている範囲では、生き残っている人物はいない。」
「…それで、城の方はどうなってるの?」
「さて、どう話したものか…。まず城自体だが、これは消滅している。」
「消滅…?」
「そう、文字通り『完全に消された』よ。この国の国王、グラム=ゼノリス16世の手によって直々にね。」
少し上を見上げるようにして、クーはその時の光景を思い出す。
「昨日の晩の話だ。城下町と王城の兵士と住民を一掃したゼノリス軍は、そのままグラム=ゼノリス16世をドルン王城前まで連れていった。報告の際に、直々にこの目で見るとのお達しがあったそうだ。しばらく城下町を眺め、満足そうに頷いたあと、『この王城も邪魔だな。更地にしてしまおうか。』と言い、何らかの魔導で王城をまるごと塵にしたらしい。近隣諸国はそれを見てこぞってゼノリスに同盟を申し込んできているな。」
アメリアは「そんな…」と呟いて力なくうなだれる。
「じゃあ、お父様は?団長は?使えていたメイドたちは…… ?」
「城にいたのなら、間違いなくもう生きてはいないだろう。しかし、王族御用達の避難通路には死体一つ見つからなかったと、そう言っていた。もしかしたら逃げている可能性はあるかもしれない。君がそこを通ってきたように。」
もちろん、そんな可能性は無いに等しい。何よりその避難通路も瓦礫の山になっていたのだ。それでも、少し位は希望はあった方がいい。そう思っての言葉だった。
アメリアはふるふると小刻みに震えていた。きっと怒りが押さえきれないのだろう。
民を、友を、家族を蹂躙されて黙っていられるわけがない。
「…どうしてあなたたちは私の国を襲ったの?不可侵条約も結んでいたじゃない!!」
圧し殺した声がクーの耳に届く。
クーは口を開きかけてすぐそれを閉じた。こんな理由で国ひとつ滅ぼしたなどと王女に言っていいものか。確率としては低いものの勢い余って自殺など図らないものか。
そう思わざるを得ないほどに、彼女の耳にした理由は自分勝手なものだったのだ。
「本当に聞くのか?」
「お願い。」
短く簡潔にアメリアは意思表示をした。
クーは「わかった」とだけ短く答えて深呼吸をし、ゆっくりと口を開く。
「この国がドルンを襲ったのは、戦略兵器級モーメント。通称『フェルカー』とよばれる新型兵器の破壊力及びその実用性の確認としてだ。ただし世界へのお題目は、『不可侵条約を一方的に破棄し、攻撃を加えてきた隣国の粛清』となっているがな。」
「なっ……!?」
非の無い自国を、モーメントの実験として更地にされた挙句、その理由をすり替え、名誉を地に落とすと同時に自国の正当性を主張する。
ゼノリスのやった行為は端的に言えばそういうことだった。
「おそらく、更地にしたのは反論できる人物をすべて抹殺し、証拠を消し去るためだろうな。死人に口無しとはよく言ったものだ。」
「だったら私が名乗り出て!」
「無駄だ。火に油を注ぐだけだ。」
クーはずずっ、と音を立ててお茶を啜る。
まるで興味がなさそうに語るその光景に、アメリアの怒りは限界に達していた。
「ッ!!ふざけないでよ!!」
アメリアは勢いよく立ち上がり、烈火のごとく怒り狂いながらクーに掴みかかる。
「お父様も!騎士達も!平和に暮らしてた人々も!みんな殺した癖に!私たちの国を滅ぼしただけで飽き足らず、名誉まで叩き落して!それをどうにかしようという気持ちすら無駄だって言うの!!」
「そうだ。」
「このっ……!……ッ!」
アメリアはおもいっきり拳を振りかぶるが、折れていた脇腹の鋭い痛みに耐えかねて手を下ろしてしまう。
「無理はするな。君は怪我人なのだからな。」
クーは涼しい顔をして、まるで胸ぐらを捕まれていないかのように、そのままお茶を飲み干した。
「その怒りはごもっともだ。だが時期が悪すぎる。ドルンは今や失墜した。国も兵も王族も失い、諸国の間では戦争を引き起こす事になるきっかけを作った大罪国家として、国名を歴史から抹消するよう決定した。その中で君一人のこのこ出て行ってどうする。死んでいった兵たちの願いも捨てて己の怒りを胸に殉ずるか?それなら止めはしないが、はたしてそれでいいかは自分の胸に聞け。」
そう投げやりに言われ、アメリアはまた頭に血が上るが、何とか押しとどめてクーの胸ぐらから手を離した。
