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八百八狸轟刑部

 これで三度目になる。


 柾樹は夢をみていた。どこか知らない場所にいる。この頃、この手の夢をよく見る自覚も手伝って、飽きてきていた。それに毎度のことだがここでは頭が正常に働かず、まともに思考が出来ない。


――――またアレか。


 浮かんだ感想は冷めていた。

 他に思う事といったら、今回の夢はやたらに暗い。


 真っ暗闇の中、柾樹は崖っぷちに立っていた。

 下駄足の先は漆黒の空間で、暗闇しかない。底は見えない。深緑色した岸壁の上に、柾樹は一人で立っている。崖の下方から、絶え間なく風が吹き上がっていた。熱くも寒くもなく、触れた感触もないくせに髪や着物の袂を揺らすこれは風なのか。


「ここ、どこだ?」

 独り言への返事は無い。

 いつまでもどこまでも、無音の風と、とりとめのない闇と、静謐が続くように感じられた。


 そのとき左手側へ微かな光を感じ、柾樹はそちらを見る。離れた場所に、ふわりと柔らかな白い光が浮かんでいた。


 満月みたいに白く輝く丸いカンテラを持った狸が一匹、柾樹を見つめている。後足二本で立っていた。鈍い赤銅色の裘代きゅうたいの裾を引き、銀糸の立派な袈裟を纏っている。人間と同程度の背丈があり、狸の両の目玉は明るい黄緑色に光っていた。内側に光源があり、それがガラスの目玉を通しているかの如くである。


 カンテラ狸の後ろに、もう一匹狸がいた。こちらはやや小さくて、白い直垂姿。更にその向こうにも、二匹三匹控えている……と思い目を凝らすと、狸は列を成してどこまでも連なっていた。柾樹の立つ崖の縁に、小さな黄緑色の光が延々と続いている。たまに点滅する小さな光は、みんな狸の目玉なのだ。対岸と言って良いほど長い弧を描き、光の行列が出来ている。柾樹は自分が立っている場所がただの崖ではなく、非常識に大きな穴の縁だと知る事が出来た。


「何だお前ら?」

 柾樹は狸に声をかけてみる。相手へ届く程度には、大きな声を出した。けれど狸たちは動かず、スンとも言わない。それでもやがて、カンテラ狸が口をきいた。


「某、二重ふたえと申しまする」

 恭しく名乗る。


 柾樹は何となく、狸に対して陽気なイメージがあった。そのためこの果てしなく暗い空間と、狸たちの神妙な態度に、多少の驚きを禁じえなかった。『これは露西亜の動向で、変な具合に議論しそうな連中だ』と、おかしな部分で得心していた。愉快な腹鼓は期待出来そうにない。


 狸との間合いを計っているうちに、カンテラ狸が手に持つ丸いカンテラを穴へ向かって高く差し上げる。ゆあんゆあんと、白い光が左右に揺れた。居並ぶ狸たちは静寂を守り、黄緑色の目玉で穴を見下ろし蹲っている。


 そこへ、一段と重い風が谷底から吹き上がってきた。風に導かれ、柾樹も穴を見下ろす。弾みで足元の小石が下駄の歯にコツンとぶつかり転がって、底無しの闇へ吸い込まれていった。


 石ころを見送ると、暗闇の彼方に明るい黄緑色の円い光が二つ、ぽぽっと現れる。


《よう参った、小鬼》


 静粛を破り、重低音の声が轟いた。漆黒の底で、二つの光が口をきいた。


 厳かな口調。暗黒の中央にある黄緑色の光は、たまに明滅している。それが瞬きとわかり、柾樹は軽く寒気がした。どれほど巨大な目玉なのだろう。闇の深さで、相手との距離感が掴めない。でもきっと、奈落と呼んで差し支えないくらい遠くにいる。その上で、巨大さがわかるのだ。


「誰だ?」

 柾樹が身構え尋ねると

《わしか? わしは轟刑部とどろきぎょうぶ。知らぬか》

奈落に潜む二つの光が答える。


 轟刑部。どこかで聞いた。

 柾樹は記憶を掻き回し、欠片の中を探し回ってそれらしきものを見つけ驚いた。


「伊予の狸か」

 猫の火乱が、これまたいつかの夢の中で語っていた名だった。働かない思考状態で、且つあんな些細な事柄をよくも覚えていたものだと、思ったより悪くなかった自分の頭に感心する。


 暗闇の主は、居並ぶ狸たちの親玉なのであろう。ここは言わば、狸の巣穴なのだ。それにしても大き過ぎる。轟刑部とやらの巨大さを予想してみるだけで、柾樹は嫌になってきた。大狸は体の輪郭も全く見えないので、たぶん全身も真っ黒なのだろう。