「……あなたたちは、こんな事をしてなんとも思わないの?こんな身勝手な事をして、何にも思わないの?」
「思うさ。」
「じゃあどうして止めなかったの!貴女は大貴族でしょう!?大貴族なら止めれたはずでしょう!!」
思わずテーブルを拳で叩きつけてしまう。だがその勢いも 一瞬で消える事となったしまった。
「止めれないから、こうなってるんだ。」
クーは怒気を孕んだ声で、冷たく突き放すようにそう答えた。
今まで感情をあまり感じさせない受け答えばかりだったためか、アメリアはそれに驚愕しわずかに後退る。
「私に、いや、この国に『王の命令』を覆すことなんか出来やしない。この国では『王の言葉』が絶対で、『王の行動』が正義で、『王の考え』こそが真実だからだ。なあ、腐っているとは思わないか?」
顔を歪めてニヤリと笑うクーを見てアメリアは背筋をなにかがはい回るような感覚を覚える。
彼女の目に、声に、笑みに、底知れない狂気のようなものを感じたのだ。
思わず、クーをつかんでいた手を離してゆっくりと後ろに下がっていく。
冷や汗が頬を伝う。自分が今抱いていた怒りなんか、吹いたら消えてしまいそうな炎なんじゃないかとさえ錯覚した。
恐る恐るもう一度顔を見てみる。
そこには先程までの歪な笑みを浮かべた人物はおらず、無表情でアメリアの
分のトーストを頬張っているクーがいた。
「どうした?そんなに後ずさって。いや、まて、そうか。私が美人過ぎるのも考えものだな。」
パンくずを顔につけて口を動かしながらそのような妄言をはいていた彼女は、先程の表情とは一致しない。見間違えだったのだろうか、と思い直し、もう一度席に座り直すことにした。
然しある意味でこれは僥倖だったかもしれない。一気に怒りの炎が鎮火したことで彼女の思考はクリアなものになっていた。
冷静になったアメリアは改めて自らの置かれている状況を確認する。
今こんなところで彼女に八つ当たりしても仕方がない。
「ところでだが王女よ。遅くなったが本題に入っていいかな。」
「本題?」
そう言ってはじめて気づく。こっちから一方的に質問をしていて彼女が何も話してないことに。
「そう言えば私が食って掛かってたから話が出来てなかったのね。ごめんなさい。」
「構わんよ。私の仲間はみんな話を聞かないから慣れっこだ。」
少しだけ柔らかな笑みを覗かせてクーは笑い、そして直ぐに表情を無表情に戻した。
腕を組み、「うーむ、どうやって切り出すか」等としばらく唸ったあと、よし。と意を決して立ち上がり、スッと手を伸ばす。
「本題なのだが、アメリア王女よ、私たちの仲間にならないか?そして共に、この国を討とうではないか。」
あまりにも唐突な発言にアメリアは面食らってポカン、と口を開く。
「ぬ?駄目だったか?君ならのってくれると思ったのだが。」
「あ、いや、まさかそんな突拍子もない提案が出てくるとは思わなかったから……。」
アメリアは唖然としたままクーの顔をまじまじと見つめる。
その表情からは何を考えているかはわからないものの、真剣な提案であることだけはその目が物語っていた。
「…本気でそう考えているのならのってあげないこともないわ。今は怪我もしてるし、行く宛もないから。」
アメリアは差し出された手を取り、柔らかく握手をする。
まだ警戒してはいるのだろうが、一応は味方だと思ったのだろう。
「おお、本当か。いやー、仲間が君を殺さなかったのにはどうしようかと思ってたが、なんとかなってめでたしめでたしだな。」
「(……ん?どうしようかと思ってた?)」
どことなく嫌な予感がアメリアの頭をよぎる。
「ねえ、まさかと思うけど私を助けた理由って……。」
「うむ、その場のノリみたいなものだ。深い考えなどない。いやぁ、もし断られてたら君をばれないように国外に流さないといけないところだったから困るところだった。」
はっはっは、と無表情で笑い声を上げる彼女を見て何とも言えない気持ちに刈られてくる。
まさかその時の気分で助けられたなどとは思いもよらず 、怒りとも脱力感ともいえないものが体を支配していくのを感じていた。
かたやクーは力なく額に手を当てているアメリアを横目に通りすぎ、「いくぞー」と声をあげながら部屋の扉を開ける。
いかに行く宛がないとはいえ、すでに彼女の仲間となったことをアメリアは後悔し始めていた。
廊下に出ると貴族らしく、硝子や宝石で彩られた照明器具が一定の間隔で置かれており、その内側から放たれる光が辺りを照らしている。
そして水の大貴族ということだからだろうか。廊下の壁紙もまた青を基調としたものとなっており、深海のなかに入り込んだかのようなイメージが脳裏に焼き付く。
「ああ、そうそう、君の身分については安心していい。君は私の遠縁の親戚で、他国に留学していたという設定で偽装しておいた。これを持ってドルン王家の紋さえ外せば、自由に国内を動けると思うぞ。」
前をスタスタと歩くクーが、後ろを振り返りながら大きな声でそう言いつつ、ひとつの銀に光る小さな物を投げてくる。
それは円形の機械であり、端から中心部に向けて渦巻くような、シンプルな紋様の入っているものだった。
アメリアはそれを見たことがあった。いや、忘れるわけがなかった。全く同じデザインで、これより巨大な物を見ているからだ。
「モーメント……!」
国を滅ぼした原因にして、なにより一番憎いであろう魔導具。
「これを私につけろって言うの!?」
アメリアは足を止め思わず大声をあげてしまう。
国を滅ぼした原因になった兵器を投げ渡されたのだ。無理もないだろう。
しかしそんなものを意にも介さず、クーは足も止めるとこなく歩きながら喋りかけてくる。
「君の言いたいこともよくわかる。だから強制はしない。この屋敷のなかをふらふらするだけならそんなものつけなくても問題ないからな。だが、モーメントというのはこの国において身分証明の役割を果たす。もし外に出たときにそれが無いと、君は異国からの侵入者と見なされて殺されてしまうだろうな。そればかりは君の望むところでもないだろう?」
アメリアはモーメントを睨み付けながら唇を噛む。
「まあモーメントについては折り合いがついてからでいい。寝床や食事とかは全部この屋敷を使ってくれたらいいからな。使用人どころか私以外は一人もいないから大変かもしれんが、なんとかしてくれ。」
「一人もいない……?どうして?」
思わずそう聞き返してしまう。
広大な屋敷、高い身分、にもかかわらず一人も使用人がいないというのは流石におかしい。
少なくともアメリアの知る限り、大貴族と呼ばれるところには100人ほどの使用人が詰めていた。
確かに
「ネーヴェルバンクには兵も人もいない」とは言っていたものの、この有り様はおかしい。
「まあ、それについては君が本当に仲間になってくれたときにでも話すよ。」
「……分かったわ。モーメントのことも、その時に考えさせてもらうわ。」
ズボンのポケットにモーメントを押し込み、クーの後をついて歩く。
しばらく無言のまま、長い廊下をまっすぐ歩いていくと観音開きの扉が目の前に現れた。壁と同じく青を基調としてデザインされており、その中央には巨大な天秤が、釣り合った状態で描かれている。右の天秤には多くの人々がのっており、左の天秤には王族と思わしきものが民より少ない人数で描かれていた。天秤の下には、武器を担ぎその天秤の上にいる人々を襲おうとする人相の悪い者が描かれており、その人々を巨大な牙で噛み砕く、蛇のようなドラゴンが描かれていた。
「この奇妙なドラゴンは確か、ネーヴェルバンクの家紋の…」
「そう。巷では破壊の権化とは言われているが、ネーヴェルバンクではこれを『龍』と呼んで崇めている。憤怒の象徴だとか言われてもいるが、不死や恵みをもたらす神とも言われているらしい。詳しいことは分からんがな。わかるのは初代が、どっからかアイデアを引っ張ってきたってことだけだ。」
まあ、この一族には不死も恵みももたらさなかったがな。と小さな声で呟いたのをアメリアは聞き逃さなかった。
しかし、其れに踏み込めるほど図々しくもなければ、無遠慮でもなかった。
クーはゆっくりと扉を押し開いていく。
今までの薄暗い青の廊下ではなく、大空を思わせるような明るい部屋がその先には広がっていた。
白と薄い水色を基調とした壁の塗装に、自分の姿が映るほどに磨かれた深蒼の大理石の床。その上に乗れば海面を歩いているような錯覚に陥るほどだ。