《わしの名などは、どうでも良い》

 狸の親玉は簡潔に、自らの紹介を終わらせる。

《それよりおぬし、布引姫にいらぬことを吹き込まれたな?》

 重い低音は、話題を変えた。


 『布引姫』は、たしか狐の女親分だったと柾樹なりに思い出す。播摩の城に棲んでいると言っていた、紫色の瞳を持つ、でかくて白い化け狐。


《よう聞け。これ以上、“針の先”に関わってはならぬ。湾凪姫の『輿入れ』に、手出しは無用》

 轟刑部は柾樹に命じた。いつだかの布引姫も、こんな風だった。狐の提言を、狸が修正させようとしている。馬鹿みたいな状況だった。


「針の先ってあれか? 雪輪のことか? 俺は何もしてねぇだろッ!」

 狸の指摘で、青年は穴の底へ怒鳴る。九尾の狐の姫といい、この化け狸といい、ひどい言いがかりだと思った。けれど轟刑部は揺るがない。


《いいや、違うな。おぬしは“針の先”を、映し世に留めさせようとした》

 断言する。崖っぷちに佇む琥珀髪の若者は、首をかしげた。何のことを言っているのかと考えるうちに


《あの娘が映し世より失われることは、予め決まっておる》

 轟刑部は構わず、話し続ける。


《人にわかるよう例えてやろう。月が東から上り西へ沈むが如くに、古より決まっておるのだ。これを違えんとすれば、人なぞ脆く容易く消え果るぞ。相手が“無名の君”ともなれば、確実にな》

 奈落の底より響く声は、重々しく告げるや

《嘴を差し挟むでない》

声の厳しさと、緑色の光が強さを増した。


《われら常世の者にとっては、些末なことなのだぞ? 常世と映し世を繋ぐ穴が、少し変わるだけのこと。のた打ち回るは、おぬしら人間よ。他愛の無い火種で、滅びへ向かい走り出す。幾度かの破滅を経て、人は常世との交わりを絶ったが、最後の誓約まで同じ軌跡を辿るとは……。映し世とは、人間とは、哀れなものよ》

 轟刑部が嘆いた。崖上の狸たちは引き続きシンとして、柾樹も何を言うでもない。


《布引姫は、人のそういう愚かさと曖昧さを、愛おしいと仰せじゃ。だが我らは常世の存在。あのお方の『愛おしい』とやらも、人間の情と同じう思うてはならぬ》

 奈落の主はこれまでより声音を和らげ、漆黒の底から吹き上げる風と共に言う。


《姫の優しき『情』により、幾つ誓約が結ばれ、幾つ国が滅びたか……九尾の狐は、かつて瑞獣めでたきけものであった。しかしいつしか、滅びの魔物として記憶されるようになった。それが何故かを考えよ》

 煌々と光る黄緑色を瞬かせ、轟刑部は語る。


「考えよ、つったって」

 闇色の重い風に袂を揺らし、柾樹は迷惑げに零した。滅びの魔物が、めでたき獣。すると穴に潜む化け狸が、微かに溜息でもついた風な気配があった。


《我らと誓約を結ぶ者。多くは権力者であったが……布引姫は、その者たちの願う何もかもを叶えた。『黄金の山』を求めれば、黄金の山を与えた。『実り多き地』を求めれば、種まくだけで実りを齎す豊かな土地を与えた。『民を増やせ』と願えば民が増え続けるようにし、『邪なる隣国を滅ぼし給え』と願えば、星を降らせて滅ぼした》


 狸は、狐の姫君の昔語りをし始める。ツネキヨの話しを思い返すに、少なめに見積もって三千年以上前の出来事のはずである。


《結句、何が起きたか? 黄金の山は掘り尽くされ他に何も残らず、人々は去って行った。豊かなる土地は奪い合いの果て、四方荒廃して何者をも住めなくなった。民が増え続けた島国は、島にあったありとあらゆるものを食い尽くして消えた。そして国一つ滅ぶ天変地異が起これば、余波は周辺にも及ぶのだ。飢饉となり、疫病が広まり、殺戮が起きた。布引姫の降臨の地には、滅亡がやってくる》


 轟刑部は縷々と語る。物語を聞くうち、柾樹は重苦しい気分になってきた。


 つまり布引姫は人間と次々に誓約を結び、次々に願いを叶えてやっていたのだ。しかし祈願成就と引き換えにするように、国と人々は滅びたという。以前、夢の中で布引姫は雪輪の人身御供を『理不尽』と表現していた。柾樹は彼女のそれを、『同情』と受け取っていた。でもあの化け狐が語っていたのは、嘘ではなかったとしてももっと別の、人の理屈とは根本から異なる思想や力学の産物だったかもしれない。