恐らく応接間なのだろうと想像されるその部屋の中央には円形の大きなテーブルが設置されており、三人の人物が座って待機している。
黄緑色の髪をサイドで一つに括った小柄な少女。中性的な雰囲気をもつ白髪の青年、そしてなにより、アメリアを襲撃してきた黒茶色の髪を持つ長身の男がそこにはいた。
「どうしてあの男がここに…!」
アメリアは思わず身構えるが、クーはなんのことかわからないといった面持ちでアメリアに問いかける。
「あの男?」
「あの黒茶色の髪の男よ!私をあの男から助けてくれたんじゃなかったの!?」
「……いっけね、説明忘れてた。」
てへ。と言いつつ片手で頭をコツンと叩く。無表情でやるのでそこはかとなく不気味ではあるが、本人なりにボケてはいるのだろう。
「あの男がお前を助けてくれたんだよ。ついでにここまで運んできたのもあいつだ。初対面であばら叩きおられててなに言ってんだと思うかもしれないけどな。まあ、あばらの分は後で顔でも蹴ってやるといいさ。おーい!王女が起きたぞー!」
クーは声をあげて三人のところに歩いていく。
襲撃してきた人物がまさか助けてくれた人物であるという答えに結び付かず、アメリアは混乱していたもののクーにならって三人の待つテーブルへと向かった。
テーブルに着くと白髪の男が大袈裟な手振りでアメリアに話しかけてくる。
「やあ、ご機嫌はいかがかな王女様。いまだ事態をうまく飲み込めず、どこか困惑しつつもひとつ意を決したかのようなその表情、非常に魅力的で僕の心の鍵を奪ってしまいそうなほどに美しい。その艶やかな金のロングヘアーも気品に溢れていて、まるでそう、神話に出てくる女神と見まごうほど出はないか。このような場でなければ共に月下で輝く星達を眺めながら一夜限りの舞踏会でも開きたいものだが、嗚呼、運命とはなんと残酷なのだろうか……。こうして出逢いを「うるさい長い。」」
クーはペラペラと饒舌にしゃべる白髪の男の頭をはたき、無理矢理に黙らせる
それを見た黄緑色の少女は
「ダメだよクーちゃん、無意味に暴力を振るっちゃ。アーヴも確かに喋りすぎかもしれないけど、だからと言って叩いていい理由にはならないよ?ほら、ごめんなさいしよう?」
と身を乗り出してクーに注意する。
「むぅ、ユフィに言われては仕方ない。すまんなアーヴ。」
「ああ、気にしてないとも。また運命の女神が僕の「アーヴも初対面でいきなり口説いちゃ失礼でしょ?」初対面で口説いてはいけないとは、また難易度の高い……。」
うーむ、と唸り声をあげアーヴも静かになったことで黄緑色の少女はアメリアに深々と頭を下げた。
「王女さま、クーネリアとアーヴァインが迷惑をかけて申し訳ありませんでした。どうかこのご無礼、ご容赦のほどお願い致します。」
「あ、いや、そんなにかしこまられても困るんだけど……。」
「そうだぞ。もう私なんかクーちゃんアーちゃんと呼び会う仲だ。気楽にいこう気楽に。」
「え、もうそんなに仲良くなったの!?」
「嘘よ、騙されないで。」
「そう、それは偽りだよ。何故なら真実はこの僕と婚約「それは嘘ってわかるよ?」やれやれ、どうも女性陣のノリがよろしくない・・・・・・。」
「お前ら、煩いぞ……。」
わいわいと騒いでいる彼女達を見ていると、彼女達も魔導機兵と恐れられるより先に、一人の人間で同じ年頃の少年少女でしかないのだとアメリアは感じた。
だからと言って憎しみや恨みは消えるわけではない。事実はいつまでも記憶に残り続けることは間違いがない。しかし、彼女達もこの国に思うところがあり、そのために剣を取るならば共に戦えるのではとわずかに思っていた。
「クー、とりあえずこの人たちの名前を教えてほしいのだけど。」
アメリアは意を決してクーへと言葉を投げ掛ける。まだ仮ではあるが、少なくとも彼女達の仲間として、この国を討つために。
まずはこの作品を見ていただいた方にお礼申し上げます。
小説家になろう初投稿ということで、つたない部分や未熟な部分多々あるとは思いますが、もし気に入っていただけたなら暖かく見守っていただけたらと思っております。
それでは、また次の投稿でお会いできることを楽しみにしております。
ご覧いただきありがとうございました。