 彼女は誓約後に何が起ころうと、眺めているだけだった。誓約もやめなかった。そして今再び、雪輪を『救おう』としている。


 柾樹は舌打ちした。狐に化かされかけたのだ。しかし

「そう言うお前は、どれだけ人間をわかってんだよ?」

こんな話しを持ち出してきた奈落の底に棲む輩も、立派に化け狸なのである。広大な黒穴に向けて、柾樹は尋ねた。


《人間のおぬしほどには、解しておらぬよ。されど、解せぬことは重々知っておる》

 穏やかに、意外と謙虚な返答があった。


「俺は情に流されたりしねぇよ」

 柾樹が返すも

《おぬしらは眼前にあるものしか見えぬのよ。ただ眼の前の願望に追い縋ることしか出来ぬ。だから言っておる。“針の先”に関わるな》

轟刑部の主張は翻らない。まだ年若く幼い相手を、教え諭すといった口調で告げた。


《何も難しゅうはないのだぞ。流れに任せれば良い。木の葉が川面を流れていく様を見送るように、眺めていれば良いのだ》


 音の無い風の中で響き渡る刑部の声は、柾樹の琥珀色の髪と顔をぬるりと舐めて去っていく。聞いている側は、ますます頭が麻痺してきた。声と言葉に宿る力で、圧倒されているのかもしれない。夢から醒めた後も、言われた通りしてしまいそうだった。だが柾樹は本能に近い衝動で、従順を拒絶した。


「おい!!」

 崖っぷちで膝をつくと深緑色の岸壁から、奈落の底へ怒鳴った。

「何でだ? もしこっちが破滅しても、どうせお前らは痛くも痒くもねぇんだろ? それなら、どうしてそんなに人間を気にかける?」

 深淵へ身を乗り出し、遥か彼方よりこちらを凝視している黄緑色の光源を睨みつける。


《長きに渡り、見てきたのだ。悲惨がこれで終わるのだ。終焉は、静謐こそが美しかろう》

 轟刑部は告げた。巨大な目玉が、奈落の底でゆったり瞬きする。

《疑っておるのか? 何、たまには得にならぬことをしたくなるものよ。気まぐれと申せば、そうやもしれぬな。だがそのような気まぐれは、人も時に抱くであろう?》

 声と目玉以外の何も見せようとしない化狸が言う。柾樹は不快になった。

「……どうだかな。狸も人を化かすらしいからな」

 怖いもの知らずは、狸の巣穴へ吐き捨てる。


 最初からずっとそうなのだが、轟刑部は人間を非常によく知っているようなのだ。人をどう弄ればどう動くか、知り尽くしている。その感じが、天邪鬼としては鼻についてならない。


 すると柾樹の言で、周囲の闇がさざめいた。


 見回すと、崖に居並ぶ数知れぬ黄緑色の光達が柾樹を取り囲み始める。狸たちは総大将を侮辱されたと解釈したようだった。銀縁眼鏡の青年は、狸の群集を睨み返す。喧嘩を売ったつもりはない。それでも弁明する気にはならず、詫びる気はもっと無かった。


 チカチカと明るい黄緑色に瞬く星屑にも似た、無数の目玉達。それとの距離を測り、まずはどの狸から片付けていくのが効率的か柾樹が計算し始めたときである。


《ギャッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!》


 物凄まじい笑い声が、漆黒の闇を揺るがせた。雷のような大音響を辺り一面に轟かせたのは、その通りの名を持つ奈落の主だった。


《生意気な小鬼めが。面白い。だが、知る必要はあるまい。おぬしらの与り知らぬ世の出来事だ。もう良い。帰れ》

 低い笑い声をくぐもらせ、巨大な化け狸は暗い穴の奥で告げる。黄緑色に輝く二つの目玉が、一際光を放った。それを合図に、集まっていた無数の狸が一つ、また一つと暗闇の中へ溶け込み、消えていく。


 蹴るように立ち上がった柾樹は、無言で崖に背を向けかけて一旦止まると振り返った。


「……そういや、どっかで聞いたぞ。狐と狸が、『力比べ』してるってな?」

 思い出したことを、口にした。轟刑部はそこに答えず、ほんの刹那目を細めた。


《もう一度言うぞ? 知る必要はない。“針の先”に関わらぬは、真におぬしらのためでもあるのだ。我等は映し世へ干渉出来るが、人は極めて特異な一点を除き、常世を覘くことすら叶わぬのだからな》

 轟く声で一方的に、申し渡しは終わった。この鷹揚さが、どちらの立場が上であるかという認識の差から発生しているのは明らかだった。


「気に入らねぇな。どこで何しようが、俺の勝手だ。命令するな」

 吐き捨てるように言う。柾樹はこのときの自分の形相が、少しだけ人から離れてしまっていると気付いていなかった。唯一轟刑部だけは、その変貌を見ていたのだろう。


《まったく……滅びて尚、ダイダラボッチは手を焼かせる》


 虚しい響きと共に、暗黒色の夢は終わった。

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